記憶の瞳 : 2024年5月 


【忘れじの瞳】


「なんだあの黒い霧は!」

 調査隊員の一人が叫んだ。


 惑星セリューズの調査任務は、常に予測不可能な事態に満ちていた。

 事前調査により、大気の成分や温度、天候などは、人類が居住可能であることを確認済みで、今回の現地調査は自然環境の調査である。家畜化できる動物や食料となる植物が存在するか、動植物を中心に調査することになっていた。

 食糧を確保できるかどうかが、この惑星に植民するかどうかの分岐点であるため、今回の調査は非常に重要な調査となるのだ。

 参加した者は皆特別な訓練を受けた隊員たちで、未知の猛獣との遭遇にも備え武器を携行していた、さらに軍隊も同行し万一に備えていた。

 しかし、この日はそんな武力など一切役に立たなかったのだ。


 空に雲はなく、穏やかな春の陽気に包まれ、植生調査には最高の日和だった。

 この星の大気成分は基本的に地球のものと大差ないが、酸素と希ガスが若干多く、窒素の割合がその分少ない。

 人体にはさほど影響がなさそうだが、長期間の摂取でどのような影響が出るか、経過観察が必要となる。動物実験では短期間であるが問題がなかったため、今回派遣された調査隊員は、その実験も兼ねて、宇宙服未着用で調査に当たっているのだ。


 大気成分が違うせいもあるのか、この星の植生は地球とはかなり異なり、基本構造は地球のものと大差ないが、生態は独特だった。

 高酸素濃度に適応した葉の大きな植物や、希ガスを利用して発光し虫をおびき寄せる植物、特殊細菌と共生し窒素を固着する根を持った植物など、地球とは異なる進化をしていた。


 隊員たちはサンプルを採取しながら、3Dスキャナーで立体映像を撮影していった。

 その時であった。黒い霧が彼らを襲ったのは。

 突如現れた黒い霧は、その発生源が分からず、たちまちのうちに隊員たちを呑み込んでいった。

 当初隊員たちは、暗闇の中で互いを励まし合いながら、黒い霧から逃れ基地に戻ろうとした。しかし霧は濃密で、目の前の手さえも見えない状態。通信機器も機能を停止して連絡が取れず、霧が晴れるのを待つしかなかった。


 気づいた時には既に遅かった。隊員たちはもだえ、苦しみだしたのだ。

「頭が痛い!」

「おい、大丈夫か!今そっちに……」

「苦しい!」

「なんだこの化け物は!」

「水、水をくれ!」

 暗闇の中で、断末魔のような声が聞こえ、隊員たちは明らかにのたうち回っているのだが、その姿を見ることはできなかった。


…………


 バチンっと言う、電気ショート特有の音で映像が切れてノイズ画面になった。

「これが、セリューズ星で起こった事件の一部始終です。」

 会議室の大型モニターが暗転すると、会議の進行を務めていた女性が説明を続けた。

「周回軌道上にいた母船から救助に向かった隊員の報告によりますと、黒い霧の成分は主にテトロドトキシンとアルカロイドで、それぞれ35%と26%を占めます。またこの他に未知の成分であるメモレイスとニューロフォギンがそれぞれ23%と15%を占めています。残り1%は微量な成分が多数含まれております。この主成分からも分かるとおり……。」


 彼女の説明によると、テトロドトキシンはフグに見られる毒で、神経細胞のナトリウムチャネルをブロックし、筋肉麻痺を引き起こす。またアルカロイドはキョウチクトウ科の植物に含まれる毒で、神経伝達を妨害して記憶障害や意識混濁を引き起こし、幻覚を見せることもある。

 そして未知の成分である〔メモレイスMemorase〕と〔ニューロフォギンNeurofogin〕については以下のように説明された。

 メモレイスは、〔記憶Memory〕と〔消去erase〕を組み合わせて命名した、脳細胞に直接攻撃を加え、記憶を消去するという作用を持つ毒である。

 ニューロフォギンは、〔神経Neuro〕と〔fog〕を組み合わせて命名した、霧のように広がって神経に作用する毒である。この成分がこの黒い霧を空気中に浮遊させていると考えられる。

 この4つの主成分によって、神経が麻痺し、痙攣が起こり、幻覚が見え、脳が破壊され、隊員たちを苦しめたと考えられる。また通信機器の故障に関しても、電気系統に霧の成分が入り込んでショートを起こしたと考えられている。


 この黒い霧の発生源は、固有種の被子植物である〔忘れじの瞳Unforgettable Eyes〕と名付けられた開花植物で、その花托が印象的なまるで大きな瞳のような形状をしていることからこう名付けられた。実際は忘れないどころか、脳を破壊する植物ではあったのだが。

 この植物は動物から栄養をとる特異な生態を持っており、大型動物が近くによるとこの黒い霧を噴霧し、動物を弱らせた上で、蔦を延ばして栄養を採取する。

 光も通さないこの黒い色素は、2つの機能があると考えられている。1つは昼間に捕食者へ警告を発する警告色として、また夜間には標的にならないよう保護色としての機能。もう1つの機能は、日光からの保護として、紫外線もしくはその他特定の波長に対し、身を守るために光を通さない濃密な黒い霧を吐いていると考えられている。


 進行役の女性が、次々とモニターに映し出される図を見せながら、説明を続ける。

「隊員たちは、この黒い霧に包まれた後、神経毒にやられたと見て間違いはありません。救出された彼らは、大なり小なり脳に損傷があり、完全に消去されたかのように記憶はなく、自力で動くこともままならず、点滴で延命治療を施している状態です。

 現在、神経科の権威であるコトネ・アイラ医師を現地に派遣するための準備を進めており、準備が整い次第、調査団とともに出発することが決まっています。

 また、現地調査は引き続きおこなわれていますが、宇宙服の着用を義務づけ、忘れじの瞳には近づかないよう厳命されています。

 さらに隊員たちの安全を確保するために……。」


 彼女の説明を聞いた、この会議に参加をしているセリューズ調査プロジェクトのトップたちは、今後の方針を次々と決めていったが。その内容は後ろ向きなものばかりだった。

 特に、〔忘れじの瞳〕が現地の固有種である以上、食物連鎖網に組み込まれているはずで、人類の都合で排除するわけにはいかず、頭の痛い問題としてセリューズへの入植に文字通り暗雲が立ち込めていたのだ。



【前だけを見る】


 コトネ・アイラはベッドの周囲に立つ医師団から、この日の手術について説明を受けていた。10時間以上を予定した大手術である、医師団たちは否が応でも緊張していた。

「先生、本当によろしいんですね。」

 説明を終えた医師団団長のゲイル・コンラットが、アイラに最終確認をした。

「もちろん。あなたたちの腕を信じているわ。」

「信じて貰えるのはありがたいですが、先生を執刀するなんて、緊張で手が震えそうです。」

 ゲイルにとって、高度医療を恩師に執刀する緊張感は、心臓が喉から飛び出しそうなほどであった。

「何を言ってるの。もし失敗したら単位はあげないからね。」

 アイラは彼の緊張を少しでも和らげてやろうと、冗談を言う。

「先生、そ、それは勘弁してください。」

 アイラの言葉を真に受けたようなゲイルの緊張は、アイラの思惑とは反対に、極限に達してしまったようだ。

「ゲイル、あなたなら大丈夫だから、いつもの通りしっかりやりなさい。皆も彼をちゃんとサポートしてね。失敗したら、全員落第ですからね。」

 アイラは次の手段として、他の医師団メンバーも巻き込む。

「先生、もう私たち学生じゃないんですから。ゲイルもしっかりしてよ。でないと先生は本気で私たちを落第させるわよ。」

 横からゲイルと同世代の女性医師が、アイラの言葉を受けてゲイルに活を入れる。

 ゲイルは両手で自分の頬を叩き、気合いを入れ直した。

「わかったよ。では、先生手術を開始しますがよろしいですか。」

「いつでも始めて頂戴。」

「分かりました。では、全身麻酔を掛けますので、横になってリラックスしてください。」

「よろしく頼むわね。」

 アイラは目を閉じて、教え子たちの医師団に身を任せた。


 今回の手術は病理を除くための手術ではない。脳の生体コピー作成と毒に対する免疫機能強化、神経受容体の強化、毒素排除機能の強化などを施すことになっている。

 脳の生体コピーとは、まさに文字通りコピーを取ることで、脳に蓄積された情報を丸ごと、幹細胞から作られた人工脳である生体脳せいたいのうにコピーすることだ。

 コピーと言ってもスキャンしてデータを読み込ませるなんて言う単純な話ではない。神経細胞の活動をマッピングし、データをアルゴリズムにより解析して、さらに神経細胞のシナプシックパターンにあわせて複製し、人工脳に転写していくのだ。かなり複雑で高度な技術が要求される手法である。


 この技術はアイラが独自に確立したものである。

 実験では特にラットを対象に行われ、神経活動の完全なコピーが達成された。これは、記憶と学習能力がラットの生体脳から人工脳へ完全に移行される様子を示し、それによりラットは新しい環境でも以前に学習した迷路を問題なく解決できるようになった。

 この成果は、脳の機能が全てコピーされる可能性を世界に示した。そして、今はサルによる実験がおこなわれており、その確実性を担保している最中であった。人間への適用はこれが初めてであり、いまだ不確実性が残っており、危険性は完全に排除できていないのだ。


 この技術が開発された経緯は、記憶遺産として知識人が登録されるようになったため、その頭脳を後世にも残そうということで始まったプロジェクトの一環として、神経科の権威であるアイラに白羽の矢が立ったのだ。

 人工脳は外部から酸素と栄養を補充する限り半永久的に保存可能で、記憶の劣化は若干見られるものの、常人では到達できない思考回路や思考構造、思考体系をそのまま遺すことが可能となる、画期的技術であるのだ。

 当時アイラの脳コピー技術は理論のみで、実際におこなうことは不可能と思われていた。しかし、丸ごと脳をコピーして残すと言う理論は、当時のプロジェクト担当者にとっては魅力的に映ったのだろう、アイラを全面的にバックアップした。

 そのお陰で、彼女の理論は正しいことが証明され、確実性を担保する直前まで漕ぎ着けていたのだ。


 しかし、この技術の実行に際しては、倫理的問題が多数存在し、特に反対派からは、個人のプライバシー侵害や、人間の脳と同一の記憶を持つ人工脳がもたらす法的・社会的影響についての懸念が強く表明されていた。

 また、脳コピー技術が生み出す〔第二の自我〕が個体の意思決定にどう影響するかと言う、未解明な点が問題視されていた。

 これらの懸念に対しては、アイラ自身も公開討論会で何度か応じ、技術の安全性と倫理規定に基づく運用の重要性を強調していた。

 ところが、手術対象者が特定の知識人だけに限定されていることや、コピーした脳の保管基準の不確定さ、脳が持つ情報の取り扱いも曖昧であること、人工脳を遺すクライアントや遺族の意思決定をどう尊重していくのか、また社会的影響もできる限り軽減すると言うが、どこまでをもって軽減したというのか、など指摘できることが山積みとして、反対派は聞く耳を持たず、強行派は押され気味であった。


 それにも関わらず、そんな問題を吹っ飛ばして決行されたのは、今回セリューズでの事件が契機となり、隊員たちを救うためにアイラを派遣することが決まったことで、医師協会の強硬派が無理矢理ねじ込んだことによるものなのだ。

 記憶遺産の偉人脳保存プロジェクトと、移民星探査開拓プロジェクトの両陣営が全面的にバックアップしたことも大きい。


 アイラ自身が施されることで、反対派を黙らせるような形になり、遺恨となってしまったが、執刀する医師団は彼女の優秀な教え子たちであり、アイラを害する心配はなく、彼女も安心して任せることが出来た。


 今回の手術は脳コピーだけではない、免疫機能の強化、神経受容体の強化、毒素排除機能の強化などもあり、黒い霧の神経毒に対抗するために施す人体強化手術でもあるのだ。

 本来なら卵と精子の段階で遺伝子操作をして獲得する機能強化なのだが、今回は成人であるアイラに対し、遺伝子操作した幹細胞から作成した人工臓器を取り付けていくことで、機能強化を実現する。

 こちらは既存の技術であるため、特に何の問題もない。しかし、臓器をまるごと換えていくので、手術対象者であるアイラの負担もさることながら、医師団の負担もかなりのものとなる。

 脳コピーよりもむしろ困難が伴うのはこちらの手術かも知れなかった。


 そしてこの手術が成功すれば、セリューズで今なお苦しんでいる隊員たちを救うことにもなり、今後セリューズへ入植する人類への福音ともなり得るのだ。

 アイラは目を閉じながら、教え子たちがこの困難を乗り切り、手術を成功させることを祈りつつ、この技術を苦しむ隊員たちに施せる時が一日も早く来ることを願い、気持ちは前だけを見ていた。



【始まりの話をしよう】


「アイラ先生。お話して。」

 コトネ・アイラは自身が開業した診療所の前で、町の子供たちに囲まれてしまい、口々にお話をねだられてしまった。


 セリューズの調査隊員を救助に来たのが、地球時間で今から34年前。セリューズ時間でも28年の時を経ていた。

 アイラが脳コピーをし、全身改造の手術を受けたあの後、術後の経過観察を見る間もなく、調査団とともにセリューズへと旅だったのだ。

 セリューズに到着後、まずは黒い霧の後遺症に苦しむ隊員たちの治療に取りかかった。

 幹細胞から作られた人工臓器を移植するのと同時に、脳に関しては、生き残っている脳細胞を元に修復治療を施したうえで、元の記憶を取り戻せる者には記憶修復治療を、記憶修復が不可能な者には、その人物の来歴を教え、初等教育からやり直すというリハビリを施した。言語の習得から始めたため、本人たちは相当苦労したようだが、10年も経てば高等教育相当の知識を得るまでに回復した。

 

 セリューズ本星に関しては、〔忘れじの瞳〕が生息する以上、大量入植は危険であると判断され、小規模入植に留まり、別の星系にある入植候補惑星を重点的に調査することとなった。

 その結果、セリューズの入植地は限定的なものとはなったが、入植者には全員、アイラが施されたものと同様の人体改造手術を施し、万一の事態に備えることで、調査を続行することとなった。


 そして入植地は調査基地をベースとして、周囲の植生を刈り取り、焼き払い、更地にした上で、現地の植生と緩衝地帯を設け、入植地を建設した。

 田畑を造り、住居を建て、調査隊員たちは擬似的な村落を作り上げた。隊員たちは日々の調査業務に併せて日常生活を営めるようになった。中には隊員同士で結婚し子供をもうけた者もいた。

 その子供たちも、一定の年齢に達すると人体改造手術を施されるが、それまでは行動がかなり制限されていた。


 こうしたかなり制限された入植生活も、セリューズ時間で10年が過ぎると、入植地は立派な村となり、居住者も1000人を数えるまでになった。

 調査部隊が運営する農場や工場が製造する食料や日用品を販売する商店もでき、簡単だが経済も回り始めた。

 上空には地球からの探査調査船をベースにコロニーが建造され、周回軌道上から入植地のサポートをしていた。


 アイラはすでに90代を迎えたが、人体改造手術が功を奏しているのか、いまだしゃんとしている。足腰は若い時ほどとは言えなくとも、生活にはなんら支障はない。

 アイラは持ち出してきた折りたたみ椅子に座って、集まってきた子供たちを見渡した。すでに30人ほどが集まってきていて、その後ろを大人たちが取り囲んでいた。

 午後のこの時間にアイラが子供たちに話をするのは、日課のようになってしまっていた。

「そろそろ皆集まったかな。今日は何の話をしようかしらね。」

 子供たちは期待に満ちた表情で、瞳を輝かせてアイラを見つめていた。

「では、今日は始まりの話をしようかな。」

 アイラはそう言って、このセリューズを人類が発見した頃からの話を始めた。

 地球からの期待に満ちた長い旅、そして絶望に沈んだ調査隊の事件、その後細々と始まった入植地開拓、短いが紛れもないセリューズの歴史である。

 そこには人類の営みが極小さく刻まれていた。

 子供たちには、これからのセリューズを背負って立つ上で、この星の開拓史を、その身に刻んだ記憶を後世に引き継いで欲しい、そうアイラは願うのだった。


<完>



【後書き:2024年5月】


 ご一読いただきありがとうございます。

 2024年5月に提示されたテーマは【忘れじの瞳】【前だけを見る】【始まりの話をしよう】です。

 このシリーズの2話目となりますが、前回より設定が細かくなって、もっと掘り下げたい欲求に駆られてしまいました。なんとか枠組の中で纏め、提示されたテーマを網羅できたので、一安心しました。

 やはり短編小説という枠組は難しいと痛感しています。

 

 今回提示されたテーマは前向きな感じがしたので、未来を子供たちに託すような話しにしようと、プロットを考えました。しかし、忘れじの瞳というよく分からないテーマが最後まで引っかかり、最初はオーブやスフィア、あるいは人口眼球とかの設定を考えたのですが、結局植物の名前として落ち着きました。

 この話が思索のきっかけになれば幸いです。次回は6月になりますのでよろしくお願いします。

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