2「『蛇憑き』って言うんだと」

 達巳たちの住むこの町は小さな山と隣接している。程よく自然豊かな——いわゆる田舎町だ。林や川など、子供達の遊び場となる場所が多いうえ、町からの手厚い子育て支援等もあるため都心から移住してくる家族連れも年々増えており、桜乃もまた、その流れに乗って引っ越してきた一家の娘だ。


 達巳と桜乃は、細い山道を歩いていた。ハイキングコースから少し外れた——道はあるが、山の植物が無造作に生い茂る、あまり整備はされていないルート。生まれた時からこの地に住み山を駆けて遊んできた達巳だからこそ知る秘密の道だ。


 膝丈ほどもある草花を踏み越えながら慣れた足取りでスイスイ進む達巳に対し、不安げに辺りを見回しながら心許ない足つきで桜乃がその背を追う。


「うぁっ」


「ん?」


 折れた木の幹に足を取られてコケてしまった桜乃に対し、達巳は呆れ顔を向けた。


「ったく……これだから都会っ子は」


「……」


 桜乃は口を尖らせながら服に着いた土を払って起き上がる。それから少し非難するように問いかけた。


「こんなとこ……来て、いいの?わたしたちだけで……」


「母さんや先生は、危険だから子供だけで行くなって言うけどさ」


 そんなこと律儀に守ってられっかよ——と、達巳はぼやく。小さいとは言え、山の中。小学生だけで入るのは危険が伴うが、昔からここを遊び場にしてきた達巳からすれば、そんな言いつけを聞く耳は持たない。


「でも、最近、人攫いとかのニュースも聞くし……」


「そりゃ都会の話だろ?こんな山ん中に出るかよ。熊じゃあるまいし。大人が言う『危険』ってのは怪我するかもってことだろ」


 達巳は小さく鼻で笑う。


「大人たちは出不精で体が鈍ってるから、山なんか来たら怪我しちまうんだよ。でも、オレは鈍ってねーから大丈夫」


「でぶしょう……?」


「家から出ないせいでどんどんデブっていく病気のことだよ。『デブ症』。お前も家にばっかしいるとなっちまうぜ」


 傾斜の緩い斜面を滑り下り、もはや道とは呼べない道を進んで茂みを退かすと、小さな祠と池が現れた。


「ここは……?」


「オレの隠しアジト」


 達巳は自慢げに答えた。桜乃の聞きたいことはそういう事では無いのだが、実際、ここがどういう場所なのか、祠や池がなぜこのような場所にあるのか、達巳自身も説明できる答えを持ち合わせてはいなかった。


 桜乃は少し落胆したように呟く。


「これが……谷地くんの……秘密?」


「ちげーよ!こんなショボくねーから!誰にも見られない場所に来ねーと見せらんないだろ」


 そう言うと達巳は、覚悟を決めて深く息を吐くと、葉や木の枝がたくさん浮かぶ池に近づいて水面を覗き込んだ。


 池の中に何かがあるのだろうか、そう思った桜乃もつられて覗き込む。水中には特に変わったものは見当たらなかった。


「ちげーよ」


 達巳が言う。


「水ん中じゃねーってば。水に映ってんだろ、オレが。それだよ」


 桜乃は訝しみつつまた池を覗き見る。小さくさざめく汚れた水面には、ぼんやりと二人の姿が映りこんでいた。その姿に、ふと違和感を覚えた桜乃は、よくよく達巳の像を凝視した。


 体中に、なにやら白い綱のようなものが巻き付いている。


 すぐに頭を上げて達巳本人へ目を移すが、白い綱などはどこにも無い。しかし、池の上に映る彼の影には確かに純白の何者かが巻きついていた。


 小さく溜め息をつくと、達巳は水面に呼びかけた。


「……出て来いよ!」


 その言葉に呼応して、白い綱がするすると動き出した。こちら側に向かって伸びてきたかと思えば、直後、水面が細長く盛り上がる。盛り上がった水は白色を映し、その形は綱状に……いや、綱状に見えた別のものへと変化した。


 蛇だ。


 盛り上がった池の水が白い蛇へと姿を変えた。しかしその姿はただの蛇では無い。神々しいほどに煌めく純白の鱗と、頭から生えた水晶のような角が、その存在の神秘性を際立たせている。


 角の生えた白蛇は、鎌首をもたげて深く赤い眼を桜乃へと向けた。桜乃は何も言えず、驚きのあまり体の力が抜け落ちて、その場にぺたりと座り込んでしまった。


「こいつが——オレの秘密だ」


 桜乃の呆然とした顔が、真ん丸く見開かれた目が、長い前髪越しにも確認できた。彼女は何も言わずに、ゆっくりと、白蛇と達巳を交互に見た。


「『蛇憑き』って言うんだと」


「ヘビツキ……?」


 桜乃が聞き返す。達巳は頭を掻きながら説明する。


「家具付き賃貸みたいなもんだよ。蛇憑き人体。オレにこのクソ蛇が付属してんだ。生まれつきな。お得だろ」


 皮肉交じりかつ自虐的な口調で、達巳は話す。彼の話を聞いているのかいないのか、桜乃はただ茫然と白蛇を見つめていた。


「……何とか言えよ」


「そう急くんじゃないよ小僧。彼女は驚いているのさ。当たり前だろう」


 桜乃のものでは無い、第三者の声が答えた。先ほどから達巳の心の中に語り掛けていた声だ。少し高めの、品のある男性の声色。そしてそれは、間違いなく白蛇の元から発せられていた。


「何せ、ヒトの常識の範疇を超えたものを目の当たりにしたのだからね」


「うひぇっ」


 桜乃は悲鳴にも似た小さな驚きの声を上げて、口をパクパクと動かした。


「しゃべっ……⁉」


「おや、すまないね。怯えさせるつもりは無かったのだが」


 白蛇は表情を変えず、口も動かすことなく桜乃を見つめて言った。


「私の姿は水鏡にしか映らない。故に、近頃はこの小僧以外に話し相手がいなかったのでね」


 達巳をちらりと見て、白蛇は言う。達巳は小さくため息をついた。


「だから感情が昂っているのだ。今風に言うと、テンションが上がっている——とでも言うのかな」


 そう言う割に、白蛇の声は一本調子で静かなものであった。


「少女よ。暫し私の語り相手になってはくれないかい」


 しばらく、無言が続いた。白蛇が桜乃の返事を待っているのだ。しかしやはり目の前に起こっていることに対して状況整理に時間がかかっているらしい彼女は、なかなか言葉を返さない。達巳がボソッと一言。


「フラれてやんの」


「煩いね。小便漏らしの小僧が」


 白蛇のカウンターに対し、達巳は真っ赤になって否定する。


「漏らしてねーよ‼オレもう小五だぞ‼ウソ言うな‼」


「嘘ではない。少し前まで漏らしていただろう」


「せいぜい幼稚園までだ‼……いや幼稚園でも漏らしてねーから‼」


 桜乃の視線を感じて訂正した。


「変わらぬ。せいぜい四五年程度の差であろうが。小便臭い餓鬼であることには変わらぬ」


 自身も変わらぬ単調な声色で、白蛇は言う。


「見なよ。少女も呆れて声が出せない様子だ」


「ちげーってお前のせいだろ‼オレに責任なすりつけんな‼」


 ふふっ、と、小さく噴き出す音が聞こえた。達巳と白蛇は同じ方向へ振り返る。見ると、桜乃が笑っていた。


「あ……ごめん、なんかおかしくて」


 そう言いながら、桜乃はまだクスクスと笑っていた。


「仲良しなのね」


「違う‼ぜってー違う‼」


 達巳が全力で否定する。桜乃はそれを照れ隠しと捉えたらしく、またクスりと笑った後に今度は恐る恐る白蛇に向かって話しかけた。


「あの……お名前は、なんていうんですか?」


「敬って貰えるのは嬉しいが、そのような気を使う必要は無い。目上の者に対して口調を変えるのは、ヒトの枠内での話。私は、その枠には当てはまらない」


 つまり、敬語は必要ないと言いたいのだ。


 お喋りな白蛇はさらに続ける。


「『名前』というものも然りさ。ヒトは個体数が多い。多すぎる。故に、自身とその他大勢との区別がつけられないのさ。だからこそ名をつける——『名』とは、『境界線』だよ。『個』と『それ以外』を区別するための境界線さ。真に貴く唯一無二で絶対のものには、名などいらない。区別する必要が無いからね。つまり、私はそれなのさ」


 桜乃は呆然と口を開けて聞いていたが、やがて達巳のほうを見て小声で尋ねた。


「……どゆこと?」


「『吾輩は蛇である。名前はまだ無い』ってことじゃね」


 達巳は呆れ顔で白蛇を見た。


「いつに無くよく喋るじゃねーか。店のねーちゃんに武勇伝を語る酔っぱらいオヤジか、お前は」


「礼儀のなっていない小僧だね」


 白蛇は獲物を狙うかのように達巳を見つめ、シューッという威嚇音を発した。真っ赤な舌もチロチロと揺らめき、鋭く尖った角を達巳へ向ける。


「どちらが主なのかを、分からせてやる必要があるようだ」


「少なくともお前じゃねーだろ。お前、オレの体を借家にしてんだからな?オレが大家で、お前は住人。どっちが偉い?あ?」


「……そうだ!」


 桜乃の唐突な声に反応し、達巳と白蛇は彼女を見た。


「『はくびちゃん』っていうのはどうかな?……名前」


「はくび?」


 達巳が聞き返す。桜乃は自信満々に頷いた。


「すごく優秀って意味なんだって。おじいちゃんが前に言ってた」


「『白眉』か」


 白蛇が相槌を打つ。


「確かに私に似合った言葉ではあるが……少女よ、私の話は聞いていたか?私に名など必要ない」


「そんなことないよ。あった方がお話ししやすいもの。絶対名前はあった方が良いと思うな」


 桜乃は元気よく自論を展開する。意外とマイペースな性格であった。


「あなたは、とても凄いから、名前が無いんでしょ?じゃあ……『とても凄い』って言う名前で呼べば良いんだよ。つまり、『白眉ちゃん』」


「『ちゃん』は余計だね……」


 などと言いつつ、白蛇は満更でもない様子であった。


「良いだろう。ヒトと会話するのであれば、ヒトのきまりごとに従うのが筋だろう。『白眉』という名、頂戴しようか」


「うん!よろしくね……白眉ちゃん」


 桜乃はニコニコ笑って言った。そんな二方のやり取りを、達巳はため息をつきながら見ていた。


 幾つかのたわいない会話の後、やがて日が暮れ始める。


「良いか、誰にも言うなよ。ぜってー言うなよ!あの蛇のこと、言うんじゃねーぞ!オレが『むらはちぶ』にされるからな!」


 桜乃に向けて、念を押すように達巳は言う。


「谷地くんこそ……言わないでね。わたしの、その……」


「まゆげのことか?言わねーよ。こっちの話ばらされたらたまんねーからな」


 そう約束しあった後、帰りの山道を進む。白蛇改め白眉は池の中へと消えた。


 消えた、とは言えど正確には達巳に取り憑いているため、実質二人の側にいるのだが、その声は桜乃には聞こえない。


 白眉が達巳の頭に語りかける。


——次は、いつ会えるのかを彼女に聞いてくれないかい


「あ?なんでオレがそんな伝言ゲームみてーなこと……」


「白眉ちゃん、何か言ってるの?」


 達巳の独り言に対して、桜乃が問う。達巳は小さくため息をついた後、渋々伝えた。


「次はいつ会えるかってさ」


「そうだね……明日とか!」


 桜乃は嬉しそうに答えた。達巳は顔を顰める。


「おいおい、習慣的に会いに来るんじゃねーぞ?オレは極力こいつを出したくねーんだから」


「白眉ちゃんはなんて言ってるの?」


「オレの話を聞け!」


——私は、また話したいと思っている


「勝手なことぬかすなクソ蛇‼︎」


 達巳を介して談笑しながら、二人と一匹は夕焼けに染まる山道を下って行ったのであった。

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