6話 「告白」

同日 午前十時四十五分 桜田邸


 ここは桜田依姫の自宅。

 イッキたちは、彼女に案内されてこの広々とした家を利用させてもらうことになった。


「ありがとう! でもマジで良いの?」

「ええ。一輝君とそのお友達が困ってるのなら……私も手助けしたいから」


 何も疑問を口に出さず、当たり前のような口振りで依姫は微笑む。

 だだっ広い居間のソファに座りながら、イッキ以外の三人は彼女とイッキの関係を不審に感じていた。


「あの……イッキ君。それで、これは一体どういうことなのかしら?」

「いや、それが俺も分からねぇんだ」

「はい?」

「なぁ、何で俺が生きてることに驚かないんだ? 俺……こっちじゃ一度死んだことになってるはずなんだけど……」


 他の皆が訳も分からずにいる中、依姫だけは何故か微笑み続けていた。

 流石のイッキもそんな依姫の態度は妙でしかない。

 いや、それ以前にそもそも──


「この家を使わせてあげる代わりに、お願いしたいことがあるの」

「へ? 何?」

「今度こそ……私の告白を受け取って。そして、一輝君は永遠に私のものになるの」

「……………………はい?」


 一瞬その場が静まり返るが、黙っていられる場合ではない。


「え? 何々どういうこと?」

「さ、さあ?」

「良いなぁ……」


 天使三人は完全に置き去り状態。

 イッキは頭を掻きながら尋ねる。


「その……もしかして、俺が死ぬ前に言おうとしてた……アレ?」


 依姫は微笑みながら頷いた。


「ああ……なる……ほど……ね。なる……なる……」


 彼女の笑みを見て、イッキは目を泳がせ始める。


「一輝君、私──」

「ちょっと待って」


 これを言ってはまずいと気付いてはいたが、言わないわけにはいかない。

 どんな状況でも、半端な気持ちで相手の好意を受け取ることは出来ないからだ。


「……まず名前聞いていい?」


 再び静寂が訪れる。

 彼にとってその質問をするのは初めてではない。

 以前それを聞いた時は返答を貰えなかっただけなのだが、今回まずいことになるのを避けることは出来なかった。


「……」


 闇の如く黒いオーラが依姫の背後を覆う。

 その心中は彼女の様子から見るも明らかだった。


「ちょちょちょイッキ君! それは駄目でしょ!?」


 何も知らない三人が慌ててイッキの傍に寄って来る。


「失礼っスよ! いくら何でも!」

「取り敢えず謝っとけ!」

「ごめん!」

「いやあっさりし過ぎよ!」


 天使連中の狼狽も、今の依姫の耳には入っていない。

 既に彼女の背後を覆うオーラは比喩ではなく本物に変わっていた。


「…………近付かないでもらえる?」

「「「え?」」」

「今、私と一輝君は大事な話をしているの。だから……ね?」

「「「はい!」」」


 怒気を必死に隠すような小さな声を受け、三人は体を震わせて大きなソファの後ろに逃げ隠れた。

 およそ人間を導く天使の態度ではないかもしれない。


「……あの。マジでごめん。というかさ、そもそも俺の名前よく覚えてたよな。一回しか言ってなかったような記憶があるんだけど……」

「……ええ。そうね。確かにそう。よく思い返せば、一輝君は私と廊下ですれ違う度に挨拶してくれたけど、私の方はまともに返してあげたことすらなかった」

「だ、だよな? そうだよな? つーか『おはよう』とか『よ!』とか『やあ』とかくらいしか言葉を交わしてねぇぜ俺達。どういうアレ? これ」


 下界で死ぬ前の傷心中だった頃とは異なり、今のイッキには精神的な余裕がある。

 加えて何よりも大きな違いとして、今のイッキは仮に依姫から告白を受けたとしても、確実に断ることが決まっていた。

 そんな違いがどういう結果を生むのかは──残念ながらこのイッキには分からない。


「……でも私はずっと貴方のことを想っていた。一度しか会話をしてないのに毎回挨拶してくれる、貴方の笑顔に救われていたの」

「そ、そう……なの? 俺、顔見知りなら誰だろうと挨拶くらいするけど……」

「そういうところが嫌だったの!」

「ふぇ!?」


 突然の大声にイッキも後退る。

 彼女の情緒は自分で抑えられる限界を既に超えていた。


「どうして私以外の人に声を掛けるの? どうして私以外の人と仲良くするの? 意味が分からない」

「俺も意味分かんねぇよ……」

「それに! どうして私に何も言わずに勝手に死んじゃったの!? 百歩譲って死んだなら死んだことを教えてくれてもいいじゃない!」

「ご、ごめんなさい……」

「おまけに勝手に天使になって! こっちにまた来るのならそれを先に教えてくれてもいいでしょ!? 私がアクォルに会えてなかったらこうして再会できなかったのよ!?」

「な、何だって? いや、ちょっと待て。何で俺が天使だってことも知って──」

「アクォル!」


 依姫の叫び声と共に、愛の神・アクォルは闇の中から姿を現す。

 そこでようやくイッキたちは、その黒い闇が依姫の気合いで生まれたオーラではなく、神気だということに気付いた。


「な……何だ……コイツ……」


 まだ天使となったばかりのイッキは見た目や神気から正体を掴むことは出来ないが、他三人は彼女の正体にすぐに気付く。


「あ、愛の神……」

「アクォル様……?」


 天使にとって神々はそこまで遠い存在ではない。

 ヴィオラたちもアクォルを実際に見たことが何度かあったのだ。


「ええ、ええ。ここですよ依姫さん。どうしました?」

「どうしたもこうしたもないわ。というかアクォル。私、一輝君だけに用事があったのだけど。どうして要らないのが三人もいるの?」

「ああ、それは、彼だけを本来とは違う場所に送り出すというのが、流石に難しいということになったようでして。ラヴァルを責めないであげてください」

「貴方を責めてるの」

「おやおや……うふふ」


 依姫はアクォルに目を合わせようともしない。

 彼女にとってアクォルは、イッキと再会するための手段でしかなかったのだ。


「一輝君。貴方が死んで天使になった話はこのアクォルから聞いたの。それで私、頑張ったんだよ?」

「な、何を?」

「アクォルの信者の天使に協力してもらって、一輝君をこの人海町に来るように仕向けたの。こうしてもう一度告白をする機会が欲しかったのと……当然、二度と貴方を放さないために」

「え……一度目はいつだ?」

「だから私の告白をしっかり受けて。ああ、そうだ。名前、聞かれたんだっけ? 絶対に忘れないでね? 私の名前は桜田依姫」

「……そ、それで……?」


 アクォルの神気が居間中を包み込み始めている。

 敵意は無いが、殺意を感じられる空気だ。



「好きです。私は貴方を……愛しています」



 困惑したヴィオラたちも思わずゴクリと息を飲んだ。

 依姫の告白はそれだけ迫力を孕んだものだった。

 そして、流れで三人ともイッキの返事を待つ。


「ごめん」

「……」

「気持ちは嬉しいけど、俺今気になってる人が……いや、人? まあそんな感じのがいるから」

「……」


 三度目の静寂が、時を止めるかのようにして訪れる。

 イッキは本音を述べただけだが、ヴィオラたちは早くも察して半分パニックになりかけている。

 だが意外にもアクォルと、そして依姫本人は落ち着いていた。


「ああ、素晴らしいです……。愛はまた別の愛でこそ打ち負かされる。これぞ人間の愛。素晴らしいものを見られて私は満足です。ええ、満足ですとも。ありがとうございます、依姫さん」

「……」


 それが、たったそれだけのことが、アクォルが神嗣学園の課外授業を邪魔した動機。

 そして今落ち着いている理由でもあるが……依姫は違う。

 平たく言って、嵐の前の静けさだ。


「スゥ……」


 大きく息を吸い、彼女はすさまじい眼光でイッキの方へ走り出した。


「うおぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「うおぁ!?」


 抵抗する気のないイッキは簡単に押し倒される。


「ご、ごめん! ホントにごめん! いくらでも殴っていいから! 頼む! 追い出さないでください!」

「……まだ、春原さんのことが好きなの?」

「え?」


 涙を浮かべながら、依姫は瞳に僅かだが光を取り戻していた。

 彼女の感情がどれだけぐちゃぐちゃになっているかは、もう誰にも分からないだろう。


「……じゃあせめて……貴方の初めてを貰い受ける!」


 そう言って、無理やりイッキの顔に自分の顔を近づけ始める。


「え、いや……キスはしたことあるけど……」

「……」


 それが、引き金となった──


「うやあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 イッキの視界は、完全な闇で染め上げられる。

 こればかりは、半分は彼の自業自得とも言えなくはないかもしれないが。

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