第8話 思惑

 時間は少し遡る。


 二週間後に迫った晩餐会に、街も賑やかになっていた。国中の貴族が集まり、王都の街に金を落としていく。商人にとっては絶好の稼ぎどきだ。


 臨時のいちもたち、外国の商人が多数出入りするようになった。

 さらに最近、エトゥールは魔獣討伐が盛んで、四つ目の高級素材が市場を賑やかなものにしている。人が集まり、数年前まで様々な理由で停滞気味だったエトゥールの経済は、まわり始めていた。

 今回の行事では、開店したばかりのリルの店もそこそこに恩恵を被っている。

 貴族は来なくても、おつきの侍女や使用人が土産を求めてやってくるからだ。リルは他領の侍女達に受けそうな、エトゥールの精霊獣の刺繍図案の布地を売っていた。作ったのは、ファーレンシアの侍女であるマリカ達で、売り上げはリルの手数料をひいたものが、侍女達の臨時のお小遣いになるといった按配あんばいだった。

 売上は大好調だ。


 そのためリルは店番に忙しく、買出しはサイラスの仕事だった。街で様々な噂の入手ついでに、ともいえる。

 最近のもっぱらの噂は初社交デビュタントのエトゥールの妹姫と、金と銀の髪のメレ・アイフェスの男女のことだった。

 そのメレ・アイフェス達が社交マナーの学習に四苦八苦しているとは誰も思うまい。地上に降りてから、本当に退屈しない。面白いことばかりだ、とサイラスは思った。

 帰宅したサイラスに、接客中のリルが声をかけた。

「サイラス、おかえり。2階にお客さんが来ているから――」

 リルに了解の印に軽く手をあげ、荷物を置き、階段を駆け上がる。リルが何か言いかけた気がするが、まあいい。ここにくるサイラスの客と言えば、渦中の二人しかいないのだから。

「今日はどういった愚痴――」

 サイラスの軽口は凍り付いた。青い髪のエトゥールの領主がくつろいでお茶を飲んでいたからだ。


 セオディア・メレ・エトゥールが軽く右手をふると、彼の背後に控えていた専属護衛達が軽く一礼をして、サイラスがまだ呆然と立っている戸口を抜けて階段を降りていく。

 完全なる奇襲攻撃だ。はあ、とサイラスは深いため息をついた。なぜ高貴なお方が、わざわざこんな商人の滞在先に顔をだすのか――やっかいごとであることは、間違いない。

「……護衛をはずすとは不用心では?」

「その方が話が早いからだ。天上のメレ・アイフェスと情報を共有した方が、そちらも手間がはぶけるだろう」

 やりにくい相手だな、とサイラスは思う。上にいるディム・トゥーラ達の存在を受け入れている。

 サイラスは逃げることを諦めて、視覚リンクと通信機を起動させる。まだ昼間だから、どちらかはいるだろう。

 イヤリングを卓の上に置いた。

「ディム、高貴なお方がご指名だ」

 地上からの音声に、過去の惑星探索報告書を読んでいたディムは顔をあげた。

 サイラスの視覚リンクによるスクリーン画像にはセオディア・メレ・エトゥールの姿がある。ディムは端末を操作した。

「イーレ、サイラスがらみだ。来てくれるか?」


「本日はサイラス殿に追加の契約交渉にきた」

「晩餐会の参加ならお断りだ」

「討伐依頼だ」

 サイラスは内心ほっとした。踊るよりマシだった。

「討伐対象は?」

「晩餐会で襲撃があると予想される。狩ってもらいたいのはその襲撃者達だ」

「――」

 予想外の言葉にサイラスの思考は停止してしまった。

 ディムもイーレも口をはさまないということは、判断はサイラスにゆだねられているということだった。

「……晩餐会が襲撃される、って誰に」

「エトゥール国内の反乱分子、とでもしておこうか」

「……その予想はどうして?」

「噂のメレ・アイフェスを見ようといつもより多数の招待客がくる。私ならこの機会を逃さない。連中は第一兵団は魔獣討伐で不在と思い込んでいる」

「実際は違う、と」

「もちろんだ」

「二人をえさにするのか?」

えさは四名だ。メレ・アイフェス二名と妹と私自身が該当する」

「……大胆不敵過ぎない?」

「だから敵も油断する。晩餐会の成否よりも反乱分子の排除を主目標にするとは、誰も思わないだろう。討伐対象として数も十分だと思われる」

「……そういうのは得意じゃないんだけどさ」

「盗賊団を半殺しにした人物としては、説得が薄いのではなかろうか」

「……あれ、バレてる……」

「保護している子供の名前からすぐわかる」

「あー、初日にリルが街に届けたヤツか。用意周到な調査だねぇ」

 サイラスは敗北感に髪をかきむしった。

「襲撃犯の生死は?」

「問わない。ただし、カイル殿とシルビア嬢には内密がよい」

「なぜ口止めするのかな?」

「あの二人に腹芸ができるとは思えないのだが?」

「……いや……まあ、正しい判断だけどさ……」

「あとはせめてことが起こるまでは、妹を楽しませたい。台無しにするとはいえ、初社交デビュタントだ。甘い親心と思っていただいていい」

 冷酷一辺倒れいこくいっぺんとうかと思えば、人間臭いところもあるとは――サイラスは笑った。

「損な役目だね」

「慣れている」

『サイラス、少しエトゥール王と話しをしてもいいかしら』

 女性の声が響く。イーレだった。

「これが噂の『天からの声』か。女性のメレ・アイフェスがシルビア嬢以外にいるとは驚きだ」

『はじめまして、イーレと申します』

「セオディア・メレ・エトゥールだ」

『よく存じております。カイルとシルビアの庇護には感謝しております。今回の件は、大災厄までエトゥールに手をださないように釘をさしたいという意図で間違いはありませんか?』

「その通りだ」

『晩餐会を襲撃されたという風評の損失はありませんの?』

「それも考慮の上だ。大災厄が避けられなければ、風評など全く無意味ではないか?」

『聡明なご判断です。では、サイラスをお貸ししましょう』

「……人を物のように貸し出すって、どうよ」

 サイラスはぼやく。

『ついでに提案ですが、妹姫様の初社交デビュタントというおめでたい席だとシルビアから伺っております。流血が少ないコースなどいかがでしょう』

 エトゥール王は眉をひそめた。

『風評被害をなるべく小さくして、妹様の心の傷を少なくすることを、今なら無料で奉仕させていただきますよ』

「ほう」

『ただし、奉仕は保障されたものではございません。精霊の気まぐれで東西南北500キロほど飛ばされる前例がありますので』

「どうせ、精霊はこの会話を聴いている。その時は、今代のエトゥール王に、価値がないという意だろう」

『言葉とは裏腹に、自信のほどが見えますが?」

「死んでもおかしくない経験を幾度かしている。だが、私はまだ生きている。それが証明だ」

『いずれ機会があればそのお話を詳しくききたいものですわ。ではサイラスと詳細をつめてください』

「君のおさの許可が下りたようだな。では、サイラス殿、追加契約をしようか?」

 セオディア・メレ・エトゥールが唇の端をあげ、サイラスを振り返った。

 サイラスはセオディア・メレ・エトゥールから逃げきれなかった。


******


 安全が確認されるまでは、メレ・エトゥールの関係者は離宮の二階の控室から出ることは許されなかった。メレ・エトゥール自身も指揮は第一兵団長のクレイにまかせて、控室でくつろいでいる。

 ファーレンシアはまだ蒼白そうはくだった。ずっとシルビアが手を握り、落ち着かせている。

「つまり、僕達だけ知らなかったわけね」

 カイルは不貞腐ふてくされ、近衛兵このえへいに扮したサイラスを睨む。

「あの時、離宮にいたのは確定座標かくていざひょう獲得かくとくのためか」

「イーレが欲しがったんだよ」

「髪まで短くして」

「長ければ気づくだろう?」

「何で黙っていたんだ」

「二人とも顔に出るから」

「――」

 正論すぎる指摘にカイルは、イラっとした。

「なんで、イーレまで」

「血をなるべく流さないために。イーレの方が器用だもんね。あと試したかったと言ってたよ」

「試す?」

「エトゥールの危機を救う邪魔を精霊がしないかどうか。今回500キロも確定座標は、ずれなかっただろう」

「――」

「シルビアの時もそうだった。エトゥールの危機を救うためなら邪魔はされないという仮説が成り立つ」

「するとサイラスは観光気分だったから、南に飛ばされたってことか?」

 カイルの憎まれ口をサイラスはスルーした。

「南が魔獣が増えて、やばかったからかもねぇ。もしくは本当に世界の番人が言ったようにリルと縁を結ぶためかもね」

「……」

「逆に、次にイーレがここに、降下できるとは限らない。こればっかりは、検証するしかないけどさ」

「……」

 ノックの音がして、クレイが入室してくる。彼の鎧には幾ばくかの返り血で汚れていた。

「すべて終わりました」

「見過ごしはないか?」

「メレ・アイフェスの指摘の人数にはなりました」

「よろしい」

 メレ・アイフェスの指摘してきの人数――上空で侵入した敵の数を数えていたのはディム・トゥーラか。彼まで関与していたことに、カイルは裏切られた気分だった。

 しかも自分が呑気に晩餐会の時間を過ごしている間に、クレイ達は戦っていたのだ。晩餐会に影響を与えない限られた戦力でひそかに制圧するのは難しいことであっただろう。

 かと言って、事前に知らされていれば、カイルは晩餐会を平静に過ごすことなどできなかった。セオディア・メレ・エトゥールの読みは正しい。

 カイルは行き場のない怒りを持て余した。

「ではファーレンシアを部屋まで送ってくれ」

「わかりました」

 ファーレンシアは、メレ・エトゥールの言葉に立ち上がった。クレイは扉をあけたが、彼女を直接エスコートはしなかった。血で汚れた手甲で触れることは許されないのかもしれない。

 ファーレンシアは言葉もなく、ただ室内にいた人々に一礼を専属護衛を従えて出て行った。彼女のドレスを握る手はまだ震えていた。

「さて、サイラス殿、追加契約は完了だ。協力に感謝する。イーレ嬢にも礼を伝えてくれ」

「念のため、朝までここに待機するよ。残党はいないはずだけどね」

「シルビア嬢はどうされる?」

「私も、もうすこしだけ、ここにいます」

 頷いて、セオディア・メレ・エトゥールはカイルに向き直った。

「何か言いたいことがあるようだな。きこう」

「……もっとマシな方法はなかったの?」

「これが最良だ」

「どこが⁉︎」

「被害は最小限、我々側に死者はいない、関係者は捕縛ほばく、エトゥール王族には精霊の守護者がいると思わせた。他に何が重要だ?」

「――っ!」

 妹の初社交デビュタントなど取るに足らないとの宣言だった。メレ・エトゥールとして、正しい選択をしたと言われれば、カイルに返す言葉はない。

 だが、エトゥールの女性にとって大事な儀式と散々聞かされていた彼は、メレ・エトゥールのやり方に納得していないのだ。ファーレンシアは傷ついている。

「カイル殿、ファーレンシアをまかせていいだろうか?」

「それ一番、難易度が高いヤツ」

 不機嫌にカイルは答える。

「だから、私よりカイル殿がむいているだろう」

「――」

 どこまでも正論で攻めてくる。外堀を埋めて、自分の望む道を辿らせるのが、セオディア・メレ・エトゥールの手だ。

 カイルはため息をついて扉に向かった。出て行く時にドアのところで叫ぶ。

「メレ・エトゥール!」

「なんだろうか?」

「貴方は腹黒はらぐろすぎるっっ!!」

「――」

 子供のような捨て台詞に、ミナリオとアイリが同時に口に手をあてる。ツボに入ったようで、二人とも肩が震えている。

「……ミナリオ」

「も、申し訳ありません」

 元専属は新しい主人を追うことを口実に、逃げるようにドアから出て行った。

 シルビアも座ったまま、両手で口を覆っている。

「……シルビア嬢」

「……申し訳ありません……」

 シルビアは笑いをこらえて涙目だった。セオディア・メレ・エトゥールはむっとした。

 白い獣ウールヴェ主人カイルのあとを追うためにドアに向かう。主人カイルと同じ金色に変化した瞳が、セオディア・メレ・エトゥールを一瞬、見つめる。

――せおでぃあ・めれ・えとぅーる 腹黒はらぐろ

 カイルのウールヴェがまた変な言葉を覚えてしまった。メレ・エトゥールは、なぜか今夜の離宮の事件よりも動揺してしまった。


「カイル様」

 離宮をでたカイルをミナリオが追ってきた。

 離宮周辺を警備している第一兵団がカイル達にむかって敬礼をする。

「ファーレンシア・エル・エトゥールはどちらに向かったかな?」

「聖堂への小道をクレイ団長とともに歩いていかれました」

「ありがとう」

 カイルは衣嚢いのうから浮遊灯ふゆうとうを取り出し起動させた。突然、出現した浮かぶ光源に、第一兵団の面々がぎょっとした。

 用意した角灯を手にミナリオは慌てる。

「カイル様、目立ちますよ」

「今日は十分目立っているから、変わらないよ」

 不機嫌さを隠さずカイルが応じる。

 ――ああ、メレ・アイフェスがやさぐれている。

 ミナリオは途方に暮れた。いつもの彼らしくない。

 白いウールヴェが背後から追いつき、先導するかのように先を駆けていく。

 長い小道を通り抜けると巨大な精霊樹と聖堂が見えてきた。聖堂の入口付近に数人の人影が見える。団長のクレイとファーレンシアの専属護衛達だった。

 彼等はカイルの出現にあからさまにほっとした表情を見せた。

「エル・エトゥールは中かな?」

「はい」

「トゥーラはここで待ってて」

 カイルは聖堂の扉をあけた。

 聖堂は相変わらず精霊樹の癒しの力が流れ込んでおり、カイルのささくれ立った心も穏やかなものにした。

 ファーレンシアは聖堂の長椅子に座り、熱心に何かを祈っていた。カイルはその隣にそっと腰をおろした。

「……カイル様」

「……何を祈っているの?」

「……兄が無事だったことの感謝を」

「……ファーレンシアは聞き分けがよすぎるよ。怒ってもいい事案だと思うけど」

 ファーレンシアは微笑ほほえみを浮かべた。

「だって私の代わりにカイル様が怒ってくださっているでしょ?」

「君が許してしまうから、僕はこれ以上怒れない……」

「ちょっと昔を思い出していました」

 ファーレンシアは聖堂のステンドグラスを見つめた。

「初めてのダンスの練習相手は兄で、彼の足を踏みまくっていました。それでも兄は私が踊りを学び終えるまでつきあってくれました」

「……」

「ウールヴェが欲しくて、大泣きしたのも本当です。当時、身体の弱かった私にウールヴェの存在は負担そのものでしたが、そんな理由など知らずに両親と兄を困らせました。そのウールヴェが兄を庇って亡くなった時も、泣いたのは私で、兄は私を一生懸命、慰めてくれました」

「……」

「昔は優しかったのですよ?」

 信じられないというカイルの表情にファーレンシアは笑う。

「二曲目の踊りが終わったあとに、兄が私に『すまない』と言いました。初めてです。兄が私に詫びるなど……」

「……」

「なんのことかわかりませんでしたが、これだったのですね」

 ファーレンシアは小さな吐息をもらした。

「今回は仕方ありませんね。兄に機会があったら伝えてください。二曲目の謝罪を受け入れます。ただし」

 ファーレンシアはぎゅっとドレスを握りしめた。

「婚約式と結婚式に同様のことをしたら、私と侍女達は一生許しません、と」

 ファーレンシアから決意のオーラが浮かびあがる。これに挑戦するほど、メレ・エトゥールは愚かじゃないだろう。

「明日にでも伝えよう」

 カイルは自分の長衣ローブを脱ぐと、ファーレンシアの肩にかけた。

「クレイ達が待っている。帰ろうか」

 カイルは立ち上がって、ファーレンシアに手を差し出した。ファーレンシアはその手を取り、立ちあがる。

「……ステーションの絵」

「はい?」

「……あれは君の素描のことだよ。それを君に見せるとか、燃やすとか、ディム・トゥーラのひどい罰ゲームだ。僕の嫌がることを彼は正確にわかっているんだよ。ひどいだろ?」

 カイルは照れたように笑った。

 聖堂内が暗くてよかったと、顔の熱さを自覚したファーレンシアは思った。無自覚で無意識に強烈な言葉を放つメレ・アイフェスをどうしたらいいのだろう。

 一生に一度の初社交デビュタントを実の兄に台無しにされたことなど、瑣末さまつなことに思える。そう思わせるための計算しつくされた言葉なら、兄の上を行く狡猾こうかつな人物として、用心するのだが、そうではないから困るのだ。

 ああ、この人が社交界に姿をさらしてしまった今、貴族令嬢達がこぞって求婚してくるだろう。兄の最大の罪は初社交デビュタントを台無しにしたことではなく、カイル・メレ・アイフェス・エトゥールを表舞台に出したことだ。妹の恋敵を多数出現させるとは、非協力もこれ極まる。

 ファーレンシアはそっとため息をついた。 

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