8話 「愛ゆえに」

桜田邸 地下


「……な、何があったんだ……?」


 イッキが目を覚ますと、いつかの時のように周りは真っ暗な空間だった。

 おまけにデジャブなのか、両手両足が縛られているようで動かない。

 よく自分の状態を確かめると、どうやら鉄製の椅子に座らされていて、椅子に両手両足が固定されていることが分かった。


「大丈夫? 一輝君」


 本気で心配そうに思っているかのような声が、正面から聞こえてくる。

 目が闇に慣れてくると、その人物が誰かはすぐに分かる。


「……桜田……」

「依姫でいいよ」

「えっと……何で俺縛られてんの? つーかここどこ? みんなは?」

「ここは私の家の地下。一輝君のために用意した部屋。天使の子たちは上で縛ってる。邪魔だったからね」

「……ごめん。よく意味が分かんねぇんだけど」

「もちろん一輝君は縛られたところでいつでも解けるって知ってる。でも上の子たちが人質にされたら動けないでしょ? どう?」

「どうって……」

「これから一輝君はここで暮らすの。一生一緒にね」

「……」


 イッキはわけも分からずあんぐりと口を開けていた。

 目の前の少女は自身が想像していた以上に危険な人物だった。


「さっきはごめんね? ちょっと動揺して右アッパーを撃ち放っちゃった」

「あの体勢から……?」

「よく考えたら一輝君だって私と同い年なわけだし、そんな経験があってもおかしくはないものね? 最終的に私のもとに貴方がいればそれでいいわけだし」

「……依姫。何というかその……分かった。お前の気持ちはよく伝わった。うん。ただ、一つ分かんねぇんだ。まさかお前一人の力でみんなを拘束したわけじゃねぇだろ? ……そうだ。さっきの幽霊は? アイツの所為でお前、おかしくなったんじゃねぇのか?」


 ここに来てイッキの勘は鋭く働く。

 彼の声に合わせて、アクォルはどこからともなく姿を現した。


「こんにちは。私の名前はアクォルです。幽霊ではなく愛の神です。よろしくお願いしますね、候補生天使さん」

「……アイノカミ? 愛の……神? 何で神様が……いや。アイオンと同じか? お前、依姫を利用して何か悪さ考えてんじゃねぇだろうな?」


 自分を心配してくれたことで、勝手に依姫は頬を赤らめる。


「おやおや、アイオンさんと一緒にはされたくないですね。彼は私達他の神にも何を考えているのか分かりませんから」

「じゃあ何が目的なんだよ」

「依姫さんには力があります。神に匹敵する愛の力が。だからこそ私はその力を確かめたいのです。愛の神として、ね」

「意味分かんねぇ……。もっと分かりやすく言ってくれよ」

「依姫さんの愛を成就させることが私の目的です」

「……良い奴なのか悪い奴なのか分かんねぇな」


 イッキはまだアクォルに敵対心を持っていない。

 もちろん自分を拘束して人質を取った依姫に対してもだ。

 ただ単純に、この状況を打開する手段だけを探し続けていた。


「確かに私はアクォルに力を貸してもらってるわ。でも知ってる? 一輝君。天使はね、人間に手を出すことが出来ないの。それに天界の決まりで、神様が人間に干渉しているところをなるべく邪魔してはいけないっていうのもある。どっちにしろ上の子たちも一輝君も私に対しては何も出来ないってこと」

「……そう……なのか? あれ? そう……なんだ……」

「どうかした?」

「いや、何でもない」


 するとアクォルは身を乗り出して着席したイッキに耳打ちをした。


「付け加えると、今の依姫は私の力で愛が暴走した状態なのです。まあ、彼女の潜在能力を引き出しただけとも言えますが」

「何……!?」


 すぐにアクォルは傍を離れたが、依姫は若干苛立っている。


「何? アクォル、何か余計なこと言った?」

「いえ、いえ。何も言ってませんよ」


 依姫はアクォルをひと睨みだけして、また笑みを戻してイッキに近付く。


「……まあとにかく、これで一輝君は私のものになるしかない。さあ一輝君。もう一度さっきのやり直しから始めましょう? 私の告白を……今度は受け取ってくれるでしょ?」

「ま、待て! 依姫! お前、多分コイツの所為で変なことになってんだよ! 目を覚ませって!」

「私はずっと起きてるけど? 照れ屋なの? 一輝君」


 告白どうこうより先に、何故かもうキスをしようと顔面を近づけている。

 イッキは最早手段をすべて失われ、人質がいる以上抵抗には意味が無い。


「よ、依姫……」

「ずっと……」

「え?」


 その時、突然依姫の動きが止まった。

 キス直前だったというのに、彼女は何故か体勢を戻してしまった。


「あら、あら。どうしました? 依姫さん」

「……ずっと、私は貴方を想い続けてきた」


 別に襲う気が失せたわけではなく、ただ万感の想いが込み上げてきただけだった。

 彼女の目頭は熱くなっていく。


「ねぇ、一輝君。私の家に来て……どう思った?」

「え? ど、どうって……そりゃ、広いなぁって……」

「でも、ここに住むのは私だけ。私はずっと……一人だった」

「!?」


 イッキはもう一人同じ様な境遇の人物を知っていた。こんな時に、彼女の顔を思い出す。


「……朝起きたら『おはよう』って言ってくれる人がいなくなって……私がどれだけ寂しかったか、他のみんなにはきっと分からない。だから……だから、毎日私に『おはよう』って挨拶してくれることが、それだけのことが……私は嬉しくて、嬉しくて、嬉しくてしょうがなかったの……!」

「依姫……」

「……ありがとう一輝君。私は貴方ともう一度会えて、本当に嬉しかった。本当は……それだけでも良かったんだけど。どうしても、何故か頭と体が動いちゃって」

「……」

「嫌かもしれないけど……ごめんね」


 そうして、もう一度顔を近づけていく。

 その瞬間はほんの数秒にも満たず、とても静かな出来事だった──



 数秒ののち、全身をイッキから離して、依姫は涙を拭う。


「……さて。それじゃ一輝君。これから──」


「いいよ」


 涙を拭っていた依姫の手が止まった。


「……え?」

「だから……決めたよ。俺、お前と一生一緒にいる。そんなに想ってくれていたのに、俺はずっと気付かずにいたんだ。そんで勝手に死んじまってさ。酷い奴だよな、俺って」

「か、一輝君……?」


 そんな言葉が返ってくることを、依姫は全く予想していなかった。

 彼女が運命論を語るように自分とイッキのことを語るのは、ただの強がりでしかなかったのだ。


「お前の言うことは何でも聞くよ。だから上のみんなのことは解放してやってくれ。学園の方にも迷惑かけるけど、その分の借りを返す時間は欲しい。あとそれと……恩人がいるんだ。だから、そいつにも借りを返さないといけない。一生お前の傍にはいてやりたいけど、それだけは譲れない。そこだけは……頼むよ」

「……ッ!」


 イッキの目は本気だった。

 常に見てきた依姫だからこそそれくらいは分かる。

 彼は本気でこれから先ずっと自分の傍にいて、これまでの全てを清算する気でいるのだ。


「依姫? 聞いてる?」

「……それって……同情でしょ?」

「は?」

「私のことを好きだからじゃない。私が可哀想だからそう言ってくれてるだけでしょ? 分かってる」

「それの何が駄目なんだ?」

「え?」

「同情することの何が駄目なんだよ。お前のこと可哀想って思うことの何が駄目なんだよ。可哀想だから守ってやりたいって思うことの何が駄目なんだよ。そこから好きになっていってもいいじゃんか。俺は……俺はそうする気だ! 同情からでも何でも、お前を好きになるって決めたんだ! もう訂正しねぇぞ!」

「……一輝君……」


 依姫は、たった今ようやく自分の本当の気持ちに気付いてしまった。

 彼女はずっと、イッキの……いや、燃城一輝のことを憧れていたのだ。

 彼が死んだ日、アクォルに彼が天使となって生きていることを聞いて、彼女はそれだけで、それだけで安堵していたのだ。


「……どうしました? 依姫さん」


 完全に停止した依姫を見て流石のアクォルも少し戸惑い始める。

 だが、声を掛けたその瞬間、依姫はイッキの鎖を無理やり素手で引きちぎった。


「えぇ!?」

「……ありがとう一輝君。もう……いいよ」

「え? い、いいって何が……?」

「……一輝君は知らないと思うけど、天使と人間の間に子どもは生まれないんだよ。そうでなくても、天使は下界の空気に当てられ続けると体を壊すように出来てるの」

「え……えぇ!? そ、そうなの!?」


 全て彼女がアクォルから聞いた事実だ。

 本当は、そこまで分かっていながらここで二人きりの人生を終えるつもりでいたのだ。


「愛があれば何とかなるって思ってたけど……やっぱり流石にね」

「あ、ああ。何とかならねぇって奴かもしんねぇな……」


 少し驚きつつイッキは椅子から降り、依姫は下を見つめた。


「……私が間違ってた。一輝君、私……一輝君に幸せになってほしい」

「依姫……」


 パチパチパチパチパチパチ


 アクォルが両の袖を合わせると、何故か拍手のように音が鳴る。


「感動……しました」


 イッキと依姫が見つめる先、彼女は何故か涙を浮かべていた。


「ああ、ああ、これが、これが人間の美しく尊い愛の形なのでしょう。私はきっとこの結末を見るためだけに依姫さんに力を渡したのかもしれません」

「そうなの?」

「ええ、はい。きっとそうです。下界に来た意味がありました。ではお二人ともまたご機嫌よう。私はまた別の愛を探しにまいります故」

「待って。アクォル」


 涙ぐみながら去ろうとするアクォルを、依姫は小声で制した。


「ええ、はい。何でしょう? 依姫さん」

「私の愛はまだ終わってないわ」

「……はい?」

「そうでしょ? 一輝君」

「はい?」


 依姫は、ビシッと勢いよくアクォルの方を指差す。


「今! 私はとうとう本当の私を取り戻したのよ! ええ、きっとそう! きっとこれまでの私は、この胡散臭い神とやらによって操られていたの! きっと! ええ、多分!」

「……はい?」


 だんだんと、アクォルは戸惑いを表情にも出し始める。


「あ。そういえばさっき言ってたな。そうか! やっぱりお前の所為で依姫は変になってたのか!」

「ああ、いや、それはまあ、少しは、はい」

「さあ! 一輝君! コイツが全ての元凶よ! ぶっ飛ばしちゃいましょう! さあ! さあ!」

「分かったぜ!」

「え?」


 そして、天使の一撃が神の土手っ腹に突き刺さる。

 依姫が暴走していたのは、確かに一部はアクォルの力が入り込んだせいだったかもしれないが、実際のところは分からない。その事実を知るのは依姫本人だけだろう。

 とにかく、下界の人間の愛を鑑賞したかっただけのアクォルは、完全に人選を誤ってしまっていたのだ。


     *


数刻後 桜田邸 玄関


「……じゃあ私、今度こそ帰りますので」

「もう悪さするなよー」

「……」


 不満な表情のままアクォルは下界を去っていった。

 既に依姫によって縛られていた三人は解放されている。


「……で? 最終的にどうなったの? イッキ君」


 若干の疲労感を出しつつ、呆れながらヴィオラは尋ねた。

 その傍には神を追い払ったイッキに引いているベンとダックもいる。


「いいわ。三日間くらい部屋貸しても。どうせ私一人だけだし」

「マジで良いのか? 依姫……」

「いいったらいいの。気にしないで」


 少しやけになっている部分もあるが、彼女的には吹っ切れた気でいた。


「なんだか疲れたわ……。イッキ君が元人間だっていうのもそうだけど、人間に力を貸す神様がいるってのも驚いたし」

「割とよくあるらしいぜ?」

「よくあっていいんスかね?」

「ま、何でもいいだろ」


 溜息を吐きながらイッキ以外の天使三人は依姫の家の中に戻っていく。

 そして、依姫は再びイッキと向かい合った。


「ねぇ一輝君」

「何?」

「さっき言ってた『気になってる人』って、やっぱり春原さんのこと? でも、彼女は──」

「分かってるよ。というか違うから。今は……違うんだ」

「……そっか」


 自分の知らないところでイッキの心を動かす相手が現れたことに嫉妬しつつも、彼女の心はそこまで暗くなってはいない。

 既に一人で歩き出す力を、もう十分にイッキから貰っていたからだ。


「じゃあ入って。ご飯、みんなで作ろっか。…………イッキ君」

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