第4話 晩餐会

 晩餐会の当日の朝、カイルは侍女達の強襲を受けた。浴室に拉致られ、裸にされ、エトゥールに来て以来の二度目のセクシャル・ハラスメントを経験した。

 カイルは早々に抵抗を放棄した。エトゥールの妹姫にふさわしいエスコート役に、彼を磨きあげる決意した侍女達に逆らうことは無謀で命知らずである、と悟ったのだ。

 少し癖のある髪を念入りにとかされ、整えられたときはすでに無我の境地だった。

 いつもの観測ステーションの研究員服に長衣ローブという軽装が許されるわけもなく、新しくあつらえた白を基調としたシャツと上着とズボンが与えられた。布の質感からかなりの高級品であることには間違いない。さらに新調された薄いブルーの長衣ローブを渡される。

 結局、午前中いっぱい身支度に費やされた。

 カイルは研究員服を脱いで無防備になることが落ち着かなく、いくつかの装備を侍女達の目を盗み、長衣の衣嚢ポケットに忍ばせた。これぐらいの持ち込みは、許されていいはずだった。

 支度の終わったカイルをミナリオが迎えにきた。

 専属護衛のミナリオも軍服基調の正装に着替えており、彼は長衣のかわりにマントを羽織っている。

「晩餐会は夜なのに、なぜこんなに早くから準備するのかな?」

 素朴な疑問に、ミナリオは、え?という顔をした。

「午後から、メレ・エトゥールの謁見に同席ですよ」

 全然、聞かされてない予定だった。

 セオディア・メレ・エトゥールは、すでに身支度を終えており、黒を基調とした軍服の正装は彼の長身に似合っていた。これは女性がほっておかないだろう。初対面の時も絵になると思ったが、今はそれ以上だった。

「謁見に同席なんて、全然、きいてないんだけど……」

「おや、言わなかったかな?」

 しれっと答えるエトゥール王が確信犯であることをカイルは断定した。

「同席って何をすればいいのかな?」

「私の横に立って、謁見するものの顔と名前を一致させてくれればよい」

 晩餐会の予習の機会を与えてくれたのか、とカイルは一瞬思ったが、メレ・エトゥールがそんな裏がないことをするだろうか。

「今後の政策に関する話題も出るからな。カイル殿もきいてもらった方がいいだろう」

 やはりか。

 晩餐会が終わっても執務を手伝うと思われているようだ。カイルは首をふった。

「手伝いは期間限定と言ったはずだけど?」

「おや、禁書が読みたいのかと思ったが、違ったのか」

「――!!!」

 カイルは情報提供者でしかありえないミナリオを振り返ったが、専属護衛である彼はさっと視線をあさっての方向にそらし、頬をぽりぽりとかいていた。

 腹黒領主は禁書を釣り餌にする気満々だった。この時点で、晩餐会終了後の手伝い要員が確定してしまった。禁書は確かに読んで見たかった。

「それより晩餐会の流れは頭に入っているか?」

「貴方とシルビアの後に、ファーレンシアをエスコートして入場」

「それから?」

「晩餐会のあとは、ファーレンシアをエスコートして隣室の舞踏会場に移動」

 カイルは指をおりつつ自分の行動すべき流れをそらんじた。

「1曲目はファーレンシアと踊って、小休憩。2曲目はシルビアと踊ってしばらく歓談の時間。3曲目はまたファーレンシアと踊って、夜会終了って聞いたけど」

「よろしい。3曲目は絶対にファーレンシアを誘うように」

「伝統なんだっけ?」

「そうだ」

「僕は相手に困るから大歓迎だけど、ファーレンシアはそれでいいのかなあ。彼女に無理を押しつけてない?」

「――」

 メレ・エトゥールはなんとも言えない表情でカイルを見つめていた。

「カイル殿、その無自覚の悪癖は絶対に直した方がいい」

「え?」

「絶対にだ」

 カイルには意味がよくわからなかった。


 謁見がすみ、夜が近づいてくるとメレ・エトゥールとカイルは離宮に移動をした。専属護衛とともに、二階の控室でくつろぐ。窓から見下ろすと馬車が次々と離宮の前に止まり、招待客が集まり始めているのがわかる。

 ノックの音がして、侍女がシルビアを案内してきた。

 カイルは驚いた。シルビアは大変身を遂げていた。

 長い銀の髪は丁寧に編みこまれアップされていた。青い宝石のティアラが輝いている。肩と背中が露出した薄いブルーのドレスで、カイルの長衣ローブの色と同一だった。それは同時にメレ・エトゥールの髪の色に近いことにカイルはようやく気づいた。

 肘上までの長い手袋も同色で、ティアラをつけた銀の髪のシルビアは、その均整のとれた身体で、セオディア・メレ・エトゥールの横に立つことを許された貴族の子女しじょに見えた。

 彼女のエスコート役であるセオディアは立ち上がり、シルビアの手をとり、軽く接吻せっぷんをした。

「月から降り立った精霊の御使いのようだ。とても美しい」

 シルビアの耳が赤くなっているのをカイルはみた。

 またノックの音がして侍女の先導の元、一人の少女が現れた。

 ファーレンシアだった。

 ファーレンシアは真珠色の初社交デビュタントのドレスを着ていた。シルビアのものとは違い、ウエストの切り替え部分でふわりと大きく広がっている。長い髪をシルビアと同様にアップしているのでいつもより大人びて見えた。ドレスには金糸きんし刺繍ししゅうが施されており、少女の整った容貌を引き立たせた。

 いつもとは違う少女の姿に、カイルは言葉を失い、見とれてしまった。

 セオディア・メレ・エトゥールが咳払いをする。

 カイルの反応がないことに少女は困ったように視線を落としていた。何かを言わなければいけないが、言語能力は麻痺してしまったようで、カイルは慌てた。

「……すごく、綺麗だ」

 素朴だが、実感が深くこもった賞賛にファーレンシアは頬を染めた。

「……綺麗すぎて言葉が見つからない……。今日エスコートできることを光栄に思うよ」

 不器用なメレ・アイフェスの称賛の言葉に、ファーレンシアは真っ赤になった。

「……まあ、上出来だ」

 セオディアの呟きは、衣装の完成度のことだと思ったが――実際は違ったが――ファーレンシアから目が離せなかったカイルは気にしなかった。

 今すぐ彼女の絵を描くために、引きこもりたかったが、許されるわけもない。

「今日はお前の初社交デビュタントでもある。存分に楽しむといい」

 メレ・エトゥールの祝福の言葉にファーレンシアはドレスを広げ、深く一礼をした。

 時間が近づき、晩餐会の会場に向かう。


 前方にはセオディアにエスコートされているシルビアが歩いている。二人は何事か長々と話し、時々セオディアが笑っているのが目に入った。なかなかいい雰囲気と思われる。

 カイルはエスコートをしているファーレンシアを見た。

「今日は初社交デビュタントなんだね」

「はい、昔は体力がなく、諦めていました。今日は夢のようです」

「やっぱり重要な式典なんだ?」

「成人として認められることになりますから」

「おめでとう」

「ありがとうございます」

 ファーレンシアは嬉しそうに微笑んだ。カイルは微笑みを返した。

「セオディア・メレ・エトゥール並びにシルビア・メレ・アイフェス・エトゥールのご入場」

 案内役の近衛このえの声が響く。

 扉が開き、セオディア達が入場した時に、異様などよめきが聞こえたような気がした。

 扉は一度閉められた。

 セオディア達が席に着くまでは待つことになる。

「カイル様」

「ん?」

「エスコート役を引き受けてくださりありがとうございます」

「僕でよければ、お安い御用だ」

「ひとつ夢が、かないました」

 それはどんな――とカイルが聞く前に近衛の声が響いた。

「ファーレンシア・エル・エトゥール並びにカイル・メレ・アイフェス・エトゥールのご入場」

 二人で会場に足を踏み入れると会場に再びどよめきがおこる。今度は好意的なものであるから、ファーレンシアの美しさが巻き起こしたものであろう。

 カイルは少女がゆっくりと階段を降りるのをエスコートし、拍手が起こる中、会場を二人で奥まで歩いた。セオディアの横に用意された席まで導き、彼女のために椅子を引いた。二人が着席したことを合図に晩餐会が始まった。


 晩餐会ばんさんかいは特に問題はなかった。

 いや、問題がなかったわけではない。まず会場に軽い違和感を覚えたが、その正体が何か追求する余裕がカイルにはなかった。

 次にエトゥールの王族とメレ・アイフェス達が座る卓には、多くの視線がつきささる。これは当然のことであったので、予想はしていた。

 それ以外の、出席している若い男性貴族の嫉妬と敵対心はすさまじく、カイルは自分の遮蔽しゃへいをそっと強化した。妹姫のエスコート役は人もうらやむ立場らしい――うらやむよりうらまれているようだが。

「君は大注目されているね」

「そうでしょうか?」

「さっきから、若い男性出席者の視線が突き刺さるよ」

「私は別の視線が気になります」

「どんな?」

「気のせいだと思うことにします」

 ファーレンシアはにこりと微笑んだ。

「こういう晩餐会はどのくらいの頻度ひんどで行われるんだい?」

「兄は、こういうことが好きではないので、1〜2年に一度ぐらいでした」

「意外だな」

「今回はメレ・アイフェスのお披露目ひろめと、私の初社交デビュタントで重い腰をあげたというところです」

 ファーレンシアはくすくすと笑う。

「もちろん、他の方の主催しゅさいなら山ほど招待がありますよ?行かれますか?」

「……冗談でしょ」

「安心しました」

「?」

――貴族の晩餐会が見合いの場であることをカイルが悟るのは後日である。


 晩餐会が終わると、隣室に設けられた舞踏会場が開放される。先日、ミナリオに案内された部屋は多数の花とあかりで飾られ、華やかな雰囲気が演出されていた。最奥の壁際にいる楽団が緩やかに音楽を奏でている。

 セオディア・メレ・エトゥール達が奥の一角にたどり着くと、音楽は舞踊曲にかわり、長い前奏が始まった。

 セオディアはシルビアを、カイルはファーレンシアをエスコートし、中央にすすみでる。

 会場中で主役の女性達の美しさに、感嘆する吐息がもれるのをカイルは感じとった。美に対する女性の熱意と憧れは、異世界でも変わらないものらしい、と気づくとカイルは面白くなった。

「ファーレンシア、今日は楽しもう」

 カイルの言葉にファーレンシアの顔が輝いた。出席を無理じいした不安が少女の中にずっとあったのだが、カイルの笑顔でその心配は吹き飛んだ。

「はい」

 二人は踊りだした。

 伝統の通り、二組の王族が踊り出し、しばらくは広間の注目を集めていた。最初の曲が繰り返しに入る頃に、ようやく参加者達が踊りに加わる。

 多数の男女が踊りだすと、カイルにも余裕が出てきた。ようやくカイルは会場の違和感が自分にあることに気づいた。

「ファーレンシア、僕は何かやらかしているかな?」

「いいえ」

 ファーレンシアはカイルの反応に笑った。彼女は違和感の正体を知っているようだった。

「教えて欲しい」

「兄に警告されていました。カイル様は無自覚だから気をつけろ、と」

「メレ・エトゥールが?」

「はい」

「僕は何に無自覚なの?」

「カイル様、初めて街に行った時のことを覚えてますか?」

「うん?」

「あの時、兄はたわむれに貴方のフードを取り、大騒ぎになりました」

「……」

「あれと同じことが進行中です」

「……」

「噂の賢者が初めて公式の場に登場したのです。しかも美男美女です。誰もが注目しています。私など、先程から女性達のとても厳しい視線を受けています。初代エトゥール王に似たメレ・アイフェスを独占するとは、何事かと。でも今日は私の初社交デビュタントなので、権利は最大限に行使させていただきます」

 少女はきっぱりと宣言した。

 カイルはファーレンシアに遮蔽をかけた。精神感応の強いファーレンシアがこの会場にいることの負担にようやく気づいたのだ。しかも元凶はメレ・アイフェスである自分がエスコートしているためだった。

 ファーレンシアは自分の負荷が急に減ったことに驚いた。

「鈍くてごめん……」

「優越感に浸っておりましたから、問題ありません」

「……無粋ぶすいついでに、伝統の3曲目の意味を教えてくれないか?」

「……まさか、兄はカイル様に説明していないのですか?」

「重要だとは聞いたけど……」

「……協力的なのか、非協力的なのか、本当にお兄様ったら……この間の意趣返いしゅがえしですか……」

 ファーレンシアが珍しく小声で不満をつぶやいた。

「ファーレンシア?」

「エトゥールでは、伝統的に重要な意味をなします。初代エトゥール王が精霊の姫巫女を見初めたのが、3曲目の舞踏で、精霊の祝福を受けられると言われております」

「それって……」

「不用意に見知らぬ女性と踊ると、またたくまに婚約の場が設けられます。保証しますわ」

 動揺したが、踊りを止めるわけにはいかない。

「だから、ミナリオは断り方のバリエーションを伝授したのか! だけど、君も同じではないの?」

「多分、そうだと思います。断りきれない時は、体調を崩したふりをして、倒れることは専属護衛と打ち合わせ済みです」

 初社交デビュタントが倒れたふりをして終わるとはあんまりではないだろうか。

 それと同時に、なぜセオディア・メレ・エトゥールが三曲目にファーレンシアを誘うように指示したのか、理解できた。とんでもない三曲目の伝統の防波堤になれ、と言ってるのだ。

 カイルがファーレンシアにさらに問いかける前に曲は終わりをむかえ、カイルとファーレンシアは周囲の人々に深く一礼をした。


 カイルはエスコートをしていたファーレンシアをセオディア・メレ・エトゥールに引き渡した。次に彼女が踊る相手はセオディアと決まっていたからだ。

「シルビア」

 カイルはシルビアをエスコートするために手を差し出した。彼女が手を取ると、さりげなくセオディア・メレ・エトゥール達から距離を取る。小声で問いただす。

「シルビアは三曲目の舞踏の意味を知っていたの?」

「もちろんです。私の相手はメレ・エトゥールです」

「……なんで僕に教えてくれなかったの?」

「私はファーレンシア様の味方ですから」

「意味わかんない」

 はあ、とシルビアが溜息をつく。

 二曲目の音楽が始まったので、シルビアとともに中央に出る。ちらりとファーレンシアの方を見ると、すでにセオディアと踊り出している。

 カイル達も踊りだしたが、この踊りの間にシルビアから情報を引き出さねば、とカイルは強く決意した。

「シルビア、知っていることを話して」

「どうしましょう」

「シルビア」

「カイル、笑顔を忘れていますよ?」

「表情筋の使い方を忘れてしまいそうだよ。セオディア・メレ・エトゥールは何を企んでいるの?」

「答えますから、一度微笑んでください」

 恐喝に似た要求に、カイルはシルビアに微笑んでみせた。女性達の小さな歓声がわいた。

「⁉︎」

「私と貴方は、準主役なので、注目されています。そのまま、続けてください。続けている間は質問に答えます」

「メレ・エトゥールは何を企んでいるの?」

「この晩餐会で私達の保護を宣言することです」

「そんな必要は――」

「あるのです。私達が自由を奪われて、監禁されているという噂を払拭するためにも」

「ただの噂ではないの?」

「貴方も戦争や内乱の口実になりたくないでしょう?」

「そこまで深刻だったのか……」

 シルビアは微笑んだ。無論、演技だ。

「貴方が眠っている間に、貴族達の処断が行われています」

「――」

「はい、微笑んで」

「難易度が高すぎる」

「楽しいことを考えれば簡単と言ってませんでしたか?」

「それを言ったのは僕じゃない。サイラスだ」

「そういえば、そうでした」

 シルビアは笑った。

「ずいぶんと余裕で笑えるように、なったじゃない」

「メレ・エトゥールにコツを伝授していただきました」

「どんな」

「周辺にいるのは、森でたわむれているウールヴェだそうです」

「――」

 情景そのものを想像して、カイルは吹き出しそうになり、こらえた。

「……すごいコツだなあ」

 カイルは笑った。傍目はためにはダンスを楽しんでいるように見える。

「で、話の続き」

「処断の結果、当然逆恨さかうらみをする一族も出ています。噂の出どころはそこらへんです」

 シルビアは優雅に踊りつつ語った。

「私はエトゥール王族の貴色である青のドレスをまといました。エトゥールの庇護下にある宣言です。カイルの長衣ローブの色も同様の意味を持ちます」

「――」

「ちなみにその長衣ローブはファーレンシア様のお手製です。彼女が丁寧に刺繍まで仕上げています」

「ファーレンシアが?」

初社交デビュタントでエスコートを引き受けたカイルのために、一生懸命っていました」

「……」

初社交デビュタントというものは、エトゥールの貴族女性にとって、結婚式、婚約式に次ぐ三大イベントらしいですよ」

「……」

「その大イベントで女性に倒れたふりで三曲目を諦めさせるようなエスコートをしたあかつきには――」

 西の民の和議の話し合いの場より怖いシルビアがそこには居た。

「……シルビア、笑顔はどうしたの」

「そうでした」

 シルビアは、にこりと表情を切り替える。シルビアの背後に侍女軍団が見えるのは気のせいだろうか。

「ちゃんと三曲目を申し込むよ。選ぶのはファーレンシアだけど」

「それはよかったです」

 シルビアは満足そうに頷いた。

「ちなみに、三曲目の相手を狙う女性陣を突破するには、戦場で殿しんがりをつとめるより、勇気と機転がいるとメレ・エトゥールがおっしゃってましたよ」

「――」

 本能的にサイラス・リーが逃げ出した理由が、わかったような気がした。


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