第31話

 シェヴェルが俺を見てたずねる。


「アテはあるのか。ヴィダー全域ぜんいきはかなりの規模きぼだぞ」


 俺は机に戻ると、書庫にあった町の地図を広げた。

 外から見えないように、窓を背にして立つ。


「この街はおおよそ円形で、分厚い城壁が周囲を取り囲んでいる。住人の話だと、これで魔物の侵入を防いでいるとのことだった。かなり強固な城壁だ」


 アリスが俺の横から地図をのぞく。

 すぐに何かに気づいたようだった。


「もしあの怪物が街のどこかの施設から逃げ出したのなら、まず市内で多くの被害が出そうですね」

「俺もそう思う。しかも城壁のせいで、化け物は外へ出ることが難しい」

「やはり城壁の外に施設があり、そこから逃げ出したのでしょうか」

「いや、街の外なら人目につかない森の中に建てるはずだが、そうなるとたどり着くまで常に魔物の襲撃しゅうげきおびやかされることになる。俺たちに討伐を頼むくらい兵力が無い状態で、わざわざ城外に施設を作ってはいないだろう。おそらく街の中でも外へ直接通じる場所、つまり城壁のそばに施設はあるはずだ」


 俺は地図の城壁に沿って指を動かし、公爵邸の周囲で止めた。


「公爵邸は街の北のはしに位置していて、建物の西翼、北の端が城壁と一体化している。ここからなら、建物内から直接城外に出られそうだな」


 アリスは驚きの表情を浮かべる。


「まさか……この屋敷内にですか?」

「ある意味、一番適している場所じゃないか。本当にあんな怪物をどこかで作り出しているなら、噂ですら流れるとまずい。城外に孤立した怪しい施設があれば目立つし、これだけ大きな屋敷であれば場所を確保することも容易たやすいだろう。万一、問題が起きても全て屋敷内で片付くし、誰にも不審に思われず住人の目をあざむき続けることも可能だ」


 シェヴェルが横から口を挟む。


「そこまでの施設なら、逆に逃げ出すすきがなさそうだが」

「それは俺にもわからない。何らかの手違いがあって、たまたま一匹逃げ出したのかもしれない」


 そこまで口に出して、俺は気づいた。


「……そうか。やつ『だけ』が生み出されたとは限らないよな……」

「私はさっきからそのつもりで話していたのだが。最悪、何匹いるかわからない奴らを相手にすることになるぞ。それでもやるのか」


 俺は一瞬、迷った。

 俺はいいとして、アリスや元から乗り気ではないシェヴェルを巻き込むには、改めて考えるとリスクが高すぎる。

 だが——


「俺はやはり悪事を看過かんかするわけにはいかないよ。アリスとシェヴェルは、危うくなったら逃げてくれ」

「バルト様、何をおっしゃるんですか!前にも言いましたが、私はバルト様にどこまでもついていきます!」


 アリスは俺の目を真っ直ぐに見つめる。

 その目には強い決意が感じられた。


「アリス……」

「私も先ほどの繰り返しになるが、お前たちがそうする以上、私は手を貸す以外の選択肢はない」


 シェヴェルもそう続ける。

 俺はアリスとシェヴェルを見返した。


「二人とも、ありがとう」

「では、文献調査はこの辺りで切り上げるとするか」


 俺が地図を元に公爵邸の大まかな見取り図を紙に書き写している間に、アリスとシェヴェルが本を元あった棚へ戻していく。

 一通り本を片付け終わった後で、アリスが俺に尋ねる。


「あれ、これで全部ですか?」

「だと思うが」

「何か問題でもあったのか」


 シェヴェルの問いに、アリスが答える。


「本棚にちょうど一冊分の隙間すきまがあるんです。まだ戻していない本があると思ったのですが……」


 シェヴェルが何かに気づいたようにアリスを見る。


「その棚に案内してくれ」


 アリスは書籍がずらりと並ぶ棚に俺とシェヴェルを連れて行った。


「ここです」


 アリスが言うように、棚の一角にちょうど分厚めの本一冊分の隙間ができている。


「たまたま本を置いていないだけじゃないか」

「他の棚は全てぎっしり詰まっているのに、ここだけ歯抜けみたいに空いているのは変ですよ」


 シェヴェルが尋ねる。


「本の戻し違いでないのだな?」

「もちろんです!他の本は間違いなく元の場所に戻しました」


 シェヴェルは棚をしげしげと見つめた。

 歯抜け部分の手前の棚板を、右手人差し指でそっと一撫ひとなでする。

 続けて本が詰まっている箇所の棚板も同様に指先でで、納得したようにうなずいた。


「棚には全体的にほこりがうっすら積もっているが、この歯抜け箇所だけ全く積もっていない。つい最近、ここにある本を我々以外の誰かが抜き出したのだろう。先ほど書庫を清掃するとか言っていたが、ここの本の存在を私たちに隠すため片付けていたのかもな」

「単に、何か調べものがあって持ち出した可能性は?」

「そうかもしれない。だが、それならなぜグイードは『書庫はしばらく使用していない』などと無意味な嘘をついたのだろうな」

「……言われてみれば、確かにみょうだな」

「そもそもこれだけ立派な書庫をしばらく使っていない、などということはないと思うが」


 シェヴェルは顔をゆがめた。


「ゼーゲ公といい、グイードといい、ここには食えない奴らしかいないな」


 俺は本棚の空いた一角を見つめる。


「ここにあった本は何だろう。彼らは一体、俺たちから何を隠したいんだ」


 アリスが本棚全体を確認する。


「本はジャンルごとにきちんとそろっていますので、並びから考えると魔導書の区画ですが……」

「隣の本の背表紙を見てみろ」


 シェヴェルは歯抜けの右側にある本を指差した。

 相当の年季ねんきもので、手に取ると崩れそうなほどにボロボロだ。

 タイトルもかすれてかなり読みにくいが、何とか判読できた。


「……『テウルギア・ゴエティア』……?何だこの本は」

「古に書かれた魔術書『レメゲトン』の第二部だ。その右隣は第三部。反対に、歯抜けの左隣は全く関係ない、おそらく最近書かれた魔導書だ」


 アリスが驚きの声を上げる。


「……まさか、ここにあったのって……『ゲーティア』!?」

「もしそうなら、良くも悪くも大発見だな」


 シェヴェルはいくぶん声のトーンを落とした。

 訳が分からず置いてけぼりを食らった俺は、思わずシェヴェルへ尋ねる。


「さっきから二人とも何を言っているんだ。俺にもわかるように説明してくれ」


 シェヴェルは面倒くさそうに俺へ向き直る。


「『レメゲトン』は古より伝わる魔術書で、名も無き偉大な魔法使いたちによって編纂へんさんされたものと言われている。全五部構成だが、そのうち第一部、通称『ゲーティア』は過去イーサ教会によりすべて焚書ふんしょされ発禁はっきん図書になった。今ではその実在すら不明な幻の書だ」

「魔術書なのに、教会が発禁扱いしているのか?」

「神のわざを人間が再現する方法について書かれていたのがその理由、というのがもっぱらの噂だ。とはいえ今や実物を見た人間はいないので、真偽のほどは怪しいが」

「神の業……」


 俺の頭の中で、ようやく全てがつながった。


「そういうことか。ゼーゲ公は何らかの方法で奇跡的に現存した発禁図書『ゲーティア』を手に入れた。そこには神の業、例えば怪物を産みあやつるような技が記されていて、それを使ってあの怪物を作り出した。その可能性があるってことだな」

「仮説に仮説を重ねただけだが、てるには惜しい妄想だ」

「でも待てよ。そんな大事な本なら、こんな見えやすい場所に置かずに隠しておくんじゃないか?」

「ここは錠前つきの私設の書庫だ。公爵家のごく限られたものしか立ち入れない。私たちが申し出なければ、そもそも部外者に使われることなどなかっただろ」

「……そういえばそうか」

「これだけの書庫があるのに、文献を探す私たちの立ち入りを拒否すればかえって怪しまれる。彼らもやむを得ず私たちに使用許可を出したに過ぎない。しかも来たのは『レメゲトン』を知る可能性のある魔法使いに妖魔ようまだ。万一にでも『ゲーティア』の存在がバレないよう、急いで書庫から移動させたのだろう」


 シェヴェルは神妙な顔つきで続けた。


「私も気が変わった。この件、何としても真相を突き止めなければ」

「シェヴェル……ありがとう」


 俺の言葉が聞こえているのかいないのか、シェヴェルが遠い目をする。


「しかし何の因果いんがか、皮肉ひにくなものだな」

「……何のことだ?」


 シェヴェルはうつむいたまま、いつものように俺の問いに答えない。

 なぜ急にシェヴェルが心変わりしたのかはわからなかったが、これで全員が同じ意志を持つことができて俺は喜んだ。


「とりあえず部屋に戻って作戦会議だ」

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