第12話 安藤のモノローグ 1

確かに、かつては財満のように自己中心的な人間だったのは間違いない。しかし、ああいう振る舞いはもう二度としないだろう。なぜなら、更生所に戻るのが嫌だから。アンドロイドとして生きるのが嫌だからだ。人として善く生きるために、善く振る舞うのではなくて、更生所の世話になるのが嫌だから善く振る舞うだけだ。その振る舞いは、客観的には、善く見えるだろう。


更生所に入所したばかりの頃は、怒りにまかせて部屋の物にあたりちらして備品を壊したり、工場の製造ラインをサボタージュしようとしたりしたこともある。ここは刑務所ではないが、刑務所以上に冷徹なところがあって、部屋の備品が壊れたからといって、新しいものが支給されることはない。結局、必要な物をすべて買い直す必要が生じ、自分の立場を悪くしただけだった。工場のサボタージュは、もちろんアバターがそんなことを実行するはずもなかった。それに、更生所では食事も無料で支給されることはないので、仕事をしないのは勝手だが、そうなると生活費を得られず、自分が餓死するだけなのだ。


悪を成そうとしながら、罰が嫌だから、善を成す。それがオレという人間なんじゃないか。


今や非人間的な労働を行うアンドロイドは社会になくてはならないものだ。しかし、そのうちの一定数はオレのように、人間が操作しているアンドロイドも存在し、社会はそれによって支えられている。アンドロイドの向こう側の人間が、いかに悪意や負の感情を抱いていようともAIによって、それらはすべて解消されて、社会を支える存在となっている。


社会やAIのようなシステムの側が人間を支配して、模範的にみえるような行動に誘導したり、強制したりできるなら、もはや人間の側に倫理などは必要ないのか。

人間は何も考えず、死ぬまでシステムに矯正され続ければいいのか。


このシステムの中では、人間はただアバターに指令を送るだけの有機的な機械に過ぎない。入力された情報はすべてシステムの価値観によって選別されるだけで、そこに個人の倫理観などが介在する余地はない。それはつまり、人間の側の倫理を否定することになりはしないか。


それが、正しいことなのか間違っているのか、いくら考えても分からなかった。

けれども、やはり、この孤独な十年間で、自分自身は変わったのだろう。以前は、こんなことは全く考えたこともなかったのだから。

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