第12話 ママ、お願い
王都バロンディア。
クルヴィート伯爵家が治めるバードベリーを含め、広大な領土を持つイリス王国、その王城一帯の都市。
大陸最大の都市であり、さまざまな人種、身分の者が入れ替わり立ち代わりにやってきて、また住まう人口自体もこの世界では指折りの順位に入る。
イリス王国といえば、この世界で最も長い歴史を持っている国でもある。正確な年代はわからないものの5000年前に起きた大戦に参戦していた記録を見たことが残っているため、それ以前から戦争を行えるほどの地盤が整った国であったのだろう。
さて、そんな王国の都市バロンディアに行けとカロリーヌは提案したわけだが。
「…そこに、何があるというのですか?」
眉をひそめて俺は尋ねた。
解読の手がかりになるものがあるというが、まさか転移魔術についての記述の翻訳が手に入るわけではあるまい。
人種のサラダボウルな王都とはいえども、この本に使われている言語が使用されているわけではあるまいし。
「う~ん。おそらく、の話になりますが、《グリモアール》で使われている言語についての情報を得られるのではないかと」
「と言いますと?」
「ほら、バロンディアって古代人の遺跡が多くあるじゃないですか。なのでそれについて研究する学者の人やその情報が集まってくるんですよ」
確かに、あの都はそういう話を聞く。
イリスの一族には“古代人の血”が流れている、という噂…というか伝説がある。
この世界の古代人とは、ある時期にポっと現れて超次元の文明を築いたのち、遺産を残してすぐに全滅してしまったという謎に包まれた種族のことだ。
そんな古代人が残したとされる遺跡、そして明らかなオーバーテクノロジーと言われる遺物がイリス王国では大量に見つかっており、また出土した書物からの情報から推測して、王族は古代人の血を受け継いでいるということに至ったのである。
「…で、この本に書かれている言語は現代に存在しないモノです。しかし過去に使用された言語であるのは間違いないでしょう」
…そういうことか。
彼女の言いたいことがわかり、納得できた。
「…なるほど。つまり、この本に書かれてるのは古代の言語の可能性があるから、古代人と関連性の深いバロンディアに行けば何か見つかるかもしれない…と」
「そういうことです」
ふむ。
それは確かにそうかもしれないな。
地理書で読んだくらいの知識しか王都に関してはないけど、確かにそういう話があったり、人の流入が多くもあれば、古代に関係した情報はおのずと集まってくるだろう。
《グリモアール》に書かれている言語が古代人のものとは言い切れないが…それでも何か通ずる部分があるかもしれない。
一見する価値はあるだろう。
「それに、向こうには学者の知り合いがいますので情報も手に入りやすいと思いますので!」
おぉ、何と渡りに船ではないか。
さすがに《グリモアール》の解読をお願いするのは叶わないだろうが、古代語に関して何か教えてくれるかもしれない。
奇人だが腕の立つ魔法使いなだけあってか、カロリーヌのコネクションは広いな。
でも、
「なんで、そういうことをもっと早く言わないんですか…」
…そんな話は、もっと早く知りたかった。
もっと早くわかっていれば解読も捗ったものだというのに…。
「いやぁ、いつか提案しようと思っていたんですがね。思ったよりエリオスくんのペースが速かったもので」
カロリーヌは眉の角度を下げて、首裏を片手で押さえながら、タハハと力なく笑った。
…まぁ、転移魔術などという便利なモノが禁忌とされているこの世界、その学者の知り合いと連絡を取るには手紙しかないわけだし、仕方がない…か?
俺の解読のペースが速いのもまた事実なのだろうし。
とりあえず、知らせるのが遅れたことを責めるのではなく、こんなにも耳寄りな情報を提供してくれたことに深く感謝しよう。
この話がなかったら、今後もっと時間を要していた可能性が高い。
「…そういうことなら、仕方がありません。そのぶん、早速もう準備を始めましょうか」
分厚い魔導書を閉じて、俺は部屋を出ようという仕草を見せる。そうすると、カロリーヌはぱちくりと瞬きして、
「準備って、もしかして?」
「はい。王都に行く準備を、ですよ」
頭痛を抑えるように眉間をほぐしながら、カロリーヌは「おぉ…」と声を漏らした。
***
「王都に行く、ですって…?!」
母親であるリリアーノにこのことを告げると、驚いたように目を剥き、声をひっくり返した。
「はい。バロンディアでは古代に関連した研究が盛んに行われていますので!ぜひ一度訪れてみたいと!なるべく早く!」
ニコニコした笑みを浮かべながら、俺は答えて見せた。
飽くまで、水族館や動物園に行きたいとねだる幼児のように。
飽くまで、好奇心に忠実な子供のように。
「そ、そう……。まぁ、確かにあの都市には古代語に精通する学者がいますから、その方たちに話を聞くことはいい経験になるでしょうけど…」
そう言いながらも、リリアーノは戸惑っていた。
無理もない。
今まで何も言いださなかった息子が、急におねだりしてきたら少しくらい驚きもするだろう。
もしそれがただの聞き分けの子供だったら別だが、俺のようななんの感情も露わにしない子供だったなら尚更な。
…とはいえ、ここ最近。
厳密に言えば転移魔術の存在を知ってからのこの一カ月は、彼女らにも愛想よく接してきたつもりである。
未解明な部分が多いこの魔術を習得するには、もっと多くの情報や経験が必要だと思ったし、そのためには今いる俺の“立場”というものをもっと有効に活用できると思ったからだ。
伯爵という決して低くない身分を使えば、手に届かない情報も獲得できるかもしれない。
そうでなくとも、今後変に目を付けられずに研究を行うためには、ある程度の周りの人間からの信頼や好感度というものがあった方がよさそうだしな。
まぁそういうわけだから、今回の頼み事はこの一カ月の成果を試すものでもあるのだが。
「…それは、急がなければいけないの?」
リリアーノの反応は、いまいち芳しくなかった。
言葉尻が曖昧で、俺の申し出に手放しに賛成しないというような態度である。
「はい。できるなら今すぐにでも準備したいところです」
「でも、王都までには馬車でも数日はかかるわ。護衛をつけるにしても、まだ貴方ほどの年齢で遠出するのは…」
バロンディアまでは森を抜けて、国道を経て、3~4日ほどの時間がかかる。
この世界の治安は例え良いとされる場所でも前世基準では決して安全とはいえず、盗賊山賊、魔物と呼ばれる超獣に襲われることも少なくない。
いくら護衛を雇っても、やはり心配なものは心配なのだ。
これは正直無理もない。
もし娘が同じようなことを言ったら、俺だって少し躊躇してしまうだろう。
だが、そんな理由で俺は二の足を踏んではいられないのだ。
「…お願いします。バロンディアに行かせてください」
腰を直角に曲げて、勢いよく俺は頭を下げた。
この世界にお辞儀なんかの文化はない。
おそらくは前世のヨーロッパと似たような文化になっていることだろう。
…しかし、俺はこの世界の人間ではない。
少なくとも認めていない。
だから、誠心誠意を見せるには、この方法が真っ先に思い浮かび行動に出たのだった。
「もしかしたら、何か手掛かりになるものがあるかもしれないんです。…僕には、」
リリアーノは目を丸めたまま、俺の言葉を待っていた。
俺は頭を上げて、そしてまっすぐと彼女の瞳を見据えながら、もう一度口を開く。
「僕には、やらなければいけないことがあるから」
彼女には申し訳ないけれど、俺は帰らなければならない。
わが愛する家族のもとへと、帰らなければならないのだ。
だから、俺はバロンディアに行く必要がある。
そのままの言葉で言えるはずもないが、そのような思いの丈を、瞳と声色でリリアーノにぶつけた。
彼女は一層に目を剥き、そして瞑目し、何か逡巡するかのように思考を巡らせた。
それも束の間で、ふっと微笑みを浮かべながら、目を開き、リリアーノは同じく俺の姿をその瞳に映した。
「……わかったわ。ようやく、その時が来たのね」
呟くようにそう言った。
…正直、その時という言葉が差す意味がイマイチわからないが、しかしその前の言葉で俺の脳内はいっぱいであり、すぐにそんな文言は右から左へと抜け落ちていた。
「ということは…っ」
「えぇ、バロンディアに行きましょう」
彼女が慈愛的でありながらどこか寂しげな微笑みを浮かべるのをよそに、反射的に拳を握って、俺はガッツポーズをした。
「ありがとうございますっ!!」
今度は心から、喜色満面の笑みを表情に出す。
ようやく帰路への希望が、輪郭を帯びだしたような気がした。
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