翌朝。達巳が桜乃を泣かせたという話は、たちまちクラス中に広まった。


「さいてー」


 クラスの女子が、ひそひそ声で噂しながら達巳へと冷たい視線を向ける。その女子グループは別に普段から桜乃と仲が良いわけでも無いくせに、こういう時の団結力には目を見張るものがあるな、と達巳は思った。


 ちなみに達巳が桜乃を泣かせたという話を広めたのは、達巳について来て現場を見ていた男友達である。話を広めた本人達は特に悪びれること無く、達巳の元へ集まり、聞く。


「なあ、桜乃の顔、どうだった?かわいかった?」


「いやいや、ブスだったろ?そうじゃなきゃ、あんな隠したりしないって」


 昨日のジャンケンに参加したメンバーが達巳の席を囲った。達巳は椅子に座ったまま、机に頬杖をついて彼らから目線を反らして答える。


「さーな。一瞬だったからちゃんと見えなかった」


「は?つっかえね」


 一人が悪態をつくが、達巳は特に気にしない。彼の視線は、無意識に桜乃の背を追っていた。少数の、比較的地味目な女子集団の中に彼女はいた。友人達に噂について聞かれており、どうやら達巳の弁護をしている様子だったが、背後に視線を感じたらしく振り返る。達巳は慌てて目を逸らした。


 クラスの担任教師が教室に入ってきて、達巳を見て言う。


「谷地、ちょっと来なさい」


 ゲッ——と、達巳の口からガマガエルのような声が漏れる。友人達の冷やかすような声に見送られて、達巳は担任と共に教室を出て行った。


 その背中を桜乃の視線は追っていた。前髪に隠れた目で、追っていた。


「……ごめんね……わたしがちゃんと説明できなくて……谷地くん、怒られちゃって」


 その日の放課後、達巳が昨日来た山の入り口に向かうと、桜乃がそこに待っていた。ちゃんと待ち合わせたわけでは無いのだが、白眉に「いつ会えるか」と聞かれて「明日」と答えたその約束を、律儀に守ったのだ。


 学校では一言も話すことの無かった二人だが、顔を合わせた途端、開口一番で桜乃が謝罪の言葉を発した。それに対し、達巳はきまり悪そうに返す。


「何言ってんだよ。別に何もおかしくないだろ。オレは昨日お前を泣かした。怒られるのもしゃーなしだ。それに怒られたっつーか、ちょっと話聞かれて注意されたくらいだよ」


 そんなことを言いながら山道を進む。桜乃もまだ不慣れな足取りではあるものの、一度通った道なので昨日と比べてその歩みは速かった。


「うぁあっ」


「おい、大丈夫か?」


「うう、ここの岩につまづいた……」


 そうこうしつつも、古い祠とその脇にある小さな池へ辿り着く。達巳が水面に自身の姿を映して呼びかけると、池の水が細長く盛り上がり、やがて角の生えた白蛇へと姿を変えた。


「よく来たね。桜乃。私は嬉しく思う」


 真っ赤な舌をチロチロ動かしつつ、白眉は言う。その声色は相変わらずロートーンで、蛇であるが故に表情の変化等も無いのだが、しかし嬉しいと思っているのはどうやら確かなようであった。


 桜乃は興味津々といった様子でまじまじと白眉を見た。


「白眉ちゃんって……何者なの?ただの蛇じゃ無いもんね……神様?」


「『蛇神』というやつか」


 白眉は呟くように言った。


「その通り——と、言いたいところだが、違う。あながち間違いでは無いが、正しくもない。確かに私はただの蛇とは違う。選ばれて、特別な力を与えられた蛇。そう、『選ばれた』存在。つまり私より上のもの、選定する者がいる。故に私は神ではない。神とは、最上の存在。天は神の上に神を作らず、神の下に我々を作ったわけさ」


 白眉節とでも言うのだろうか、彼特有の、話題を遠回りするような長い語りである。腕組みしながら聞いていた達巳が、白眉へ催促するように言う。


「つまり、何が言いてーんだよ。お前は結局なんなんだ?」


「小僧には幾度か話したはずだがね」


 達巳はフン、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。聞いてはいたが、興味が無くて流していたということだ。白眉はまた桜乃のほうへ向き直った。


「私は、神では無いが、神の候補といった存在だ。……いや、それも正しくないな。ニュアンスが違う。——言い直そう。ヒト基準では無く、我ら蛇の基準で話をさせてもらっても良いかな」


 よく分からないながらも、桜乃は頷いた。


「お前達ヒトの言う『神』という存在を我ら蛇の基準で表すと、『龍』となる。龍とは、我ら蛇の最終到達点、最上の存在。羨望の的であり、夢想の対象であり、それを目指すことが、我々の存在意義。全ての蛇は、龍の成り損ないであると言っても良い。つまり私は、数多の蛇の中から選ばれた『龍候補生』なのだ」


 はぁ……と深いため息を吐いた後に達巳が言う。


「いや、だから、最後の一文だけで良いだろ……その説明。話が長くて分りづらいんだよ」


 ちらり、と桜乃へ目を向ける。彼女は白眉の話を噛み砕くように何か思案していたが、やがて納得したように言った。


「つまり、阿闍梨みたいなもの?」


「おう——え?いや、なにそれ」


 クラスメイトの口から聞き慣れ無さすぎる言葉が飛び出した。


「その通りだ」


「え、そうなのか?」


 肯定した白眉へ目を移し、達巳は怪訝そうに言った。


「お前ら、ちゃんと理解して言ってんの?なんだよ『あじゃり』って」


「えっと……偉いお坊さんかなにかだったかな……」


「ほう、そうなのかい。私は知らなんだ」


「知らねぇじゃねーか!」


 達巳が怒鳴る。桜乃は小さくクスクスと笑った。


「つまり……修行中ってことでしょ?」


「間違ってはいない」


 白眉はまた舌をチロチロさせた。この動きには人間で言う『頷き』と同じ意味が込められている。無言の肯定である。


「それでは……そうだね、次はこちらが質問しようか。お前にとっての『龍』とはなんなのだ?桜乃」


「『龍』……」


 呟いた後に桜乃は黙ってしまった。その無言の時間を埋めるように、フォローするように達巳は白眉へ苦言を呈する。


「……そう簡単に答えられる話じゃないだろ。そもそも、オレら人間はお前らみたいに単純じゃないんだ。自分の『龍』——つまり『夢』とか『目標』だとかを持ってる奴ばかりじゃねーんだからな。持ってない奴もいる。だいたい、普通会って幾分も経ってない奴にそんな話はしねーっての」


「そういうものかね。ふん、まあ良い。だけれどね、私はこれでもヒトを見る目はある方さ。自分の生きる指針を持つ者持たざる者の違いくらいは見分けられる。お前達と違い何千何万という年月、ヒトを見てきたのだから。お前はどうやら読解力が足りないようだね——私は桜乃に『お前にとっての龍はなんだ』と聞いたのだ。『お前は自分の龍を持っているか』なんて聞いていないんだよ」


 つまり、白眉は最初から桜乃には何か叶えたい夢があると見抜いていた。見抜いていたからこそ聞いてみたいと思ったのである。


「小僧、桜乃はね……お前とは違い、自分の夢を持っている。確固たる熱意でね。それも、中々の熱量だよ。我ら蛇の龍に対する熱望にも匹敵するほどの熱さだ」


「そんなことまで分かんのかよ」


「ああ。ピット器官を備えているからね」


 熱を探知できると言うわけだ。


「熱……」


 桜乃が呟いた。その言葉に勇気づけられたように、微笑む。


 白眉はまた舌をチロチロさせた。この動きには人間で言う『促し』と同じ意味が込められている。無言の催促である。


 見かねた達巳が白眉を諫めるように言う。


「話したくないものを無理に聞き出すことはねーだろ。隠し事を暴こうとするなんて、良くねーよ」


「小僧には言われたくないね」


「そうだね」


 白眉と桜乃が交互に答えた。達巳は自分の投げたブーメランに気づいて赤くなった。


 やがて桜乃がおずおずと口を開く。


「……話すのが嫌ってわけじゃないの。でも……あまりに似合わない……わたしなんかが言ったら、無理だって笑われそうな夢だから」


「いや、別に人の夢は笑わねーよ。『へー』とか『すげー』って思うだけだろ」


 達巳が真顔で言った。桜乃は一瞬戸惑うように黙ったが、意を決して小さく呟いた。


「その……や……しゃ」


「夜叉?」


 達巳が聞き返す。桜乃は首を振って言い直した。


「……くしゃ」


「倶舎?」


 今度は白眉が聞き返す。桜乃はまた首を振って否定すると、目を瞑って声を張り上げた。


「や、く、しゃ!」


「役者⁉︎」


 達巳が驚嘆の声を上げた。顔を手で覆って頷く桜乃をまじまじと見つつ、達巳は腕を組み唸る。


「ほー、すげーじゃん。かっけー夢じゃん。でもお前、演技とか好きなの?そういう目立つタイプには見えねーけど」


「……得意じゃないし、あまりやったことないけど……」


 達巳の問いに対し、自信のない、消え入るような声で桜乃は答える。


「……でも、好きだよ。……自分じゃない誰かに……なれるから」


 それからゆっくりとではあるが、桜乃は自分の夢のことを語りだす。


「……狭山あずさちゃんって、知ってる……?」


「なんか聞いたことあるな。誰だっけ」


「あの、その、前の朝ドラとかに出てた子役の子。わたしたちの一個上くらいだと思う。今は中学受験のために休んでるんだけどね……その子に憧れてるんだ。……あずさちゃんの出てたドラマ見て、感動して……わたしも、あんな風になりたいって……」


 腕を組みつつ聞いていた達巳は、ふとあることを思い出して桜乃へ話し始める。


「そういや、お前は四月に来たばっかだから知らないだろーけどさ、オレらの学校、六月に学芸会があんだよ。そこで毎年、劇をやるんだ」


「へー……?」


「お前、今年の劇で主役やれば?」


「へぇ⁈」


 桜乃は悲鳴のような声をあげて赤面した。


「む、無理無理無理無理!……わたし、そんな、主役なんて……」


「そう言うなって、役者になりたいんだろ?良い機会じゃん」


 面白がって笑いながら、達巳はしつこく促していく。


「やろうぜ!やれよ!応援するから!」


「そんな……人ごとだと思って……」


 思いのほか盛り上がる達巳に戸惑いながら、桜乃は助けを求めるように白眉へ目を向けた。白眉は呆れたように舌を動かした。


「自らの『龍』を持たぬ者の中には……他人の『龍』への道を支えることに意義を見出す者もいる。自分自身にそのような熱が無いからこそ、他者の熱にあやかって快楽を得たいと思う者達さ。まぁ、悪い事では無いけどね……」


「……なんだよ、文句あんのかよ」


 水を差されてふてくされる達巳をよそに、白眉は続ける。


「……だが、確かに良い機会じゃないか。主役に拘る必要は無いが、桜乃自身が気になる役をやってみてはどうだい」


「そうだね……それはやってみたいかも」


「なんでクソ蛇の言う事はすんなり聞くんだよ」


 ぼやきながらも、達巳はニヤッと笑った。


「ゴールデンウィーク明けくらいから練習が始まるだろーからな——」


 今は四月末。もう間も無く、カレンダーは五月に切り替わる。


「——だから、劇の内容も役割もそろそろ決めなきゃなんないはずだ。桜乃、やりたい役に立候補しろな。できるだけ目立つ役でさ!」


 桜乃は不安ながらも、小さく頷いた。

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