第30話

 俺の言葉を聞いて、シェヴェルはふいに何かに気づいたように顔を上げた。

 唐突に一冊の本を取り上げてページを開き、食い入るように読み進める。


「……いや、まさかな」

「どうした」


 シェヴェルは本を読み終えると、俺の質問には答えずに黙考もっこうする。


「何か気づいたのか?だまっていられるとわからないんだが」

「ちょっと待て、今、頭を整理している。これから我々がどう動くべきかを含めてな」

「……一体、何を言ってるんだ」


 しばらくして、シェヴェルは俺たちを見た。


「そのまま目線も顔も動かさず、自然に振る舞ったまま聞け。絶対に今から言う方に目を向けるな」

「え、どうしたんだよ急に……」

「南側の建物3階、左から2つめの窓から、グイードらしき人物が双眼鏡でこちらを監視している」


 俺はその言葉に動揺どうようを隠しきれなかった。

 アリスも一瞬、口を抑えかけたが、そのまま手を引っ込めた。

 振り向きたい欲求を抑え、俺はシェヴェルへたずねる。


「……いつからだ?」

「私が気づいたのは、昼食を運び終えて少しした後だ。それ以前からずっと監視を続けていたのだろう」

「なぜ俺たちに教えてくれなかった」

「お前たちに言えば、どうせ気になって動きが不自然になるだろう。あやつの目的が何かわかるまで、伏せておくことにしたのだ」

「単に俺たちがちゃんと報酬分の仕事をしているのかチェックしているだけじゃないか?50000スタールなんて、公爵家にとっても相当な額だろ」

「そう、そこだ。まさかあそこまで積んでくるとは、さすがの私も正直驚いた。そしてますます、奴らへの不信感がつのった」

「どういう意味だ」

「ゼーゲ公は意地でもあの化け物をほうむりたいらしい」


 俺にもシェヴェルの言わんとしていることが何となくわかった。


「何か裏があるということか?」

「ともすると、ゼーゲ公はあの化け物の正体を知っているのかもしれない」


 俺は驚きのあまり言葉を失った。


「いや、いくらなんでもそんなはずは……退治を急ぐのも、単に鉱山の生産量を早く戻したいだけじゃないのか」


 シェヴェルは慎重に俺たちの方へ顔を向ける。


「そのまま窓の外を見ないようにこちらへ来い。奴の死角で話す」


 シェヴェルは先ほどの本を窓から見えないように手に取ると、俺たちを外からの死角となる本棚の奥へと案内した。


「これを見てくれ」


 シェヴェルは錬金術について書かれた書物のあるページを開いた。


「ここに複数の生き物を人工的に合体させて強化する禁断の技術が記されている。こいつ自身は人間が書いた書物で真偽は定かではないが、かつて妖魔が使っていた魔法に似たものがあるのを思い出した」

「まさか……あの化け物がそれによって生み出されたというのか!?」

「あくまで可能性の一つだ。アリスの言う突然変異かもしれないし、そのどちらでもないのかもしれない。しかも私の知っている限り、そもそもその魔法は今、人類の魔法体系に組み込まれていないはずだ」

「だとしても、一体誰がそんな事を……」


 そこまで言って、俺は気づいた。

 すでに先ほどからその答えをシェヴェルがほのめかしていた。


「ヤツが初めて目撃されたのがあの森だ。だが、あの大きさになるまでは当然『食事』が必要だ。どこか遠くから逃げ出してきたのであれば、各地で人間を食らってきたはずだ。何らかの噂が広がって、すでに似たような話がこの町へ届いていてもおかしくはない。だが、化け物の話が出たのはあの森が最初だ」

「単に公になっていないだけかもしれない」

「なくはないが、それよりこの周辺で『生み出された』と考えた方が自然ではないか」


 俺はためらいながら言った。


「……ゼーゲ公がそれに関わっていると言いたいのか」

「その可能性は必ずしも否定できない。この街でそんな芸当をできる知識と金と権力、すべてを持つ者はしぼられる」

「だが……そうだ、ゼーゲ公が化け物の正体も知っているなら、俺たちに頼らずとも対処が可能じゃないのか」

「そうとも限らん。作り出してらすつもりだったものが、手に負えなくなって逃げ出したとしたら?」


 黙り込む俺の横から、アリスが口をはさむ。


「仮にゼーゲ公が何らかの方法で怪物を生み出せたとして、そもそも何の目的があったのでしょうか」

「真っ先に浮かぶのは軍事利用だ。強力な兵士が人工的に量産できる方法を確立できれば国力増強に直結するし、何より今はいくさの真っ只中ただなか。他国に売れば、相当な金になる。輸出のかせがしらが鉄鉱石だけにしては、いささか羽振りが良すぎるのが気になっていたんだが」


 シェヴェルは本に目を落として続けた。


「とはいえ、これは私が先ほどひらめいた話で仮説の域を出ない。だが、あの化け物の異様な姿形、突如としてヴィダー周辺で表れた被害報告、グイードの監視、私たちのようなものにまで金を出してでも解決したいゼーゲ公の事情などを総合的に考えて、完全否定するほど無理のある筋書きではないだろう」


 確かに突拍子もない話ではあるが、一応の筋は通っている。

 戦場では、たとえ現実味のない可能性であっても、それが万に一つでも起きうるのであれば常に頭の片隅に入れておかねばならない。


 俺は頭を今一度整理した。


「俺たちはこれからどう動くべきか、最悪の事態を想定した上で決めなければならないな」


 アリスが心配そうにたずねる。


「それはつまり……ゼーゲ公に裏の顔があった場合、どこまで首を突っ込むか、ということでしょうか」

「ああ。もちろん余計な詮索せんさくはせずに報奨金だけもらって立ち去るのも手だ。だが、万一にでもシェヴェルの仮説が当たっていたとしたら……」


 シェヴェルがそれを受けて答える。


「化け物の元になっているのは、人間か妖魔の可能性が極めて高い」


 その言葉の重みに、俺たちは改めて押し黙る。

 俺は沈黙を破り、口を開いた。


「もしそのようないままわしい業が実際に使われたのなら、それは人間に対する冒涜ぼうとくではないか?事実なら教会だって黙っていないだろう。俺はその悪事をあばく必要があると思う」

「私も同じ考えです。神の名において、そんなことが許されていいはずがありません」


 アリスも俺にうなずく。

 しかしシェヴェルは少し間を置いて、ためらいがちに俺たちを見た。


「同感ではあるが、私は率直そっちょくに言ってこれ以上公爵家に関わる気はない。我々の力だけでどうこうできる範囲を超えている」

「だがもし妖魔が元になっていたらどうする?俺は人間よりむしろその可能性の方が高いと思うが」

「確かに同胞どうほうが何らかの犠牲になっているなら心が痛む。しかし、それと引き換えに受けるリスクが大きすぎる。もちろん、お前たちが望むのなら私は手を貸すしかないが」

「俺はシェヴェルも納得なっとくの上で話を進めたいんだが……」


 シェヴェルは考えこむように下を向いた。


「やはり人の感情は理解できぬ部分があるな。私がそれでいいと言っているんだから、別にいいではないか。いずれにしろ、なるようにしかならんさ」


 少し不満げな俺を尻目しりめに、シェヴェルは続ける。


「まずはあの怪物を倒す必要がある。可能であればりが望ましいが、それも難しいかもしれない。逆にお前たちへ確認したい。私の説が正しかったとしても、あの怪物を手にかける覚悟はあるか」


 俺とアリスはそれが意味しているところを理解した。


「とどめは俺が刺す。たとえ、元人間の少女であったとしても」

「私も覚悟を決めています」


 シェヴェルは俺とアリスの目をしっかりと見つめた。


「いいだろう。手加減してかなう相手ではなさそうだ。わずかでも迷いが残っていれば、即、命取りになるからな」


 気づけばもう日がだいぶ傾いていた。

 俺はアリスとシェヴェルに向き直る。


「明日、夜明けとともにここを出て怪物の討伐に向かおう。だがそれまでにやれることはやっておきたい」


 アリスが俺の目を見て尋ねる。


「やれること……ですか?」

「ああ、シェヴェルの説が正しいのなら、この街のどこかに怪物を生み出した施設があるはずだ。今からそれを探しにいこうと思う」

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