3「キミは優しいんだね」

「水上、少し遅れるってよ。電車の遅延だって」


 合コンの当日、午後四時五十分。吉祥寺駅の改札前で、スマホのチャットアプリを見ながら達巳が言った。


「ほら、これ」


 言いながら、沢渡に水上とのチャット画面を見せつける。


達巳『何時の電車?』


ミズカミカズミ『悪い!電車遅延で遅れそう!ぴえん(泣)』


「ぴえんじゃないよ」


 沢渡はため息をついた。それから、自身もチャットアプリを操作しながら、画面から目を離さずに言う。


「むこうさんはもう店着いてるって。先入っといてもらうわ」


「マジか。どうする、水上置いて行くか?」


「いや、もう少し待ってみよう。あいつが店の場所分からないと面倒くさいし……」


 そんな会話をする二人の元に、水上から追いメッセージが届く。


ミズカミカズミ『ちえん(泣)』


 二人は、先に向かうことにした。


 駅から目的の店まではそう遠くない。速歩で行けば十分もかからないだろうと沢渡が言う。光溢れる繁華街の人混みを縫うように歩きながら、達巳は尋ねた。


「今日来るのって、どういうやつらなんだ?大学生だよな?」


「ああ。俺らの大学から、二、三駅くらい行ったとこに女子大があるだろ?そこに通ってる子達だよ」


「女子大の連中か……」


 達巳が怪訝そうに呟く。


「極端に男慣れしてないか、めっちゃ遊んでるかの二択だな……」


「ほんと偏見強いねやっちんは。そんなんじゃ嫌われるぞ」


「うるせ。言うだけで自由だろうが。つーか沢渡さ、女子大の知り合いなんかお前一体どこで……」


 会話の途中で、達巳は口を閉じた。目的の居酒屋チェーン店の前に立つ三人組に気づいたのだ。そのうちの一人が、沢渡を見て大きく手を振った。


「おーい、こっちこっち!」


「川澄さん、すみません遅れちゃって」


 頭に手をやって謝罪する沢渡。達巳からの視線に気づいた彼は、小声で「バ先の先輩」とだけ説明した。それから再度、川澄と呼んだボブカットの女性に視線を戻して言う。


「というか、先入っててくれて良かったのに、わざわざ待ってたんですか?」


「あっはは、それがさー、まだ席準備できてなかったっぽくて。今の時間忙しいんだねー。お店の人も大変だ」


 そう話しながら爽やかに笑う彼女のすぐ隣に立つ、いわゆる『ゆるふわ系』と呼ばれそうな風貌の女子が川澄のみを見て明るく言った。


「私たちが早く着きすぎちゃったかもですね〜」


「どれくらい前からいたの?」


 沢渡が尋ねる。ゆるふわ女子は、一瞬ちらりと沢渡を見たあと、無難な笑顔のみで彼の問いに答えた。それからまた川澄へ視線を戻して話を続ける。


「そういえば先輩、前行ったお店でも待たされたじゃないですか〜。ほら、あのタイ料理屋さん」


「ああ、あったねー……って、その時はあんたが予約忘れただけだよね?」


 達巳達には分からない会話で盛り上がり始める女子二人。達巳は視線の居どころに迷って、とりあえず沢渡を見た。その沢渡はと言うと、話をする女性陣二人の陰で一人携帯を弄る黒髪女子に目を向けていた。


「川澄さん。彼女は?」


 沢渡が問う。川澄は会話を止めて、朗らかに答えた。


「そういえば、裕己くんは会ったこと無かったっけ。前話した『ゆずちゃん』だよ」


「ああ、なるほど」


 一瞬達巳へ目配せしてから、独り言のように、沢渡は呟いた。


「じゃあ俺らと同級生だ」


 『ゆずちゃん』と呼ばれた黒髪女子は、一瞬目線を携帯から外して達巳達を見ると、軽く会釈してまた携帯に戻った。その表情はひどく不機嫌なものに達巳には感じられた。ふと視線を感じて横を見ると、川澄の興味深げな目が達巳を見つめていた。


「で、この子が例の?」


 沢渡に問う。沢渡は無言で頷く。川澄はまた爽やかな笑顔を浮かべて達巳へ言った。


「よろしくねー『やっちん』くん」


「はあ、どうも」


 無愛想に答えた後も、相変わらず注がれる好奇の眼差しに達巳は少し困惑する。沢渡のやつ、一体どういう風に俺のことを話したんだ、などと勘繰っているうちに、席の準備が整ったらしく、一行は店員に導かれて店内に入った。


 席につき、とりあえずは飲み物と(その場にいない水上の分は沢渡が日本酒を頼んでおいた)、それから軽いつまみ程度のものを注文した後、簡単な自己紹介の流れが始まった。


 以下は今回参加した女性陣のそれぞれの名前と、達巳から見た印象だ。


 川澄かわずみ すぎな:沢渡のバイト先の先輩。俺達より一つ年上。明るく爽やかな笑顔が特徴的な社交的なタイプ。万人から好かれる感じ。友達多そう。美人。


 伊武いぶ 明音あかね:川澄の大学の後輩で、一年生。つまり俺達より一つ下。ゆるふわ系であざと可愛い。モテそう。やたらと川澄にベタベタしている。あまり俺らと話そうとせず、値踏みするような目でこっちを見てくる。腹黒そう。


 竜胆りんどう 柚巴ゆずは:川澄の大学の後輩で、俺らと同級生。他の二人と違って髪を染めたりいじったりしてない、シンプルなミディアムヘア。服装がかっこいい。中性的で女にモテそう。無愛想で会話に参加しようとしない。ちょっと訛ってる。


 達巳の偏見や思い込みが多分に含まれているが、三人の評価はこのようなところである。それから注文したものが来るまでの少しの間、主に川澄と沢渡を中心として軽い会話が交わされる。その内容から、川澄、伊武、沢渡の三人が同じサークルのメンバーでもあるということが分かった。


「どういうサークルなんだ?インカレだろ?」


 沢渡に向かって達巳が問う。それに対して、川澄が嬉々として答えた。


「ボランティアだよ。公園の掃除したり、募金の呼びかけしたり。最近だと、施設の子ども達の前で劇をやったりとかね」


「その劇の脚本、沢渡さんが書いたんですよ」


 伊武が付け加える。それからまた川澄に視線を戻してニコッと笑った。


「先輩がサークルの部長ですもんね〜」


「部長?」


 サークルならばサークル長ではないのか、という疑問を飲み込んで、達巳は聞いた。


「川澄さんが運営してるんすか」


「そんな偉そうなもんじゃないけどさ。一応、私が代表って感じかな」


 そう言って、川澄は照れくさそうに笑った。


 やがて飲み物が運ばれてきたちょうどそのタイミングで、水上が合流する。彼の第一声はこれだ。


「おいっす!皆盛り上がってるか〜?皆さんお待ちかね、水上和己の登場だ!ミズカミカズミ。前から読んでも後から読んでもミズカミカズミ。表裏のない男。裏表のない男。『ミズカミカズミ』。よろしく‼︎」


 沢渡が、メニュー表で水上の頭を引っ叩いた。川澄だけが声を出して笑ってくれていたが、おそらく気遣いによるものだろうと、達巳は確信していた。


 席について、皆がそれぞれ飲み物を手にしているのを見て、水上はメニュー表を開いた。


「悪いね!待たせちゃって〜。さてさて、俺はなに飲もっかなー」


「バカ。お前のはそれだよ」


 達巳が水上の目の前に置かれたお猪口と徳利を指差した。一瞬真顔になった後、顔面に微笑みを湛えて、水上は言う。


「達巳ったら冗談きついぜ」


「一気飲みな。遅れた罰だ」


「お前!たっちゃんそりゃアルハラってやつだぜー!時代に合ってないって!アルハラ!後から読んだらラハルア!なんだろう、ちょっとかっこいい。助っ人外国人みたい」


「あの、乾杯しませんか?」


 繕ったような笑顔で伊武が言った。その声は笑っていなかった。


 手早く乾杯を終えた後、水上を交えて再度軽く自己紹介をする。谷地やち達巳たつみ沢渡さわたり裕己ひろみ水上みずかみ和己かずみの三人の名前を連続で聞いた川澄は、少し面白そうに呟いた。


「え、みんな「〜み」なんだ」


「お、よく気づいたね!さすがお目が高い!」


 お猪口の中身をぐいっと飲み干し、箸を扇子のように持ってパシッと卓上を叩くと、水上は落語家のような口調で語り出す。


「たつみ、ひろみ、かずみ、我ら『三み一体』と呼ばれた三人が、如何なるきっかけで運命の出会いを果たすに至ったか、それには一言じゃあ語れない長〜い因縁が……」


「誰が『三み一体』だバカ」


「授業前にお前がやっちんにぶつかって『飲むサツマイモ』をぶち撒けたのがきっかけだろバカ」


 達巳と沢渡が交互に言った。この流れは割とウケが良く、川澄だけでなく伊武も笑っていた。竜胆は一人、相変わらず不機嫌そうな顔でただ見ていた。


「あはは、あれ、というか君たちって幼馴染じゃなかったっけ」


 笑い終えてから、川澄が不思議そうに沢渡を見る。沢渡はハイボールを口にしてからゆっくり答えた。


「それはやっちんだけっすよ。水上は大学から」


「そうなんだ。子供のころはどんな子だったの?やっちんくんは」


 ニッと笑って、達巳を見る。本当に沢渡は俺をどう紹介したのか、と達巳は訝しんだ。すでに真っ赤に出来上がった水上が、高らかな声を上げた。


「はいはーい!俺も気になる!どーだったん?あの子とクラスメイトだったんだろ?ほらあの子!」


「どの子?」


 川澄が小首を傾げる。その挙動と、ピンクがかった顔の色から、彼女もそれなりに酔っているらしいと達巳は気がついた。


 それよりも、話が面倒なことになりそうだと気づき、達巳は水上の言葉を塞ぎにかかる。


「俺らの昔話なんか良いんだよ。それより、皆の好きな猫の仕草とか……」


「桜乃真希!」


 テーブルをパシッと叩いて、水上が叫んだ。


「正解は、桜乃真希!あの子と仲良かったんだろ?」


 一人不機嫌そうにオレンジジュースを飲んでいた竜胆が、顔を上げて水上を見た。その横に座る伊武もまた驚いたように聞く。


「え、マジですか?」


「仲良かったっていうか……クラスメイトだった。小五の一時期だけね」


「そうなの⁈それ初めて聞いたよ」


 川澄も目を丸くして沢渡に言う。それから横目に竜胆を見て、ニヤッと笑った。


「ゆず、色々聞いてみなよ。さくマキちゃんのファンだもんね」


「おう!ゆずちゃん、なんでも答えるぜ!達巳が!」


 我が事のように水上が言った。達巳が「なんでだよ」と小声でぼやきつつ、ふと前を見ると、竜胆が達巳の顔をまじまじと見つめていた。


「桜乃真希ちゃんてどげん感じの子やった?」


 ハキハキとしたよく通る声で竜胆が尋ねた。滑舌が非常に良く、聞き取りやすい声だ。声優とか向いてそうだな、などと考えた達巳に向けて、催促するように彼女は言う。


「谷地、聞いとうと?」


「……初っ端から呼び捨てかよ」


「ああ、ごめん」


 竜胆は一瞬視線を右上に向けて考えてから言い換えた。


「谷地様。桜乃様はどういう方でございましたか?」


「そこまでしなくて良いわ!お前、案外面白いやつだな⁈」


「お前とか言うな」


 今度は竜胆が苦言を呈する。達巳は訂正した。


「お前様!」


 それから、一度深くため息をつくと、ボソボソと話し始めた。


「別に、仲良かったわけじゃねーよ。仲良かったわけじゃねーけどさ。まあクラスメイトだから、多少は話したよ。どんな感じだったかって?まあ、人見知りっつーか、引っ込み思案っつーか。暗いやつだったかな……。前髪が長くてさ。目の辺りを隠してんの。んで、ある時、話の流れで……っつーか、若気の至りってやつかな。俺がその前髪の中見ようとしちゃってさ、泣かしちゃって。もちろん、ちゃんと謝ったよ!いや、まあ、で、そうだな。その後、俺らのクラスでやることになった劇に、あいつが立候補してさ。驚いたよ。あいつ、あの当時から演技が上手いのなんのってさ。天才?…………まあ、天才っていうか、努力の賜物なのかもしれないけど。でも、声が小さくてさ。ビビりだったし、引っ込み思案だったから。人の前で大声出すのが苦手で。信じらんないだろ?今からしたらさ。でもその時は、声も出ないし目元も出さんし。そんなんでどーすんだよって思ってたんだけど、まあ、なんとかなって。劇でも凄かったよな。やっぱ。そうそう、その劇の監督が沢渡だったよな?そう。ま、大した劇じゃ無かったけどさ。でもやっぱあいつの演技はすごかった。うん。俺も感心しちゃったね。あの時から、俺は、あいつは将来有名になるって見込んでたね。やっぱ、分かってた。俺にはさ。あいつの凄さは誰よりも早く分かってたと思うよ。だから、それから何年後かにテレビ出てるの見てさ、驚きゃしなかったよな。あー、やっぱり?って感じ。分かってたから。俺には、ああ。昔っから分かってた。あいつはできるやつなんだって分かってたから。特に驚いたりは無かったね。むしろ、やっと来たか、って感じ。小坊の時はめっちゃすげぇって思ったけどさ、テレビ出たての時はむしろ微妙だなって思ったね。やっぱりテレビ出てる役者って化け物ばっかなんだろうな。そん中にいたから、まだまだだなって思って、でも、こっから、あいつなら全然やれんだろ!って思って見てたら、あいつもそれに答えてくれて、あれよあれよと言う間に有名になっちゃってさ。最近なんか何?なんか賞取っちゃってたよな。詳しくは知らないけどさ。なんかすげーやつ。俺も、それ聞いて誇らしかったよ。さすがだなって。ま、分かってたけどな。あいつテレビのバラエティとかもたまに出てるけど、やっぱなんつーか、硬いね。多分根の部分は変わってないんだろうな。今でも人見知りのままだと思うぜ。それでも頑張って上手くやってんだから、成長したなって、テレビで見るたびに嬉しくてさ。いや、まあどうでも良いけど、たまに雑誌の取材とか、テレビでのインタビューとかあるじゃん?そういうの見てると、なんか取り繕ってるっていうか、カッコつけてるっていうか、やっぱ素を出せてはいないなって思うね。世間で言われてる桜乃真希評って、結構的外れだぜ。実際、そんなスター然としてたり、セレブっぽかったりな性格では無いって、ほんとに、フツーのやつだよ。それこそ同年代の俺らと変わらん、ただの女子。ちょっと人見知りで引っ込み思案なだけの普通のやつだよ。みんなあいつを神聖視しすぎだって。根はふつーのやつだから。でも、頑張ってる。ああ。それはほんと頑張ってると思う。俺も勇気もらえるよ。あいつが頑張ってんだから、俺もちょっとはってね。……とはいえ、まあ、実際のとこあいつのポテンシャルはまだまだこんなもんじゃないと俺は睨んでるね。まだまだ成長の余地は全然あると思う。分かってんだから。こんなもんじゃねーってのは。もっと、俺らの想像を超えてくれるって、俺は信じてっから。だから見守ってるよ。これからもね。あいつの今後の成長に期待して、見守ってるさ……」


「ばりウザ……」


 小声で吐き捨てるように、竜胆が言った。よく通るその声が達巳の耳を通って心に届く。達巳の口は止まった。


 ふと見ると、竜胆は達巳から視線を逸らして、不機嫌そうな表情でもろきゅうを齧っている。顔に手を当ててうなだれていた沢渡が、諭すように達巳へ言った。


「もう分かったから、一旦止まれ」


「いやあ、それにしても桜乃真希ちゃんが大好きってことは凄く伝わったな〜」


 川澄が、苦笑いながらも明るく言った。その横では伊武が無関心といった様子でスマホをスワイプしていた。水上が、泣きながら達巳に言う。


「たっちゃん!俺、もう二度とこの話題をお前に振らない!」


「な、なんでだよ⁈」


 それから話題は移り変わり、たわいもない談笑が続く。時間が経つごとに酒が周り、皆の口も周り出す。アルコールの効果によって初対面の緊張がほぐれて、心の堰もとかれてゆく。


 それが悪いこととは言わないが——達巳は心中呟いた。悪いこととは言わないが、俺は嫌なんだよな。初対面だろうが、旧知の仲だろうが、酒の力で心の中を、普段は口にできないことを語るという流れは、達巳はあまり好まなかった。


 故に、このような飲みの席においても、彼は必要以上に飲もうとしない。自分の堰が緩くなるのが嫌なのだ。


「あれ?谷地さん?お酒が進んでいませんよー?」


 おかわりを頼もうと、注文の機械を手に取った伊武が、煽るように言う。彼女の言う通り、達巳は一杯目のウーロンハイをまだ半分も飲んでいなかった。


「こらこら、年上にアルハラしないの」


 半笑いで嗜める川澄。その彼女もまた顔をほんのり赤らめて、どこかふわふわした口調で話していた。


「やっちんくん〜お酒弱いの?」


「弱かないだろー?一度も吐いたこと無いんだぜ!酒豪酒豪!」


 完全に仕上がった水上が言う。彼はあっという間に日本酒を飲み干して、今は三杯目のレモンサワーに口をつけていた。


「たっちゃんの実力、まだまだこんなもんじゃ無いだろー⁈君の本気を見てみたい!はいもう一杯!」


 そう言って、自身が飲んでいたレモンサワーを達巳に押しつけた。


「おい、テメェの飲みさしを渡してくんなよ」


「遠慮すんなって!俺は別の頼むからさ!」


「遠慮じゃねぇ。拒否ってんだ!」


 達巳の苦情を聞き入れず、水上は伊武と共にさらなるおかわりを注文した。それが届くまでの間、悪酔いした二人はやはりグラスに口をつけようとしない達巳へ絡んでいく。


「見てください!周りを!みんな飲んでるでしょー?こーゆー場なんですから!交友の場なんですから!空気読まないと!」


 周囲の客を指差しながら、伊武が言う。


「英語で言うと、TPOですよ〜」


「TPO?TKGの間違いじゃね?」


 水上の余計な合いの手が挟まる。伊武がつっこんだ。


「それ、卵かけご飯!」


 言い合って笑う二人を、達巳は冷ややかな目で見ていた。それとは逆に、楽しそうな顔で二人を見守る川澄が、小さく達巳に声をかけた。


「ごめんね〜。あの子、飲むとこうなっちゃうから……。お酒の上の会話だと思って、気にしないでね」


「はあ……」


 達巳はため息混じりに返事した。だったら初めから飲まねぇ方が良いんじゃねぇか、と思う。


「見てください!沢渡さんのこの勇姿!」


 そう言って伊武は、いびきをかいて眠りこける沢渡を指差した。ハイボールグラス半分でこれだった。


「……醜態の間違いだろ」


 達巳は一人呟いた。


 ふと、伊武の隣を見ると、竜胆がオレンジジュースをちびちび飲んでいる。達巳は彼女を指して言った。


「こいつはどうなんだよ。さっきからアルコール一滴も飲んでねーぞ」


「ゆずは良いんだよ」


 ヘラヘラと笑いながら、川澄が言う。伊武も頷いた。


「ゆず先輩は良いんです」


「そうそう、良いんだよ」


 何も知らない水上も同調した。伊武が人差し指を立てて解説するように言う。


「ゆず先輩はシード枠ですから」


「なるほど、強豪か!」


 何を納得したのか、ポンと手を打って水上が笑う。達巳は噛みつくように声を上げた。


「いや、こいつ優勝する気ねぇだろ?」


「こいつとか言うな」


 竜胆がぼやく。それからまたジュースを一口飲んでボソッと呟いた。


「あたしお酒嫌いなんよね」


「弱いのか?」


 竜胆はゆっくり首を横に振った。


「逆。あたし、うわばみやけん」


 つまりは『強豪』というわけか——達巳は適当に話を締めた。


「……さすがシードだな」


 さらに時間が経ち、水上と伊武が男女の恋愛観論争を始めた横で、川澄がだらだらと達巳に語る。内容はなんてことのない雑談だが、やがて流れは彼女の所属するボランティアサークルの話題にたどり着く。


「一応、うちのサークルもSNSアカウントあるんだよ。ちょっとした活動報告とかもしてるから、良かったらフォローしてね〜」


「はぁ」


 フォローする気は無かったが、多少の興味もあったので調べてみると、確かにそれは見つかった。どこどこで何をした、とか、実際の様子を写した写真などが上げられており、それらを見るに、意外にもちゃんと真面目な活動をしているのだな、と達巳は思った。


 少し気になった点は、どの投稿もコメント欄が閉鎖されているという点だ。それについて聞いてみようかどうか迷っていると、急に川澄がテンションの高い声を出した。


「あ、やっちんくんもそのカバー使ってるんだ!」


 そう言って、川澄は達巳のスマホと自身のスマホを交互に指した。彼女の言う通り、二人とも同じ色で同じ模様の、手帳型のカバーを使っている。


「良いよね、これ、オシャレだよね〜」


「はあ、まあ……」


「機種も同じだし、ほら、こうして並べるとどっちがどっちか分からないよ」


 乱雑なテーブルの上で、達巳のスマホの横に自身のものを置いて、ニッと笑う。いったい何がそんなに嬉しいのやらと冷めた目でそれを見る達巳の顔を、しばらく川澄は上目に見つめていたが、やがておもむろに口を開いた。


「ねー、やっちんくん、うちのサークル入らない?一緒にボランティアしようよ〜」


 眠そうな目で腕を枕にし、卓上に頭を寝かして話す川澄を、達巳は呆れ顔で見下ろした。


「いや、俺そういうの興味ないんで」


「そうなの〜?どうかな、そうは見えないけどな〜。でも、ほら、さっき聞いたら水上くんも入るって言ってたよ。あとは、キミだけー」


 ふわふわした口調で笑いながら話す彼女のその言葉に、達巳は顔を顰めた。


「……まさか、今回の飲みの目的ってそれっすか?サークルの勧誘目的で……」


「あは、バレた?」


 川澄は困ったように笑った。達巳は深いため息をつく。


「ったく……マルチの勧誘じゃないんだから。普通に心象悪いっすよ、それ」


「ごめんね〜。でも、勧誘っていうか、ふつーに友達作りたかったのは本当。キミの話は前から聞いてたし、会ってみたかったんだー」


 そんな川澄の話を聞きながら、ふと達巳は斜め前あたりから視線を感じる。どうやら、スマホをいじっていた竜胆が、こちらの会話に聞き耳を立てているらしかった。しかし、そのようなことは今の達巳にとってはどうでも良かった。


「沢渡は、いったい俺をどう紹介したんですか」


「えっとね〜めっちゃ人助けが好きそうな人って感じ」


 誤魔化すように川澄は言った。達巳はまたため息をつく。


「結局勧誘じゃねーか」


「あはは、まぁね〜。でも、やっぱりキミは素質あると思うんだ〜。私の勘がそう言ってる。長い経験で研ぎ澄まされた、『パラボランティアンテナ』がピクピク反応しているよ」


 だいぶ酔っているらしく、訳の分からないことを言い出す川澄。達巳は面倒くさげに突っ込んだ。


「なんすかそれ」


「キミなら立派な『ボランティアン』になれるよ」


「オリンピアンみたいに言わんでください」


 達巳に返され、くっくっくっと嬉しそうに笑う川澄。段々とうんざりしてきた達巳は、グラスに残ったウーロンハイをぐいっと飲み干した。


「じゃあ、言わせてもらいますけど。はっきり言って、俺、人助けとか嫌いなんすよ。あんなもん、みんな自己満足の偽善だ。俺ほどボランティアに向いてない人間はいないと思いますけどね」


「お、やっと聞けたね〜。キミの本音」


 川澄はニヤリと笑った。


「お酒のおかげかな?」


 その言葉に、一瞬達巳は顔を歪ませる。しかしそれから開き直ると、水上の残したレモンサワーをも一気飲みして、話を続けた。


「人助けってのは、相手を見下す行為だ。そうでしょ?相手を下に見ているから助けようとするんだ。自分より下にいるから引き上げようとするんだ。上にいる人間を引き上げることができますか?本来、人は皆平等であるべきなんだ。それなのに、大学生のお遊び感覚で他人に対して施しを与えるっていうのはこう、人間ってものに対して不誠実じゃありませんか?」


 達巳の頭にもだいぶアルコールが回っている。


「う〜む……」


 少しの間、眠そうな顔で唸って考えた後、川澄はゆっくり返答した。


「キミは、人と人との立ち位置の違いのイメージがさ、なんだろう、山?っていうか、階段?みたいな……いや、近いのはロッククライミングかな。そういう、明確に上下ある絵面で表されてるよね。でも、私はちょっと違う。私の中ではボートレースのイメージ」


「ボートレース?」


「ヨットレースでも良いよ。どっちかって言うと手漕ぎボートが良いかな。とにかく、みんな同じ平面上。同じ水面上にいるんだ。でも優劣はある。先に進んでる人と、遅れて来てる人。そして、たまに転覆する人。私たちボランティアンは……他の人の進むルートを整備したり、たまにオールが流されちゃった人とかにオールを渡しに行ったりとかする感じかな」


 達巳は、自らもその映像をイメージした。それから無言で首を捻り、問う。


「……何が違うんです?」


「多分違うと思うよ。キミの言う通り、ロッククライミング中とかに、自分より上にいる人を引き上げることってできない。でも、先に進むボートの、オールが折れちゃった場合は貸してあげることができる」


 そうか?本当にそうなのか?と、達巳は頭を悩ませた。


「……前にいるやつに、どうやってオールを貸すんです?」


「……投げるとか」


「槍投げの選手か⁈」


 川澄はくすくすと笑った。


「そうそう、そのために私達は鍛えてるんだよ。剛腕をさ」


 彼女の言っていることは達巳からすればただの屁理屈で、論理が破綻しているとしか思えなかった。それでもどこが破綻しているのかを上手く指摘することができない。それはもしかしたら、そもそも自分の言っていたことが論理のない屁理屈だからではないかと思い至り、彼は話題をずらした。


「にしたって、結局自己満足に過ぎないじゃないですか」


「そうだよ。でも、それで喜ぶ人が一人でもいるなら良いんじゃない。誰の得にもならない善心より、一人でも誰かを喜ばせる偽善の方が、良い気がするけどなー」


 その答えに、達巳は何も言えずに黙り込んだ。決して納得したわけでは無かったが、言い返す言葉が浮かばなかったのだ。しかし、何か負けたような気がして、無性に不愉快であった。そんな彼の様子をまじまじと見ながら、川澄はまた笑う。


「あはは、キミもなかなかの捻くれ者だね」


「……だから、人の本音なんて聞くもんじゃないでしょ」


 故に彼はアルコールが苦手なのだ。川澄は少しの間、何も言わずにただ達巳の顔を見つめていたが、やがて漏れ出したような言葉を吐いた。


「キミは優しいんだね」


「は?」


 達巳は怪訝そうな目で川澄を見る。彼女は続けた。


「人の本音や、心の中なんて、誰だって綺麗なわけがない。どんな聖人だって、心の奥に汚い部分もあるよ。キミは自分の心を隠すことで、人の目を汚さないようにしたいんだ」


「……そんな殊勝なもんじゃないっすよ」


 このようなフォローを受けると、身に沁みて彼は思ってしまう。やはり心に内なんて話さなければ良かったと。そのようなことを言わせてしまうくらいなら。


 やがて、良い時間になったということで、川澄の言葉でこの会はお開きとなった。


「裕己くんのことは、やっちんくんが責任持って連れて帰ってあげてね〜。家近いんだもんね?」


 などと、なぜか知られていた住居の位置関係を盾に、いつまでも起きない沢渡を押し付けられて解散となった。


 光輝く夜の街を背景に、川澄が手を振った。


「じゃ、またね」


 無言で降り返しながら、達巳はもう二度と会うことは無いだろうな、と思った。


 それからタクシーを呼び、眠る沢渡を席に押し込んで、住所だけ伝えて送ってもらう。運賃は着いた時に自腹で払わせることにした。割と家が裕福だから大丈夫だろう、との判断だ。


 達巳自身は、駅へ向かうのとは別方向へと一人歩いて行く。頭の中に残ったもやもやを解消したいのだ。何に対してどう思って、何が引っ掛かっているのか、もやの中身を解析するためだ。


 先ほどの居酒屋から歩いてそう遠くない場所に、少し大きな公園がある。池や動物園を併設している、都会のオアシス的な場所だ。


 公園の中は夜にも関わらず、人と明かりで溢れていた。大半は顔を赤くした酔っ払いの集団。大きな声と身振りで、人目も憚らずに談笑している。一人で考え込みたいという達巳の目論みはなかなか果たされない。地元のあの小さな山の、誰も通らない獣道を超えた先にある秘密アジトが懐かしく思い出された。東京の街では、一人きりになることすら難しい。


 人影を避けて歩き続けて、明かりの少ない薄暗い場所へとたどり着く。ようやっと一人になれた達巳の頭の中に、抑揚のない声が語りかける。


——全く。この土地はどこへ行ってもヒトで溢れているね


「そりゃ、大都会東京だからな」


 達巳は小声で返答した。彼の頭の内に聞こえるその声は、達巳にしか聞くことができない声だ。側から見れば、その声との会話はただの独り言として映る。


 声の主——達巳に憑いている白蛇、『白眉』は嘲笑のような言葉を達巳へ向けた。


——それにしても、お前もあの騒々しい輩と変わらないではないか。あれしきの酒で真っ赤に酔ってしまって。まだまだ尻の青い小僧だね


「小僧じゃねぇよ。大学二年だぜ」


——変わらぬ。私からすれば何も変わらぬ


 ずっと黙っていて退屈していたためか、おしゃべりな白蛇は堰を切ったように語り始めた。


——それにしても先ほどの宴は実に滑稽な光景だったよ。


「コッケイなコーケーね……そんなニワトリみたいなこと言われてもな」


——子供達がこぞって強くもない酒をあおり、内容のない阿呆話で盛り上がる。見ている分には愉快ではあるけれどもね


「生意気な奴だな……そういうテメェは酒とか飲めんのかよ」


——侮ってもらっては困るね


 白眉は毅然とした口調で言った。


——宴の席にいた黒髪の娘が自身を『うわばみ』と称していたように、古来から我ら蛇は酒豪の象徴。ヒトの子など到底及ばないほどに、我々は強いのさ


「ウゼェな。飲み屋で酒に強い自慢をしてくる酔っ払いオヤジかお前は」


 ゆっくりぷらぷらと夜の公園を歩きながら、達巳は白眉へ聞いてみる。


「さっきの話……お前はどう思った?」


——さっきの話とは?


「飲み屋で話してた内容だよ。聞いてたんだろ?」


 答えのない問いの解を探すように、藁をも掴むような思いで、達巳は問う。白眉はそう間を空けずに返した。


——下らない会話ばかりで真面目には聞いていなかったがね。お前が桜乃に関して必要以上に長々と一人で話して場の空気を凍らせていた、あの時かい?


「ちげーよ‼︎そっちは関係ねぇ!思い出させんな‼︎……川澄さんとの会話だよ」


——奉仕活動をしているというあの娘か。あの話も大概下らないものだったね


 ふん、と鼻息のような音を出す白眉。実体が無いのに、いったいどこから出た音なのかと、達巳は少し考えた。彼のそんな疑問はいざ知らず、白眉は話を続ける。


——人助けは、相手を見下してないとできないから嫌い、などともっともらしいことを言っていたが、そもそも間違っている。ただの言い訳に過ぎぬ。それはお前の本音では無いだろう?お前はただ、面倒くさいからボランティアなどしたくない。それだけだ


 達巳はバツが悪そうに顔を顰めた。それはまさに、ぐうの音も出ないほどに図星だったからだ。


——お前の、その場しのぎの意味の分からん言い訳を、あの娘はよくまともに取り合ってくれたものだね


 何も答えず、無言のまま、しばらく達巳はただ歩く。その間もまた白眉は一方的に語りかける。


——奉仕活動とは、自分以外の他者のために、無償で働くことらしいな。しかし、ヒトの特性上、完全に無償とは言えないね。ヒトにとっての『利益』とは金銭だけでは無い。他者から受ける評価というものもまた、ヒトにとって大事な利の一つだ。そういう意味では決して無償とは言えない


「そりゃ、人からの感謝の声だとか、頑張って成し遂げた達成感とか、そういうので満足できるやつには向いてるだろうな。でも俺はそうじゃねぇ。やっぱ俺には向いてないよ」


——お前は、口だけは達者だね。それでどうしたいのだ?


 白眉の話が段々と説教じみてきて、達巳は耳を塞ぎたい気持ちになる。しかし脳内に直接語りかけるこの声から逃れる術など無い。


——ヒトの一生は至極短い。その限られた時間に中で驚くほどの偉業を成す者もいれば、何も残さずただ終わる者もいる。大抵は後者なのだろうがね


「……俺も、そっちだろうよ」


 少しの間、白眉は沈黙していた。その静寂が、達巳には酷く心地が悪かった。


——桜乃は役者になったぞ


「だからなんだよ。関係ねぇだろうが」


——たった十年と少し程度の時間で、お前にとって桜乃は関係なくなったのか


 達巳は、ハッとしたように立ち止まった。額に手を当て、深く息を吐いたあと、先程より落ち着いた声で続ける。


「……関係なくはねぇな。向こうからしたらそうかもしれないけど、俺がそれを言うわけにはいかないか。あの桜乃が今や有名な女優だもんなぁ……」


 その言葉を噛み締めるように言って、無意識に口元に笑を浮かべる。


「あいつの夢だったもんな」


 達巳は静かに呟いた。それから公園を出て、駅へと向かう帰り道でも白眉との会話を続ける。


「つまり、桜乃を見習ってお前も頑張れって言いたいのか?」


——余計なお世話だと言いたいだろうね


「まあな。でも、まあ、その通りだよなーとは思うよ」


 爛々と輝く街灯や、飲食店の明かりを横目に見つつ、達巳はまた呟く。


「俺は、何になれば良いんだろうな」


——達巳にとっての『龍』か。それは、待っていても見つかりはしない。探しに行かなければね


「どこ探しゃ良いんだよ」


 そう聞いた直後、ジーパンのポケットに振動を感じて、達巳は手を入れた。スマホのバイブレーション。何かしらの通知が来た時の反応だ。無意識的にそれを手に取り、画面へ目を落とす。直後、違和感を覚えた。


 映し出されたロック画面の背景画像が達巳の知るものとは違う。有名テーマパークのキャラクターの写真であった。


「あ?これ、俺のじゃ無いな⁈」


 それではいったい誰のものか、その検討はすぐについた。達巳と同じスマホカバーを使っている人物のものだ。


「川澄さんのと間違えたか……面倒なことになったな」


 顔を顰めながら、手で髪を掻く。それから何改めてたスマホの画面に目を向けると、先程送られてきた通知内容が目に入った。


 それは、SNSへと送られて来たダイレクトメッセージであった。


『死ね』


 単純明快な言葉が、そこには表示されていた。


「え?」


 達巳の口から驚きの声が漏れた直後、バイブレーションと共に追撃するような通知が入る。


『川澄すぎなは人殺しの娘』

『悪魔の子』

『くたばれ』

『地獄に落ちろ』

『偽善者』

『嘘吐き』

『死んで償え』

『生きる価値ない』

『のうのうと生きてる恥知らず』

『キショい』

『頼むから死んでくれ』

『血が呪われてる』

『ゴミ』

『八方美人の尻軽女』

『クソ×××』

『売女』

『穢らわしい』

『殺してやりたい』


 スマートフォンが振動すると共に、次々とそれらの罵詈雑言と呼べる言葉が送られてくる。


「おい、おいおいおい……」


 達巳の額に冷や汗が流れた。


『お前の家、特定した』

『今夜殺しに行く』

『警察に連絡しても無駄だ。お前みたいなやつのために警察は動かない』

『ナイフで滅多刺しにされるのとロープで全身縛られるのどっちが良いか?』

『楽には殺さない』

『×××に××××××××、×××××てやる』


 見るに耐えないその内容に、達巳は目を背けて蒼い顔でその場に立ち尽くした。


「なんだこれ……」


 その通知はそれから一時間ほど鳴り止むことなく続いた。

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