12「そいつの手ェ離せっつってんだよ」

「真希ちゃん、今日空いてる?また家行って良い?」


 真っ赤なランドセルに教科書を入れ終えた真希の元へ、すでに帰り支度を終えた佳奈がやって来て言った。真希は小さく首を横に振って答える。


「ごめんね、今日はちょっと用があって……」


「えー、なになに?また沢渡くんとこの劇団に行くの?」


 詳細を聞きたがる佳奈に対してどう答えるか、真希は少し迷いながら、横目に沢渡の席を見た。もうすでに荷物は無い。真希は今度は縦に首を振った。


「まあ、そんなとこ」


「なるほどね〜。真希ちゃんもうすぐで引っ越しちゃうもんね」


 佳奈は少し寂しそうに笑った。


「良いな〜東京……。芸能人もたくさん住んでるもんね。こんなとこにいるより絶対に良いよ。渋谷を歩いててスカウトされちゃったりしてさ。そういうチャンスがたくさんあるんだろうな」


 そう独り言のように言った後、真希の目をジッと見つめた。


「離れても、友達だからね」


「うん、もちろん」


 それから二人は、並んで話しながら帰る。比較的人通りのある決められた通学路からは少し外れた裏道が、二人の秘密の帰り道であった。


「真希ちゃんまじ天才だから、絶対役者になれるよ」


 道中、佳奈が熱く語る。真希は照れくさそうにそれを聞いていた。


「ありがとう。そうだと良いけど……」


「大丈夫だって!佳奈が保証する!」


 そう言ってウインクした後、少しの間を置いてまた口を開いた。


「……真希ちゃんが白雪姫役に立候補しなくて良かったよ。だって、佳奈じゃ勝てなかったもん」


「そ、そんなこと……」


 そう呟く真希に対し、佳奈はただニコッと笑った。どう答えたら良いか戸惑う真希の迷いを断ち切るように、佳奈が話題を変える。


「ね、実はさ、佳奈にも夢があるんだ。まだ誰にも言ってないんだけど」


「え、なになに?」


 興味を示す真希の耳元に顔を近づけて、小声で言う。


「モデルさん。佳奈はね、みんなに憧れられるような綺麗なモデルになるからさ」


「佳奈ちゃんならきっとなれるよ!」


 真希が明るく言った。それを見て、佳奈はまたニコッと笑った。


「だから、そしたら将来、一緒にテレビに出ようね。約束だよ」


「そうだね!……でも、わたしはどうかな……テレビに出れるような人になれるかな……」


「ほら、そんなネガティブなこと言わないの!もっと自信持って!」


 そんな会話をする二人の背後から、車の音が近づいてきた。人通りの少ない、水田や古い倉のような建物と山との間に挟まれたこの細道は車両が一台しか通れない一方通行となっているため、基本的に自動車がここを通ることは無いのだが、その真っ黒い車はゆっくりと進んで二人の背後でブレーキを踏んだ。二人は道の端に避けて通り去るのを待ったが、車はその場に停車し、運転席のドアが開いて一人の男が降りてきた。


 黒いストライプ柄のスーツを着たサラリーマン風の男だ。


 男は真希を見つめながら、二人に尋ねる。


「ごめんなさい。ちょっと人を探しているんだけどね。良いかな?君達と同じ学校の子だと思うんだけど」


 そう話しながらも、男の目はひたすらに真希へと向けられていた。人見知りで初対面の人物と話すのが苦手な真希は、そっと佳奈の背後に隠れる。佳奈が男の質問に答えた。


「どんな子ですか?」


「前に学芸会で演劇をやっていただろう?その中の、白雪姫だったと思うんだけど、そこで、悪い母親役をやっていた子で……」


「真希ちゃんじゃん!それなら、この子のことですよ!」


 明るく言って、佳奈は自分の後ろに立つ真希へ目配せした。真希はずっと向けられている男の視線が居心地悪い様子で、何も言わずにただ頷いた。


「そうだったのか。実は私はこう言う者でしてね」


 懐から出した銀色のケースを開けて名刺を取り出し、少し低く屈んでそれを真希へと渡した。そこには男の名と、とある芸能プロダクションの名前が書かれていた。真希はそのプロダクションに聞き覚えがあった。


「ここって、確か……」


「狭山あずさちゃんのとこだよ!」


 真希が受け取った名刺を覗き込み、佳奈が興奮気味に言う。


「すごい!これってもしかしてスカウトってやつ?」


「まあ、そう思ってもらって良いかな」


 男は少し困ったように笑った。


「そうやって、当てられちゃうとちょっと恥ずかしいね……」


「でも、スカウトの人って、もっと都会のほうにいるもんなんじゃ無いんですか?」


 佳奈が不思議そうに問う。真希も小さく頷いた。


「基本はね。だから、本当に偶然だったんだ。実は私はこの町の生まれでね、たまたま帰郷した時に君を見かけて……」


 真希を見ながら、男は語る。


「……それで、ピンときたんだ。君には才能があるって。君は絶対に売れっ子になれる」


 その口調は穏やかで優しかった。しかし真希はずっと男の目が気になって何も答えることが出来ずにいた。それとは対照的にテンションの上がった佳奈が、真希の手を掴んで言う。


「すごいじゃん!これで、真希ちゃんスターの仲間入りだよ!」


「え、いや、そんな……」


「もちろん、こちらから強要する話では無いよ。君次第だけど……」


 そう言う間も男は、戸惑う真希をひたすら見つめている。


「それでも、芸能の道に少しでも興味があると言うならば、私に任せて欲しい。後悔はさせないよ。もし良ければその詳しい話をさせてもらえないかな。どうだろう、こんなところで立ち話もなんだから、場所を変えて……」


 男は、後ろに待つ黒い車を指した。真希は息を呑んで一歩後退る。


「いや、えっと、その……」


「大丈夫。ちょっとだけ話をしたいだけだから」


 そう言って手を伸ばし、真希の腕を掴んだ。その直後。


 ゴツン、と言う音がした。男の黒い車に投げつけられた石が、その光沢のある塗装に傷をつけた。


 二個目の石を手の中で弄りながら、近づいてきた少年が男を睨みつける。


「どっか消えろよ、不審者」


「谷地くん!」


 真希が声を上げた。その呼びかけには答えず、手の中で小石を転がしながら、達巳はまた男に言った。


「そいつの手ェ離せっつってんだよ」


「ちょっと!なに勘違いしてんのよ谷地⁈」


 佳奈が噛み付くように達巳を見て怒鳴った。


「この人は、悪い人じゃ無くて、真希ちゃんをスカウトに来た芸能事務所の人なの!」


「スカウト?こんな裏道でか?」


 達巳が吐き捨てるように言う。男は真希の腕を離すと、穏やかに笑いながら達巳へ近づいた。


「この子のお友達かな?驚かしてしまったようで申し訳ない。私は、こういう者で……」


 そう話しながら差し出した名刺を、見もせずに叩き落として達巳は言う。


「こんなもん、いくらでも偽造できるだろ」


「谷地!何言ってんの⁈なんでも捻くれた目で見るからそういう風に見えるんじゃない!」


 佳奈が達巳へ近づいて責めるように言う。


「真希ちゃんの夢が叶おうとしてるのに、邪魔する気⁈」


「テメェらこそ、もっと頭回して状況を見ろ!この男は、こんな誰もいねぇ道で桜乃に声かけて、車に連れ込もうとしてんだぞ⁈」


 達巳に言われ、佳奈はまた何か言い返そうと口を開いたが、声を発すること無くすぐに閉じた。数瞬、彼女なりに思案して達巳の言葉を噛み砕いたようだったが、やがてチラリと男へ目を向けた。その瞳に、ほんの少しの疑惑の色が浮かんだのを、男は感じ取った。


「……やれやれ、どうも誤解をされてしまってるようだね……」


「誤解じゃねぇ。だいたい、テメェからは強烈な血の匂いがするってよ。オレの中の『居候』がそう言ってんだよ」


 睨む達巳の目を無表情に見下ろしつつ、男は懐に手を入れた。次の瞬間、そこから取り出した小さなスプレーのような物を達巳と佳奈の顔面へ噴射した。


「ぅあッ⁈」


「ひぁっ!いっ、痛い痛い‼︎」


 二人は目を押さえてその場にうずくまった。


「谷地くん!佳奈ちゃん!」


 悲鳴のような声を上げて思わず駆け寄ろうとした真希に向けて、男は再びスプレーを吹きかけた。


「ああっ‼︎痛い!」


 真希の声が聞こえる。何も見ることができずにただひたすら目を覆う激痛に悶えながらも、達巳は振り絞るような声を出した。


「逃げろ‼︎桜乃‼︎逃げろ‼︎」


 苦痛の伴った暗闇の中で、何かを引きずるような音が聞こえる。それと、真希が抵抗する声も。


「い、痛い!や、やめ……‼︎離し……ッ!あぁあ、痛い痛い!」


 車の扉が開く音がする。男はどうにかして真希をそこへ乗せようとしているようであったが、彼女が必死に拒むため、なかなか思い通りにいかない様子であった。


 やがて業を煮やした男が、低い声で言った。


「この二人を、殺すぞ」


 しばらくして、抵抗する音が消えた。啜り泣く声を消し去るように車の扉が閉まる音が鳴った直後、それが走り出す振動が、達巳の体に伝わった。それはどんどん遠ざかって行き、やがて、消えた。


「桜乃‼︎桜乃‼︎」


 叫ぶ達巳の声も、もはや何者にも届かなかった。ただひたすらに眼前の苦痛が彼を覆うのみであった。


 そんな彼の脳内に、冷静に語りかける声が響く。


 ——小僧、落ち着いて、移動しろ。ゆっくりで良い。立てないのならば這いずるのだ。そう難しいことでは無い。我々蛇はいつもやっている移動手段だよ。そう、そのように這って、少し左へ進め。そうだ。もう少し身を乗り出せ、そうすれば、田に張られた水面にお前の姿が映る。そうすれば……


「……そうすれば私は具現化できる」


 水田から体を伸ばした白眉が、荒く息をする達巳の目元をチロチロと舐めた。舐められた箇所から痛みが引いてゆき、達巳の呼吸は少し穏やかになった。


「薬剤の成分を中和した。だが、受けたダメージが消えるわけでは無い。一、二時間はおそらく何も見ることができないだろう」


 淡々と語る白眉に食ってかかるように、達巳は唸った。


「……ふざけんな‼︎なんとかしろよ‼︎こんな状態じゃ、桜乃を追えねぇだろうが‼︎治せ‼︎見えるようにしろ‼︎今すぐに‼︎」


「無茶を言うな。無理なものは無理なのだから」


 無感情に事実のみを伝える声が、達巳には至極冷徹なものに感じられた。


「テメェはなんとも思わねぇのかよ⁈桜乃が、桜乃が、あんな危険な男に連れてかれたんだ‼︎今すぐ助けに行かねぇと‼︎」


 白眉は何も答えない。掠れた声を絞り出すように、達巳は懇願する。


「頼むなんとかしてくれ……桜乃の夢が、こんなところで潰えて良いわけがねぇんだ。あいつを、あいつを助けないと……」


 達巳の渇いた瞳をじっと見ながら、白眉は静かに言う。


「手段が無いわけでは無い。しかし、それをお前が選択するかどうかと言うことさ。つまり、お前がこの私に体を渡すのだ」


「……なんだと?」


「分かっているだろう。お前が自身の体を私に譲渡する。そうすれば、その瞬間からそれは、私の体だ。私は、お前達人間とは比べ物にならない自己修復能力を持っている。お前がその体を私に譲れば、その目を瞬時に修復して桜乃を追うことができる」


 少しの間、達巳は何も言わなかった。何かを考え込んだ後、恐る恐る尋ねた。


「……そうなったら、オレはどうなるんだ?」


「今の私と同じような状態だよ。心だけが残る。……最も、この私が支配する以上、お前は意識を保つこともできないだろう。私がお前に体を返すまでの間、眠り続けることになるだろうね」


「お前は、オレの体を手に入れて……返す気があるのか?」


 達巳の問いに対し、白眉は何も答えなかった。


「お前、オレの体に閉じ込められてるんだもんな。もしこの体を手に入れて、自由になった後、もう一度オレに返す気が、あるのか?」


「さあね。それは、その時になってみないと私にも分からない」


 思惑の読めない単調な声で、白眉は答えた。


「言っただろう。そのリスクを踏まえて、お前が選択をするかどうかなのだよ。私としては、この案を推奨する。それが桜乃を救える唯一の手だと言っても良いだろうね。しかし、小僧にその気が無ければそもそもこの案は使えない。全ては小僧の決断次第さ。お前が、私を信頼することができるかどうか」


 少しの間、達巳は無言となった。背後から、苦痛に悶える佳奈の声が聞こえてきた。


「痛い!痛い!ねえ?谷地、誰かと話してるの⁈誰かそこにいるの⁈誰でも良いから、助けて‼︎」


 佳奈はそう訴えかける。


「真希ちゃんを、助けて‼︎」


 達巳は大きく息を吐いて、それから呟いた。


「分かった。オレの体を貸してやる」


「良いのかい?私を信用してしまって」


「信用は、正直できねぇよ。もう二度と、オレはオレでいられなくなるかもしれない」


 冷静な口調とは対照的に、その体は小さく震えており、自身の決断に対する激しい動揺を隠しきれずにいた。


「それでもな、それでも、桜乃が未来を失うことの方が何倍も怖ぇんだ。……だからさっさと始めろクソ蛇!オレの……気が変わらねぇうちに‼︎」


 己の心を支配する感情を振り払うかのように声を荒げる達巳をまじまじと見てから、白眉は言った。


「私は、クソ蛇では無いよ。小僧。桜乃からもらった『白眉』という名があるのだ」


「ハァ⁈今、そんなこと関係無いだろ⁈」


「大事なことだよ、小僧。大事なことさ」


 白眉は静かに語りかける。


「ヒトはヒトの信頼を得るために名を名乗ると言う。我々のこの契約には、互いの信頼が必要不可欠だとは思わないかい?私は、小僧の信頼を得るために、名を名乗ったのだ」


 一瞬の間を置いて、達巳は答えた。


「小僧じゃねぇ。オレにも『達巳』っつう名前があるんだ」


「そうかい」


 白眉は舌をチロッと動かした。達巳は深く深呼吸をした後、覚悟を決めて言う。


「来い!白眉。オレとお前で、桜乃を助けに行くぞ」


「ああ、共に。達巳」


 白眉は口を大きく開くと、その鋭い牙を達巳の腕に突き刺した。達巳が顔を歪めた次の瞬間、噛みついたその場所から、白眉の純白の体が溶け込むように、達巳の身体へと入ってゆく。その箇所から順々に、浅く焼けた達巳の肌は雪のような白色へと変わって行き、それは全身を覆って頭部へと到達した。瞳の色が血のような赤に染まり、爬虫類を思わせる鋭い瞳孔に変化した。髪は白眉の鱗によく似た純白となって、肩にかかるほどに長く伸びた。体型や顔貌こそ変わらないが、その白色の長髪に赤い目、鋭く伸びた爪と、品のある落ち着いた表情からは、元の達巳を思い起こすことは出来ない、それはまさに、人の身体を手に入れた白眉の姿であった。


 自身の手を見ながら、彼は静かに言う。


「ヒトの体を得るのは、何年ぶりだろうか」


 達巳のものであったその口から発せられる声は、白眉の声色へと変わっていた。


 そんな彼の脳内に語りかける言葉は無い。


「やはり、眠ってしまったか。しかし感じるぞ。お前の恐怖心。他者に体を渡すということは、これほどまでに恐ろしいことか」


 独り言を呟いて、白眉は体をそっと撫でた。


 それから、すぐそばにうずくまっていた佳奈の目元を、そっと撫でた。痛みに悶えていた彼女の様子が、落ち着いたものへと変わった。


「……あ、痛くない……」


「しかしまだ目は見えないだろう。少女よ、ここで安静にして、助けを待つが良い。最も、助けが来なくとも、数時間もすれば視力も回復するだろうがね。ともかく、そうなったら警察に連絡してほしい。ヒトの罪は、ヒトの法で裁かなければならない。案ずるな、桜乃は……君の友人は、私が救い出す」


 そう言い残すと、白眉は風のように駆けて行った。

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