第5話 松原幼稚園児失踪事件(または一家失踪事件)

 1982年。

 当時存在した松原幼稚園の園長から、警察に対して「登園していたはずの女児が失踪した」と連絡が入った。

 幼稚園によると、9月7日の午後13:30頃、昼寝をしていた園児たちから五分ほど目を離した隙に、ひとりの女児がいなくなったという。使われていた教室の扉は閉められたままで、女児が使っていた鞄や毛布などもそのまま残されていた。

 教員が園内で女児を捜したものの見つからず、約三十分後に警察に連絡。事故や誘拐の可能性もあるため、大々的な捜索がはじまった。


 その一方で、女児の保護者に連絡がつかず園は困り果てる。

 登録されている電話番号になんど電話をかけても、「現在使われていない」という声が返ってくるだけ。第二連絡先である職場にも連絡をしたが、登録してある会社名はでたらめで、別の場所に繋がってしまったという。当時は携帯電話もなかったため、なにかあったのではないかと保育士が警察とともに直接、連絡先の住所へと赴いた。

 そこで見たのは、連絡先の住所が空き地になっている光景だった。

 ここから事件は女児の失踪事件ではなくなっていく。


 周囲に住む民家によると、五年前までは確かに同姓の家族が住んでいたが、二年前には更地になっていたことが判明。家族などが引っ越し後の連絡を怠ったり、以前住んでいた住所を書いたのではないかと思われたが、翌日になっても保護者から連絡が入ることはなかった。

 また、当該女児は通園用のバスを利用していたが、自宅として登録されていた住所近くの公園で園児を複数人乗せていく形であったため、バスの運転手も自宅を見たことはなかった。公園で同じく通園バスを待っていた保護者たちも「普段通り挨拶をした」「そういえば自宅を知らない」「マンション住まいで、共働きで忙しいと聞いていた」という話ばかりで、家族を知ってはいても家までは知らない状態で、困惑を隠せなかった。

 更に一ヶ月以上経っても家族どころか親戚とも連絡がとれない状況が続き、警察は一家がなんらかの事件に巻き込まれた可能性を考慮しつつも、夜逃げなど、家族が自ら女児を伴っていなくなったのではないかと結論付けた。


 当時、松原幼稚園で働いていたという女性保育士は取材に対してこう語っている。

「あのとき、幼稚園の大人たち総出で探したんです。でも、あの子は見つかりませんでした。もしも事件や事故などではなく、家族で元気でやっているのならいいんですけど……。でもこんなことはじめてで。ええ、確かにあの子はここにいたんです。あの子の笑顔がいまでもくっきりと浮かび上がってくるんです……」


 この事件は松原幼稚園が主体となって捜索が行われたが、現在に至ってもこの一家の情報は無い。

 しかし園もその後、建物の老朽化と経営者が変わったことで移設。幼稚園の名前も変わってしまい、現在では存在していない。

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