第33話不立文字

「おはようございます! 皆さん、昨日の初めての講義は如何でしたか? 皆さんも一層やる気になったんじゃないでしょうか!」




 エリス教官の溌剌はつらつとした笑顔にも、生徒の反応は鈍かった。


 しばらく、何の反応もないことに焦ったのか、あ、とか、う、とか、エリス教官が狼狽え始めた。


 なんだかこの人、数日前から思っていたが、随分と可愛い人である。




「え、えーっと……それでは! まずは簡単な魔術の講義から始めていきますね! 皆さん御存知の通り、エーテルの発見と、それに伴う魔術理論の発見は発見されてまだ数世紀しか経っていない比較的新しい技術であり――」




 エリス教官はそう言って、黒板にサラサラと文字を書き始めた。




「魔術理論の基本は、言葉による魔力の循環、そして放出です。その媒介となるのは言葉、言語です。人間の精神は言葉を媒介にして精神的に体内のエーテルに干渉し、それを操ることが可能となるわけで――」




 エリス教官は黒板に書いた文字を示そっくり詠唱してから、目の前に手のひらを掲げた。


 途端、ボワッ、という音とともに手のひらから火炎が迸り、教室内が短くどよめいた。




「――このように、魔術というものは複数の言語を複雑に組み合わせることで発現します。言葉の組み合わせ次第でその威力や規模は大きく変化し――」




 ハァ、と、小生はため息を吐いた。




「また、言葉、か」

「はぁ? 何を呆れたような表情してんの、クヨウ。魔術の発動に言語は必須じゃない。そりゃあなたの国でも一緒でしょう?」

「そうなのであろうかな……そりゃあ流石にここは学校組織であるから魔術理論を教えるために言葉は必要だ。だが、それでは魔術理論などほんの入り口しかわからんではないか」




 小生の言葉に、エステラが一瞬、不審そうな表情を浮かべた。




「……そういえばあなた、魔力判定試験のときも同じようなこと言ってたわね。数字が人を縛るとか……」

「その通り。最初は魔法が如何なるものなのか説明するのはよいが、あくまで魔法は言葉にしてはならぬものなのだ。それは師からも繰り返し言われておる」

「それ、どういうことなの? 言葉に出来ないなら教えようも伝えようもないじゃない」

「そういうものなのだ、エステラ。魔法とは言葉にした途端に消えてしまうものなのである」

「は、はぁ――? 意味がわからない。どういうこと?」




 どういうことか、と問われて、小生は少し考えてから説明した。




「えーと、なんという寓話ぐうわであったかな……あの、悪徳商人から見えない服を買ったと信じ込まされた王様が、裸のまま意気揚々と街を練り歩く話……」

「ああ、『裸の王様』のことを言ってるの?」

「そう、そんな名前だったかな」




 小生は曖昧に頷いた。




「あの寓話と一緒だ。あの寓話を魔法的、魔術的に読み替えるならば、王様は裸だと指摘したわっぱがそう口にしない限り、見えない服は本当に存在していたのである」

「は――はぁ?」

「そうではないか。見えない服ならば誰の目にも見えない。王様は騙されてなどいなかった、見えない服は魔法で出来たものであり、見えずとも本当に存在したとすれば――どうなる?」




 小生は短く説明した。




「だがどこぞの小僧が王様は裸であると言葉にした瞬間、見えない服は消えてしまって、王様は裸であることになってしまった。見えない服は『王様は裸だ』という言葉によって存在を上書きされ、存在するのに存在しないことにされてしまったとするなら……齟齬そごはないのでは?」

「な、なんか凄く哲学的な話をするのね……東洋の人ってそんなことを常に考えてるわけ?」




 エステラは四苦八苦という感じで顔をひん曲げた。




不立文字ふりゅうもんじ、小生の国にはそんな言葉がある。言葉にしたら真理は逃げてゆくのである。確かに言葉でしか伝えられないことはある。だが言葉で伝えることが出来ること、数字に出来ることなどはほんの些細なことであって――」

「ムムッ! 先程からお口が元気な生徒がいますね! ちょうどいい!」




 まるで小さい子に話しかけるかのような口調で、エリス教官が小生を睨んだ。




「クヨウ・ハチスカ君! それでは今から君に実践してもらいましょう!」




 えっ、小生が? 小生が目を丸くすると、エリス教官が黒板に書かれた文字を指した。




「これは最も初歩的な魔術、火炎魔術の構築式です! この状態では発動しないよう意図的に必要な文言を抜いています。これに必要な言葉を追加し、発動する状態にしてください!」




 そう言われて、小生は隣のエステラを顔を見合わせた後、立ち上がって前に出た。


 背後に感じる視線には、明らかに小生には出来まいと高をくくっている視線が少なくない。


 今まで殆どの国が国を鎖していた東亜とうあには、複雑な魔術理論どころかエーテル技術すら存在しないと思っているのである。




 黒板の前に立った小生は、そこに書かれた英語の文字をしげしげと眺めた。




 ええーと、これは「均衡」、これは「発動」、これは「熱」――。


 んん? と小生は眉間に皺を寄せてエリス教官を見た。




「教官殿、これはわざとでありますかな?」

「えっ?」

「これでも発動しないように文字が欠けている、と?」

「そ、そうですけど……」




 んん? と再び小生は首を傾げた。




「これは……逆に必要な文言が多すぎるのでは?」

「はい?」

「小生が観ずるところ、発動できる文言は既に揃っております。この状態で発動しないのは、むしろここ……」




 小生は文末の、幾つかの文言を指した。




「ここ、ここの文章が発動を阻害しております。これではわざわざ発動を阻害しているようなものではないですか」

「え? え? そ、そんなバカな――! 十年以上この学園で使われているお題ですよ!?」

「まぁ、そう言うなら――黒板消しを拝借」




 小生はそう言って黒板消しを手に取り、以下の文章を消してから――ああそうだ、とエリス教官に向き直った。




「教官殿、そこの窓を開けてくださりませんか」

「え? は、はい、いいですけど……」

「よしよし、そんな感じでよろしいです。では――」




 小生はきっちりと開けられた窓の方向に掌を向け。


 黒板に書かれた文字を読み上げた。




 途端――ボゥン! という轟音が発し、窓際に突っ立ったままのエリス教官の側を、猛烈な火柱が通り抜けた。


 硬直しているエリス教官の顔を赤々と照らしながら、火炎は開け放たれた窓を焦がしながら外へ噴き出し、学園の窓は灼熱の溶岩を噴き上げる火山の火口と化した。




 もういいだろう。小生が手を下ろすと、エリス教官が床にへたり込んだ。


 おや、随分なんだか、愕然としてしまったような表情である。どうしたのだろう。




「どうであろうかな、教官殿」

「は――」

「添削後の威力はざっと五倍程度……合格に相違ありますまいな?」

「え!? い、いや、あの……!」




 放心していたエリス教官がなにか正気に戻ったような表情でうろたえた。




「い、いや、あのですねハチスカ君! 魔術というのはそう簡単に新理論が発見されるものじゃないんですよ!? そういうものじゃないのに、あなたは一体何者なんですか!? だっ、だいたい国際的に使われてる必須詠唱の不備をそんなアッサリ指摘するなんて……!」

「んむ? 西欧では魔法発動の際に詠唱が必須なのですか? そんなもの口に出さずとも、ちょっと頭の中でそらんじるだけで簡単に……」




 つい真剣な疑問を言ってしまうと、どよどよ……と教室内が大きくどよめいた。




「お、おいアイツ、今なんて言った!?」

「詠唱が必須ないとかなんとか……!」

「ま、まさかあのクラスの威力の魔法を詠唱なしで……!? 列強国の将校クラスでもそんなことは……!」




 あれ? 何この反応? と小生が慌てると、エステラが頭を抱えるのが見えて、小生はますます慌てた。




「え……クヨウ君!? ま、まさかあなた、詠唱なしで魔法発動とかが……!」

「あ、いやいや! そんなことはござらん! ござらんのです! 詠唱、詠唱ですな! もちろん必須でござる! 今のもただそうじゃないのかなーと当てずっぽうでやってみただけでござる!」




 これは参った、西欧列強はまだその地点なのか。


 言葉により技術を形作り、言葉によって魔術理論を構築してきた西欧文明の弊害は――ここまで魔剣士を弱体化させるものか。




「とっ、とにかく! 合格、ということでよいかな!? 小生は席に戻りますッ!」




 小生が裏返った声でそそくさと自分の席に戻ろうとした。


 教室内のざわざわを、エリス教官は立ち上がって必死に落ち着けようとしている。


 よかった、このエリス教官の大声で小生はどさくさに紛れて……そう思った途端だった。




「ねぇ、あなた」




 はっ――!? と、一瞬小生は棒立ちになり、虚空に視線を走らせた。




「あなた、どうしてそんな事ができるの?」




 あ、この声、そして何よりも、この激しくなまぐさいような殺気は――。


 小生はやっと、誰なのか思い出した。




「あなたのことは魔力検査のときから不思議に思っていた。なんであなたにはそんな事ができるの?」

「あ、ああ、アイズ、アイズ・ブラッドレイ殿、か。びっくりした――」

「ねぇ、質問に答えて。あなたにはどうして魔力がゼロなの? どうしてゼロなのに魔法が使えるの?」




 まるで機械のような、妙に抑揚を欠いた声である。


 やはり、この人は普通ではない――小生は少し背中に冷たいものを感じながら誤魔化した。




「そ、それは――なにかの間違いではないかな?」

「え?」

「試験の時のエリス教官も言っておったが、あれは石版の不具合だったのであろうよ。小生にもそれなりに魔力というものが本当はちゃんとあって……」




 小生が大いに焦りながらそんなでまかせを言うと、じーっ、という感じで、小生の眉間辺りに物凄い視線を感じた。


 う、マティルダはこれで結構いい子だとは言っていたが、小生にはどうしても……。


 小生が困ってしまうと、アイズが恐ろしく短く言った。




「嘘が下手」




 それと同時に、アイズの興味が失われたのがわかった。


 あはは……と乾いた声で笑い、小生はそそくさと自分の席に戻った。







「面白かった」

「続きが気になる」

「いや面白いと思うよコレ」


そう思っていただけましたら、

何卒下の方の『★』でご供養ください。


よろしくお願いいたします。



【VS】

もしよければこちらの連載作品もよろしく。完結間近のラブコメです。


『俺が暴漢から助けたロシアン美少女、どうやら俺の宿敵らしいです ~俺とエレーナさんの第二次日露戦争ラブコメ~』

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