第7話 魂起こしの儀
廊下を右に曲がって突き当り。鉄でできた小さめの扉があった。
礼拝堂の大壁の裏、こちら側の空間は板張りで内装されているのだが、その鉄扉の周りだけ石壁になっているようだ。
懐から取り出した鍵を鉄扉にの鍵穴に差し込みながら、僧侶の男がイリアに話しかけた。
「なにしろ『
鉄扉が押し開けられると大きな蝶番が
「高価な物なんですか?」
「まぁそうですが、実は盗んだりしてもあまり意味は無いんですよ。専門の技術者が使用者のマナを登録しなければ動きませんから」
不可視にして不可知の力。マナこそが魔物を魔物たらしめ、また人間のアビリティーを構成しているのもマナである。
そのなかでも魔法を使ったり、一部の異能を使用する場合に消費するものを「余剰マナ」、学術的には「可処分マナ」などと呼ぶ。
アビリティー本体から染み出すように肉体に蓄積されるという余剰マナの事を、会話の中でいちいち余剰マナと呼ぶことは少なく、単に「マナ」と言えばそれは余剰マナの事である場合が多い。
『魂起こしの水晶球』を使えるのはアール教の僧侶だけというわけではない。水晶球に限らないが、高度な魔道具を使用できるのは【マナ操士】というアビリティーの保有者である。
アール教が【マナ操士】の多くを囲い込んで、僧侶の地位を与えている場合が多いのだ。水晶球の登場以前、よくある新興宗教の一つでしかなかったアール教は今では世界宗教といっていい勢力を誇る。
高さがイリアの身長ほどしかない鉄扉をくぐって中に入ると、3メルテ四方ほどの小さな部屋。防犯のためか窓は無い。
僧侶の男が壁に埋め込まれている燭台の大きなロウソクに火を灯した。着火の魔道具を使っていないので僧侶は火魔法を使えるらしい。
部屋の真ん中には背もたれの無い椅子が置かれ、その前に四角柱上の木製の台座。台座の上には青い絹布の覆いが被された球体がある。水晶球だろう。
うながされてイリアが椅子に腰かけると、僧侶は鉄扉を閉めて錠をかけた。
「まず確認しますが、名前はイリア君ですね? 14歳で間違いない?」
「はい」
絹布の覆いが取り払われ、水晶球が姿を現した。人の頭よりも大きな、氷のように透明な球。宝石の知識が豊富ではないイリアだが、本物の水晶だった場合、魔道具でなくともかなり高価になることはわかる。
だがこれはあくまで人工的に作られた物である。製造法は生産地であるボセノイア共和国でも最高機密らしく、そもそも水晶と同じ材質であるかも怪しい。部屋の左右のロウソクの灯りを受けて、『水晶球』の中で細かい塵のようなものが煌めいた。数えきれないくらいたくさんの、極小の金属片のようにも見える。
「私の名はアロイスと言います。こう見えてレベル40の【マナ操士】ですから、魂起こしは1刻半もかかりませんよ」
イリアは少し驚いた。一般に大人と認められるのがレベル20で、戦士団の正団員になるなら30はは必要。40以上なら隊長候補だ。
アール教の内部で【マナ操士】を持った僧侶がどう地位を上げていくのか、イリアはまったく知らない。だが、言ってはなんだが王国の中では田舎と言っていいベルザモック州の、北の果てに近いグラリーサの教会にそんな高レベルの僧侶が居るとは思っていなかった。
改めて僧侶の男の顔を見た。年齢は36歳の父よりも10歳ほど上だろうか。ぼさぼさの栗色の髪には白髪が混じり、薄暗がりの中でも無精ひげが生えているのが分かる。人格に問題があるようには見えないが、目元の表情にあまり覇気を感じられない。
出世争いに負けて飛ばされてきたのかな? などと世間知らずながら思うイリアであった。
「儀式中、水晶球に両手を接触させたままで1刻半の間身動きがとれません。大丈夫ですか?」
「あー、はい……」
グラリーサに入る前に街道脇で小便をしているので、尿意は問題なかった。椅子を水晶球の台座に近づけて、腕を伸ばさなくても触れ続けられるようにする。
「イリア君が信徒でないのは知っていますが、一応教会で魂起こしをするので祈りの言葉をお願いします。読めますか?」
アロイスが横に避けると、水晶球の向こう側の壁に装飾された板が看板のように掲げてあり、大きな文字で簡単な文が書かれてあった。
「……魂を司る、偉大なるアールの神よ。大氾濫を試練と知り、人の子として御心に適う行いを、誓います。悪に打ち勝つ力、アビリティーを我に与えたまえ……」
アロイスは頷き、水晶球の上に右手を置いた。イリアは脇を閉め、両手で水晶球を挟み込む。
「それでは、始めます」
急に、水晶球の表面が硬さを失い、手のひらに吸い付いたような感覚が起きる。イリアは驚きで手を離してしまうところだった。
聞き取れないほどの小さな声で何かつぶやきながら、アロイスは目を閉じている。
水晶球が柔らかくなるはずもなく、あくまで錯覚だとわかったが、14年の人生で感じたことのない感覚がイリアの両腕に走っている。例えるならば温度の無いお湯を自分の両手が吸い込んでいるというような感触。温かくないのに、水ではなくお湯なのだ。
不快ではなくむしろ心地よい感覚。そのまま、数分間そうしていたら新たな現象がイリアに起きる。
頭の芯に生じた刺激は甘い痺れだ。意識が勝手にその正体をさぐろうとするが、正確な位置を感じ取れない。
頭と首の間であるように感じられ、そうかと思えば両目の間のようにも。頭蓋の中のあちこちに刺激を感じ始めてしばらく、今度は胸の中に刺激が生じ、心臓の鼓動に合わせるように脈打つ。
痺れのように感じられるのに、体が動かなくなるような不安は無い。むしろ波のように広がっていくその刺激は、だんだんとイリアの意識と同調していくようだった。
不思議な感覚に身を任せている間、どれくらい時間が経ったのかわからない。アロイスは目を閉じたままで微動だにしていない。立ったままで疲れないのだろうかなどと、仕様もないことを考えていてイリアは気づく。
金属質のきらめきを放つ、水晶球の中の塵。個体の中に埋め込まれているなら動くはずのないそれが、動いている。
もしかしたら魂起こしが始まった時から動いていたのかもしれないが、ともかく。
暗い室内に差し込む日光の中で空気中の埃が舞うのが見える時のように、目の前の透明の球体の中で、煌めく塵がゆっくりと漂う。
内側が液体なのか? だが外側は確かに個体なのに境目が見えない。イリアの理解を超えた現象。まさに魔法の道具だ。
金属質の塵はだんだんと、中心部に球形にまとまっていく動きを示す。
イリアの全身に広がる甘い刺激は、だんだんと温かみのような感覚に変わってきている。最初に感じた温度の無いお湯の感覚だ。両足の先まで届き、体の表面、皮膚に纏わりつくように広がる。
それまで体の芯の方に向かっていた意識が、徐々に皮膚感覚にとって代わる。肌に触れる服の感触が新鮮によみがえり、くすぐったさがある。数分してそれに慣れると、いつの間にか刺激は消え去り、昨日までと変わらないような普通の気分が戻ってきた。
「よし、定着した」
「え?」
「あぁ、手を離さないで」
アロイスは水晶球をのぞき込んでいる。金属質の塵はもう塵ではなく、水晶球の内側にもう一つ、金属の球があるかのように虹色の光を反射していた。
何度ものぞき込む方向を変えつつ、アロイスは「ん?」とか「おや?」とか呟く。
イリアも虹色の光に目を凝らしてみたが、何も分かるはずはなかった。
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