なぜ山羊は死んだのか?
赤目のサン
第一章『トルキスタン紛争』
PROLOGUE
…―――グレゴリオ暦1948年、5月14日。
ソヴィエト社会主義共和国連邦は、事実上"
欧州に
その
西はアメリカ、東はトルキスタンまでを己の
即ち『大ドイツ国』は、"
――――――――――――――――――
囂々と燃え盛るヴァルハラ城。煌めく黒服に
ある独りの
彼が英雄であったかは、誰にも分らない。
数百万の人骨に立とうとも、己が"最後の一匹"となるその時まで。
彼は…"
ある一匹の
"なぜ
…
第二次世界大戦の終戦後。
旧ソ連地域には"ロシア総合政府"と呼称される統治機構が設置されていた。
東経70度を境界線として、実質的な日独共同統治が行われていたのである。
その統治は一時的なものであり、講和会議において正式なソ連分割が完遂される運びとなった。…しかし、講和会議の終結が待たれる事無く、既に各地では新政府が樹立され始めていた。
大ドイツ国の後援で"西ロシア"に誕生したのは、ロシア系ドイツ貴族"セルゲイ・フォン=タボリツキー"を大公とする君主制国家、『ロシア大公国』である。
そして"東ロシア"では、大日本帝国並びに満州帝国からの支援を受け、旧ロシア帝国の残骸を導く
この二カ国の成立により、東西ロシアに中央政府が復活したのであった。
…しかし、1949年の夏。終戦から僅か1年後。
緑黄の高原が広がるトルキスタンに、土煙が昇った。
アルマ・アタに位置する大日本帝国トルキスタン総督府庁舎の会議室にて。
長机に並ぶ陸軍将官らの視線は、ある一人の将校に向けて送られている。
「では、陸軍部より報告致します。」
そうして報告を始めた人物。名は"
彼は陸軍の大佐であり、同総督府陸軍部の高級参謀であった。
「本日14日未明、ドイツ軍約500人が
我が方は敵に損害を与え、之を撃退した次第であります。」
あってはならぬ事である。
同盟国たるドイツと、国境紛争が発生したのだ。
「ドイツ軍の所属は、制服から武装親衛隊と見られ、正規兵ではありません。」
「親衛隊は実質正規兵だろう。戦時は国防軍の指揮下に入るし、正規兵の侵入として間違いない。」
総督官房たる"
「兎も角、まずは本国へ指示を仰ぐべきだ。下手に動けば戦争になりかねん。」
大槻の言葉に、トルキスタン総督兼陸軍部司令の曽根清三 陸軍中将は、
「いや、正規兵同士の戦闘が起きたのだから、私は既に戦争だと思うがね。」
と言葉を返した。
「戦争…。」
すると曽根中将は姿勢を正し、次の様に発言する。
「…皆様、我々は
『―――敵に一撃を与え、帝国の断固たる決意を示すべきと存じます。』
―――トルキスタン総督、曽根清三 陸軍中将。―――
1949年7月16日。
大日本帝国トルキスタン総督府陸軍部は、大ドイツ国によって行われた"度重なる不法越境"を受け、隷下にある第八師団へ出動命令を下した。
…遂に日独間における"本格的な武力衝突"へ発展したのである。
この小紛争は『バリクソル湖事件』と呼称され、後に日独関係に大きな禍根を残す『トルキスタン紛争』に発展するに至る。
小説『なぜ
第一章『トルキスタンに昇る旭日』
なぜ山羊は死んだのか? 赤目のサン @AkamenoSan
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