第6章 精霊の審判者

第10話 若き長

「ハーレイ!」


 子供達に弓の基礎を教えていたハーレイは、名を呼ばれ振り返った。狩装束の男達が数人、村の入り口で手を振る。

 森に狩に行っていた者達だ。まだ日は高い。西の民の日課ともいえる狩は終わる時間ではない。

――揉め事か?

 側にいた補佐役の青年に、手振りで子供達の教育を引き継がせ、ハーレイは男達の元に向かった。

「どうした?狩は終わったのか?」

「若長の判断を仰ぎたいことが起きた」

 若長という名称にまだハーレイは慣れない。氏族の長が後継者としてハーレイを指名したことに端を発する。ハーレイが辞退を申し出ても認めてもらえないのだ。

 精霊の加護が戻ったとはいえ、それは自分で解決したことではない。エトゥールのメレ・アイフェスがいたからこそで、その恩恵を享受する資格が自分に果たしてあるだろうか?

「子供が森にいて……」

「子供?どこの氏族だ?」

「いや、それが……言葉が通じないから……とりあえず森に来てくれ。多分、エトゥール語だと思う」

「エトゥール人だと?」

「だけど、変なんだ。周辺に馬車も、他に人の気配もないし、見張りも何も見なかったと言うし……」

「言いたいことがわからん」

「だから来てくれ。こっちも訳がわからん」

 ハーレイは馬を用意し、案内に従った。

 目的地は村の北に位置する精霊の泉だった。

 森の中にあるこの泉は動物達の集いの場であり、森で狩をする時は、いい狩場になる。ただし水は汚してはならない。この泉は、精霊が作ったという伝説があるからだ。

 聖域の泉のそばにある巨岩の上に問題の子供はいた。

 大人でも梯子はしごがないと登れない巨岩に、この子供はどうやって登ったのだろうか。

「言葉も通じないし、岩の上にいるし、あんな髪の色は見たこともない。精霊かもしれない、と皆が言うんだ」

「――」

 子供は長い金髪を三つ編みにして一つにまとめている。女の子だ。自分の身長を越える長い棒を持っている。まるで賢者のようだった。ただ来ている服は妙だった。女なのにスカートではなく、身体にぴったりとしたズボンだった。上着も身体のサイズにぴったりとしている。見たことのない高級な布を使っている。金持ち、もしくは貴族かもしれない。

 エトゥールで出会ったメレ・アイフェスと違うのは瞳の色だった。燃えるような赤い瞳をしている。

 ハーレイは目を瞬いた。

――おかしい。子供と重なって成人女性が見える。

「わかった。あとは引き受ける。狩りに戻れ」

 若長の命に、皆がほっとしたようだった。全員が森の中に消えていき、残ったハーレイを子供は興味深そうに見おろしている。

「エトゥール人か?」

 ハーレイがエトゥール語で話しかけると反応があった。

「ああ、よかった。言葉が通じて一安心だわ」

 子供は、質問には答えずにエトゥール語で返してきた。岩の上から飛び降りる。屋根の高さもある場所から音もなく着地するとは、驚くべき身軽さだ。

「どこから来た?」

 子供は悪戯っぽく微笑むと、黙って天を指さした。

 冗談にしても不敬な行為だ。精霊が住む天から来たなど。

「親はどこだ?」

「いないわ」

「どうやって、ここにきた?」

「精霊に飛ばされて?」

 なぜ、疑問系なのか。しかも精霊を口にするとはいただけない。

「知らないから教えるが、軽々しく口にするものではない」

「なるほど、氏族的な禁忌きんきに触れるわけね」

 さとい子供だった。いや本当に子供なのだろうか?

 あらためて、子供を見る。再び子供と重なるように、成人女性の姿が重なって見える。

 これは子供じゃない。むしろ精霊に対応しているような緊張感が生まれる。

 ハーレイは口調をあらためた。

「貴方はカイルの知り合いか?」

「カイルを知っているのかしら?」

王都エトゥールであったことがある」

ろうでカイルが知り合ったという御仁ごじん?」

「そうかもしれない」

 子供は自分の額を指で叩いて考えこんでいる。

「えっと……名前は確か、ハーレイ」

「そう」

「……精霊もややこしいことをするわね……」

「なんだって?」

「いえ、なんでも」

「名前を聞いても?」

「イーレ」

 子供はハーレイを見上げて、にっこりと笑った。

「なぜ、この地に?」

「知らないわよ。世界の番人にきいてちょうだい」

 世界の番人――精霊――この世界をつかさど審判者しんぱんしゃ

 ハーレイは溜息をついた。

「だから、そういう不敬な言葉は――」

「なるほど、貴方たちの部族は精霊信仰に厚いというわけね。でも、それが真実な時はどうしたらいいの?」

 長老と禅問答をしている気分だった。

占者せんじゃに問う」

「いいわね、それ。私の言葉が真実か占ってみてよ」

「……」

 なぜだ。すごくペースを乱される。子供に化けた魔物だろうか?

「で、私の言葉が真実だと証明されたら、私をエトゥールまで送ってね」

「ちょっと待て、なぜそうなる?」

「だって、貴方はいたいけな子供を放り出すタイプじゃないでしょ?」

「……子供じゃないだろう?」

「あら、鋭い」

「さっきから、大人の女性の姿が重なって見える」

「――」

 イーレという子供は絶句していた。

 初めて、子供から一本取れた気分でハーレイは少し愉快になった。彼女はマジマジとハーレイの顔を見ている。

「えっと、貴方は『精霊の加護』とやらを持ってるのかしら?」

 一本取ったと思ったら、そのまま脳天を殴られた気分だった。ハーレイにとって、今、一番触れられたくない話題だった。

「……まあ、そう……だな」

「そして、それは貴方の部族では、少数の一部の人しか持っていないのではなくて?」

「……まあ、そうだ」

「なるほど」

 イーレは何事か考えこんだ。

「とりあえず今日は、貴方の領地で泊めてもらえるかしら」

「だから、なぜそうなる」

「このまま、私を放置して、魔獣やならず者の犠牲になったら、貴方の良心が痛むでしょ?」

「……おとなしく犠牲になる様に見えない」

「やっぱり、鋭い」

 否定しないのか、と突っ込みたいところをハーレイはぐっと堪えた。

「しょうがない。森で適当に一泊するわ」

「――」

 イーレはすたすたと森に向かう。迷いがなかった。

「待て」

 思わず呼びとめると、イーレは笑いを噛み殺すように振り返った。

「……村には入れられないが、他所者が泊まる場所なら」

「ありがとう」

 イーレはにっこりと礼を言う。


 ハーレイは戦で敗北した気分を味わった。



 ハーレイは結局、謎の子供を村と取引する商人が寝泊まりする小屋に案内した。清掃はされているが、狭くエトゥールの貴族にはふさわしくはない。

 だがイーレは不満を言わなかった。

 イーレは納屋の新しい干し草を持ち込み、布をかぶせ、自分で手際よくベッドを整える。妙に手慣れている、とハーレイは思った。

「どこでそんな手法を学んだんだ?」

 イーレは得意そうに、にっと笑った。

「いろいろと経験があるのよ」

「エトゥールの貴族ではないのか?」

「正確に言うと違うわ。カイルと同類よ」

導く者メレ・アイフェスだというのか?」

「メレ・アイフェスがどういう意味で使われているかによるわ。だってここはエトゥールと対立してる国なんでしょ?」

「今は休戦中だ」

 ハーレイはむっとした。

「あら、カイルが苦労した和議はまだ結ばれていないの?」

「話し合いの二日後に、いきなり国境までおくられた。和議は後日という話だった」

「ああ、カイルが倒れたからね」

「カイルが倒れただと⁉︎」

 失言したイーレは慌てて口に手をあてた。ハーレイはイーレの腕をつかんだ。

「いったい、どういうことだ⁉︎」

「えっと、落ち着いてくれる? 誤解させたわね、カイルは今は無事よ。意識を取り戻して、生活しているわ」

「いきなり我々を国境まで送り届けた理由はそれか⁉︎」

「そうかも」

「だから、エトゥール人は油断はならないんだっ!」

「逆でしょう」

 イーレは真顔で言った。

「カイルが倒れたきっかけが西の民との接触なら、それをエトゥール内の派閥に政治的に利用されるのを避けるために、メレ・エトゥールは貴方達を逃したのよ」

「……」

「実際、粛正は行われたし、メレ・エトゥールは約束を果たしたと思うわ。だいたい怪しい子供の言葉を簡単に信じては、ダメでしょ。自分で確かめるべきね」

「……」

「だから、私をエトゥールに連れていって、直接カイルの無事を確認するのは、どう?」

「――断る」

 あやうくのせられるところだった。その証拠にイーレは小さく舌打ちをした。

 頭のいい口の達者な子供だ。村に近づけるのは、危険かもしれない、とハーレイは感じた。この姿と、魅了する無邪気な笑顔に騙される村人が多数でそうだった。

「小屋の中の物は好きに使っていい。あと、悪いがウールヴェで監視させてもらう」

 ハーレイは自分のウールヴェを呼び出した。彼の腕に夜目がきく大きなフクロウが現れた。

「ウールヴェ!」

 イーレは目を輝かせた。

 なんだ、その期待に満ちた反応は――と、ハーレイは引き気味になった。

「すごいわ、鳥型もいるのね。しかも色が白じゃない」

「鳥型?」

「カイルのウールヴェは、純白の大きな狼に似ていたわ」

「――」

 カイルのウールヴェは肩に乗る大きさだった。それがわずか数ヶ月で急成長したことになる。その可能性にハーレイは、いくつか思いあたったが、とりあえず頭から追い出した。

 恐れも知らずにウールヴェに触れようとするイーレの手を避け、ハーレイはフクロウを小屋の梁に向かって放した。

 子供を見張ることと、梁の上にいることを命じる。

「ああ、触らせてよ」

「断る」

「ケチ」

「懐柔するために餌をやりまくる気がする」

「貴方は本当に鋭いわね。予知能力でもあるの?」

 否定しないのか――と、ハーレイは内心呆れる。

「先見の力があったら、もっと楽に生きられる」

「そうかしら?」

 イーレは小さく笑った。

「未来がわかれば、案外それに縛られるかもしれないわよ?」

「……賢者みたいな言い方だな」

「そう?」

「貴方はいったい幾つなんだ?」

「……死にたくなかったら、その禁断の質問はやめた方がいいわよ?」

 冗談のような切り返しだったが、ずっと幻視している成人女性の手に、いつのまにか死の精霊が持つ巨大な鎌が握られていた。

――本気だ

 確かに禁断の質問であることをハーレイは悟った。



 翌朝、ハーレイは料理番の女性に特別にパンを焼いてもらい、それを布でつつんだ。燻製塩肉スモークハムかたまりも調達する。結局、世話をしているような気がしないでもない。

――あの子供イーレをどうしたものか。

 とりあえずエトゥールのカイルに連絡するのが正しいような気がする。

 だが、非常に注意を要する時期でもあった。

 和議の一歩手前まで来たのに、西の民が安易に国境を超えるのはまずい。誤解が生まれる行為はお互い慎むべきだ。そうなると打てる手は限られる。

 わずかに交流があるエトゥールのアドリー辺境伯を頼るか。カイルまで、ウールヴェを飛ばすか。

 あとでイーレと言う名の子供の処遇について占者せんじゃにきこう。ハーレイは決意した。


 小屋に入るとイーレは熟睡していた。

 豪胆だと思う。彼女に異国の地にいる不安とかはないのだろうか。

 梁の上にいる梟姿ふくろうすがたのウールヴェに村へ帰るよう命じると、ハーレイは静かにベッドに近づいた。

 イーレと成人女性が見えるのは、昨日と一緒だった。

 イーレが眠っているためか、今ははっきりと女性の姿が認識できる。金色の髪は、イーレと違い肩のところで切りそろえられている短さだ。自分より恐らくひとまわり以上は若い大人の女性だ。イーレの十年後の姿と言われれば納得する。

 これはいったいどういうことだろう、とハーレイは首をかしげた。


 いきなり長棍がハーレイに目がけて、突き出された。


「――!」

 喉を狙って突かれた長棍をハーレイは本能的に避けた。

「ハーレイ?」

 イーレは干し草のベッドの上で戦闘態勢になっており、目をまたたいていた。

「ああ、ごめんなさい。人がそばにいるから、びっくりしちゃって」

 イーレは長棍を引っ込めた。まだ眠いのか目をこする。

「……こちらこそ、すまなかった。今度から声をかける」

「そうしてもらえると助かるわ」

「パンを持ってきた」

 内心の動揺を押し隠し、ハーレイは彼女に背を向け、ナイフを取り出し、卓でパンを切り分けた。西の地の風習では、背中を見せることは敵意がない証拠だが、果たして通じるだろうか――。

身支度みじたくを整えるなら、そっちの水樽みずたるを使うといい」

「ありがとう」

「……」

 先程の突きは達人レベルの技術だった。彼女がエトゥールから西の地に派遣された暗殺者という可能性はあるだろうか?


 一方、イーレも動揺していた。

 あそこまで、接近を許してしまうとはどういうこと?!

 本来なら、小屋に誰かが入ってきた時点で気づくべきだ。だが、問題はそれだけではない。

 突き出した渾身こんしんの一撃が避けられたのだ。

 った、と思ったのに避けられた。ありえない。なんだ、あの男は。精霊の加護はそんなところまで、及ぶのだろうか。

 顔を洗って頭をはっきりさせたイーレは、ようやく前提条件が間違っていることに気づいた。

――エトゥールの和議の相手をったらダメじゃん……

 ここは事故が起きなくてよかったと思う場面だ。そうそう、よけてくれてよかったのだ。よかった。よかったはず……。

――くやしい。

 久々にイーレは屈辱くつじょくを味わった。


 ハーレイの持ってきたパンは美味しかった。小屋に常備されている木苺のジャムをつければ、さらに最高だった。燻製塩肉スモークハムも香辛料がきいて独特の風味があり、かなりいけるものだった。

「……美味しい」

「そうか、それはよかった」

「……」

「……」

 さきほどの対決に起因する、ぎこちない沈黙に満ちた朝食の静けさは、小屋に二十歳はたち前後の青年が飛び込んできたことでようやく終わった。

「ハーレイ!大変だ、ウールヴェが出た!」

 息を切らして報告するのは、ハーレイの補佐役であるヌアだった。

 ハーレイは朝食を中断して、すぐに立ち上がった。

「場所はどこだ?」

「ライアーの塚に引っ張った」

「上出来だ。男達を集めろ。村と小屋の方向には、向けさせるな。あと俺の弓と槍を持ってきてくれ」

「わかった」

 言葉がわからなくても騒動が起きたことにイーレは気づいた。

「何があったの?」

「野生のウールヴェがでた」

「野生のでかいヤツ?いのししみたいに突進するタイプの?」

「よく、知っているな。この小屋からでるな。こちらには向かわせない」

 イーレも立ち上がった。

「私もかりに参加したいわ」

「は?」

かりに参加したい」

「冗談じゃない。足手まといだ」

「大丈夫、私、強いから」

 先ほどの一撃で実力は思い知ったので、嘘ではないことはハーレイにも理解できた。だがそれとかりへの参加は別問題だった。

「だめだ」

「お願いよ、ハーレイ。こんな機会は滅多にないもの」

 若長の腕をつかんで、イーレは懇願こんがんする。ハーレイはその熱心さに眉をひそめた。

「なぜ、そこまでウールヴェ討伐にこだわる?」

 彼女は、ぽっと顔を赤らめた。照れたように、頬をに手をあて、視線をはずした。初めて見た年相応の仕草だった。

「……その……できれば……お肉を食べてみたいの……」

「……………………」


 乙女のように恥じらって言うセリフではない、とハーレイは思った。




 ライアーの塚は、古代の西の民を導いた賢人の古墳だった。村の北西に位置し、人もいないから巨大なウールヴェを食い止める場所として好都合だった。

「ハーレイ」

 ライアーの塚の近くに、戦える男たちが集まっている。総勢三十名あまりだった。補助役の少年たちも何人か見える。まだウールヴェ狩りが未経験の者だ。

「状況は?」

「足止めがうまくいかない――その子供は?」

 若長の後ろについてくる異国の子供に、皆が不思議そうな顔をする。

「ただの見学だ。無視していい」

 先の方の木樹の先端から、巨大な白い毛並みがのぞいている。針葉樹が音をたてて折れていった。

「若長、毒矢を使うか?」

「……いや、肉を得たいから毒はなしだ」

 けっして、イーレのためではない、と自分に言い聞かせてハーレイは指示を出した。

「わかった。おーい、今回は毒はなしで肉を調達するってよ」

 伝言がまわり、肉を確保することに参加者達の気分は高揚したようだった。おそらく討伐後の麦酒エールをまじえた宴会が彼等の頭を支配している。

「いつものように両目をつぶす。槍を準備しておけ」

 ハーレイが指示をすると、綿密な打ち合わせをしたわけでもないのに、男たちが散っていく。

 イーレは興味深そうに彼らの準備を眺めた。西の民の用意した槍は、獲物の肉に食い込んだら外れないように金属のかえしが幾つか、ついていた。槍というよりはもりに近い。手元の部分には丈夫な縄がわえてある。

 先ほど小屋にきた若者が、剛弓ごうきゅうをハーレイに渡した。かなり大きく、普通の男性があつかえる代物しろものではなかった。

――この弓をハーレイが使うの?

 イーレは驚いた。


 囮役の男達がウールヴェの気をひいている間に、ハーレイは静かに正面側に移動した。

 ハーレイは剛弓を構えた。すさまじい腕力がいるはずだが、引き絞られた弓は安定して微動だにしなかった。

 弦音が響く。彼の放った矢は暴れるウールヴェの右目を正確に貫いた。ウールヴェの苦痛の声が森に響き渡る。

 傍らに控えていたヌアがすぐに次の矢を渡す。

 ハーレイは再び剛弓を構え、矢を放った。二本目が同様に同じ右目に刺さる。 

 三本目が今度は左目に刺さる。

 それが合図だったようで、ウールヴェの右側にいた男たちが一斉に槍をはなった。

 ハーレイが四本目を再び左目に命中させると同時に、今度は左側から槍が放たれた。縄つきの銛のような槍が命中すると男たちは、近くの木に縄を何重もまいて固定した。

――ウールヴェの動きを封じるのね

 イーレは感心した。南の森で、サイラスは強引に力でねじふせたが、あれは彼の身体能力があったから可能であっただけで、西の民の団体での攻略の方が合理的だった。

 固定されたウールヴェに今度は男たちが弓を構え、一斉に矢を放つ。それが繰り返される。

「こうして弱らせていくのね」

「そうだ」

「時間がかかるのでは?」

「仕方あるまい、ウールヴェ相手だ」

 矢が次々と射られる中、ウールヴェのわずかな異常にイーレが気づいた。

「……ハーレイ、左側が抜けるわよ」

「何?」

 イーレのつぶやきに似た警告とともにウールヴェが吠えた。

 暴れるウールヴェは、肉が裂かれるのもかまわず、身をよじった。左側の槍が数本、ウールヴェの血と肉をまき散らしながら抜ける。固定が失われ、ウールヴェは拘束された右側に突進する。

 眼を失っているウールヴェの進行方向に補助役の少年がいた。

 周囲の人間が警告の叫びを発する。

――遅いっ!

 イーレは走った。

 少年がウールヴェに踏みつぶされる寸前で、彼の前に滑り込み、手の中の金属球を起動し防御シールドを展開する。

 ウールヴェの突進は見えない壁に阻まれた。無残につぶされるはずだった少年と金髪の少女が見えない壁に守られて尻餅をついている状態に周囲は目を見張った。

――あ、ヤバい。防壁シールドの方が負ける。

「イーレ!」

 そこへハーレイが走り込み、少年とイーレを小脇にかかえて駆け抜ける。みしみしと音をたて防御壁シールドが光とともに弾け散るのと、木にウールヴェが突っ込むのとほぼ同時だった。

 さすがのイーレも彼の腕の中でほっとした。

「今のはカイルと同じ技か?!」

 イーレは、ん?と顔をしかめた。

 「同じ技」とは、ハーレイの目の前でカイルは防御シールドを展開したことになる。

 そんなことは報告になかった。

「あの子、貴方の前で何をやらかしたの?!」

 ハーレイは彼女の反応に驚いた。「あの子」と成人のメレ・アイフェスが子供扱いされている。イーレの年齢の謎が深まるばかりだ。

「その話はあとにしよう」

「それもそうね」

 ウールヴェの攻略は振り出しに戻った状態だった。

「ハーレイ、動きを止めればウールヴェの前脚のけんを切れる?」

「簡単だ」

「まかせたわ。槍を貸して」

「人間相手じゃないんだぞ」

 ハーレイは自分の槍をイーレに渡した。かなりの重量のはずだが、イーレは苦にせず、試し振りをしている。

「わかってる。動きをとめるから、けんを切ってね」

「大丈夫か?」

「大丈夫よ。肉のために頑張るっ!」

 村の男たちが狩後の宴会の開催予定で高揚しているのと同様、今のイーレのモチベーションは肉だった。



「イーレ!」

 ハーレイは唖然とした。

 イーレは木に登ると、ウールヴェの巨大な背中に軽々と飛び移ったのだ。その背中をかけあがると後ろ首に槍を突き立てる。

 ウールヴェの動きが一瞬だけ止まった。

――後ろ首が弱点だと?!

「イーレに槍を渡せ!」

 思わぬ指示に男たちはあっけにとられたが、すぐに従った。下から槍を投げ渡されると子供は器用に片手で受け取り、後ろ首に突き立てていく。

 そのタイミングにあわせて、ハーレイは前足の腱に狙いを定めた。剣をふりかざして前足を切りつける。何回目かで、太い腱の切断に成功した。これで村と小屋に突進する可能性は極めて低くなった。それが一番重要なことだった。

 イーレはまだ痛みに暴れるウールヴェの背中にいた。


「イーレ」

 イーレはびっくりした。ハーレイが暴れるウールヴェの背中に乗ってきたのだ。

「急所はここか?」

「そう」

「知らなかった」

 ハーレイは持っていた槍を振り上げると、思いっきりウールヴェの首元に突き立てた。手ごたえはかなりあった。ウールヴェの暴れ方がややおさまりつつある。

 ハーレイは周囲の人間に、槍をよこせ、と手振りで指示をする。

「だって、ウールヴェの背中に乗るっていう発想はないでしょ?」

「確かにないな」

「私の弟子が最初に気づいた攻略法よ」

「……弟子……」

 やや、呆然と彼はイーレを見た。

「イーレ、貴方はいったい幾つなんだ」

「手がすべって貴方に槍を突き立てそうだからやめてくれる?」

「……やめておこう」

 やはり年齢の件は、禁断の話題らしい。ハーレイは追求を諦めた。

 イーレとハーレイは、下から投げ渡される槍を次々と突き立てていく。ついにウールヴェが膝をついた。

「効率がいいな」

「問題は背中に乗れる人間がそうそういないことだと思うわよ」

「確かに。だが、今後のウールヴェ狩りには役にたつ」

「ねぇ、これで肉を食べれる?」

 彼女の問いかけに、本当に裏のない肉目的で参加したことを悟り、ふっとハーレイは笑みをもらした。

 なんの言葉もなく、ハーレイはひょいとイーレを片腕で抱き上げた。そのまま、倒れたウールヴェの背中を歩き、地上に飛び降りる。

「今日の最大の功労者だ」

 ハーレイは片腕に乗せた子供を、肩に掲げのせ、宣言する。

 西の民の男達の歓声と賛同の声が森にこだました。


 ライアーの塚でウールヴェの解体が始まり、そのまま宴会の準備が始まった。通常は村で行われるが、イーレが余所者よそもので村に入れることができないからだ。

 慣れている男達の手際はいい。ウールヴェが薙ぎ倒した木を切り出し、丸太をベンチがわりに配置し、薪を山積みにする。少年達は細竹を大量に切り出してきた。どうやら肉を刺す串がわりらしい。

 もちろん村に戻り、麦酒エールの樽を持ってくることも忘れない。大量の肉を村に届けたから、村でも宴会が始まるそうだ。イーレはハーレイからナイフを借りて、肉を細竹に刺していく役を受けもった。

 串肉を取りに来た男達に、やたら頭を撫でられる。西の民の言語はまだ習得できないが、よくやった、とかそういうたぐいだろうとイーレは思った。

「やだ、美味しい」

 それは中央セントラルの超高級肉以上の美味しさだった。こんな極上の肉が世の中に存在するのか。イーレは感動した。

 単純に焼いただけでも、充分の旨味が肉にはあった。香辛料を加えれば、アレンジが無限に広がった。これまた、西の民は巧みに香辛料を使いわけるのだ。

 イーレは西の民の究極の食文化を存分に味わった。

 とろけるような顔で肉を堪能する子供に周囲は大笑いする。

「美味しいか、と皆が聞いている」

「美味しい。もう最高。ここに一生住みたいくらい」

 ハーレイが通訳して皆に伝えると大爆笑になった。



「ハーレイ」

 ハーレイが樽から麦酒エールを酌んでいると呼び止められた。

「あの子が例の泉にいたエトゥール人か?」

「そうだ」

「あの子は今、どこにいるんだ」

「掟通りに商人小屋だ」

「村でもいいんじゃないか?」

余所者よそものだから入れるわけにはいかない」

 内心、ハーレイも同じことを思っていたが、若長が率先して規律を破るわけにはいかなかった。

「いやいや、そんな芝居をしなくても我々は受け入れるよ。母親がエトゥール人でも、あの子は立派な戦士の素質がある」

「なんの話だ?」

「あの子は、ハーレイの娘なんだろう?」

「――は?」

「ハーレイにイーレ。名前もちゃんといんをふんでいる」

 とんでもない誤解が生まれていた。

「イーレは俺の隠し子じゃないっ!」

「いやいや、隠さなくていいんだ、若長。若い時の過ちは誰にでもある」

 集まった男達が笑いながら頷く。

「だから、違う!」

「あの子なら村で育てても、問題ないよな?」

「ああ、すぐにでも嫁の引き取り手がある」

「お前のところの息子はどうだ?」

「あれだけ、戦えるなら悪くない」

 勝手に話が進んでいく。

「人の話を聞けっ!」

 ハーレイの怒声に皆はびっくりした。

「イーレは俺の娘じゃない」

「でも――」

「そうか。皆は、俺が妻の生前時に、外に女を作ったと言うんだな?名誉をかけた決闘を用意しよう。死んだ妻と子供のためにも」

 時系列の矛盾に彼等は、ようやく気づいたようだった。ついでにハーレイの怒りの波動も届いたらしい。昔の彼は愛妻家で有名だった。

「わ、わかった。悪かった。落ち着いてくれ、若長の名誉は守られている」

「疑うものがいるなら、遠慮なく申し出てくれ。なに、決着には時間はかかるまい?」

 ハーレイはわざとらしく、剣帯を指でふれた。

 若長の実力を知るものは、麦酒エールを片手にその場から逃げ出した。ハーレイは怒りの行き場をなくし、大きな溜息をついた。



「なになに、どうしたの?」

 元凶の娘は、無邪気に聞いてくる。

 まだハーレイは、はらわたが煮えくりかえっていた。麦酒エールを一気にあおる。

「貴方を俺の隠し子だと思ってやがる……」

「周囲の期待に応えて、お父さんって呼ぶべき?」

「……」

 ハーレイは立ち上がると、無言でイーレが食べている串を取り上げ、彼女を小脇にかかえ、そのまま宴会の輪の外に容赦なく放り出した。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 イーレはそれ以降、ハーレイの横で大人しくウールヴェの串焼きを食べていた。彼女が素直に謝ったのは、肉を食べる機会を失わないためだろうとハーレイは推測した。それは正しかった。

 一方、離れた場所で様子を伺っていた集団は、麦酒エールを片手に密かに盛り上がっていた。あれは隠し子ではなく、嫁候補だ、と。


 次の問題が発生していることを二人はまだ気づいてなかった。

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