最終話 生命の樹

 去り行く夏を惜しむかのように蝉が鳴いている。

 真っ直ぐに続くアスファルトの並木道。立ち並ぶ木々が夏の厳しい日差しを優しい木漏れ日に変え、道路に様々な模様を映し出していた。

 自然公園へ遊びに来た秀一と奈々は、そんな散策路を歩いている。


「満開の桜、かぁ……」

「うん、あの時に見たんだ」


 悩んでいる様子の奈々が口を開く。


「木って、生命とか人生をイメージすることが多いよね」

「イメージ?」

「そう、ほらラノベなんかでも『世界樹』とか『精霊樹』とかってよく出てくるでしょ」

「そういえばそうだね」

「で、大体『世界の生命を生み出す存在』とかそういう設定でしょ?」

「うん」

「こういう木と生命のイメージって、はるか昔に遡ると旧約聖書にもあってね」

「えっ、そうなの?」

「私も詳しいわけじゃないんだけど、エデンの園に生えているのが『生命の樹』って言われていたかと思う」

「へぇ〜」

「あとユダヤ教でも天地創造を図にした『セフィロトの樹』っていうのがあって、これも『生命の樹』って言われてる」

「佐倉さん、詳しいね」

「ふふん、まぁね」


 ドヤ顔する奈々がおかしくて、クスリと笑う秀一。


「そんな生命や人生のイメージが、江口くんにとっては満開の桜だったのかも」

「なるほどね」

「桜の花は、きっと江口くんの記憶や思い出。触れると消える花びらと、思い出される過去の記憶は、走馬灯的なものじゃないのかな」

「確かに……あの時、死にかけたもんね……」

「でも、花は全部散っても江口くんはこうして生きてるし!」


 にっこり微笑む奈々。


「佐倉さんの言う通り、あの桜は多分僕自身だったんだと思う。ひとは様々な思い出を花として咲かせて、老いると同時にゆっくりと散っていく。死ぬ時にはすべての花が散って、自分の魂はあの桜に還っていくのかもしれない……」


 そして、秀一は思い出した。


「僕の桜は花を全部散らしてしまったけど……小さな、本当に小さな若葉が芽吹いたんだ」


 秀一は足を止め、奈々を見つめる。


「それはきっと、佐倉さんの声を聞いたからだと思う」

「……私?」

「僕の桜は枯れていないんだ。佐倉さんという太陽の優しい日差しを浴びて、もう一度生きてみようって、もう一度頑張るんだって、沸き立つそんな思いが若葉として芽吹いたんだと思う」


 優しく微笑む奈々。


「だから佐倉さん」

「はい」

「これからも僕の太陽でいてくれませんか?」


 秀一の顔は真っ赤だ。

 それは夏の暑さでそうなっているわけではない。

 そんな秀一の様子に、心から嬉しそうに笑顔を浮かべる奈々。


「はい、私も江口くんの桜をずっと見つめていたいです」


 お互い微笑み合い、そして秀一は奈々の手を握った。


「手をつなぐには暑いけど……とっても気持ちいいね!」

「僕、緊張で手汗がスゴいかも……」

「ふふふっ、それも江口くんの個性だね」

「フォローありがと……」


 青々とした木々が緩やかな風に揺れて、擦れあった葉がサーッと涼し気な音を立てる。

 ふたりは手をつなぎ、笑い合いながら木漏れ日の中を歩いていった。



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暗闇に散る桜 下東 良雄 @Helianthus

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