ウェンリィ・アダマスーⅢ

 ウェンリィ・アダマス。

 彼女の故郷でも、彼女の存在は怪異として語られていた。


 夜に一人で出歩いていると、刀を持った子供に斬られるぞ。

 夜に一人で出かけると、血塗れの子供に斬られるぞ。


 だから真夜中に出掛けるな。

 子供はもちろん、大人も絶対出掛けるな。


 月夜の輝く晩。明るい夜には出掛けるな。

 刀の錆びにされてしまう。輝ける刀身に食われてしまう。


 相手が子供と侮るな。

 あれは鬼だ。子供に憑いた鬼だ。小さな小さな狂暴な鬼だ。

 自分の背丈より大きな刀を振り回し、大人も子供も斬り付ける斬り裂き魔。血を求め、人を斬る感覚を求め、刀を持って彷徨う鬼だ。


 だから絶対近付くな。だから絶対戦うな。

 例え命を取られる事なくとも、心はズタズタに斬り裂かれるぞ。

 例え心を保っても、体は動かせなくなるかもしれないぞ。


 だからはやく逃げなさい。

 だからはやく走りなさい。

 一目散に真っ直ぐに、まっしぐらに走りなさい。闇の中へと走りなさい。夢の中へと逃げなさい。


 某日早朝。女子寮前。


「あれが、ウェンリィ・アダマス?」

(の、ようですね)


 全身血塗れの体と刀身。

 黒と赤の混じった長髪にも返り血を浴びて、赤褐色に錆びている。

 木にもたれかかる形で座りながら眠る彼女は電源が切れた人形のように一切動かず、二人が近付いて来る事にも気付かずに熟睡していた。


「今日もまた斬ったわけ……何でこんな殺人鬼を迎えたのか」

(彼女は誰も殺していませんよ。まぁ、傷跡が残る程度には斬っているようですが……)

「普通に危ないじゃない。何でこんな奴放置してるのよ……理事長が受け入れた理由が全然わかんない……」

(まぁとりあえず、今日はもう眠らないでしょう。彼女が夢遊病を発症するのは、三日に一度だそうなので)

「んん……んぅ……」


 タイミングを見計らったかのように、ウェンリィが起きる。

 寝ぼけ眼を擦りながらと背筋を伸ばし、大欠伸。半開きの目で刀を持っている事、全身血塗れである事を確認した彼女は、何事もなかったかのように立ち上がって、女子寮へ戻ろうとした。


「待った。待ちなさい、ウェンリィ・アダマス。人を斬りまくった気分はどう?」


 ウェンリィは立ち止まった。が、何も答えない。

 半開きのままの寝ぼけまなこはまた眠ってしまいそうで、必死に耐えている様子だった。


「どう、と……言われ、ましても……ふぁぁ……あなたは、自分が寝ている間に起きた出来事を……夢ではない現実の出来事だと把握し、理解し、全て、記憶しているのですか?」

「は? まさかあんた、寝ている間の事は何も憶えてないって言うの?」

「憶えてないも何も……そもそも記憶していません。起きている間に起こった出来事を全て記憶出来る人間は、もしかしたらいらっしゃるかもしれませんが……眠っている間の出来事まで記憶出来る人は……いない、でしょう?」


 ただ煽るつもりだったが、戦慄させられた。

 言っている事は尤もだ。睡眠中の出来事まで詳細に記憶している人間などいない。しかし彼女の場合、斬っている感覚はあると思っていた。

 眠っている間に起きてトイレへ行く様に、水分補給をするように、夢か現か境界が曖昧になるけれど、何となくでも記憶していると思っていた。


 なのに、全く憶えていない。

 それはつまり、一種の魔法ではないか。とさえ思った。


 軍人学校時代に聞いた事がある。

 眠ったまま戦える兵士の育成。

 頭は休息させたまま、体が勝手に戦う人間兵器は魔法で作れるのか否か。


 結果、それは人間の道徳に反するだろうという事で実験前の段階で凍結されたけれど、ウェンリィ・アダマスはまさしく、その時に聞いた人間の道徳を犯す眠れる兵士そのものだった。


 故の戦慄。

 ここに今、魔法ではない病気という形で、軍が理想とした兵士がいたという事実に。


「それで……えっと……あなたは? あぁ、コルト・ノーワードさんがいるって事は、あなたが……イルミナ・ノイシュテッター、さん? それで……んむ。私に……ふぅあああ……何の御用、で、しょうか……」

(あなたに、僕の無詠唱魔法の実験体になって頂きたく思いまして。彼女と、練習試合をして頂きたいのです)

「そう、ですか……ふぁぁぁ……」


 寝起きだからか、また大欠伸。

 世界第二位の魔法使いを前にして、一切緊張している様子が無い。


 緊張している状態を解そうと自然と欠伸する人もいるそうだが、彼女のはそうは見えなかった。

 未だ抜身の刀を握ったまま仕舞わないのも、血塗れの顔を拭わないのも、天然とは思えない。

 寝起きからまだ五分も経っていないのに、臨戦態勢にもう入っている。


 寝起きから覚醒まで二秒を要さないイルミナも、驚きを禁じ得ない。


「まぁ、今日は授業午後からですし……いい、ですけど。何処で?」

(もちろん、僕の工房で。ただその前に……一回、シャワーを浴びては如何でしょうか)

「うん……わかり、ました」


 女子寮に戻っていくウェンリィ。

 立ち尽くすイルミナの背中を、コルトは強く叩く。


(刃物相手は初めてではないでしょうに。緊張されているんですか)

「そ、そんな事……ただちょっと、色々と驚いてただけ。夢遊病の通り魔とか、どんだけのサイコパスかと思ってたから、あんな間抜けな感じだとは思ってなくて」

(今のお嬢様がどれだけ通じるか。元軍人対、夢遊病の辻斬り。面白くなって来ましたね)

「あんたって、意外とサディストよね……あたしイジメるの、そんなに楽しい?」

(別にそんな事は。ただ僕に食って掛かって来た時の勢いの割りに、あまりにもお嬢様が弱いから、強くするために必死なだけです)

「こんのっ……! この勝負に勝ったら覚えてなさいよ?!」

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