第五十三話 手紙

 負けた。

 彼に、シール=ゼッタに敗北した。


 なのに、全然悔しくないのはどうしてだろう。

 部屋は外からの小さな光が差すのみで、薄暗い。でも運良く、いや、運悪く、日差しは机を照らしている。そこで手紙を読めと言わんばかりに。


 わたしは彼から受け取った封筒を部屋の机に置く。

 椅子に座り、封筒の先を指で破る。中から味気の無い二枚組の手紙を手に取る。


「……。」


 指が止まる。

 胸が苦しくなる。

 読んではいけないと、わたしの防衛本能が叫んでいる。それでも……


――『その代わり、もしオレが勝ったら――この手紙、読んでもらうぞ……!』

――『なんだレイラ、ビビってるのか?』


 彼の言葉が逃げようとするわたしを掴み止める。


 仕方ない、約束だから。約束だから、わたしは手紙を読む。

 わたしが読みたいからじゃない、そう言い訳して、わたしは折りたたまれた手紙を開いて行く。

 懐かしい、おじいちゃんの字が瞳に飛び込む。


 呼吸を整え、わたしは手紙を読み始める。


『拝啓、レイラ=フライハイト様

 まずは君に、謝りたい』


 その手紙は、謝罪から始まった。


『私のせいで君や君の両親に迷惑をかけた。本当にすまない。

 全ては私の危機管理能力の甘さが招いたことだ。

 だが、これだけは信じて欲しい。私は君の眼が見れなくなるようなおこないは決してしていない』


「え……」


『君の祖父として、恥じる行動だけは、絶対にしていない。

 私は何者かの策略に嵌り、罪を着せられた。私は無実だ』


「――っ!」


 ずっと、

 ずっと欲しかった弁解の言葉が、その手紙にはあっさりと書き記してあった。


『黙っていてすまなかった。君を巻き込まないために、私は沈黙を選んだ。

 君は私が無実を主張すれば、きっと犯人を捜しに無茶をするだろう。それが怖かった』


 わたしの、ために?


「なら……」


 ならどうして、今になって……!


『だが、もう心配はいらない。今は君の側に彼が居るはずだ』


 その後の一行は、より強い筆圧で書いてあった。




『私の愛弟子、シール=ゼッタが』




 わたしは手紙を持って立ち上がり、窓に近づく。

 窓からマザーパンクの街道を歩く黒髪の少年を見る。


「シール=ゼッタ……」


 窓に手を添えながら、視線を手紙に戻す。


『君が危険なことに身を投じても、彼ならきっと君を守ってくれるだろう』


 その一文からはおじいちゃんから彼への、絶対的な信頼が感じられた。


『さて、堅苦しい話ばかりでは文に色気がない。この先を読む前に、まず、君が七歳の時、私がプレゼントしたクマのぬいぐるみの中を見て欲しい』


「ぬいぐるみ……?」


 忘れるはずもない。

 わたしが七歳の時、お爺ちゃんが買ってくれた不細工なぬいぐるみ。


『もしぬいぐるみを捨てていたら、この先は読まずに捨てていい。

 その中に、私はあるモノを札に封印して入れた。

 恐らく、封印は解けているだろう』



 わたしは部屋の隅に置いてあるそのぬいぐるみを拾い、背中のファスナーを開けて中身を覗く。

 綿の隙間に一枚の、力を失った札が入っている。そのすぐ側には花の形をした髪飾りがあった。



――桜色の髪飾りだ。



「マザーパンクの、桜の色と同じ……」


 髪飾りを右手に握り、机に戻って手紙を読み進める。


『それは君の十六の誕生日に贈ろうとしていた物だ。だが、その髪飾りは本来別の女性に渡す予定だった物だ。その女性は、私の娘だ。

 君は知らないだろうが、君の父親以外にも私には子供が居た。名を、ライラという女の子だ』


 わたしに叔母が?

 お父さんは一人っ子だったはず――


『だが、彼女は十六の誕生日を迎えずして病に倒れた』


 十六……今の、わたしの歳と同じだ。

 

『その髪飾りは彼女が十六になった時、私が贈ろうした物だ。

 そのプレゼントを買った日に、彼女は亡くなった。

 私は、彼女に与えられなかった愛情を君に注いでいた。

 君は私の娘にそっくりなんだ。不安になると服の裾を掴む癖、寝相が悪く布団を蹴飛ばしてしまうところ、甘えん坊なところ、桜のように晴れやかな笑顔。その全てがそっくりだった。

 だから私は君が可愛くて可愛くて仕方が無かった。同時に不安だった、彼女にそっくりな君が十六歳になる前に、この世を去らないか。

 でも君は、すこやかに元気に育っていった。やまいの影すら、見えなかった。

 私は、君が十六になるその時を、本当に楽しみにしていた』


「やめて、やめてよ……」


 嫌だ、読みたくない。

 胸が、裂けそうだ。

 わたしはおじいちゃんが嫌い、嫌いなんだから……!


『君がその髪飾りを付ける日を、本当に、本当に、楽しみにしていた。

 だけどきっと、私は君が十六になる前に天寿をまっとうするだろう。

 あとほんの少し、少しだけ、生きられればどれだけよかったかと、心の底から思う。

 もしかしたら君は、そんな物いらないと言って、捨てるかもしれない。

 それでもいい。君が生きているのなら、私はそれ以上望まない』


 ずっと、避けていた。

 おじいちゃんが呪いをかけられ、もうこの時期には命を失っているのはわかっていた。

 おじいちゃんが死んだ、その事実を、わたしはきっと受け止めきれない。


 だから、わたしはおじいちゃんを嫌った。


「ごめん――」


 本当は信じていた。おじいちゃんが人体実験なんてしてないって。


 恨んで、憎んで、嫌って。

 おじいちゃんを否定して、

 おじいちゃんが死んだ事実を受け止めず、流そうとした。


 ただ後回しにしているに過ぎないって、わかっていたはずなのに。

 

「ごめんなさい……!」


 気づいたら、瞳から涙が零れていた。

 一枚目の手紙が終わり、二枚目に移行する。


『駄目だな、どうしても口下手になってしまう。

 眠るときはきちんと毛布を掛けなさい。君はよくお腹を出して眠るから心配だ。

 お金はきちんと計画的に使いなさい。君は欲しい物をすぐ買ってしまうからね。

 恋愛に関してはとやかく言いたくないが、約束を大切にする人を好きになってほしい。君が花嫁衣装を着る姿は見たかったな』


 段々と、字が薄くなっていく。

 弱々しく、曲がりくねる。


 筆を持つのもやっとだったのだと、字を見てわかる。わかってしまう。


『最後に。生きてくれ、レイラ。

 どれだけ苦しくても、生きてくれ。

 これから先、多くの別れがあるだろう。多くの悲しみがあるだろう。

 足を止めてもいい、目を背けてもいい。でも、生きることをやめないでほしい。

 志半ばに、散っていった命を私は多く知っている。自ら命を散らすようなことだけは、絶対にしないでほしい。

 私は、天から君を見守っている。

 そうだな、叶う事ならまた、君とマザーパンクの桜を見たかった』


 おじいちゃんの小指を掴んで、マザーパンクの桜を初めて見た日を思い出す。

 あの桜を見ている時だけは、おじいちゃんは誰のおじいちゃんでもない、わたしだけのおじいちゃんだった。


『レイラ=フライハイト。

 私は君を心から愛している。

 君の笑顔が、私の救いだった』


 この先を、最後の一文を、読みたくない。

 なんて書いてあるかはわかっていたから。

 それでも読まなくてはならないから、わたしは文章を追う。



『ありがとう、さようなら』



 その一文を乗り越えなくちゃ、わたしはきっと、この街から出られないから。

 

『アイン=フライハイトより――』


 最後に、封印術師バルハ=ゼッタの名前じゃなくて、フライハイトとしての名前が、わたしのおじいちゃんとしての名前が刻まれていた。


――『許さない。おじいちゃんのこと、絶対許さないからっ……!』


 いつか自分が言った言葉を思い出す。


 おじいちゃんと、最後に交わした言葉を思い出す。

 おじいちゃんの、あの時の顔を、未だに忘れられない。

 おじいちゃんの、泣きそうな顔を、忘れられない。


「おじいちゃん……わたしが、わたしが悪かったよ」


 目から、鼻から、液体が垂れ流れる。

 わたしは叫びたい気持ちをおさえて、手紙を握りしめる。


「おじいちゃん、だからね。

 『ありがとう』って言わせて。

 『ごめんね』って言わせて。

 『愛してる』って、『さようなら』って言わせてよ……!」


 嗚咽が、小さく木霊する。

 段々と嗚咽は大きくなって、やがてわたしは子供のように泣きじゃくった。


 今まで、後回しにしていた感情を、全身で受け止める。

 どれだけ願っても時間は戻らない。おじいちゃんは、もう思い出の中にしかいない。


 最後の思い出は、どう足掻いても変わりはしない。


 甘えん坊の自分が、いつまでも子供だった自分が、許せなかった。


――ねぇ、おじいちゃん。


 マザーパンクの桜は、今も変わらず綺麗だよ……。



 ――――――――――

【あとがき】

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