後宮 3話

「自分を知る、ですか?」

「そうよ。自分の好きなこと、嫌いなこと、きちんと知って対処したほうが生きやすいじゃない」


 頬から手を離して、桜綾ヨウリンは目元を細め栗皮色の瞳で朱亞シュアを見つめる。その瞳に吸い込まれそうだ、と朱亞は思う。


 ――彼女には、それだけの魅力がある。


「朱亞?」

「桜綾さん……じゃなくて、貴妃きひは本当にきれいですよね。同じ性別なのに、見つめられるとどきどきします」


 自分の胸元に手を当てて、しみじみとつぶやく朱亞を見て、桜綾は今度こそ耐えることをせずにきだした。


「そうね、よく言われたわ。後宮でわたくしの美貌がどこまで通じるのか、楽しみでもあり不安でもあるわねぇ」


 肩を震わせて笑う桜綾に、朱亞は首をかしげる。


「……とはいえ、誰にも会いませんでしたね」

「そうね、他にも人がいるはずよね……」


 先程まで後宮の中を歩き回っていたが、人の気配を感じない。朱亞と桜綾、ふたりだけの世界に取り残されたような感覚に、朱亞はちらりと彼女を見た。


 桜綾も同じことを考えていたのか、朱亞の肩に手を置いてぽんぽんと軽く叩く。


「――誰もいないのなら、それも好都合というものよ」

「好都合?」

「ええ、わたくしたちの好きにできるってことですもの」


 桜綾はぐっと右手の拳を硬く握りしめた。


「まずはやっぱり調度品よね。がらんとしているのは寂しいわ」


 そこから桜綾はどんな部屋にしたいかを語りだす。


「わたくしはね、朱亞が着ているような薄紅色が好きなの。愛らしい色だと思うわ」

「この服の色、ですか?」

「ええ。それに黄色緑柱石ヘリオドールの飾りがとても似合っているわ」

「あ、ありがとうございます」


 身につけている装飾品を思い出し、ほんのりと頬を染める朱亞。


 その姿を見て、桜綾は微笑ましそうに……まぶしいものを見るように、目元を細めた。


「そういえば、どうしてその宝石にしたのかしら?」

「宝石店の方が、お勧めしてくれました」


 桜綾になぜこの宝石にしたのかを話すと、彼女は少し考えるように顎に指をかけて黙り込む。


「朱亞は宝石を見たことがあるの?」

「村ではあまり。あ、でも真珠パールは見たことあります」

「そうなの?」

「はい。近所に住んでいた方が、『昔、恋人にもらったの』って」


 そのときの女性の顔を思い出し、朱亞は少し表情を暗くした。


「どうしたの?」

「あ、いえ。……その恋人、亡くなったと聞いたので、なんだか切なくなって」


 大切な人が亡くなる悲しみは、朱亞にもよくわかる。現に祖父がなくなったとき、とても悲しくつらかった。きっと、あの女性も心に傷を抱えていただろう。


「真珠の石言葉はたくさんあって、健康、長寿、円満、完成、純潔、無垢、富。別名は月の雫。天から下された甘露、と言われていたようです」

「……その知識も、おじいさんから?」


 朱亞はこくりと首を縦に動かす。桜綾は改めて彼女をじっと見つめる。山奥の村で暮らしていた朱亞の知識は、あまりにも幅広い。


「浮世離れしているのよねぇ……」


 ぽつりと言葉をこぼす桜綾に対し、朱亞は村でどんな暮らしをしていたかを話した。祖父の昔話のことや、どうして『雲隠れの村』と呼んでいたのかを話した。桜綾はその話を聞き、首をかしげる。


「……要するに、誰もどうしてそう呼んでいたかは、覚えていないのね」

「はい。ただ、ご先祖さま? がなにかから逃げていたとかいないとか。それと、本当に限られた人じゃないとあの村にたどりつけなかった、とも聞きました。……そんなところにどうやって私を捨てたのか、とても気になるんですよね……」


 自分の両親がどんな人かも知らない。物心がついたときには祖父と暮らしていたし、それが普通なのだと思っていた。


 村長から自分が捨て子であったことを聞いたときは、驚いた。両親がいないことを祖父はなにも言わなかったから。


 そもそも両親が揃っている家も少なかった、と改めて考える。


 年齢不詳の人たちは多かったようにも思う。思考の海に旅立っている朱亞を見て、桜綾は眉を下げて彼女を見つめていた。


「――とりあえず、朱亞の知識はすべて村で教わったことなのね」

「あ、はい。そうです。私がひとりでも生きられるように、教えてくれたのだと思います」


 それ以外の知識も詰め込まれているような気がするけれど、と桜綾は扇子を取り出して口元を覆う。


 そして、朱亞がどういう環境で育ってきたかを想像し、わしゃわしゃと彼女の頭を撫でた。


「わ、わっ、どうしたんですか?」

「いつか朱亞の住んでいた村の人たちに会ってみたいわ。どんな人たちなのか、とっても興味があるの」

「そうですね! 私も胡貴妃のご家族に会ってみたいです!」


 こんなに美しい桜綾の家族なら、きっと同じように美しい人なのだろうと考えて、朱亞は瞳をきらきらと輝かせて彼女を見る。


「わたくしの家族に興味が?」

「はい。ご迷惑でなければ、お会いしてみたいです」

「うふふ。そうね、機会があったらぜひ会って欲しいわ」


 桜綾は自身の両親と朱亞が話すところを想像して、ほんの少しだけ和んだように目元を細めた。


 胡商会は銀波ぎんぱだけではなく、各地にある。もちろん、帝都にも。帝都まで両親が来ることもあるだろう。そのときに、朱亞と両親を会わせて、感想を聞きたいと考える。


 朱亞の知識を、両親はどう感じたのか、と――……

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