第39話 ツルツル

 「て、適当にくつろいでくれや」


 「う、うん」


 俺しかいない家の中に、峰一縷が入り込んだ。


 親父や多恵子さんのような余計な口をはさむ人間がいないのは嬉しいことだが、女

子と2人きりとなると、それはそれで別の緊張感が身体中を走る。


 さて、どうしたものか。


 無駄に広い厨房に立ち、フライパンを探す。冷蔵庫からベーコンと卵を見つけたの

でベーコンエッグにしようと決める。晩飯よりも朝食に登場するようなおかずだが、

俺でも手早く作れるし、すでに加熱調理されたベーコンを使用するため食中毒の心配

はない。


 「土屋君」


 「うわっ!?」


 峰の声に半歩飛びのく。熟慮していて気付かなかった。


 「そんなに驚かなくても」


苦笑する峰は、多恵子さんや輔が使うエプロンを着用していた。


「くつろいでくれって言ってたろ?」


「ごめん、土屋君のおうち、立派過ぎて落ち着かないんだよね。それに、1人で料理

させるのは忍びないし、それなら2人で、その、…共同作業をした方が楽しいと思っ

たから」


「いや言い方」


言葉を選んでくれ。共同作業という言葉の内容から繰り広げられる妄想。峰と俺が一

生のパートナーになり、一緒に何かを取り組むようなイメージ。恥じらうなと言われ

る方が無理がある言葉。


「あ、あわわ。ごめん! 今のナシ!」


本人も言葉の破壊力に気付き、顔を真っ赤にする。


「と、ところで土屋君! ベーコンエッグだけだと身体に悪いよ」


「別にいいだろ、タンパク質豊富じゃねえか。一食くらい野菜を抜いたって死にやし

ねえよ」


「不確定なこと怖がってるのに、そういうのは怖くないんだ」


「まあな、どうあがいたって死からは逃れられないからな。長生きできればそれに越

したことはないけど。病気に気を付けたって事故や他殺でポックリ逝くかもしれねえ

し」


「ふぅん、そういうものなんだ」


冷蔵庫を開けて「野菜、野菜」と口ずさんで野菜を探す峰一縷。


「なあ、俺の話聞いてたか?」


こいつは俺の言葉を上手に受け取ってくれない時があって、少し鬱陶しく感じる。や

れやれ、とため息を吐いていた俺は、まんまと彼女に不意を突かれた。


「私は、土屋君に長生きしてほしいから」


「え」


「もしも土屋君と、大人になっても一緒にいられたら、先に行かれるのは寂しいよ」


「なんだよそれ」


「言葉通りだよ。人参見つけたから肉じゃがにしよっか」


照れくさそうに俺から目をそらし、包丁とまな板を用意する峰一縷。


それからは黙って料理を作り始める。丸い猫目が、一本の人参に集中する。人参では

なく自分の指を切り落とさないか心配だ。


しかし、危なげなく赤い皮をむき、赤い円錐形をとん、とん、と小気味のいい音を立

ててカットしていく。


「お前、料理得意だったんだ」


「うん。普段から料理は作ってるから、これくらいなら序の口だよ」


頬にかかった髪を手の甲で払い、俺に笑いかける。いつも意味の分からない言動や行

動に出る峰が、急に大人になったように見えた。


「へえ。いいじゃねえか」


バクバクと高鳴る心臓を誤魔化すように余裕を装った賛辞を送ると、「ありがと」と

笑って、鍋を探し始めた。


「普段から料理ってことは、親が共働きで、料理を任されてるとか?」


 このまま黙ってしまうと、本当に峰のギャップに押しつぶされそうになるので、得

たばかりの情報からそれらしい質問を投げかける。


 「ううん」


 峰の声が少し沈んだ。


 「あ、そっか。土屋君には言ってなかったよね」


困ったような笑顔を作り、言った。


 「お父さん、私が小学校を卒業するときに死んじゃったんだ。だから、お母さんと

2人暮らしだよ」


 罪悪感。


 もう昔のことだから、と割り切っているように笑う峰。


 「でもお母さんは私が幼稚園のときからキャリアウーマンだったんだよ。今は化粧

品メーカーの宣伝部長で、鬼の峰さん、なんて言われてそうなくらい、家の中でもパ

ソコンをカタカタしてて怖いんだから」


 相手を安心させるように増えていく口数。


 知らなかった。


 こいつは、本当に強い奴だよ。


 出かかる謝罪の言葉を飲み込む。峰の気遣いを無駄にしないために、俺は峰の笑顔

を助長した。


 「お前、うっかり屋さんだから、よく怒られただろ」


 「うう、そうなんだよね…、思い出させないでよ」


 情景を思い出しながら、苦虫をかみつぶしたような顔を見せる峰一縷。


 他愛のない話をしていると肉じゃがが完成し、ベーコンエッグと一緒に食した。


 その間も、母親に内緒でカエルを3匹飼っていたり、スカートをめくった男子に思

い切り金的を食らわせた話で盛り上がった。すべてが俺には未経験で、別の次元から

やって来た少女のようだった。


 女子として強く意識し過ぎた過剰な緊張感は消え去り、いつものように峰一縷に呆

れながらそれでいて笑えた。


 にしても、最近、直感的に感じてしまうことがある。


 「峰」


 「うん?」


 呑気な顔で名前を呼ばれた理由を尋ねる峰一縷に、俺は不意を打つようにある一点

を見つめながら質問を投げかけた。


 「お前、最近、妙に手がツルツルだな」


 「っ!?」


 追われる魚のように引っ込んだ両手。持ち主の顔が見る見る赤くなっていく。


 「そ、それは! あれだよ土屋君! 体育祭はフォークダンスがあるんでしょ!? 

だからその、たしなみというか、エチケットというか、なんというか。と、隣のクラ

スの男子とも手をつなぐわけだから、そういう手入れもしておかないとじゃん!」


 峰が騒がしく弁明する。隣のクラスの男子である俺はその声だけを聞く。なぜな

ら。


 「そんな土屋君だって、なんか肌がきれいになってるよ」


 「はあっ!?」


質問した俺もまた、顔が熱くなるのを肌で感じた。


「そ、それはあれだ。お前と一緒で、たしなみだ。と、隣のクラスの女子とも手をつ

なぐわけだし、な」


向井にいる隣のクラスの女子に目を合わせられない。心臓がバクバクと音を立てる。


「だ、だから最近、土屋君のカバンの中にハンドクリームとか制汗剤が入ってるわけ

か」


「覗き見してんじゃねえ!」


 全く、この女ときたら。


 変な空気を纏わせたまま、隣のクラスの女子が作ってくれたおかずを口に放り込ん

だ。

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