初夏のお誘いと火照りと爆笑

「暑くね?」

 空調の効いた会社のビルから一歩出れば、白っぽい初夏の日差しが燦燦と肌を焼いた。隣の後輩がこくりと頷く。筋肉質な彼は俺より暑がりだから、ジャケットを脱いで腕まくりまでしていた。革靴の立てるこつこつという足音が、俺たち二人分、雑踏にのまれていく。

「五月にしたって暑いですよね。俺の実家周りは涼しかったから、ちょっとキツいです」

 ぴったり隣を歩く彼は、ぱたぱたと手で顔を扇いでいた。暑がりすぎだろ、とちょっと思う。だけど地方出身の彼に、都心の気候は合わないのかもしれない。

「だな。今って夏だったっけ」

「まあ、初夏です」

 初夏かぁ、と伸びをする。コンクリートとアスファルトで埋め尽くされた(かろうじて街路樹があるくらいの)街は熱を貯め込みやすく、冷えやすい。あまり春を感じることもなく、今年も夏がやってくる。

「桜、今年も見にいけなかったな」

 ぽつりと呟くと、彼は少し驚いた顔をした。

「見たかったんですか? 会社の花見大会にも来なかったくせに」

「ああいうのは、会社の人間と見るもんじゃないの」

 だけど、お前となら見てもよかった。その言葉は飲み込んで、「来年もこうやって過ごすんだろうな~」と能天気っぽく言う。彼は「そうでもないかもしれませんよ」とやんわり否定した。彼を見上げると、どうにも逆光で顔が見にくい。

「たとえば、来年の桜は、俺と見にいくとか」

「へェ?」

 声が少し裏返ってしまう。驚く俺に彼は微笑んで、「俺が、先輩を連れ出すんです」とおどけたように言う。

「どうせ休日も家に引きこもって、お笑い動画観ながらお酒飲んでるんでしょう」

「わ、悪いかよ」

「いや、全く」

 彼は食い気味に否定しながらも、「だけど」と続ける。

「俺と過ごした方が、楽しいかもしれませんよ」

 思わず、ごくりと生唾を飲み込んだ。街路樹の影に入って、やっと彼の顔が見えた。口は微笑んでいるのに、目が、笑っていない。その視線に耐えきれなくて、ぷいっとそっぽを向く。

「随分、自信あるみたいだな」

「ええ」

 彼は穏やかに言って、俺たちは樹の影から抜けた。また逆光でまぶしくて、目を細めると、彼はずいと顔を近づけてきた。嫌でもその顔が見えて、固まる。熱っぽく潤んだ目で、そんな子犬みたいな表情で、俺を見るな。

「先輩、五月です。この瞬間にしか見られない景色もありますよ」

「あ、ああ」

「桜を見にいくより、楽しい思い、させてあげますよ」

 自信満々の素振りでいて、彼は瞬きをした。二度、三度と繰り返されるそれは、だけど、彼が不安がっているときの癖だ。

「……どこに行くんだよ」

 俺がおずおずと尋ねると、彼は頷く。

「どこにでも行きようはありますよ」

 そう言って彼が挙げたのは、この辺りではあまりにも有名なデートスポットだ。どこにでも、と言った割に貧弱な選択肢だな。思わず胸の中で憎まれ口を叩いても、胸のときめきは隠しようがなかった。

「そ、そんなお決まりのところに誘うっていうのか?」

 負け惜しみでフン……と勝気に鼻を鳴らすと、彼はあからさまにたじろいだ。

「ダメ、ですか?」

 一気に大きな身体が小さく見える。しょぼくれた彼に、なんというか、耐えられない気持ちになる。胸が熱くなって、心がうるさくなって、ばくばくと鼓動が頭に響く。

「ダメっていうか、」

 俺の言葉に、彼は期待のこもった顔で俺を見つめた。俺はごくりと生唾を飲み込んで、彼と視線を合わせた。

「もっと五月っぽいこと、あるだろ」

「もっと五月っぽいこと……?」

 きょとんとする彼がどうにもかわいくて、俺は必死にポーカーフェイスを取り繕った。そして俺自身、「五月っぽいこと」があまり思い浮かばない。なぜならインドア派だから。

 一方で彼はめきめき元気を取り戻し、「それなら、いいところがありますよ」と胸を張る。

「どこだよ」

「俺の実家近くです」

「ジッカ」

「緑がいっぱいで、涼しくて、気持ちいですよ」

 どこ? 俺が思わずこぼすと、彼はとある県の地名を口にした。ここから北に行ったところで、平均気温は三度くらい低いだろう。

「この季節、実家の近所に花が綺麗な公園があるんです。有名なんですよ。一緒に行きませんか?」

 彼は得意げだ。実家。飛び道具すぎる。

「実家……」

 じわじわと状況の理解が追い付いてくる。実家近くって、それはデートの誘い文句として失格じゃないか? もっとロマンチックな誘い方とか知らないのか? 自信満々に言うことか?

 いろいろ頭に駆け巡った、俺は、地面に蹲った。

「せ、せんぱい?」

 動揺した彼がしゃがんで俺の肩を掴むが、それに構わず、俺は笑い出した。

「おもしろすぎ……ッ」

 肩を震わせて笑う俺に、後輩は「先輩!」と照れの混じった抗議の声を上げる。負けた、と俺は降参した。勝てるはずが、ない。

 だって俺は、彼が好きなんだから。

 俺は立ち上がって、彼の背中をばんばんと叩く。顔が熱い。

「いいよ。連れていってよ、そこ」

 彼はしかめっつらから一転して、ぱっと顔を明るくした。「約束ですよ」と強く念を押す。その顔がどうしても愛おしくて、俺はきゅうと目を細めた。

「分かった、分かった」

「約束ですよ。後で空いてる休みの日、教えてくださいね」

「分かってるって。だいたい空いてるから大丈夫」

「そう言って、どっかでうっかり予定入れるんじゃないでしょうね」

「はいはい」

 わざと速足で歩きだす。彼は従順に俺についてくる。

 デートってことはエスコートされるのかな。身体中が熱くなる。掌が熱さだけじゃない理由で、じんわり汗ばんだ。

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BLショートショート 鳥羽ミワ @attackTOBA

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