第一章 【髪は天下のまわりもの】

1-1 僕が救世主? こんなに世界は平和なのに(1)

 二十一世紀になって早や二十年。世の中は限りなく平和だった。

 元旦を迎えた2021年の日本の正月は、いつも通りの穏やかで華やかな雰囲気である。といっても、それはもちろんテレビ画面の中だけの話ではあるが――。

 どのチャンネルを見ても、華やかな着物をまとう美人アナウンサーと、男女問わない若手から中堅どころといわれるお笑いタレントの悲鳴にも似た叫び声が響く、そんな番組ばかりだった。普段なら飽き飽きしてしまいそうなものだが、この正月という時期にそんな状態に文句を言う日本人など、恐らく誰ひとりいないのである。少なくとも、道都・札幌に存在するこの斉藤家においては、そのような奇特な人物は誰もいなかった。


「おお、やっと起きて来たね。新年、あけましておめでとう。テンシ・・・君!」


 小学4年生の頃に与えられて以来、大学卒業までずっとそこで寝起きしていた二階の部屋から、薄い頭をぼりぼりと掻きながら降りて来た彼――斎藤さいとう典史のりふみに爽やかに新年の挨拶をしたのは、彼の父、和良かずよしだった。

 真面目だけが取り柄の、サラリーマン。

 同期や後輩たちとの出世争いに敗れ続けた万年係長の彼は、あと二年でやってくる還暦、そして定年退職を楽しみに日々生きている種族といえた。

 見た目的には丸顔の中にやや大きめの円らな瞳が目立つ構成で、それは息子の典史とそっくりである。だが、尊敬すべき、そして遺伝子的にも相当近い親に対しても、新年最初の朝から妙な夢を見てしまった典史は、とにかく機嫌が悪かった。


「だからさ……その呼び方、やめてくれない?」


 むっつりとした表情とともにそう呟いた典史は、リビングの真ん中に置かれたコタツへとまるで磁石でひっぱられるように吸い込まれていった。

 父である知良の右隣、つまりは廊下から部屋に入ってすぐの場所が、典史のコタツに入るときの定位置である。そこでふかふかとしたコタツ布団にその身をくるみつつ座った彼は、今までの不機嫌顔はどこへやら、「ここはこの世の天国!」という表情へと変化した。


「いいじゃないか。だって、お前の見た目は、天使そのものなんだからさ」


 親子であるから、ある意味当たり前なのだが、こうして並んでみるとやはり二人はそっくりだった。ただひとつだけ、ある部分を除いては――。

 ある部分とは、そう、『毛髪の量』であった。

 父の和良の方は、既に気持ち良いくらいに頭部が禿げ上がっている。それに比べ、典史のそれはまだそれなりに踏ん張っており、頭の天頂部を中心に丸い輪を描くようにしてやや薄い部分がある、といった感じであった。その有り様が、まるで『天使てんし』のように輝いて見えるのだ。

 いつからそう呼ばれるようになったのかは定かではない。が、彼の『テンシ』という呼び名がそこから来ていることだけは、間違いなかった。


「天使そのものって――意味わからんし」

「そうか? もうすっかり無くなっちゃってる・・・・・・・・・父さんからすれば、その天使の輪は逆にチャーミングだと思うぞ」

「……もういいよ、その話は!」


 典史は更にムッとして、コタツの天板の上に置かれた籠の中のミカンに手を出し、親指をその窪み部分――『ヘソ』に突き刺した。その力の入れようは、自分の薄毛の恨みをミカンに八つ当たりしているかのようである。

 そんな奇抜な動作で、必死に話題を変えようとしているのは明らかだった。

 ミカンを胸元に引き寄せた典史は、その皮をピリピリと剥き始める。


「けどさぁ……相変わらずウチは、コタツなんだな。北海道でこれがリビングにあるのは、かなり珍しいぜ」

「何を言っとるんだ。コタツ……良いじゃないか! 北海道の人は石油ストーブをこれでもかとガンガンく人が多い。だから、コタツがないウチがほとんどだよ、確かに。だけどさ、父さんは子どもの頃から、この光景に憧れていたのさ。テレビのニュースとかアニメとかで出て来るじゃないか。家族が揃ってコタツでミカンを食べながら一緒に過ごす――みたいなやつ。まさに、それこそ家族団らんのひとときだよ。最高だな」

「そんなもんかな……。っていうかさ、そのためにリビングのストーブを使わないのは辞めて欲しいな。寒くて仕方ない」

「楽しい一家団らんのためだよ。その程度の犠牲は、止むをえまい」

「そうかなあ。僕にはそれが、そんなに大切なことだとは思えないけどな……。あ、そうそう。そんなことより、今朝、変な夢を見たんだよ、父さん」


 ミカンを頬張りながら典史がそう打ち明けると、父親の目つきが急変した。

 人の秘密めいた話が根っから好きなのだろうか。キラリ、そのつぶらな瞳を輝かせた父親は、前のめりになって言った。


「変な夢を見た? 妙なお前が見る変な夢だから、面白そうだよな。ぜひ、聞かせてくれよ! ……っていうかさ、お前、二十八歳にもなって、しかもその゛薄い頭゛で夢なんてまだあるのか?」

「こら、クソ親父オヤジ! その『夢』と枕もとで見る夢とを混同するなよ。それに今の発言には、かなり問題があったぞ。実の息子に向かって『妙な』っていういい方もひどいし、見た目で判断するのは、人権侵害だ」

「ジンケンシンガイ?? テンシ――お前、意外と難しい言葉知ってるな……感心、感心。って、すまんすまん、そんなに怒るな」


 新しいミカンを籠からひとつ取り上げ、今にも父親に向かって投げつけそうな息子を必死になだめる、父。

 結局、それを父に投げつけるまではできなかった典史が、腹いせにミカンをコタツの天板に勢いよく叩きつけた。

 飛び散る黄色い果汁とともに、ぐしゃりという鈍い音がした。


「僕にだって……人生の夢はあるよ、当然。というかさ、髪の毛の量は『夢』の大きさと比例するわけでもなければ、毛があるなしで中身が変わるはずもないじゃないか。それに……親父にだけは、そのことを言われたくないね。だって、親父の遺伝子もかなりの部分で僕に影響してるだろうし……。まあ、いいや。なんか、むなしくなってきたよ。その、朝に見た夢の話なんだけど――」


 典史は、古風な白い服を着た、自分を『地球の神様』だと言い張る奇妙なおじいさんが夢に現れ、雪の降りしきる中パジャマ姿でうろつく典史のことを地球を救う『選ばれし戦士』であると棒読みの台詞せりふで告げてきたことを説明した。

 なんの意味もなさそうな、なんともバカげた話なのに、父親は典史の話に茶々も入れず、神妙に聴き入っている。「ほほう。なるほどね……」と言ったきり、しばらく首を捻っていたが、


「なんだよ、大して奇妙な夢でもないじゃないか。そういう人生も、面白そうだよ。お前の薄毛うすげがこの世界に役立つというなら、素晴らしいことじゃないの?」


 と、急に前向きなコメントを息子に放ったのだ。

 典史にとっては、どうせ一笑に付されて終わり、と思っていた話題。

 それが、父親から肯定的な言葉をもらうという予想外な展開となったことに戸惑った。


「いや、だから……たかが夢の話なんだってば、父さん。あまりにも鮮明に記憶に残ったから、つい話したくなってしまっただけだよ。あんまり本気にしないで欲しいな……。それに元旦に見た夢って、初夢じゃないんだろ? 確か、元旦の夜から二日の朝にかけてみた夢が初夢だってことだもの、この夢の『真実性』は乏しいと思うな」

「そうかな……父さんは、そうは思わん」

「え、マジで言ってる? それにその神様、僕に『続きはwebじゃ!』とか、訳わかんないこと言ってたんだよ。そんな神様なんてありえないじゃん?」

「ふうん、神様がそんなことを……。まあ、この二十一世紀の地球なら、SNSで情報発信をする神様がいても、なんら不思議はないと思うが」

「そんなもんかな」

「ああ、そんなもんだ」


 コタツに隣り合って座る親子の会話がひとまず終わりかけた、朝の9時半。

 ぼりぼりと頭を掻きながら、ピンク色のパジャマ姿の女性が一人、二階からの階段を下りて来た。

 典史の妹、紗理奈さりなだった。


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