不知火ソード

あびす

第1話

暗い洞窟の中で、微かに鎖の擦れる音がした。深い闇、目の前にかざした自分の掌すら見えないような漆黒。そんな暗黒の世界に、ぽうっ、と淡い光が灯った。

洞窟のいたるところに生えている水晶が、青白く光りだした。目を凝らさなければ見えないような小さなそれだが、少しずつ、確かに光は強くなっている。

また、鎖の音がした。それに繋がれた何かは、ゆっくりと目を開ける。

感じる。僅かだが、着実に力が戻っているのを。

何かは、眼前の岩に突き刺さっている刀を睨む。水晶の光に照らされて、金色の目がギラリと光った。

これだ、これさえあれば、もう一度……!

だがそこまでだ。突然、一つの水晶が光を失ったかと思うと、一つ、また一つと消えてゆく。

だが……、今はまだ、もう少し眠るとしよう。

何かも瞼を閉じ、最後の水晶の光も消え、

世界は、再び闇に包まれた。




掲示板に貼られた依頼書が、風を受けてひらひらと舞う。入れ替わる人々の中、また今日も誰かが煤に汚れた手で依頼書を張り付けた。

ここはヴェーナ大坑道。鉄に石炭、金や宝石、さらには古代文明の残した遺物など、ありとあらゆる鉱物が採掘できる夢のような巨大鉱山だ。人々は今日も一攫千金を夢みてツルハシ片手に血眼で洞窟を掘り進める。

鉱山に来る炭鉱夫、さらには観光目当ての旅人のおかげで、近くにあっただけの何の変哲もない村は今や夜でも明かりが消えぬ街へと急成長した。鉱山都市ベルガストの誕生である。

しかし坑道内には危険も多い。崩落やガス爆発はもちろんだが、うっかりモンスターのねぐらを掘り当ててしまうことも少なくない。

そういった問題に対処するため、ベルガストには相応の規模の冒険者ギルドが設置されている。多数の冒険者が属し、大陸で有数の冒険者も何名か居る程だ。彼らは炭鉱夫の護衛、モンスターの討伐などを行い報酬を得ている。さぞ華やかそうに見えるだろう?実際の所、冒険者の仕事なんて雑用か荷物運びがほとんどだ。それが最低ランクの『一ツ星』ならなおさらのこと。数多の冒険譚に憧れてこの街に入り、何もできずに去ってゆくなんてことは酒の肴にもなりはしないほどありふれた話なのだ。


ベルガストの中央道路。ヴェーナ大坑道に繋がる道を、30人ほどの集団が行進していた。ほとんどの者はぼろ切れを纏っているだけだが、その中央には対照的なほど豪華な馬車が悠々と歩を進めている。

「出たよ、ノーマの野郎の鉱夫団だ。わざわざ見せつけるようなことしやがって……」

「シッ!見るなよ、目をつけられたら厄介だ……。この頃は大した収穫が無くて苛立ってるって噂だからな……」

通行人や露店の客は、厄介そうに目をそらした。

馬車の中で不機嫌そうに足を組む男の名前はノーマ。彼の父はもともとただの炭鉱夫だったが、大坑道で金の鉱脈を掘り当て見事億万長者となった。彼はそれを元手に商売をはじめ、それを成功させて数世代が遊んで暮らせるほどの巨万の富を築き上げた。まさにヴェーナ大坑道の夢の体現者であるが、彼には二つ残念なことがあった。一つは事故で早くに亡くなってしまったこと。そしてもう一つは、その聡明さが息子に受け継がれなかったことだ。

幼くして父の後を継いだノーマは、彼を利用したい者達に甘やかされて育ったおかげで我慢というものを知らない。望めば手に入る、願えばその通りになる。それが当たり前の人生だった。だが彼はいつの日か気づいた。周りの人々の、自分を父と比較する視線に。そして悟ってしまった。自分は、ただ父のおかげで生きていることに過ぎないのだと。今まで自分こそが世界の頂点だと思っていたノーマにとって、それは耐え難い屈辱だった。彼はその時初めて、自らを劣っていると思ってしまった。その時の怒りと荒れようと言ったら、ベルガスト中に轟いたとまで言われているほどだ。

その日から彼は奴隷を買い集め、ヴェーナ大坑道で採掘を続けている。全ては父を超えるために。そしてそれによって、自らを証明するために。

やがて馬車は一つの坑道の入り口についた。ここはノーマが買った坑道の中の一つであり、その中でも一番深くまで掘り進んでいるものである。かといって大したものが出てきているわけでもない、ただノーマの直感で掘り進めているだけだ。何かが出る見込みはないが、ここで掘るのをやめてしまえば自分の直感が間違っていたことになる。それを認めたくないノーマはもう掘り続けるしかなかった。

ノーマは苛立ちを加速させながら、荒々しく馬車から出る。

「グズグズするな、ノロマども!早く運び込め!」

ぞろぞろと坑道に入る奴隷たちの中の一人を怒りに任せて蹴り上げる。蹴られた奴隷はバランスを崩して倒れ、担いでいた荷物を地面にぶちまけてしまった。

「チッ、グズが……!」

ノーマは倒れた奴隷を何度も蹴る。よく見れば奴隷はまだ幼く、これだけの荷物を運ぶのは随分苦しそうだ。

「うへえ、おっかねえや。ノーマさん、それぐらいにしないとこいつ死んじまうぜ」

ノーマはペッと奴隷に唾を吐いてようやく蹴るのをやめた。奴隷は蹲って痛みに耐えている。到底荷物を運べるような状態ではない。

「それより、こりゃ全部爆弾ですかい?とんでもないことをする気ですな」

ノーマは相変わらず不機嫌そうな口調で返した。

「余計な詮索をするな。高い金を出して雇ったんだ、お前らは決められた仕事だけをすればいい」

「へへ、こりゃ失礼」

ノーマに声を掛けた男は肩をそそくさと離れていった。去り際に彼の腰にぶら下げたバッジがきらりと光る。そこには四つの星が輝いていた。

冒険者には最低の『一ツ星』から最高の『五ツ星』まで五段階のランクがあり、ランクによって受けられる依頼の難易度が決まっている。駆け出しの冒険者を危険から守るための制度なのだが、それ故に『一ツ星』や『二ツ星』の冒険者達がこなす依頼は冒険とはかけ離れた単純な肉体労働や、大量に発生した雑魚モンスターの討伐ばかりだ。『三ツ星』まで上がることができれば、ようやくそれなりのモンスターの討伐依頼を受けることができるようになる。ここまでくればようやく胸を張って自分のことを冒険者と呼べるようになるだろう。

その上に立つのが『四ツ星』だ。このランクに位置する冒険者は皆相当な実力を持っており、危険な依頼を単独で受けることも許されている。実質的な冒険者の頂点であり、ギルド全体で見ても数はかなり少ない。そして当然だが、彼らを雇うには相応の金額が必要だ。それは裏付けられた実力の証明でもあるのだ。

『四ツ星』の彼は仲間たちのところに戻り、談笑の続きを始めた。よく見れば彼らも皆四つの星が付いたバッジをつけている。『四ツ星』をこれだけ雇うとは、さすがはノーマといったところだ。同時に、今から行おうとしていることが相当に危険なものだということではあるが。

奴隷たちは担いでいた荷物、爆弾を次々にトロッコに積み込み、坑道の中へと入っていく。ノーマは足で地面を叩きながらそれを見ていたが、ふと足元を見降ろした。そこには先ほどの幼い奴隷がまだのろのろと爆弾を拾い集めているところだった。

「……フン」

ノーマはもう怒っていなかった。近くにあったシャベルを持ち、足元の奴隷に振り下ろす。別に殺すつもりはなかった。ただ、もし打ち所が悪くて死んだとしてもノーマは気にしない。彼にとっては無能な奴隷を一人減らしたほうがメリットが大きいからだ。

しかしシャベルは奴隷に当たることなく、途中で止まった。

「……なんの真似だ」

一人の奴隷が間に入り、シャベルを受け止めていた。奴隷は何も答えないが、ノーマのことをにらみ返す。周囲の視線が二人に集まり、沈黙の時間が流れた。

最初に動いたのは奴隷のほうだった。彼は片手でシャベルを受け止めたまま、幼い奴隷が集めた爆弾をもう片方の手で担ぐ。そして再びノーマに向き直って言った。

「俺がこいつの分も運ぶ。それで許してやってくれないか」

ノーマは黙ったまま、シャベルに少し力をこめる。そしてそれがピクリとも動かないと知ると、パッと手を放した。

「……勝手にしろ」

奴隷はしゃがみ、無言で手を差し伸べた。幼い奴隷はそれをとり、ようやく立ち上がる。そして笑顔で彼に言った。

「ありがとう、お兄さん!」

「……気にするな」

そして二人で坑道に向かって歩いてゆく。ノーマはそれを憎たらしそうにしばらく見ていたが、ふと自分に周囲の視線が集まっていることに気づくと、大きく手を振って叫んだ。

「何見てる!見世物じゃないぞ!早く自分の作業をしろ!」

周りの奴隷はしずしずと作業に戻っていく。ノーマはそれを相変わらずの不機嫌そうな表情で監視する。

(やれやれ、今回の仕事は楽に終わりそうで助かるぜ)

事の顛末を全て見ていた冒険者たちだけがニヤニヤと笑っていた。



事態が動いたのは昼を少し過ぎた頃。ノーマと冒険者たちのいるテントに、一人の奴隷が息を切らせて駆け込んできた。

「だ、旦那様ぁ!すぐ来て下せえ!」

ノーマは眉をひそめると、読んでいた本をパタンと閉じた。

「うるさいぞ。入る時にはノックをしろと何度も言っているだろう」

「し、失礼しました!でも、た、大変なんです!とにかくこっちへ!」

奴隷のただならぬ様子に何かを感じ取ったのか、ノーマはしぶしぶ準備をし始めた。テントを出る前に、冒険者たちをちらりと一瞥する。

「ほらよ、王様がお呼びだ。行くか」

「へへ、王様か。違いねえや」

冒険者たちも飲んでいた酒を置いて立ち上がり、ノーマについてぞろぞろとテントを

出た。

奥から微かな爆発音が響く坑道の入り口で、ノーマは奴隷たちが掘り出したものを見ていた。

「……これは」

そして、ごくりと息をのむ。目の前のトロッコには、青白い水晶が山のように積まれていた。太陽の光と混ざり合いながら怪しく光るそれは、吸い込まれるような危ない輝きを放っている。

「すげえや、こいつは全部魔鉱ですかい!?こんだけありゃ、ベルガスト中の女を買ってもまだお釣りがくるぜ!」

冒険者たちも次々に驚きの声を上げる。それもそのはず、目の前の水晶には言葉通りの価値があるからだ。

魔鉱。ごくまれに採れる希少な水晶であり、魔力をその内に貯めるという特徴がある。その性質上、掘り出された時は星の内部から湧き出す莫大なエネルギーを大量に秘めている状態なため、非常に高価で取引される。主に武具や魔法を放つ際の触媒として利用されるが、ほかにも様々な使い道がある、ヴェーナ大坑道で採れる鉱石の中で最も価値のあるものだ。

ノーマはトロッコに近づき、注意深く魔鉱を手に取って眺める。その際、奴隷が小さな魔鉱をポケットに入れているのに気付いたが、もはやそんなことはどうでもいいことだった。間違いない、本物の魔鉱だ。魔鉱は秘めたエネルギーの量によって発する光が強くなるが、どれも申し分ないほどに光り輝いている。

成し遂げた、ついにやってやった……!ノーマは今すぐにも叫びだしたい気持ちだった。が、それはまだぐっとこらえる。もし仮にノーマの直感が正しいのだとしたら、これよりももっと……!

そして、見事にそれは正しかったようだ。ひときわ大きな爆発音が轟き、ややあってから坑道から奴隷たちがわらわらと出てくる。

「旦那様!早く、早く来てください!とんでもないものが!」

奴隷たちは口々にノーマを呼ぶ。普段のノーマなら𠮟りつけていただろうが、今の彼には縋り付く奴隷たちを気に留めている余裕はなかった。はやる気持ちを抑えながら、冒険者たちと共に坑道の奥へと入ってゆく。

等間隔に並ぶ松明が照らす道を、ノーマたちは速足で進んでゆく。本当は今すぐに走り出したいくらいだが、彼の最後に残ったプライドはそうさせなかった。それが何よりももどかしいが、それすらも今は期待を向上させるスパイスとして楽しむ。

そして最奥にたどり着いたノーマたちが見たのは、そびえたつ巨大な魔鉱の塊だった。

まず、語るべきはその大きさ。高さはノーマが縦に十人は入るほどあり、幅は軽く見積もっても一軒の家くらいはある。ひらけた場所の真ん中に位置するそれは、目がくらむほどの輝きを放っていた。そしてよく見れば、同じ大きさとまではいかなくとも巨大な魔鉱はそこかしこに生えている。

「これは……!」

誰が見ても明らかに魔鉱の鉱脈だ。これまで魔鉱はその希少さゆえに、地中でごくまれに生成されるもので鉱脈は存在しないと考えられてきた。これはそれを覆す大発見でもあり、今この空間の学術的価値も計り知れないものになっている。

ノーマたちは今すぐにでも目の前の魔鉱に向かって走り出したかったが、そうしないのには二つ理由があった。

一つは巨大な魔鉱には鎖が何重にも巻かれており、そこに『何か』が縛り付けられていたからだ。大きさと全体のシルエットから人のように見えなくもないが、この距離からでは遠すぎる。もう一つは、その『何か』の前に、突き立てられた棒状の物があるからだ。心なしか禍々しいオーラを放っているようにも見える。どちらにせよ、はっきりさせるためには誰かが近くに行って確認する必要があった。

ノーマはふと思い立ち、後ろを向いて奴隷たちの中から目当ての人物を見つけると、にやりと笑っていった。

「おい、そこの奴隷!そう、お前だ。あそこまで行って、あれが何か見てこい」

声をかけられたのは、幼い奴隷をかばってシャベルを受け止めた奴隷だった。彼は無言で頷くと、巨大な魔鉱に向かってすたすたと歩きだす。その一挙手一投足を皆が見守っていた。

「よし、まずはその手前のやつから見るんだ!」

ノーマが大声で指示を飛ばす。奴隷は言われた通りに棒状の物に近いてしゃがみ、まずは見回した。

地面からまっすぐ突き立てられてたそれの長さは、見えている部分でおおよそ奴隷の身長の半分より少し短いほど。少しだけ反り、埃をかぶっていはいるが、魔鉱の光を黒く艶やかに照り返している。どうやらそれは何かの武器らしかった。

(剣……、いや、昔何かの本で見たことがある、刀というやつか……?)

「おい!何かわかったか!」

考え込む奴隷に、ノーマからの声がまた飛んできた。奴隷は立ち上がり、とりあえずの見解を答えようと口を開く。

だが出てきたのは声ではなく、血だった。

「ガハッ……!?」

突然の衝撃に、奴隷は地面に倒れこんだ。眩暈がする、ノーマが何か言っているようだがうまく聞き取れない、頭が張り裂けそうだ。そうか、これが、

「過剰魔力による負荷……!」

ノーマが呟いた。

人は誰しもその身に魔力を宿している。その量は人によって異なるが、枯渇すれば生命の危機に直結することは誰でも同じだ。

だがその反対に、体が受け入れられる限界を超えて魔力を浴びてしまった場合にも様々な負荷が起こる。眩暈、感覚の喪失、そして───死。通常であれば、この状況に陥ることは滅多にない。あるとすれば、魔法薬の過剰摂取、極大魔法の余波、そしてきわめて純度の高い魔鉱の光を長時間浴び続けること。

奴隷たちは我先にと見を翻し、とにかくこの場から離れようとする。が、すでに遅すぎたようだ。

一人、また一人と血を吐き、地面に倒れ伏してゆく。後から来るものも先に倒れたものに躓いて転び、それがだんだんと積み重なってゆく。いつしか立っているのはノーマと冒険者たちだけになった。そのノーマも荒い息をつき、かなり苦しそうだ。

「なんてことだ、早くここから出なければ……!」

ノーマは体が泥のように重くなってゆくの感じながらも必死に足を動かし、来た道を引き返そうとする。ただ魔鉱から遠くへ。ここまで来て戻ることを彼のプライドは拒否していたが、そんなことを言っていられる場合ではなかった。大丈夫だ、奴隷ならまた買えばいい、次はきちんとした対策をして、またここへ来れば……!

「おっとお、そうはいかねえぜ」

だが無慈悲にもその願いは打ち砕かれた。冒険者たちの内の一人が剣を抜き、ノーマに向ける。今更だったが、ノーマは冒険者たちが汗一つかいていないことに気づいた。

「どういう、つもりだ……!なぜおまえらは、平気でいられる……!」

ノーマは壁に寄りかかりながらも、必死に冒険者たちを睨んでみせた。気丈に振る舞おうとするその姿を見て彼らははどっと笑う。

「あのなあ、金持ちのおぼっちゃんは知らねえかもしれねえが俺たちの鎧には魔鉱がたっくさん使われてんのよ。こいつらが過剰な魔力を防いでくれんのさ。強いモンスターと対峙したときゃ、放たれる魔力も相当だからな。やっすい装備じゃあっという間に魔力過剰だ。ずいぶんかかったぜ、こいつらをこしらえるのはよ」

冒険者は自らの鎧を見せびらかすように一回転してみせた。そしてあたりを見渡し、舌なめずりをする。

「まあ、これだけありゃそれも余裕で取り返せるけどな」

「ふざ、けるな……!契約違反だぞ……!」

ノーマは苦しそうに言葉を絞り出す。だが彼も限界が近いのか、ついには地面に倒れてしまった。それでも何とか片手を立て、冒険者たちを睨むのはやめない。

「へえ、契約違反?なかなか面白い冗談だな」

冒険者はノーマをあざ笑うようにしゃがみ、彼のあごを剣の腹でくいっと上にあげさせる。

「そうだな……。筋書きはこうだ。『無理に爆弾を投入したことにより、坑道は崩落。依頼主は運悪く奴隷たちと一緒に巻き込まれてしまった』。残ったのは報酬を受け取れなかった哀れな冒険者たちだけ。みんな同情してくれるだろうよ……」

冒険者は剣を振り、ノーマの胸元を軽く切り裂いた。血が少しこぼれ、つけていたアクセサリーがじゃらりと音を立てて地面に落ちる。

「それだよ。運がよかったなあ、お前。そんな無意味で悪趣味な飾りだが、最後に多少は役に立ったじゃねえか!」

冒険者たちはひとしきりげらげらと下品に笑うと、ノーマの髪を掴んで強引に顔を上げさせる。

「いや、違うな。運が悪かったのかもしれねえ。さっさと死んどきゃ、こんなに苦しむこともなかっただろうによ」

冒険者の言う通り、もはやノーマの息は絶え絶えで誰が見ても満身創痍といった様子だ。しかし、彼の鋭い眼光はまだ輝きを失ってはいなかった。死が眼前に迫ろうと、目の前の冒険者たちを恨む視線は消えない。

「……こ、やる……、ころして……やる……!」

が、それにもついには終わりが訪れた。

ごぽ、とノーマの口から血が溢れる。それと共に、休息に輝きを失ってゆく瞳。拳だけは最後まで血が出るほど握りしめてたが、力なく項垂れた顔と共にそれも地面にぱたりと落ちた。

「なんだ、もう死んじまったのか。つまんねえな」

冒険者が掴んでいた髪を離すと、ノーマの体は糸が切れた人形のように地面に倒れこんだ。

「さあさあ、お宝の時間だ!」

冒険者たちはずかずかとノーマを踏みつけて巨大な魔鉱に近づいてゆく。当然のことながら、ノーマが動き出すよう様子はない。ただ踏みつけられる振動に合わせて溜まった血を少し吐くだけだ。

「こんなすげえもんはそうそうお目にかかれるもんじゃねえぜ。なあ?」

「ああ、まったくだ!……それにしても、なんなんだ、こりゃ?」

冒険者たちは中央の巨大な魔鉱のすぐそばまで近づき、鎖によって縛り付けられている『何か』のことをじろじろと観察し始めた。

「お前、これ何に見える?」

「何かってそりゃあ……人、それも女だな」

「ああ、俺もそう思う」

鎖に囚われている『何か』、それは姿だけでいえば人の形をしていた。一糸まとわぬその体は磔のように両手を上げた体勢で鎖を何重にも巻かれ、項垂れた顔と枝垂れる白い髪のせいで表情はわからない。それに加えて頭から生えた耳、腰のあたりから出た尻尾。ベルガストでも時たま見かける、獣人という種族だ。

「まあ、普通に考えりゃおかしいよな。こんなとこにいるやつなんてよ」

なぜここにいるのか、なぜ囚われているのか、正体はなんなのか。その場にいた全員がそれぞれに目の前の謎の獣人について考えを巡らせていたが、不意に一人の冒険者が獣人のそばまで近寄り、至近距離で顔を覗き込んだ。

「……もしや、こいつは!おい、今すぐそいつから離れろ!」

何かを思い出したような仲間の静止もむなしく、彼は獣人のあごにそっと触れ、顔を自分のほうに向けさせた。透き通った肌は魔鉱の光に照らされ、怪しくも美しい雰囲気を醸し出している。幼い顔だちだが、かなり美しい。もう少しだけ顔を上げさせれば、絹のような白髪が音もなくさらりと落ちた。

「お、見てみろよ!こいつはなかなかの」

「不敬なり」

誰かの声の後、ひゅぼ、と音が響いた。何が起こったのかわからず、呆然と立ち尽くす冒険者たち。それでも長年の戦いから鍛えられた感か、一瞬遅れて一人を除いた全員が魔鉱から距離をとった。

冷汗が首筋を伝う。言葉にせずとも全員が理解していた。今、何かしらの人智が及ばない事が起きたことを。

全員が臨戦態勢に入り、一人が警戒しながら口を開く。

「おい、あいつは」

「わからない、何も」

そう、一人足りないのだ。獣人に近づいた冒険者の姿がどこにも見えない。あるのはただ、彼が先ほどまで立っていたところにわずかに残ったシミのようなものだけ。

「……お前、何か知ってそうだな。なぜ言わなかった?」

「ああ、お前らはここの出身じゃないからな、知らないのも無理はないだろう」

冒険者たちは獣人から目を離すことなく、話の続きを待つ。

「この街に伝わる昔話だ。昔々、大陸の東の端に巨大な国があった。だがある日突然やってきた化け物に一晩で国ごと焼き尽くされたってな。そいつは破壊の限りを尽くしながら大陸を暴れまわったが、とうとう魔鉱で出来た山の中に封じ込められちまった。それが後のヴェーナになった、とさ」

「へ、それで目の前のこいつがその化け物だと?」

昔話を語った冒険者は静かに頷く。彼の剣を持つ手は微かに震えていた。語られたのはベルガストに古くから伝わる物語であり、明確な起源も真実かどうかすらもわからない。だが誰だろうと、幼いころから知る昔話の悪役と対峙すれば恐怖もするだろう。

「ああ……。信じたくはないがな」

冒険者たちは互いに目くばせをしあう。彼らは今までどんな強敵にも打ち勝ってきた。もちろん苦戦したことはあれど、お互いに助け合い、どんな逆境だって乗り越えてきた。だが、今回に限っては……

(ダメだ……、こいつには……勝てない)

全員が同じことを感じていた。本能、心の底から湧き上がる根源的な感情が、目の前の存在に対して全力で警鐘を鳴らしている。戦ってはいけない、最初から次元の違う所にいる存在だと理性が訴える。けして彼らが弱いわけではない、彼らは曲がりなりにも『四ツ星』だ。多少人格面に問題はあれど実力は申し分ない。そんな彼らをもってしてさえ、誰一人勝てる未来が浮かばなかった。

「こうなりゃ、あれしかねえな……」

「ああ……。全員、逃げろ!」

一人の掛け声をきっかけに全員が走り出した。比較的装備が軽かったこともあり、二人の冒険者が抜け出す。もう少しで爆弾で開けた道まで辿り着ける、その時だった。

「まあまあ、そんなに焦らなくてもよいじゃろう」

さっきと同じ声がしたと同時に、前を走っていた二人が青い炎に包まれた。彼らは絶叫と共に体を叩いたり地面に転がったりするが、炎は体に張り付いたように消える様子はない。呆然と眺める冒険者たちの前でもがき苦しんでいたが、しばらくすると動かなくなった。さらに周到なことにその先にある出口は青い炎に包まれ、完全に防がれてしまった。

残された冒険者は二人。互いに顔を見合わせ、魔鉱のほうに振り返る。

獣人、いや、化け物のうなだれていた顔がゆっくりと上がる。その顔は恐ろしいほどに美しく、こんな状況でさえも心を動かされそうになるほど魅力がある。そしてそれは、ぎらりと牙を見せて笑っていた。

「すまんのう、まだ起きたばかりで力をうまく調節できぬのじゃ」

二人の心臓は今にも破裂しそうだった。逃げることはできない、ならば戦うしかないのか?この化け物と?

化け物は手を動かし、鎖をじゃらじゃらと鳴らす。

「この邪魔な鎖さえなければのう……」

すうっ、と目を細めて冒険者たちを見据えた。たったそれだけで二人の体は硬直し、呼吸することすら禁じられているような感覚に陥る。

「ぬしらを苦しまずに殺してやることもできたのに、のう?」

その言葉を聞き、二人の中で何かが吹っ切れた。

「う、おおおおおおおお!!!!」

(このままだと死ぬ、けど逃げることもできねえ、なら!)

「やるしかねえだろ!」

「炎だ!あいつは、炎を使う!」

一人は盾を構え、一人は剣を抜き正面から突っ込んでゆく。化け物はきょとんとした顔をしたが、すぐに口の端を耳元まで吊り上げて笑った。

「戦って死ぬことを選ぶ、か……。見上げた根性じゃ」

挟み撃ちするように左右から迫りくる二人を、億劫そうに首を回して確認し、

「じゃが……」

少しだけ早かった盾を持つ冒険者のほうを向き、口をかぱりと開いた。そこには先ほどの青い炎がごうごうと渦巻いている。それは回りながら少しずつ大きくなり、化け物の口に収まりきらないほどの大きさになったその時、彼に向かって放たれた。

目の前に迫りくる火球。それを目前にした冒険者は、

にやりと笑った。

「!それがくると、思ったぜ!はあああ!」

雄たけびを上げるとともに、勢いよく盾を地面に突き立てて固定する。そして飲み切った炎耐性のポーションの瓶を投げ捨てた。

「来い!今の俺なら、あの黒い竜の炎だって絶えられるぜ!」

もう一人の冒険者は、その隙に化け物の死角から少しでも距離を詰めようと走る。彼ももう一人と同様にポーションの空瓶を投げ捨てた。その効果は、俊敏。

(運が良かった……と、言っていいのかわからないが、あいつは炎に対する耐性が高い。もう少し、もう少しだけ引き付けてくれれば……!)

冒険者が剣に力をこめると、その刀身が金色に輝きだす。彼は『四ツ星』の中でも屈指の実力者であり、極限まで研ぎ澄ました一撃は『五ツ星』の域まで到達するとさえ言われる。その刃が化け物のうなじに届くまで、あと二歩、一歩!

刃が化け物に迫り、あと少しでその首を切り落とす。その確信が冒険者には確かにあった。だが、

「残念じゃのう、あと少しじゃったのに」

がちりと、化け物の口が刃を捉えていた。

冒険者は見た。純粋無垢の童のような顔で、邪悪に笑う化け物を。そしてその背後にいたはずの冒険者が、微かなチリだけを残していなくなっていることを。

はあ、嫌になるぜ。こんなのインチキじゃねえかよ……。

化け物は剣を噛み砕いた。彼の何よりも大事なものであり、ずっと一緒に戦ってきた相棒が今キラキラと砕け散った。

「もし当たっておれば、今頃……」

ああ、そうか。こいつ、俺たちを殺すことなんていつでも出来たんだ。

それなのに、わざとこんなことをしたのは……

「かすり傷くらいはつけられたかもしれんの」

この顔を見るためだったんだ。

冒険者の体が炎に包まれた。

洞窟の中に静寂が戻った。化け物は口の中に残った刀の破片をぷっと吐き出し、退屈そうに首を回す。そして目の前に倒れ伏している奴隷に向かって声をかけた。

「おい、そこの」

彼はノーマによって最初に魔鉱を調べさせられた奴隷だ。

「聞こえとるじゃろ、おい」

一番近くで魔鉱の光を浴び、過剰魔力の負荷によって倒れた彼が再び動くことなど、

「わしを無視するつもりか?良い度胸じゃ、ならば」

ビギイィィッッ!と、音が響いた。

「ほお……。これはちと、予想外じゃったの」

一瞬前まで化け物の頭があったところに、棒状のものが突き刺さっていた。いや、正確に言えば鞘から抜かれた刀が。巨大な魔鉱の前に突き立てられていたものは、確かに刀で正しかったのだ。そしてそれを突き刺したのは他に居ない、先ほどまで倒れ伏していた奴隷である。

彼は刀を持つ手をぶるぶると震わせ、血走った目で化け物を見る。その震えは恐怖からではない、絶対にこいつを仕留めるという気概からだ。先ほどまでの戦い、いや、もはや一方的な蹂躙であったあれを見てすらこの行動をとった彼に対して、化け物は興味を持った。

「てっきり命乞いでもはじめると思っておったがの。殺されるとは思わなんだか、小僧?」

奴隷は殺気のこもった目で化け物を見据えつつ、その問に答える。

「命乞いをしたところで、お前は俺を殺さないでいてくれるのか?」

奴隷は問いに対して問いで返した。それを聞き、化け物は顔を上げて笑う。

「はーはっは!よくわかっておるではないか!」

ひとしきり笑った後、再び奴隷の事を見て眼をギラリと光らせた。

「……して、今この瞬間にもわしはおぬしの事を殺せるが、どうする?」

奴隷は全く怖気づくことなく、淡々と返した。

「その前に俺がお前のことを殺す。俺はまだ、死ねない」

なるほど、と化け物は自分の中で合点が行った。この奴隷に感じた違和感、さっきの冒険者たちと違う点。こいつは死ぬつもりなど毛頭ない。自らの命を捨てて戦うのではなく、本当に心の底から自分を殺してそのうえで生き残るつもりでいる。命乞いをするのは無駄、逃げることもできない。ならば殺すしか生き残る方法がないと、実に単純な思考で動いたのだろう。

目の前の奴隷の実力は先ほどの冒険者よりも明らかに劣っている。それは明らかだが、そんなことを置いてきぼりにするほど飛びぬけた生への執着が感じられた。

(灰になっても切りかかってきそうじゃの……。それにしても、なぜこいつはこんなに生きようとしておるのじゃ?)

「わしを目の前にしてなおそんなことを言えるとはの。おぬし、気に入った」

化け物は鎖をじゃらじゃらと鳴らした。

「これを切ってくれ。そうしてくれたらおぬしを殺さんと約束しよう」

「無理だ。お前が約束を守るという保証がない」

それはその通りだが。化け物はちっと舌打ちをした。

正直なところ、化け物はかなり追い込まれている状況ではあった。鎖で力の大半を封じられているうえ、まだ十分に力を扱えるわけでもない。それに一番まずいのは、奴隷が持っている刀が本当に自分を殺す力を持っているということだ。

「そうじゃの、何が欲しい?わしがそれをなんでもかなえてやろう。金か、女か?」

一瞬、奴隷が反応を見せた。が、化け物はそれを見逃したようだった。

「……そんなものはどうでもいい」

沈黙の時間が流れた。両者の視線がぶつかり合い、異様な緊張感が周囲に漂う。しばらくして、今度は奴隷のほうが口を開いた。

「お前は、十五年ほど前に現れた黒い竜についてなにか知っているか?」

「ほお、黒い竜じゃと?」

化け物はわざとらしく思考を巡らせる動作をする。そして大げさに何かを思い出したような顔をした。

「おお、知っておるぞ!とはいえ、わしはここにずっと封じられておるからかなり前の記憶じゃがな」

奴隷が大きく目を見開いた。

「なんでもいい、話せ!今すぐに!」

「まあまあ落ち着け。その前にすることがあるじゃ……」

化け物の言葉が終わる前に、奴隷は鎖を叩ききっていた。

ぼっ、と周囲の魔鉱の光が少しだけ強くなった。それに呼応するように、化け物の瞳が金色に輝く。突然、奴隷の周りに青い炎の人魂が現れた。

化け物は自由になった体で魔鉱から少し離れた。そして大きく背を伸ばし、首を左右にまげてこきこきと鳴らす。いつの間にか無数に増えていた人魂が奴隷と化け物を取り囲んでいた。

「感謝するぞ、小僧。して……」

化け物から尋常ではない重圧が発せられる。それは実際に空気の流れをも乱し、はためいた奴隷の服の首元からペンダントがちらりと見えた。よく化け物を見れば、元からあった一本の他に、青い炎で出来た尻尾が八本生えていた。

「わしが本当に約束を守るとでも思うておったのか?」

常人なら聞いただけで気絶してしまいそうなほどの殺気を浴びせられてもなお、奴隷の表情は変わることは無かった。

「言ったはずだ。殺される前に殺すとな」

奴隷の覚悟が口だけではないことは誰が見ても明らかだった。確かに彼は冷静だ。落ち着き、冷静に、そして狂っている。

やはりこいつは、面白い!

「く、くふふ、ははははは!」

無言のにらみ合い、先に動いたのは化け物のほうだった。化け物からの重圧がふっと消え去り、炎の尻尾も掻き消える。

「やめじゃやめじゃ。わしの負けじゃよ」

化け物は両手を上げてひらひらと振って見せた。だが奴隷はそれを見ても一向に剣を下げる様子はない。当然と言えば当然だ。

「……心配性な奴じゃの。まあよい、約束は守ろう。黒い竜について、じゃな?」

「……!ああ、早く言え」

「まあそう急かすな。今思い出す」

化け物はわざとらしく頭に手を当てて思い出す仕草をしている。その間、奴隷は急かすでもなくただ化け物の事を見ていた。分かりやすい奴じゃの、と化け物は内心思う。

「あれはわしがここに封じられるずっと前の事じゃ。黒い竜、あやつはわしらの仲間じゃった」

「仲間……?どういうことだ」

奴隷は眉をひそめて尋ねる。問われた化け物のほうも複雑そうな顔をしていた。

「この表現が正しいのかはわからん。だがわしらは同じ時に同じ所で目覚めた。それより前のことは覚えておらん。ただわしらの中には共通の部分があった」

化け物の瞳が、再びギラリと光ったような気がした。

「すべてを破壊せよ、じゃ。抑えられぬそれに促されるまま、わしらはいくつもの国を滅ぼしていった」

「わしら、だと……?黒い竜以外にもお前のようなものがいるのか……?」

ここにきて少しだけ、奴隷の表情が揺らいだ。化け物はそれを感じ取りつつ続ける。

「ああ、いる。だがその中でもあやつは強かった」

「お前よりも、か?」

化け物は目を閉じた。少しの逡巡の後、口を開く。

「……戦ったことは無いが、もしかするとそうだったかもしれぬな」

「……そうか。知っているのはそれだけか?」

「ふむ……。そういえば……」

化け物は周りに僅かに残ったチリを一瞥して続けた。

「こいつらも黒い竜について何か言っておったな。ま、もう聞くことは出来んが」

そうしたのは自分なのだが。

奴隷は少し黙った。化け物から語られたのは期待していた情報とは違っていたようだが、それでも彼の顔に落胆の色は見えない。

「さて、これでわしも晴れて自由の身じゃ」

化け物は嬉しそうに腕を回したり、足を延ばしたりしている。そんな化け物を横目に、奴隷は刀の鞘を拾ってすたすたと洞窟の出口に向かって歩き出し始めた。

「おい、ちょっと待て!」

化け物は奴隷の事を呼び止めたが、奴隷が足を緩める気配はない。目的は達成したといわんばかりに一直線にここから離れようとしている。

「待て待て待て、まだ言いたいことがあるぞ!」

化け物は奴隷の横をひょこひょことついてくる。奴隷はそんな化け物の事を煩わしそうに一瞥した。

「……なんだ」

「わし、お前についていくことにしたから」

「断る」

即答だった。

「断るにしてももう少し悩むとかあるじゃろ!?」

「ない。面倒くさいのは嫌いだ」

「おぬしわしのことを面倒くさいと思っておるのか!?」

「ああ」

奴隷の答えはそっけない。化け物が走って彼の前に回り込むと、ようやく彼は歩みを止めた。

「……しつこいぞ。それとも、また戦いたいとでもいうのか?」

奴隷は刀を構えた。それを見た化け物は両手を前に出してぶんぶんと振る。

「わー、違う違う!……それにしてもおぬし、それを勝手に自分のものにした挙句にやりたい放題じゃな。元の持ち主に悪いとは思わんのか」

「誰のものだったかは知らんが、今は俺のものだ。それにこれを持っていると、不思議と力が湧いてくる」

もしや、選ぶ人間を間違えたか?と化け物は後悔した。

「で、何だ。なぜそこまでして俺についてくる?」

「いやあ、わしここでずっと寝ておったからな。外の世界がどうなっとるかわからんわけよ。じゃがまあ、おぬしについていけば一通りのことはわかるじゃろうし、なにより退屈しないじゃろうて」

「……それはお前の理屈だろう。俺は一人がいい。だからこの話は無しだ」

「まあまあ待つのじゃ。それにもうじき、限界が来る」

奴隷は化け物の発した言葉の意味が分からず、怪訝な顔をした。だがその直後、

ぶはっと、盛大に吐血した。それと同時に視界がぐにゃりとに歪み、急速に意識が遠のいてゆく。

「まあ、持ったほうじゃがな……。さあ、ここから戻ってこれるか。わしの期待を裏切らんでくれよ」

薄れゆく意識の中、奴隷は最後にそんな声を聴いた気がした。



「助けてくれえ……」

「熱い……痛い……」

悲鳴が聞こえる。罪もなく蹂躙された民たちの怨嗟の声が。

渦を巻いて立ち上る炎、狂ったように吹き荒れる風。がらがらと音を立てて崩れた家屋が、また誰かを下敷きにした。

鼓動は早くなり、脂汗が全身から噴き出す。だが足はまるで凍り付いたかのように動かない。

もはや誰のとも知れぬ断末魔の嵐の中、ただ茫然と立ち尽くすことしか出来なかった。

「……しろ!おい!しっかりしろ!」

耳に入った聞きなじみのある声。振り返ると、そこには父がいた。ただし全身に傷を負い、特に左の肩から先は黒く崩れてしまっている。もはや歩くのもやっとという様子だ。

だが、その目は光を失っていなかった。

「いいか、よく聞け」

父はしゃがんで自分と目線を合わせ、右手で持ったペンダントを首にかけてくれた。それは父がいつも肌身離さずつけていたものだ。

「全力で走って、あの森へ逃げ込め。そうすれば焼き殺されることは無い。お前だけでも、生き延びるんだ。きっとそれが導いてくれる」

「父さん……、でも……」

「早く行け!」

その声で、固まっていた体が再び動き出した。くるりと体の向きを変え、自らの出せる全速力で走る。ただ、逃げる。

振り返りたかった。最後に父の顔を一度でいいから見たかった。だがわかっていた。父はそんなことを望んでいないのだと。そして、今、誰よりも誇らしげな顔をしていることも。

溢れる涙も手で拭って、何度転んでも足を止めることはしなかった。

ああ、またこれか。

だんだんと視界がぼやけ、体の感覚があいまいになってゆく。

また、この夢か。




「お、起きたようじゃの」

目が覚める。そこはどこかの家の中だった。というより、廃屋といったほうが正しいか。かつては人の住処だったのだろうが、その役目を終えてかなりの年数がたっていそうだ。いたるところにはっている蜘蛛の巣がそれを物語っていた。

奴隷は上体を起こし、自らがベッドに寝かされていたこと、そばの壁に刀が立てかけてあること、先ほどの化け物がベッドに腰かけている事を把握した。

「……助けたのか?俺を」

奴隷は訝しむように化け物に尋ねた。化け物はぴょんっと立ち上がり、両手を腰に当てて胸を張った。

「いかにも!わしがここまで連れてきてやったのじゃぞ!礼の一つでも言わんか!」

「……助かった。ありがとう」

奴隷の以外にも素直な言葉に化け物は少し驚いた。

「ほお、おぬしもなかなかいいところがあるな。さっきまであんな態度をだったとは思えんぞ」

「……なぜ、俺を殺さなかった」

若干かみ合っていない奴隷の質問に化け物は答えてやる。

「だから言ったじゃろう。おぬしについていけば退屈せんと思ったからじゃよ。そもそも殺そうと思っておるならこんな面倒くさいことせんわ」

「……それもそうだな」

「して。ここまでしてあげたんじゃ、おぬしの目的を聞かせてもらおうか。まさか命の恩人相手に言えないことがあるわけではあるまいな?」

化け物はニタニタと笑いながら奴隷に話すように促した。若干、いや必要以上に鬱陶しかったが。奴隷はしばらく黙ったあと、ぽつりぽつりと語りだした。

「十五年前のことだ。俺の村は黒い竜に襲われた。一晩で村は跡形もなくなり、生き残ったのは俺だけだった」

奴隷は顔を歪ませ、手を握りしめる。

「俺からすべてを奪ったあいつを、俺は絶対に許さない。あいつをこの手で殺すまで、俺は絶対に死ねないんだ」

「なるほどの。それであの顔か」

化け物は先ほどの奴隷の表情を思い出していた。今思えば、刀を突き立てた彼の顔に化け物への憎しみの色は全く無かった。あるのはただ、純粋に生への渇望だけ。だからこそ、化け物は奴隷に興味を持ったのだ。

奴隷はまた黙り込み、首から下げたペンダントを軽く握った。その様子を見ながら化け物は声を掛ける。

「それが形見、といったところか。こういってはなんじゃが、おぬし運が良かったの。それは非常に純度の高い魔鉱で出来ておる。それのおかげで負荷が軽くなったんじゃの」

ま、それだけではないがの……。化け物は壁の刀をちらりと見た。

「そうか、これが……。これが、俺を生かしてくれたんだな」

奴隷はペンダントを今度は強く握りしめた。ペンダントもそれに応えるように少し光を増した。

奴隷は化け物を見、それから壁の刀を見た。

「あの刀について、何か知っているんだろ?教えてくれ」

「しょうがないのう。特別じゃぞ?」

化け物は刀を取ろうと手を伸ばす。が、途中で恨めしそうに顔を歪めると伸ばしていた手を引っ込めた。そしてどこか遠い目をしながら、昔を思い出すように語りだした。

「それはずっと昔、遠い遠い東の果ての国で造られたものじゃ。名を『クサナギ』という。手にした者に強大な力を与え、これ一つで国が傾くこともあったほどじゃ。最初の持ち主はその国の英雄じゃったが、流れに流れてここまでやってきたんじゃな」

化け物はそこで話をいったん区切り、少し重そうに続きを語りだした。

「……じゃが、何の見返りもないわけではなかった。それは呪われておるのじゃ。振るうたび、力の代わりに少しづつ命を削ってゆく。それでも使い続ければその先に待っておるのは死、もしくはもっと恐ろしいものじゃ」

「……妙に詳しいな」

化け物はすう……と目を伏せた。

「まあ、の……。では聞くが小僧、それでもこれを使うのか?」

「当然だ。あいつを殺せるのなら、俺の命がどうなっても構わない」

奴隷はきっぱりと答えた。化け物はその目を嬉しそうに見返す。

ああ、やはりこいつは正直でまっすぐな愚か者じゃ。

「そうこなくてはの!」

化け物は奴隷に向かってびっと指をさした。

「して、小僧。これからどうするのじゃ?」

「……まずは情報を集める。とりあえず、ベルガストに行って冒険者になる」

奴隷は立ち上がった。やはりその目に曇りはない。ただただ純粋な、怒りと憎しみだけが渦巻いている。それを見て、ビャクヤは満足げに頷いた。

「そうと決まれば早速行動じゃ!早くいくぞ、小僧!」

ダメだこいつは、何を言っても聞く耳を持たない。アベルは遂に諦めた。

しかしこいつと共に行動することで何か掴めることもあるかもしれない。アベルは前向きにとらえることにした。

「とりあえず名前だけでも憶えてくれ。俺の名はアベルだ」

「ふん、アベルか。悪くない響きじゃ」

化け物は奴隷、アベルの前で再び胸を張るポーズをとった。どうやらこれは化け物にとって尊大さを表す仕草であるらしい。

「わしの名はビャクヤ!知らぬものはおらん大妖怪じゃ!」

「ビャクヤ、か。聞いたことはないな」

「なに!?」

化け物、ビャクヤは割と本気で衝撃を受けたかのような顔をした。

やれやれ、何を言っても聞かなそうだ。どうしてもついてくる気らしい。

アベルはため息をついたが、それは怒りから出たものではなかった。

「じゃあ行くか。よろしく頼むぞ、ビャクヤ」

「本当は呼び捨てにすることも不敬なのじゃぞ。……じゃがまあ、許してやるわ」

期待しておるぞ、小僧。せいぜいわしを退屈させてくれるな。

もしつまらない真似をしたときには……。


「さて、まずは最初にしなくてはいけないことがある」

「お、なんじゃ?」

アベルはビャクヤを指さした。

「服」

「……それはそうじゃの」

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不知火ソード あびす @abyss_elze

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