SF短編小説集

劉白雨

最後のオアシス : 2024年4月


【終わりのない苦しみ】


 地球環境の破壊はすでに不可逆的な、イレバーシブル・レベルに達し、取り返しがつかない段階に到達していた。

 温暖化が進んだ地球は海洋面が上昇し、多くの海洋国家が海に沈んだ。その反面、大陸は砂漠化が進み、人類が住むには窮屈な星となってしまった。

 一時期は100億に達した人口も、今や30億にまで落ち込み、今後も増える見込みはほぼない。人類は溜めてきた長年のツケを纏めて払わされているのだ。


 地上の大部分が砂漠化してしまった現在、人類が居住できる場所は限られてしまった。生き残った人類は、グローバル企業グループ、サイオネクスが建造した巨大ドーム都市での生活を余儀なくされていたのだ。


 サイオネクスとは、サイエンスとテクノロジー、そして繋がりと言う意味のネクサスを組み合わせて作った造語であり、人類と科学を繋げ社会の発展に寄与すると、公式が発表している。

 しかし、その実体は政治、経済、軍事を牛耳ることで人類を支配している、環境保護を標榜する巨大企業である。

 住民たちは自分たちが支配されているとは露程も思っていないだろうが、実際は市場への介入、技術力の囲い込み、資本力による経済的優位、社会的文化的影響力、そして政治的影響力を行使し、知らず知らずのうちにサイオネクスの思想に毒されているのだ。

 街に並ぶ商品のほぼすべてがサイオネクスの製品であり、揺り籠から墓場までサイオネクスに頼らなければ生きていけないのだ。


 各地に建造された巨大ドームは快適そのものだ。

 住民たちは、サイオネクスを信じる限りにおいて、その快適を享受することが出来る。

 環境破壊が既に限界を超えて砂漠と化した地上に、この巨大ドーム都市は存在していた。

 一辺が約1㎞、高さ約200mに及ぶ直方体のような巨大ドーム都市は、適温に管理され、人々の楽園として機能していたのだ。ドーム都市の中心部には管理用ビルが聳え立ち、その周囲に居住用高層マンションが林立し、一人あたりの居住スペースにおよそ40平米を確保した上で、ドーム内の人口をおよそ10万人にすることが出来ている。

 まさに地上の楽園として、このようなドーム都市が世界各国に数千の数で造られたのだ。


 しかし、閉塞空間に閉じ込められた人類にとっては、いくら快適な環境とは言っても、食料が合成食品であったり、リサイクルして使う限られた資源や水であったり、節約して使用する電力であったり、生活するのに不自由なことも多く、この小さな不満が、不快へと変わり、苦痛へと昇華していくのだ。

 ドーム都市の住人は終わりのない苦しみの中で生きるしかなかった。



【こぼれた溜息】


 エリカはドーム都市管理長官として、ドーム中心部の管理棟最上階にある、都市を見下ろせる執務室で、ディスプレーに表示された報告書に目を通していた。

 彼女の仕事はドーム都市の管理運営だが、もう一つは住民を監視し、反乱の兆しを探ることだった。


 上がってくる報告は、そのほとんどが住民たちの不満と絶望、そして犯罪者と自殺者に関するものばかりだった。その内容は、食料が足らない、水を寄越せ、生活環境を改善しろなど、ああだこうだと混淆こんこうした要求であるか、もしくは合成食品による栄養の偏りで、免疫力が低下し病気が蔓延していることが、絶望感を増長しているというものだ。犯罪についても同様で、ニュース記事から犯罪関連だけを抜き出して纏めたのかと思うような報告内容ばかりだ。


 住民たちの生活は基本的にサイオネクスが面倒を看ている。仕事の斡旋、食糧供給、医療提供、インフラ整備、そして治安維持に至るまで、本来なら不満の出ようはずがないほど手厚く支援しているのだ。


 しかし、閉塞空間に閉じ込められ、追い詰められた人間が考えることと言えば、自死か反抗である。都市内の自殺者は毎年100人を超え、昔自殺率でその名を轟かせたレソト国のそれを優に超えていた。

 一方犯罪も横行し、殺人、強盗、薬物など目に見える犯罪だけでなく、情報の抜き取りや改竄、コンピュータ・ウィルスの頒布などを中心としたサイバー犯罪、詐欺や贈収賄、脱税や不正取引などを含む経済犯罪も増加していた。

 こんな状況では、このドーム都市の治安が地に落ちたも同然で、エリカは日々頭を抱えていた。


 エリカの父親は環境学者としてその名を馳せた人物で、地球の未来を案じ、警鐘を鳴らしていた。その著書は世界中で読まれるほどで、特に緻密な調査データによる未来予測を書いた〔地球環境と人類の終焉〕は大ベストセラーで、その著書名を知らぬものはいないほどだ。

 しかし、各国政府はその警鐘を無視し、環境問題への根本的解決をせずに、ドーム都市建設という逃げを打ったのだ。彼らの主張は、人々が移動に使用するエネルギーを都市部のみに集約すれば、環境負荷が下がるというものだ。いわゆるコンパクトシティ理論である。さらにこの理論は、過疎地への物流にかかるエネルギーも削減できるため、環境にも良いとしたのだ。


 その政府の動きに同調したのがサイオネクスであり、各国の政府にドーム都市建設を売り込んだのだ。そして、環境問題に正面から向き合う企業として世界中から信頼を得ていったのだ。

 とはいってもそれは表向きで、その実態は決して環境に良いことをしているとは言えず、リソースの過剰採掘、産業廃棄物の不正処理、グリーンウォッシングと言ったものが噂話だけではなく、時々週刊誌などでも真実として暴露されている。そして、さらに黒い噂として、政府との癒着や、不正行為の隠蔽なども漏れ聞こえてくるが、その実体は闇に包まれたままなのだ。


 そんな噂が絶えない会社にエリカが入社すると言った時に、父親は烈火の如く怒りをぶつけてきた。環境学者の娘が環境を破壊している企業になぜ入社するのかと。そして、親子の縁を切るとまで言われた。

 その言葉に聞く耳を持たず、当時のエリカは会社の美辞麗句に踊らされて、この地球を蘇らせると言う、自分の夢が叶えられると信じて入社した。

 結局父の言っていたことは正しく、彼女は入社後この会社の実態を知り、自分の仕事が環境破壊に加担していることを知った。


 彼女は日々の業務に負われながらも、心底苦悩に悩まされていた。

 しかし、彼女の苦悩などあってないようなものと思わせるようなもので、日々苦しい思いをしているのは、ドーム都市の住民たちであり、彼らからサイオネクスは搾取するだけなのだ。彼らの日常はすべてサイオネクスのためにあり、社員であろうとなかろうと、ドーム都市の住民であれば、その呪縛から逃れることはできないのだ。

 彼女は報告書を読みながら、住民たちの苦悩を思うと、こぼれる溜め息を抑えることが出来なかった。



【ポジティブシンキング】


 数日後、エリカは作戦司令室にいた。

 この日は、先日の報告書にあった反乱分子の地下組織〔最後のオアシス〕のアジトに突入する作戦が実施されることになっており、エリカはその作戦を作戦司令官の後ろで見守っていた。

 〔最後のオアシス〕とは、砂漠化したこの地上において、ドームに依存することなく生活できる、オアシスのような場所がまだあると信じている狂信的な集団だ。

 彼らの活動は、サイオネクスによる支配体制をくつがえして、存在が噂される最後のオアシスに関する情報の開示をさせ、そこへと至るまでの旅の支援を勝ち取る事を旨としていた。

 それを実現するため、信奉者の獲得と広報活動はもちろんのこと、嫌がらせ程度のテロ活動も起こしていた。彼らにしても、システムやインフラに重大な損害を与えれば、苦しむのは自分たちであることは、重々承知しているのだ。結局たいしたことは出来ない、ただの狂信集団であった。


 なぜエリカがこの作戦司令室にいるかというと、サイオネクスと警察機構の癒着により、治安維持活動の監視も業務に組み込まれているからだ。

 今回は大規模作戦と言うこともあり、エリカが出張でばってきたのだ。

 

 エリカは彼ら〔最後のオアシス〕の気持ちを一応理解しているつもりだ。

 このような閉塞空間に居ては、息が詰まるし、サイオネクスの監視を意識してしまえば、そこから自由になりたいという気持ちが芽生えることも道理だ。

 エリカ自身本社の監視を受けている身、監視される気持ちは分かるつもりだ。

 しかし、治安を乱すのであれば事は違う。その芽は摘むしかない。野放しにすれば、他の人々が迷惑を被るからだ。

 理解するのと黙認するのはまったく違う、その結果が今回の作戦実施である。


 作戦には、突入に特化した特殊部隊を中心に、治安維持部隊のロボットが大量に投入された。都市内に分散しているアジトの周囲に、彼らはそれぞれ待機していた。

「突入準備、整いました!!」

作戦部隊のリーダーから報告が上がる。

「管理長官殿、作戦を開始してもよろしいでしょうか。」

作戦司令官が確認をしてきた。

「お願いします。」

エリカは作戦司令官に対し頷いた。

「これより〔オアシスドライ〕作戦を決行する。突撃開始!」

「突撃開始!」

作戦司令官の号令が下ると、部隊リーダーが復唱し、作戦が開始された。


 作戦司令室の大型モニターには次々と突入する特殊部隊とロボットの姿が映し出されていった。

 エリカはそれを見ながら、これでまた彼女に対する会社の評価は上がるが、他のドーム都市の管理官からは、適度にガス抜きが出来ていないことを揶揄する輩が出てくるだろうと、危惧した。

 面と向かっては何も言えないくせに、陰でこそこそ足の引っ張り合いをする。そんなやつらにエリカはうんざりしていた。

 いっそのこと自分もこの〔最後のオアシス〕とやらに入って、現状を破壊してしまおうかと言う邪な考えが頭をもたげたが、管理長官としてはそれも叶わない。

  

 監視衛星により、地球上にオアシスなど存在しないことは明白なのだが、彼らは本気で存在を信じているのだろうか。それともただ藁にも縋る思いなのか。

 エリカは彼らの心情に同情はしても、結局その発露を理解出来てはいなかった。


 環境破壊の進んだこの世界において、たとえ受け入れることが出来なくても、皆で協力して助け合わなければ生存できないことは明白で、この体制が気に入らないのならば、体制を離れ独立するか、体制のなかで体制を変える努力をするべきであり、体制を自分勝手に自分の都合の良いように無理矢理変更しようとするのは、ただのテロリストであり、暴虐であり、害悪の狂信集団でしかないのだ。

 体制を離れ独立することも、皆の同意を得て体制を変革することも出来ないのなら、ポジティブシンキングを実践すれば良いだけの話だ。現状を受け入れ、その中で自分の望みを叶えていけば良いだけの話である。

 物事の悪いことばかりを探して鬱になるよりも、物事の良い面を探してそれを享受する方が何倍もマシであるし、できないと言って逃げるよりも、困難に立ち向かってそれを克服した方が人生が豊かになるし、自己肯定感も高くなる。


 エリカにとっては、そんな簡単なことが出来ない彼らを、理解することは到底出来なかったのだ。

 モニターに映し出される、次々と逮捕されて出て来た人々を眺めながら、エリカはそんな事を考えていた。


<完>



【後書き:2024年4月】


 ご一読いただきありがとうございます。

 2024年4月に提示されたテーマは【終わりのない苦しみ】【こぼれた溜息】【ポジティブシンキング】でした。

 いかがだったでしょうか。テーマを決められて書くという初めての試みで、上手く纏められたか心配ですが、設定から主人公の心情まで丁寧に書いたつもりです。

 SF小説のお約束は取り入れられなかったので、もう少し深掘りしたい部分もありますが、短編小説という枠の中で取捨選択する苦労と享楽も味わうことができ、良い経験となりました。

 今後も、このようにテーマを決められて短編を書くと言うことを続けてみたいと思いますので、今後もどうかお付き合いください。よろしくお願いします。


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