【短編】春の葬送

紫波すい

春の葬送


 春になるとみんな、明るい色をまとうようになる。わたしも普段はそう。寒さに縮んでいた心が弛んで、解き放たれたような気持ちになるから。


 でも今日のわたしが羽織っているのは黒。身長も体型もほぼ同じ母から借りたトレンチコート。


 カツ、カツ、カツ。午前9時過ぎの住宅街に、黒いヒールの靴音を響かせて歩く。


 コートの下も真っ黒だ。カラスのような装いに、母は驚いていたけれど。


 すべて、黒でなければならないのだ。

 わたしはこれから、葬送をしに行くのだから。



〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜



 あの人が消えてしまったのは、未明のこと。


 寝る前に既読の作品を読み返していて、朝起きて続きを、と思ったらページに飛べなくて。慌てて確認したら、全ての作品がなくなっていた。まるで、最初から存在しなかったみたいに。


 そう。あの人はweb作家だった。


 だから正確に言えば、消えてしまったのはわたしが利用している小説投稿サイトのユーザーデータだけで。画面の向こう側にいたあの人はきっと、この世界のどこかで、変わらず日常の中を生きている……のだろう。


 わたしは、あの人の作品の読者のひとり。沈黙しながら熱のこもった眼差しを送り続ける……あの人からは決して見えない、ファンだった。



〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜



 数えきれないほどの花が咲く中から、あの人の作品を見つけたのは、いつのことだっただろう。思い出せないな。初めて読んだ作品のことは、タイトルからオチまで全て鮮明に覚えているのに。


 あの人は、様々なジャンルの短編小説を、書き上がり次第不定期に投稿する、というスタイルの作家さんだった。


 他のユーザーと交流することはほとんどなく、創作日誌という機能を用いて、次に投稿する小説のテーマだけを告げる。


『次回作のテーマはコインロッカーです』


 こんなふうに。


 恐らく、あの人とわたしは「相性」が良かったのだろう。


 愛情をこめて育てた作品には、作家さんそれぞれの個性が現れるものだ。それを形成するのは多分、人生経験とか価値観なのだと思う。


 だから複数人の作家さんが、同じテーマについて、同じ文字数制限の中で書いたとしても、同じ作品が生まれることはきっとない。


 そして読み手にも当然、個性がある。どんなに巧みに書かれた作品でもピンと来ないこともあるし、書きはじめて間もない作家さんの作品に、恐ろしいほどに感情を揺さぶられることもある。


 あの人が書く文章は、表現は、物語は、わたしという人間によく馴染んだ。


 まぶたを閉じれば容易く世界を描けたし、その中に溶け込めた。同じものを感じていると信じられたし、文字の流れに安心して身を委ねられた。


「…………思わなかった、な」


 立ち止まり、小さく小さくつぶやく。

 目の前には、桜のカーテンが広がっていた。


 ソメイヨシノが左右に長く連なる、このあたりでは桜の名所として知られている道。駅に近いこともあり、満開の時期にはそれなりに花見客が訪れる。今は、誰もいないけれど。


 何故だろう。そよかぜに舞い落ちていく花びらが、何も書かれずに引き裂かれた原稿用紙に見えた。


 歩き出す。自分の腕で自分の身体を抱くようにして、それまでより速い歩調で。唇を噛んだのは、涙が出そうになったから。


 そう。露ほども、思わなかったのだ。


『次回作のテーマはコインロッカーです』


 これが、さいごの言葉になるなんて。


 何度も何度も経験してきた。続きを楽しみにしていた作品が、ある日を境に更新されなくなること。好きだった作家さんが、創作日誌で「筆を折る」と残していなくなること。


 仕方のないことだ、作家さんにもそれぞれの人生が、事情があるのだから。創作活動への向き合い方だって、十人十色なのだから。


 それに。わたしの存在を、あの人はまるで知らなかった。顔も名前も、存在すらも知らない人に「さよなら」なんて言えないじゃないか。


 だけど。


「……っ」


 俄かにつよい風が吹いて、ダークブラウンに染めたばかりのロングヘアを揺さぶる。穏やかに降りそそいでいた花びらが翻弄される様を見て、吐息さえもふるえた。


 きゅっと、左手を握りしめる。


 春は出会いと別れの季節。変化の季節だ。


 分かってる。わたしが大学2年に進級するように。みんなが春物のコートを纏うようになり、街並みが一気に色づくように。多かれ少なかれ、何もかもが移ろい変わっていく。


 だけど……どうしてだろう。


 あの人の作品は、ずっとずっと、わたしの人生に寄り添ってくれると盲信していた。


 読めなくなる日が、来るなんて。

 消えてしまうなんて、思わなかったの。



〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜



 他人事のように続いていた靴音が、止まる。


 わたしは葬儀会場に辿り着いた。駅前にひっそりと並ぶ、コインロッカーの前に。


 少し離れて立っただけで、全てが視界に収まる程度の規模だけれど、コインロッカーと考えたとき、真っ先に思い浮かんだのはこの場所だった。


 電車が発着しない狭間の時間だからか、辺りに人の気配はない。おずおずと近づいてみると、ほとんどが空っぽだった。


 わたしの目線の高さにあったひとつのドアを、右手で撫でてみる。死者のまぶたを閉じさせるように、そっと。


 春に冷やされた温度。

 微かな凹凸のある肌触り。

 耳の奥で響く、遺言。


『次回作のテーマはコインロッカーです』


 次は、どんな作品が読めるのかな?

 ジャンルはどれ? 主人公はどんな存在?


 ……そうやって、まぶたを閉じて想像するのが、余暇の贅沢な使い方のひとつだった。まあ、わたしの予想が当たっていたことは、一度としてなかったのだけれど。


 今。まぶたを閉じてみても。

 中に何が入っているのか、見えない。


 まぶたを開けてみても当然、灰色の鉄板が沈黙しているだけ。鼓動が少しずつ、あの人のいなくなった世界に順応していくのが、寂しい。


 握っていた左手を、広げた。


 一枚だけ掴んだ桜の花びらが、風にさらわれて飛んでいく。風の行き先は、うっすらと霞がかった蒼だ。


 明るさに目を細め、わたしはささやく。


「……ありがとうございました。

 さようなら」



〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜



 葬送は、これでおしまい。

 ここからは、あなたへの手紙です。


 驚きましたよね。葬送なんて縁起でもない、と腹立たしく感じたと思います。

 ごめんなさい。でも、web小説の世界には「転生」がつきものでしょう?


 わたしの葬送は、この「意思表示」のため。


 わたしは。

 いつまでも、あなたの転生を待っています。


 あなたがいつの日にか、どこかで転生を遂げ、もう一度、あなたの豊かな世界を、少しだけ見せてくれる気になったのなら。


 わたしは、あなたに言葉を届けたい。


 上に書き記した……わたしが自分の行動をもとにして書いた物語を見てもらえれば、拙い言葉しか届けられないことは瞭然だろうけれど。自己満足でしかないのかも知れないけれど。


 それでも届けます。

 まずは、ここから。


 ずっと、ずっと、ありがとうございました。

 そして、お疲れ様でした。小説を書くのって、本当に、本当に、大変。


 ……いつかもし、また出会えたら。

 そんな、夢みたいな日が訪れたら。


 あの日、あなたが鍵をかけた、コインロッカーの中身を見せてくれると嬉しいです。



【春の葬送・完】

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【短編】春の葬送 紫波すい @shiba_sui

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