宅配便。

オレンジ11

宅配便

 上京して初めての誕生日を迎えた二日後、いちかは母親からの小包を受け取った。

 ワンルームマンションの玄関先で郵便局員が差し出した荷物は、実家近くの和菓子屋の袋を中身の形に合わせて折り曲げガムテープで不格好に固定したもので、受け取ると煙草のにおいが鼻をつき、すすけた実家の居間の光景が頭をよぎった。

 キッチンで包みを開けると、紙袋には新聞紙が詰めてあり、新聞紙の中には大きなタッパーが一つ。その中にはさくらんぼが入っていた。

 好物の思いがけない到来に、さっそく食べてみようと一つつまみ――タッパーに戻す。

 熟しきっているのだろう、見ればどの果実も赤黒い皮からうっすらと果肉が透け、ところどころ茶色くなっている。

 いちかはタッパーを逆さにし、さくらんぼをごみ箱に捨てた。

 ばらばらと、雨粒がたたきつけるような音がした。


『さくらんぼ、届いた?』

「届いたけど、傷んでた」

 その夜、弾んだ声で電話をかけてきた母親にいちかは素っ気なく言った。

「そうなの? スーパーで安くなってたから送ったんだけど。残念」

 どこか他人事のような反応に苛々いらいらし、

「他に用事がないなら、もう切る」

 母親が何か言うのを待たず、スマホをタップした。


 二度目の小包が届いたのは、クリスマスの朝だ。

 今度は地元の駅に併設されている土産物店の紙袋を使った小さな包みで、ガラス細工――クリスマスツリー、猫、イルカ、カボチャ、パイナップル――が一つずつ新聞紙にくるまれて入っていた。

『お店で見かけて、かわいかったから買っちゃった』

 また電話をかけてきた母親は得意げだ。

「もう、送らなくていいよ」

『え?』

「必要な物は自分で買えるから。切るね、出かけるの」

 嘘をついた。出かける予定など、ない。


「お母さん、少し変わってるよね」

 午後になって部屋にやって来たわたるは、テーブルの上に置きっぱなしになっているガラス細工を弄びながら言った。

 付き合ってまだ半年だが、年上らしい包容力があり、何でも話せる。

「どうしてそう思う?」

「……何でこれなのかわからない。いちかが欲しいって言ったとか集めてるとかならわかるけど。そういう背景はないわけだし、食べ物と違って扱いに困るだろ」

「――だよね」

 いちかは、航のすっきりと論理的な思考も好きだ。

「ほんと困る」

 何の興味もない品だが、傷んださくらんぼとは違う。ごみ箱に直行させるわけにもいかず、ガラス細工を手に取って、本棚の上に並べてみた――大いに違和感。

「合わないなあ」

 航が笑う。

 小さな本棚には、内容だけでなく装幀にもこだわって厳選した本が並べてある。それらと安っぽいガラス細工の組み合わせは、不釣り合いに過ぎる。

「俺がかわりに捨ててもいいけど――どうする?」

 航はガラス細工をまたその手に取ると、静かにきいた。


「ちょっとしたプレゼントを送りました。明日の午後七時から九時に到着予定」

 幼馴染の亜希からメッセージがあったのはその日の夜で、翌日届いたのは、白地に銀の模様が美しい和紙につつまれた淡い水色の箱だった。

 開けると、カードと、真っ白な緩衝材に埋もれるようにしてリンゴが十個、いちかの大好物であるベーカリー本間のショートブレッドが入っていた。リンゴは色や大きさが様々で、「こみつ」「世界一」「王林」など、すべてに手書きのシールが貼ってある。

 そのかわいらしさに、思わず写真を撮った。

 こんなにたくさんの種類、どうやって集めたのだろう。

 スーパーや青果店をはしご、あるいは隣町のリンゴ農家や無人販売所を車で周ったか。いずれにしても、凝り性で手間をいとわない亜希らしい。

「健康に気を付けて、よいお年をお迎えください。お返しは気にしないで」

 カードを読むと、これまた亜希らしいメッセージが書かれていた。


 年末年始は楽しかった。

 大晦日の夜は、航の部屋でビールを飲みながらすき焼きを作って食べ、紅白を観て、近くの神社に初詣に行った。

 元旦から続く三日間で食べたのは、お雑煮と出来あいのおせち、亜希のりんご。

 りんごは朝食に二つ、おやつに一つ、という具合に、どんどんいて二人で食べた。

「食べ比べると、違いが分かっておもしろいなあ。俺はグラニースミスが好き」

「私も。酸味がいいよね。製菓用として使われることが多い品種らしいけど」

「へえ、そうなんだ」

 航は微笑んで、いちかにキスをした。

 航は穏やかだ。

 飲んでも変わらないし、一緒にいて安心できる。

 思えば、こんなに落ち着いた年末年始を過ごしたのは、物心ついて以来初めてだ。

 

 いちかが満ち足りた気分で自分の部屋に戻ると、また母親からの荷物が届いた。

 今度はいったい何を送りつけてきたのか――半ば挑戦的な気持ちでヤニ臭い紙袋とガムテープの包装を破くと、入っていたのは、板かまぼこの詰め合わせ。

 冬だとはいえ、常温で送ってくる常識のなさに、いちかはまず驚いた。

 傷んでいるかも知れないな、そう思いつつ箱を開けると、中には手紙が入っていた。


 いちかへ。

 あなたが好きだったかまぼこを送ります。

 それと、お年玉。何か好きな物でも買ってください。

 母より。

 

 お年玉? 

 驚いて封筒の中をもう一度見ると、裸の一万円札が入っている。

 何なのだ、一体。

 気持ちが悪い。そして腹が立つ。航と話したい――思わずスマホを手にすると、着信音が鳴った。


「それで? 何て言ったの、お母さんに」

 仕事始めの日、会社帰りに待ち合わせた和食屋のカウンターで隣に座る航は、いちかのグラスにビールを注いだ。

「お金は送らなくていい、私もう自活してるんだから、って」


 いちかは小遣いをもらったことがなかった。かといって、母親に必要なものを伝えれば快く買ってくれるというわけではなく、大学生になってアルバイトを始めるまではいつも、惨めな気持ちを抱いてきた。もっともそのことに気付いたのは東京で一人暮らしを始めてしばらく経ってからで、当時は、自分の置かれた状況や気持ちを言語化できていなかったのだが。


「なぜ今さらお金を送ってくるの? 本当に必要だった時、無視していたくせに」――喉元まで出かかった言葉を、いちかは呑み込んだ。

 ついでに言えば、「私が好きなのは揚げかまぼこで、板かまぼこではない」とも言ってやりたかったが、バカバカしいので止めた。

 

「言わなくて正解だったと思う」

「本当に?」

「ああ」

 航がいちかを見た。

「言っても、きっとお母さんには伝わらない」

「そうかな」

「そうだよ」

「どうしたらいいと思う?」

「いちかのしたいようにすればいい」

「……考えたくない」

「じゃあ、放っておく」 

「また何か送ってきたら?」

「適当にあしらう」

 なんだか納得がいかないが、そうするより他ないのだろうかと、いちかはビールを飲んだ。冷えた炭酸と苦みが喉に心地いい。

「……おいしい」

「よかった。出汁巻玉子も旨いよ――本当にいちかのおごりでいいの?」

 航がいちかの皿に取り分けてくれる。

「うん」

 今夜は、母親の一万円を使いきってすっきりするのだ。

 そして週末は、亜希へのお返しを買いに行こう。

 何にしようか――そうだ、柑橘類がいい。

 スマホに「柑橘 旬 一月」と入力して検索し、最上位に表示されたサイトをタップすると、温州みかん、いよかん、ゆず、じゃばら、レモンと書かれてあった。

 良さそうだ。都内ならきっと、すべて入手できるだろう。

 いちかは自分の思い付きに満足し、大根おろしをたっぷりのせて、出汁巻玉子をぱくりと食べた。


(了)

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