第五話

岡部おかべ軍曹にお聞きしたいのですが」

「構わん」


「何故この日出ひで村に移住を?」


「私の元上司、佐伯さえき智徳とものりが軍籍を失い処刑されたのは存じているか?」

「そうなんですか?」


 この件は未だ機密事項のはずだが、こんなところで話していいのかよ。もちろん俺は知ってはいたが。


「お陰で駐屯地に住み続ける必要がなくなったのだ」

「これまでは違ったと?」


「中尉閣下は臆病者でな、多くの兵士を屋敷に住まわせて警護させていたのだ。私と妻もそこに住んでいた」

「それとこの村への移住が結びつきませんが?」


「先日の格闘技大会で訪れた時にこの村が気に入ったのだ。ちょうど貴殿の土地の隣が空いていたから購入した」

「なるほど。ハラルやルラハ、ドレイシー柔術が目的ではないと?」


「先に言った通り私は妻帯者だ。女性としてのハラル嬢やルラハ嬢に興味はない」

「ドレイシー柔術には興味がある、と」


「武人として当然だろう。だが秘伝と言われてはな。軍人の立場を利用して無理に聞き出したりするつもりもないから安心してほしい」


 そこで俺は本題に入ることにした。


「建物の高さを三メートル以下にしてもらえませんか」

「何故だ?」


「うちの敷地が丸見えじゃないですか」

「覗きの意図はないぞ。それに二階建て住宅は妻の望みでもあるのだ。聞けんな」


「なるほど、本当に覗きの意図はないんですね?」

「むろんだ」


 同席しているのは事務員の山岸やまぎし琴美ことみと村民課の課長、堀内ほりうち政憧せいどうである。この二人にはあらかじめこちらで撮影した岡部家の使用人、笠森かさもりが来た時の動画を見せてあった。


 それを会議室のモニターで再生してもらう。


「ではこちらをご覧下さい」


「うん? うちの車と笠森か。先日君の家を訪ねた時のものかな?」

「ええ。ルームミラーの横にあるのは車載カメラで間違いありませんか?」


「ああ。事故などが起きた時のために前後に備えつけてある」

「小さく赤く光っているのは録画中だからですね?」

「そうだ」


「エンジンを切っても録画は続けられるのですか?」

「もちろんだ。車から離れた時にいたずらなどをされないとも限らないからな」


「改めてお聞きします。門に向かって録画しているのは何故ですか?」

「だから常に録画されていると……」


「岡部軍曹、私の土地を囲う壁と前面道路の間には五十センチほどの隙間しかありません」

「それがどうしたというのだ?」


「車でうちを訪れるなら横付けにしないと道路を完全に塞いでしまうことになるんですよ」

「……」


「それに購入した土地があるのですから、そちらに停めるのが自然です」

「それは……」


「明らかに盗撮しようとしてますよね?」

「そうとは限らんだろう!」


 前面道路の幅員は四メートル。通常であれば車はすれ違えるし、横付けしても片側は通れる。しかし門に向けて車を停めれば両車線を塞いでしまうのだ。


 そこで堀内課長がゆっくりと視線を岡部に向けた。


「岡部一等軍曹、客観的に見ても盗撮の意図が読み取れます」

「わ、私は知らん」


「笠森さんが勝手にやったと?」

「そ、そうだ」


「だとしますと使用人の笠森さんから事情をお聞きすることになります。よろしいですか?」

「好きにしろ!」


「盗撮はスパイ行為と見なされます。取り調べは警察ではなく軍の憲兵により行われるでしょう。これが何を意味するか、軍人の岡部様ならご存じのはず」

「むろんだ」


 スパイ罪の定義は多岐に及ぶ。覗きや盗撮もスパイ罪に含まれるのだが、他企業や他国に機密を漏らしたりしなければ一般的に罪はそれほど重くない。


 しかし俺は温泉スパの顧問だし陸軍に貸している土地の所有者なので、企業や軍関係者に当たる。そのため俺に対するスパイ行為は罪が重くなるというわけだ。


「確か笠森さんは五十一歳、果たして拷問に耐えられますかな? 岡部様の指示だったと証言されればお困りになるのは岡部様ではありませんか?」

「……」


「岡部軍曹、穏便に済ませることも出来ますよ」


 俺は課長と琴美に目配せしてから岡部に温度のない微笑みを向けた。


「何だと!?」


「あの土地を手放して、日出村への移住を取りやめて下さい。そうして頂けたら今回の件はなかったことにします」

「それとこれとは話が違うだろう!」


「違いませんよ。盗撮されそうになったこちらは強い精神的苦痛を感じています」

「だから笠森が……」


「長年仕えてきた使用人の笠森さんを切り捨ててまで移住を望まれるのですか?」


 笠森は岡部家に仕えて三十三年だが、それはハラルからの情報であり、長年仕えてきたかどうかなど本来俺が知る由はない。しかし追求してこないのは、表にこそ出していないが彼が動揺している証拠である。


「岡部一等軍曹、市民課課長の立場からも、村民であるヨウミ様の生活を脅かす可能性のある貴方様の移住を認めるわけにはいきません」

「何だと!?」


「あの土地は日出村が買い取りましょう。それでご破算にしませんか?」

「しかし……」


「先ほども申しました通り、憲兵に拷問されれば岡部様も危うくなるはずです。笠森さんの独断という言い逃れは通用しませんよ。何せ貴方様は佐伯元陸軍中尉閣下の部下でしたから」

「……」


「少し調べさせて頂きましたが、あの一件で高尾駐屯地での貴方様のお立場はあまりよろしくないようですね」


 ハラルから聞いてない事実が出てきた。なかなかやるじゃん、堀内課長。


「そこにきて私がお恐れながらと訴えたら、ますますお立場が悪くなるのではありませんか?」


「一千万だ」

「はい?」

「あの土地の代金は一千万だったと言っている!」


『ハラル、本当か?』


 こんな辺鄙な村の近くの土地の値段にしては高いと感じたので、ハラルに念話を送ってみた。脳内チップは地球から木星程度の距離があっても会話が可能なのである。


『岡部が支払ったのは手数料もろもろを含めて三百万程度です』

『ありがとう』

『いえ』


 この期に及んで往生際の悪いことだ。


「私の土地はおよそ千坪で五百万ほどでしたが、岡部軍曹はその倍くらいの広さの土地を購入されたということですか?」


「い、いちいち覚えているものか!」

「そんなわけないで……」


「ヨウミ様、問題ありません。調べればすぐに分かることです。ですが岡部一等軍曹」

「何だ!」


「小さな村の役場とは言え私も役人です。騙したとなればタダでは済みませんよ。もう一度よくお確かめになられた方がよろしいのではありませんか?」


「う……分かった。確かめてみよう」

「ではよろしくお願い致します」


 岡部は不機嫌そうに椅子を蹴って会議室を出ていった。それを見送ってから俺は一つ提案を持ちかける。


「堀内さん」

「何でしょう、ヨウミ様」


「土地は村から俺が買い取ります」

「はい?」


「下らないことに村民の血税を使わせるわけにはいきませんから、岡部軍曹からの買い取り価格より高くしてもらって構いません」

「いえ、それでは申し訳ない。どうしてもと言われるのでしたらそのままの価格で……」


「横流しになるのは役場としてあまりよくないのではありませんか?」

「それはそうですが……何に使うおつもりで?」


 俺の提案はあることを思いついたからだった。

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