第二十話『私は咲希ちゃんのお人形ではないんだよ?』

「――そんな感じでそこから逃げることができたってわけ」

「……咲希ちゃんってほんとすごいんだねぇ」

「でも、しばらく走った後、その場にへたり込んで動けなくなってしまったわ。情けないけどね」


あのままだったら殴られていた、もしかしたらそれ以上のことも。

その実感が湧いてきて、震えが止まらなかった。


自嘲の笑みを浮かべる私に舞宵は慰めの声をかけてくれた。


「情けなくなんてないよ! そんなの当り前だよ!」

「ありがとう。大体これが私が男嫌いになった具体的な経緯よ」

「しつこく言い寄られてたとかは聞いてたけど、そんな暴力沙汰まであったんだ……ごめんね、気づいてあげられなくて」


謝る舞宵に首を横に振る。

私が話していなかったのに気づけと言うのも難しい話だから。


「先生とか家族とか、そういう大人には相談しなかったの? 確かに私に話しても何もできなかったと思うけど、大人なら別でしょ?」

「確かに相談するべきだったと思うわ。でも一年生残り一ヶ月ぐらいだったから先生には相談しづらいし、親に相談するにしても結局学校を経由することになる。タイミングが少し悪いからもう一度何かない限りは黙っておこうかなって」

「じゃあ何もなかったってこと?」

「そうなのよ」


舞宵は意外そうに目を見開く。

正直私も不思議だった。


コケにされた復讐とかでもっと大人数で迫られるとか、何かしらはあるだろうと当時は考えていた。

だからこそ最大限の警戒をしていたのに、その後誰からも呼び出しはなく、他の柄に悪い男どもに絡まれるということもなかった。


「一年生が終わった時も内心心配だったわ。春休みが終わった後、二年生になってからもこういうことが起きたらどうしようと。でも、なぜか知らないけどその後そういうことは一切なかった。なぜか不良と言われてた男どもがおとなしくなったのよ」

「へぇ? なんでだろうね」

「喧嘩でボロボロにされたとか警察に捕まったとか噂されてたけど定かではないわ。とりあえずそういう連中がおとなしくなったことでその後は平穏に過ごせたと思うわ。でも、その一年は色々とありすぎたと思うわ……」


その一年をなかったことにするには、受けたものが大きすぎた。

男性恐怖症になっていないのが奇跡と思えるぐらいに。


「咲希ちゃん……」

「何の言い訳にもならないと思うけど、私はこんな思いを舞宵にしてほしくなかった。万が一にでも私が出会ってきたような男に当たって舞宵が傷ついたり心を折られたりするかもしれないと思うと耐えられなかった。だから私は舞宵を止め続けたのよ」


……確かに藤本という男はまだ何もしていない。

監視している中では舞宵を傷つけそうな素振りは見えなかったし、あいつからも舞宵からも危険そうなことは言われていない。


それでも、信じることができない。


「ごめんなさい、聞いてて不快だったわよね」

「ううん、話してくれてありがとう。わかってるつもりでいたんだけど、全然咲希ちゃんのことわかってなかったね。それに関してはごめんなさい」

「いや、舞宵は謝らなくても……」

「いいや、ごめんなさいだよ。一番咲希ちゃんと関わってきた私が気づいてあげないといけなかった」


舞宵の表情は深刻で、本気でそれを悔いてくれている様子だった。



そのことに内心嬉しく思っていた私だったが――



「でもね」



――そう発した舞宵に気を引き締め直した。



「謝るのはそれについてだけだよ。咲希ちゃんの事情は分かったけど、それでも私から言いたいことがあるの」

「……」


唾を飲み込もうとして喉がカラカラになっていることに気づく。

一旦お茶を飲んで喉を潤わせる。



私がお茶を置いたのを見て舞宵は話し始めた。


「私ね、さっきも言ったけどとても悲しかったの。いくら男嫌いの咲希ちゃんでも、藤本君ほどの良い人であればすぐに認めてくれると思ってた。確かに咲希ちゃんの男嫌いは私が思ってたよりも深かった。でも、それでも私が大丈夫って言えば咲希ちゃんも安心してくれると思っていたの」


でもそんなことはなかったと、舞宵は悲し気につぶやいた。


「咲希ちゃんはいくら私が言ってもまったく聞いてくれなかったよね。私が藤本君の話を出すたびにそんな男との交流はすぐにやめなさいって。メッセージすら送らないように言われたときは本当にびっくりしたよ。いくら咲希ちゃんでもそんな部分まで干渉されると思ってなかったから」

「干渉……」

「確かに中学生までの私は咲希ちゃんがいないと何もできなかったよ? 先生とか店員さんとかにも咲希ちゃん介さないと話せないし、咲希ちゃんがいないときに話さないといけないときはぷるぷる震えて話せなかった。勉強だって質問できないから沙希ちゃんに聞くしかないし、頭の良さ的にも咲希ちゃんがいないと今の高校には入れてなかっただろうね。……あれ、ほんと日常生活含めて咲希ちゃんがいないとどうしようもなかった?」


ま、舞宵……


「そ、そんな残念なものを見る目をしないで! 今は大事な話なの!」


ご、ごめんなさい。


「コホン。そ、そんな私だったわけだけど、高校生になって成長して藤本君と出会って勇気を出せるようになったんだよ」

「……」

「咲希ちゃんはそんな私に気づいてくれなかったけどね」

「……返す言葉がないわ」


うぅ、舞宵のジト目をまっすぐ見返せない……


「私ね、咲希ちゃんに認めてもらえなかったって話、ママ達にしてたんだ」

「え、そうなの?」

「そう。でもママもパパももっとちゃんと咲希ちゃんと話しなさいっていうだけだった。全然私に同情してくれなかったよ。……まあ中学までの私を見てればそりゃあ咲希ちゃんの肩持つよね」


じゃあ多分舞宵の家族だけじゃなくて私の両親にも事情の一部ぐらいは伝わっていたのね。

前ダメ元で舞宵の行先聞いて知ってたのびっくりしたけど、私と舞宵の仲を取り持つためになにかしら動いてくれてたってことなのかな。


「おかげで相談できる人は当の本人である藤本君だけ。まあそのおかげで仲良くなれたと思うけどね」

「ぐっ」


ま、まさか逆効果になって二人の仲を深める要因になってただなんて……


「藤本君と話せば話すほどもっと仲良くなりたいと思った。咲希ちゃんに認めてもらいたかった。でも話す気にもなれなかった。今回ので私、今後もずっとやることすべてに口出しされて咲希ちゃんの思うがままに過ごしていくことになるのかなって、そう考えるようになったの」

「え」

「中学の時はそれでよかったし、実際そうだった。でも、藤本君と初めて会った時、藤本君に手を差し伸ばすことができた時、私は自分の中の一線を越えることができたの。自分で一歩踏み出すことの大事さを理解できたような気がするの」


舞宵の口は止まらない。

その言葉一つ一つが胸に突き刺さる。


「でも、咲希ちゃんは藤本君にしか目が行かなくて私の成長に気づかないばかりかその大事な一歩をなかったことにしようとした。ねぇ咲希ちゃん。咲希ちゃんは私のすべてを管理したいと思ってるの? 私が誰と仲良くなって、何をして、何になるのかを全部自分の思うままにしたいと思ってるの?」

「ち、ちが……」

「じゃあなんであの時全然私の話を聞いてくれなかったの? 私が咲希ちゃんの思うように行動していなかったからでしょ? ねぇ咲希ちゃん。私は咲希ちゃんのお人形ではないんだよ?」

「っ!」

「私にだって意思がある。今までは咲希ちゃん主導じゃないとそれを表に出せなかったけど、今の私は昔とは違う。咲希ちゃんはそんな私は認められない? 今までのような私じゃないとダメ?」

「違う!」

「!」


何かを諦めたような顔をする舞宵に力いっぱい叫ぶ。

視界がにじんでいく。


「私にとって舞宵は舞宵よ! 私の思い通りとかそういうのじゃない、舞宵だから大好きだし、ずっと傍にいたいと思っている!」


涙が頬を流れるのなんか気にしない。

ただひたすら口を動かす。


「確かに最近は私のエゴを押し付けようとするだけだった! でも、それも元は舞宵への心配があってのことで舞宵を束縛しようとも強制しようともしたわけじゃない! ただ、舞宵があの男のせいで笑えなくなったらと思っての行動だった。それが一番舞宵にとっての幸せになると、本気でそう思っていたの……」

「咲希ちゃん……」

「でも、それは間違いだった。私の行為は舞宵の成長を邪魔するものでしかなかった。私に指摘した人が言ってたの、私と舞宵は親友じゃなかったって。姉と妹のような関係だったって」

「確かにそうかも」


あいつの言葉に舞宵も理解を示す。


「私と舞宵は親友よりももっと近しい関係でいたの。でもそのせいで見えるものも見えていなかったんだと思う。別にお人形とかだと思ってたわけじゃない、意思がないとも思っていない。でも、舞宵は私の背中にくっついていて、私が道を示さないと進むこともできない子だと。それはこれからも続くって」


でも今はもう違う。


「舞宵は自分で道を選べるようになった「うっ」……選べるようになろうとしている。それに気づけなかった私じゃ頼りないと思うけど、成長した舞宵とも今までと同じように仲良くしていきたいと思っているの」


ずっと一緒にいて、その成長を見守っていきたい。

それが私の正直な気持ちだった。


「その、この件の中で何度も幻滅させてしまったと思う。舞宵からの心象はとても悪かっただろうし、情けない姿も見せたと思う」

「まあ、そうだね」

「うぅ」


間髪入れずにそう返してくる舞宵に肩を落とす。

ちょっとぐらいオブラートに包んでくれてもいいのに。


「と、とにかくこんな頼りない私じゃ舞宵の姉的存在なんて名乗れない。舞宵と姉と妹のような関係ではいられないと思う」

「え」

「でも! こんな頼りない、情けない私でもあなたと親友になることができると思うの!」

「咲希ちゃん」

「だ、だから……これからは親友として舞宵と仲良くしていきたいの。……ダメ、かな?」


何とか言い切ったところで舞宵が顔をうつむけさせる。


何も話してくれず、場が沈黙に支配される。







ダメか、と視線をそらしそうになった時に舞宵が顔をあげた。

その表情は笑顔だった。


「うん、いいよ」

「え、ほ、本当!?」

「何度も幻滅したし何度も咲希ちゃんのことをいやに思った。でも嫌いにはなれなかった。やっぱり私は咲希ちゃんのことが大好きだよ」

「!」

「だからこれから、またよろしくね」


そう言う舞宵はしばらく私に向けてくれなかった満面の笑みを浮かべていた。

そんな舞宵に我慢できず抱きつく。


「ま、まよい~!」

「わわ」

「本当に、本当にごめんね~!」

「もう、そんなに泣かないでよ」

「大好きだからね! 舞宵のこと嫌いなんかじゃないからね!」

「うん、私もだから、大丈夫大丈夫」

「うぅぅ……」


舞宵は縋りつく私の頭を優しく撫でてくれた。

そんな舞宵の目からも涙がこぼれていた。




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