第9話 怒りのご令嬢

(やっぱり怒ってる……)

 テシリア嬢を見て俺は暗澹あんたんたる気持ちになった。

 隊商の護衛から一週間が経ち、俺達は訓練用ダンジョンの運営という日常に戻っていた。


「最近、めいがノールタウンの店を任されるようになりまして」

 護衛の報酬を俺に渡す時にガルノーが言った。

 ガルノーによると、彼の姪は最近までウェストポートの有名服飾店に勤めていたそうだ。

 その服飾店がノールタウン、ノール伯爵領の中心都市、に支店を出すことを決め、彼女がその支店長を任されることになったらしい。 


「最新デザインのものを揃えているようなので、テシリア様にも気に入っていただけると思います」

 俺は服の流行なんてものはさっぱりわからないが「最新デザイン」という言葉を聞くと、なんだか良いもののような気がする。


 そして、ガルノーから預かったテシリア嬢への護衛報酬を渡す時に「最新デザインの店」のことを伝えた。

 それを聞いたテシリア嬢は、

「そう」

 と、短く答えただけだった

(あっさりしてるんだな……)

 と思ったが、とにかくこれでテシリア嬢も新しい服を手に入れることができるだろうと、俺は一仕事ひとしごと終えた充足感で良い気分になった。


 にも関わらず、その後のテシリア嬢の機嫌は日に日に悪化しているのだ。

 ダンジョン訓練中もピリピリしていて、参加したての初心者にも容赦無い厳しさだった。

 それを見て俺が、

「テシリア嬢、もう少し穏やかに……」

 と、言うと、

「なんですってっ!?」

 と、まさに鬼の形相で睨み返してくるのだ。


 そんなことが続き、これまでの数倍疲れた俺は休憩所の椅子にドカッと座って、

「はぁああーー……」

 と深いため息をついた。

 そこにカップを手にしたニルがやってきた。最近の彼女のお気に入りはレモン水のはちみつわりらしい。


「おお、ニルか……お疲れ」

 俺が言うと、

「ノッシュ様……」

「ん、なんだ?」

「テシリア様が怒ってる……」

「そうなんだよ……ニルも気づいてたか」

 今やニルはテシリア嬢を崇拝せんばかりになっており、少しでも彼女の役に立とうと心をくだいているようだ。


「すごく怒ってる……」

 なおもそう言ってニルはじっと俺を見ている。

(ん……?もしかして)

「テシリア嬢は俺に怒ってるのか……?」

「……」

 ニルは無言でうなずいた。

「なんてことだ……」

 そう言いながら俺はがっくりとこうべを垂れた。


 とはいえ、テシリア嬢は一体俺の何に怒っているのだろうか。

 このブサメンを毎日見ていて、とうとう我慢できなくなってきたんだろうか?

(いやいや、ブサメンは元からだ、今更いまさらそれで怒られても……)

 それに、隊商護衛前もここまで怒ってはいなかったはずだ。


「お店はノールタウンにあるんでしょ……?」

 レモン水を一口飲んでニルが言った。

「そうだが……」

 ノールタウンは俺の地元、そこにガルノーの姪が支店長を務める店ができた……。

(……ということは……!)


「そうか、馬車か!」

 俺はひらめいた。天の啓示を受けたかのように。

 テシリア嬢からすれば、


『そのお店はあなたの地元のノールタウンにあるのでしょ?だったらあなたが馬車を出そうというくらいの気遣いがあってもいいんじゃなくて?』


 ということなのだろう。

「そうかそうか、馬車だな、よしっ!」

「馬車……?」

 俄然がぜん勢いづいてきた俺に付いてこれないのだろう、ニルは不思議な顔をしてつぷやいた。

「助かったよ、ニル」

 俺は機嫌よくそう言うと、善は急げとばかりに席を立った。

「うーん……」

 という今一つ理解が付いていけてないニルの声が聞こえたような気がするが、俺は早くも馬にまたがり、我が家であるノール伯爵家の屋敷へと向かった。




却下きゃっかだ」

「え?」

 まさか却下されるとは思ってもみなかった俺は、口をあんぐりとあけて呆然としてしまった。

 ここはノール伯爵家の執務室。そして俺の前の執務席で却下の通牒つうちょうを突きつけたのは、ノール家長男で次期当主のマキスだ。

 俺はテシリア嬢の送り迎えのために、我が家で一番上等な馬車を、御者を一人付けて使わせてほしいとマキスに頼んだ。

 その答えがこれだ。


「テシリア嬢は公爵家のご令嬢です、それに……」

 俺の婚約者でもある。あくまでも形式上ではあるが。

 一番上等な馬車を使う理由は十分じゅうぶんにあると俺は考えた。


「却下だ」

 マキスは重ねて言った。

 今、父に代わってこの家の全権を任されている兄マキスの言葉はほぼ絶対と言っていい。

「……分かりました」

 俺は諦めて執務室を辞そうときびすを返した。


「まあ、待て、ノッシュ」

 扉に向かいかけた俺をマキスが呼び止めた。

「はい……」

 俺が振り返って返事をすると、

「俺は、何も馬車がすべてだめだと言っているわけではないよ」

「え……?」

「カブリオレを使いなさい」

「カブリオレ!?」

 カブリオレは小型の二輪馬車で、二人乗りだ。となれば馬をぎょす役目は俺ということになる。


 御者役をするのが嫌だというわけではない。

 むしろ、俺としてはカブリオレを御すのは好きだと言っていい。

 ただそうなると、俺とテシリア嬢が座席に並んで座ることになるのだ。


『私にあなたの隣に座れと言うの?』


 というテシリア嬢の辛辣しんらつな言葉が俺の頭をよぎった。


「あの……それでは公爵家のご令嬢をお迎えするには……」

「命令だよ」

 マキスは容赦なく言った。

「はい……」

 兄には逆らえない。

(これじゃ、テシリア嬢の怒りの炎に油を注ぐことになるな……)


『こんな貧相な馬車で私を迎えに来るなんて、随分といい度胸をしているのね。しかも隣に座れとはね』

 怒りにまなじりを染めるテシリア嬢の姿が目に浮かぶようだ。


 俺はがっくりと肩を落として扉を開けた。

「しっかりやるんだよ」

 後ろからマキスの励ましの声が聞こえた。

(とんでもない試練を課しておいてそれはないだろ……)

 と、内心こぼしながら、

「……はい」

 そう答えて、俺はゆっくりと扉を閉めた。


 次の日、俺はテシリア嬢に次の休みの日に馬車で迎えに行く旨を伝えた。

「そう、わかったわ」

 と、テシリア嬢は案外そっけなく受けてくれた。

(とりあえず第一関門は突破したが……)


 問題は次だ。そう考えると気が重くて仕方ない。

 だが、ここまで来た以上はやり遂げるしかない。

 すると、誰かが俺の袖の肘を引っ張った。

(ニルか……?)

 そう思いながら見ると、やはりそこにはニルがいた。

 彼女はレモン水入りのカップを片手にニッコリと笑っている。

(ニルには分からないよな……この先の俺に待ち構えている地獄のような試練なんて……)


 そして、俺はノールタウンへの買い物の日を迎えた。

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