第6話 最後のピースが揃う


 ■■■


「それで今日はどんなご用件なんですか? あとこれどうぞ」


「ありがとうございます」


 リビングの四人掛けの席に向かい合って座る二人。

 差し出されたお茶を一口飲んで心を落ち着かせる。

 俺は頭の中で”しばらく立ち上げることはないと考えた仕事スイッチ”を入れる。

 雑音が消え、仕事に必要のない情報がシャットアウトされる。

 今は20時26分、ゲームイベントまで30分と少し……ゴホッゴホッ。

 とにかく交渉は30分以内。

 可能なら短期決戦で行く、と再度目標設定を心の中で確認して話しをきりだす。


「今日は先日の件でもう一度お話しさせていただけないかと思いお伺いいたしました」


 頭を下げて交渉開始。

 一つわかるのはこの交渉は確実に俺にとって不利な物となることだ。

 だけどそんなことは百も承知。

 今までの経験を全て駆使して俺と言う商品を売り込んでいくだけだ。

 ビビるなよ、俺。

 大きなミスは絶対にしない。過去そうだったように。

 相手のみぞ知る欲しい答えに必ず辿り付いて見せる。

 所詮人は人。神ではない。だからミスはある。

 そうミスはある。後はそのミスを成功に変えるだけだ。


「はぁ~それですか。まさか逃げた人間の話に私が付き合うと?」


 大きなため息と刺すような言葉に加えて向けられた鋭いながら冷たい視線。

 一瞬で心臓が硬直してしまいそうな視線は俺の瞳の奥を覗くように真っ直ぐなもの。

 なんでだろう。

 その冷たい視線を向けられた瞬間、ゾクゾクしてしまった。

 状況はかなり絶望的なのだが針の穴に糸を通す程度にはチャンスを貰えたことが嬉しくて。正直予想して下お引き取り下さいよりかは言葉を聞く限り状況は気持ち良いように聞こえる。


「既に他の候補者とコンタクトを取っています」


「そうですか。ちなみにどんな方ですか?」


 相手の言葉を否定することは間接的に相手を否定することに繋がる。

 だからしてはいけない。

 まずは相手の様子を見つつ情報を集め来るべき時に備える。


「東さんより優秀でやる気に満ちた人です」


 なるほど。

 声のトーンから察するに嘘ではないようだ。

 だけど俺を試すようにさっきから視線を一切外さない部分が少し気掛かりだ。

 俺が知る浅井えりが目の前にいるはずなのに始めて見る真剣な表情に俺の鼓動が強くなる。

 いつでもお前の話を終わらせることができる、と遠回しに言われているようだ。

 余りにも情報が少なすぎる。

 ゲームのように行動に選択肢などない現実世界はやっぱり攻略難易がとても高い。

 だが俺ならいけるはず。


「そうですか。ちなみに渡辺会長が次期工場長代理として求める方の素質はなんでしょうか? それと求める結果を教えて頂けませんか?」


「残念ながらそれは私にはわかりません。それに次期後継者もすぐに決まるでしょう。この話はここまでです。お引き取り下さい」


 浅井は俺に玄関の方に行くようにジェスチャーをする。

 どうやら答えを間違えたようだ。

 だけどミスから逆算すると一つの答えが出てくる。


「その後継者は浅井さんの推薦者ですか?」


 具体的なことは知らない?

 そんなはずはない。

 なにも知らないはずの人間がエージェントとして仲介役に回されるような案件じゃないからだ。

 彼女について脳内でおさらいする。

 日本人、外国人留学生、外国人人材問わず多種多様な文化にも精通している彼女は圧倒的な話術と人の才能を見抜く洞察力に長け今まで1000人以上のプロフェショナルを現場に送り込んだスペシャリスト。畑違いの未経験の人材でも埋もれていると思えば自ら声をかけ説得し、その人の力を必要としている企業に斡旋し担当後任が決まるまでの間フォローを行い企業にとっては救世主とまで呼ばれる人だ。

 そんな凄い人なので一方的にある程度は立場上知っていたし白鳥総合商社もお世話になっている。それだけ凄いと俺の情報網など蜘蛛の巣みたいなもので、彼女は地上空中問わず蟻の巣みたいに巨大なパイプを沢山持っており隠すだけ無駄だと言える。

 つまりそんな凄い人間にわざわざ渡辺会長が依頼したとすると何も知らないはありえないことから浅井えりは噓を付いている可能性が出てきた。


「そうです。しかし個人情報保護法に引っかかるので詳しくはお伝えできない、というのが本音です。最近は個人情報についての管理規制が一段と厳しくてですね」


 法律。

 無知だとこの言葉に多くの者が言及を避けるだろう。


「正式にはまだ決まっていない。浅井様のお言葉からそう考えて問題ありませんか?」


「……はい」


 妙な間が空いた。

 嘘と本音の狭間で彼女が持つ善の心が迷ったのか?

 それとも演技だろうか?

 どちらにしろ俺自身を商品として売り込むなら此処しかないだろう。

 それに座り直したと言うことはとりあえずお引き取りコースからは一旦遠ざかったようにも考えられる。


「では単刀直入に言わせて頂きます。私を九州中央工場の責任者として雇って頂けないか渡辺会長に再度交渉してくださいませんか? 必ず結果は出しますとこの場でお約束します」


 迷いが生まれた。

 今しかない。

 これが最初で最後のチャンスかもしれない。


「メリットより先日の行いから仕事を放棄する可能性が高いと考えられるので無理です。それに責任感にも不安があります。なにより一度断っておきながら仕事が思うように見つからないからとか言う本音が見え隠れした理由が動機なら渡辺会長に大変失礼だとわかっていますか?」


「はい。東神グループ役員の一人は私の元上司である江口部長です。彼はリスクを嫌い外堀を埋めてから仕掛ける人間です。詳しくは言えませんが一年ほど前から渡辺グループは知らず知らずのうちに木綿で首を絞めるように包囲網を敷かれておりました。それが今こうして目に見える形で表れています」


「……ッ!」


「江口部長のことを知っている者の殆どは東神グループの江口部長いえ東神グループ江口常務と言うもう一つの顔を恐れて多くの者はビビるでしょう。なぜ少し前に白鳥総合商社の部長として出向して来たのか? それを考えれば……いえ浅井様なら既にご存知でしょう。直接部下を指揮し管理するためだと」


「…………」


「既に包囲網が完成し絶対絶命の九州中央生コンクリート工場。ですが今ならまだ間に合います」


「どうしてそう言いきれるのですか?」


「浅井様ほどではありませんが私にもパイプや人脈はあります。その九割は既に機能しないと考えていますが残り一割は生きていると確信しています。なぜならその一割は東神グループをよく思っていないライバル企業の人間です。私の持つ人脈と過去の経験を駆使すれば必ずこの状況を打破できます」


「具体的には?」


 短い言葉に集約された意味。

 試されているのは百も承知。

 だからビビらずこのまま諸突猛進の勢いで突っ切るだけ。

 言葉の先に潜む答えと言う確信の部分を考えれば今の方向性は間違っていないはずだ。ただ知性的に考えるのであれば嫌な予感はするが今は敢えて無視する。


「そもそも生コンクリート工場によくあるパターンですが、九州中央工場の場合設備の修繕費が大きな支出だと思います。それに対しての安定的な出荷数量の確保が出来ていないことが今回の大きな要因だと考えられます。価格競争を仕掛けられ当初見込めていた出荷数量がなくなり生コンの単価も下がり利益率が低下。そこに司令塔とも呼べる工場長の一時的な離脱の告知。これは外部だけでなく内部にも大きな影響を与えたでしょう」


「…………意外と詳しいのですね、生コン工場について」


「まぁ、人並みには」


「対して設備も最新、人手も充分、地上部の生コンクリート打設には既に東神グループで契約済みの大手ゼネコン各社。状況は誰が見ても絶望的。ここで一つ疑問が生まれます」


「疑問?」


「私は内部の人間だったので当然こうなることを数ヶ月前から予測していましたが、今の九州中央工場の工場長は全く気づかなかったのでしょうか?」


「なにが言いたいのですか?」


「入院の話しがなければ恐らく九州中央工場は今の工場長のまま経営を続けていたと思います。つまり私としては東神グループが築いた完璧な包囲網の抜け道を工場長は知っているのでは? と考えております。私ならその意思を継いで完璧にこなす自信があります」


「……それで?」


「そもそも東神グループは私が敵に回ることを予測していたのでしょうか? なにより九州中央工場長の入院時期と建設工程に合わせた計画発動は確かにこの上ない完璧なタイミング。だからこそそれが仇になると考えもしないでしょう」


「3000です」


「ん?」


「月間平均普通コンクリートで30強度の18スランプの単価で3000m3リューベ出荷すればなんとか黒字になります。なのに五月からの出荷予定はその半分以下と現実はかなり厳しいです。それでもなんとかできますか?」


 頭の中で電卓が弾かれる。

 3000と言う数字は去年なら余裕だったが今期で考えると俺が把握している公共事業と民間事業の物件数と工程、そして東神グループの納入計画表を照らし合わせると不可能ではないがその場合他の中小企業が経営する生コンクリート工場の出荷をもらわないと物理的には厳しい。だが交渉する余地がないのは確実。なぜなら渡辺グループ以外の中小企業が経営する生コンクリート工場も既に存続を掛けた戦いで疲弊し他所に気を回す余裕などないことは容易に想像が付くからだ。


「普通コンクリートで3000m3の出荷……」


「4月は2715m3と若干の赤字。それも早急に補填する必要があります」


 俺はようやく理解した。

 渡辺グループは救いを求め浅井えりと言うプロフェショナルに今回の件を任せたのだと。

 ただ祈っても救世主は現れない。

 だったらと尊い真実を求めて新しい風を求めたのだと。


「期間はいつからいつまでです?」



 ――。

 ――――部屋の空気が重くピリピリと肌を刺激する。

 返事がすぐにこない。

 迷っているのだろう。

 心は既に開いた、と確信しているが、さてどうだ……。


「……5月と6月です。ただし7月以降も出荷が続く環境構築までが今回の依頼内容であり雇用契約期間は最長一年です。工場長が戻られた際も代理として勤務が可能です。それ以降はその時交渉になると思います」


「なるほど……そういうことだったのか」


「ん?」


「いえ、なんでも」


 俺の中で一つ繋がった。

 江口部長が俺に課した無茶難題だったノルマの一つに長期の出荷数量の確保があった。だったら可能だ。やることのゴールが明確に見えた今なら言える。


「問題ありません」


「えっ?」


「私にお任せください。もし私にチャンスをくれるのであれば必ず結果を出します」


 チェックメイト。

 悪いな江口部長。

 俺の復讐劇はどうやら運命だったようだぜ。

 そして白鳥社長本当に申し訳ございません。ですが、私の活躍を今度は違う場所から見守って頂ければと思います。

 心の中で過去と決別した。

 後戻りはもうできない。

 だけどこれでいい。

 どうやら俺の覚悟が伝わったらしく「はぁ~、ったく頑固なんだから」と小さな声が聞こえてきた。そして差し出される茶封筒には雇用契約書など重要書類が入っていた。


「東さんの勝ちです。元々渡辺会長は東さん以外いないと私に今渡した書類を渡してきました。それが答えです」


「もしかして最初からそのつもりで?」


「はい。ったく、受けるなら最初から受けるって言えばいいのに土下座して断るから話がややこしくなるんです」


「うぅ……すみません」


「冗談です。私の方こそ意地悪してごめんなさい」


 クスッと笑う彼女の微笑みは暖かい物で今まで向けられていた視線とは全く正反対の物だった。


「いえ」


「でも真剣に私と向き合う東さんとても素敵でしたよ。お姉さんとしては頼もしい弟を見ているようでした」


「なら良かったです。ご期待に応えられるように精一杯頑張りたいと思います」


「はい、期待していますね。なら今日はもう遅いので明日続きの話をしましょう。このまま家まで送ります」


「いえ、玄関までで大丈夫です。お隣なので」


「そうですか、わかりました」


 靴を履いて家を後にする前、一度振り返り覚悟の言葉を送る。

 言い訳は要らない。

 彼女が求めている言葉はただ一つ。

 俺が逆の立場なら安心できる言葉が欲しいと思うし考える。

 でなければ、推薦者に自信を持って報告できないからだ。


「お任せください。東神グループから顧客を取り返して見せます」


 俺は玄関を出た。


 こうして新しい人生のリスタート&ゲームチュートリアルが終わりを迎えた。

 同時に仕事スイッチとプライベートスイッチが切り替わりスマートフォンを開きアプリを開くのであった。


 時刻20時58分……セーフ! と喜ぶ俺がそこに居た。

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30歳になった5月~人生が大きく変わる、ゲームに脳が支配された男~ 光影 @Mitukage

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