第5話 羊

 一昨年の4月、イリアはギュスターブに『適性試験』を課されている。

 本来は「白狼の牙」への入団を希望する30レベル以上の大人に課す試験だ。それも、どちらかと言えば見込みのなさそうな者を不合格にするための試験である。


 深夜に街の南西の端にある建物に連れていかれたイリア。建物は森で狩られた魔物の死体の解体所であったが、血のしみ込んだ地面の上に縛り上げられていたのは生きたままのつのザルだった。

 大人なら片手で使う中型の片刃剣を渡され、首を切り落とすようにと父に言われた。


 低級とはいえ魔物である。マナの影響を受けたその首は普通の獣のそれより強靭になっている。剣術の基礎はある程度訓練させられていたが、まだ12歳にもなっていないイリアに簡単に切り落とせるはずはなかった。

 本来は一撃でなければば失格になる試験だが、何度切りつけても良いとギュスターブは言った。しかし、問題はそういうことではない。


 角ザルは額に一本、大人の指ほどの長さの角が生えたサルの魔物である。大きさは個体差があるが、用意されたものはちょうどイリアと同じ程の体格だった。体毛が存在せず、全身灰色の皮膚が露出している。

 知られている全ての中で、最も人間に近い見た目の魔物が角ザルだ。


 人間に近い見た目の魔物を使うのは受験者に対する嫌がらせのためではない。

 ノバリヤがあるベルザモック州は、東側でラハーム教自治領と接している。自治領は東方のラウ皇帝国に所属しており、チルカナジア王国と皇帝国は過去何度か大きな戦争を繰り広げている間柄だ。不可侵条約を結んでから70年以上大きな衝突は無いが、決して友好関係にはない。


 北東部の戦士団には有事の際に王国軍の先陣に立って戦う役割がある。「人間に似ている生き物は殺せない」などという甘えはベルザモックの男には許されていないのだ。



 キヒィーキヒィーと鳴き、黄色い歯をむき出しにする角ザル。丈夫な獣毛の編み綱で手足を縛られ、膝と首を結び付けられた魔物はイリアの足元にうずくまっている。唯一自由に動かせる首から上をめぐらせて、イリアをにらみつけた黒い瞳。

 父の側近の一人が持つ松明たいまつの火が反射する。


 片刃剣を振りかぶり、震える呼吸を飲み込んで、振り下ろす。

 加えた一撃は角ザルの頸骨けいこつに直撃して止まった。

 もう一度切らなければいけない。今度は、もっと強く。

 片刃剣を引き抜いた瞬間、飛び散った血がイリアの顔にかかる。角ザルは張り裂けるような大声で鳴いた。その声音に、イリアは確かに苦痛と憎悪の感情を聞き取ってしまった。

 剣を振りかぶったままイリアの体は細かく震え続け、動かなければいけないという意思に反し、何かを守るように徐々に縮まっていく手足。

 1分間もそうしていただろうか、ギュスターブが自分の腰の剣を抜き放って角ザルの首をねた瞬間、イリアは嘔吐していた。




「あの時何に焦っていたのか、私自身がよくわからない。ともかくあんなことは、するべきではなかった」


 イリアは当時の父のその焦りの原因について心当たりがあった。


 自分向けの本を読み切ってしまった時、ハンナが父に買わせた学者向けの本に手を付けることがあった。ゆっくり繰り返して読んでも、イリアには半分ほどしか内容が分からない。

 それらの中でなんとか全部読み終えられたのは『デュオニア国立研究処刊・最新学説と解説』という外国の論文集だった。

 掲載されている論文の中の一つ、3年前発表された『アビリティー種決定の心因仮説』という論文は簡潔かつ興味深い内容だった。


 アビリティーは親から子に遺伝したりはせず、どの種類のアビリティーが目覚めるのかは偶然によって決まると信じられてきた。だがアドリアン・カレットという学者の発表したその論文は何百年も疑われなかった常識に異を唱えている。

 子供が『魂起たまおこしの』を受けてアビリティーに目覚める時、本人の成育歴や生まれ持った性格によって、獲得されるアビリティー種に無視できない傾向が表れるというのだ。


 すなわち、武術を用いて戦うことに興味を持つ子供は『武技系』のような戦闘的なアビリティーに目覚め、どちらかと言えば学問の方を好むような子供は『魔法系』に目覚めることが平均よりも多いという内容。

 似たような話は、それまでにも迷信じみた教育論の中で言われていた。しかし、そもそも人間の性格などという曖昧なものがまともな学問研究の題材になることは無かった。


 アドリアン・カレットの研究は、決してただの感覚論ではない科学的な理論に基づいてなされている。10年以上の時間をかけて数千人の子供に聞き取り調査を実施。体格や筋肉量の測定、学力試験も合わせて一人一人の性格傾向を数値化。『魂起こし』後、子供たちに目覚めたアビリティー種別と数値を照らし合わせて検証する。

 結果を見れば、アビリティー種が完全な偶然によって決定されるわけではないことは明白であった。


 論文そのものを読んだのかは知らないが、ギュスターブも『アビリティー種決定の心因仮説』の内容をどこかで知ったのだ。ギュスターブがそれを信じるのは当然と言える。何しろ自分の一族が証明しているようなものであった。


 150以上の種類があるアビリティーの中で武技系に分類されているのは38種類。全アビリティーの約4分の1が『武技系』ということになる。

 【能丸】の発現率がおよそ百人に一人であるように、全てのアビリティーの発現率が一定という訳ではないが、単純に考えれば武技系のアビリティーが発現する確率はだいたい4分の1だろう。

 対して初代エミールの血を引く「白狼の牙」頭領家一族は、半分ちかくが武技系に目覚めている。魔境のほとりに住み、子供のころから武術を鍛錬して前衛型の戦士を作り上げようとする教育。

 まさしく生育環境がアビリティーの発現傾向に影響を与えた証拠と言える。


 一族のアビリティーの偏りが完全に遺伝的な傾向であれば、まぎれもなく頭領家一族であるイリアも武技系に目覚める見込みはあった。だが、そうではないと知ったからギュスターブは焦ったのだ。

 8歳の時に起きた事件によって剣をふるうことに消極的になったイリアが、書物を読み学問を好むようになってしまった。

 多少強引でも魔物を殺す経験をさせることで、狩猟本能や闘争本能のようなものを目覚めさせようというのがギュスターブの目論見だったに違いない。「頭領家の男子として立派な戦士たれ」という期待の表れともいえるが、それは完全に裏目に出た。


 酷い結果に終わった適性試験から一年ほどの間、イリアは刃物を手に取ることすらおぼつかなかった。木剣を用いた剣術の訓練も止めてしまったが、日常生活を送るためのナイフの使用などは少しずつ、努力して体を慣らしていった。

 板駒戦戯を自作するという試みもその延長で始めたことである。


 そして、現在。14歳になったイリアは自分が『武技系』のアビリティーを得られるとはまるで思えなかった。むしろそうならないこと願ってすらいる。

 刃物が手に取れるかという問題どうこう以前に、自分が戦士として魔物を狩る姿を想像できなくなってしまっていた。




 スドニ丘陵へ登っていく道はメスケラ川の北岸をさかのぼるるように伸びている。雪解け水も少なくなった今の季節は水深が浅く、川幅は10メルテも無い。

 大陸を東方と西部に分けるボルガリア川のような大河に比べれば、メスケラ川など小川と言って差し支えない。深みに巨大な水棲魔物が潜んでいるという危険も無いので、人間の生活圏内にあっても脅威は小さい。

 標高が高い場所はマナが濃く脅威度の高い魔物が住むというが、スドニ丘陵は一番高いところでも平地との差はせいぜい200メルテほどらしく、その影響もほぼ無いだろう。

 太陽は中天からまだ少し東側にある。数キーメルテにわたる坂を登り切ったのか、道は再び平坦になってきた。昼までにはグラリーサの街に到着するだろう。


 向かう先、右手。草原の向こうに羊の群れが見えてきた。魔境のほとりであるノバリヤ周辺では放牧はあまりされないが、この辺りでは盛んに行われているようだ。

 白茶色の雲のように見える羊の群れ。百匹以上はいるだろう。大きな日よけ帽を被った羊飼いが先の曲がった棒ではぐれた羊を引き戻している。同じような帽子をかぶって近くを走り回っているのは羊飼いの子供だろうか。

 魔物の危険が少ない地域では小さな子供が遊びのために街を出ることもあるのかと、少し羨ましく思うイリアだった。

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