第2話 社交

 カイルは耳を疑った。目の前のエトゥール王族の兄妹から理解できない提案をされたのだ。


 カイルが目覚めてから、平和な日々が過ぎていた。今もシルビアとカイルはお茶を飲んで、穏やかな時間を過ごしていた。

 二人の元を訪れた若きエトゥール王と妹姫の言葉は、その堕落した平穏な時間の終了宣言に近かった。

「待って、理解できない」

 カイルは頭を整理した。

「エトゥールの作法を覚えた方がいいという話だったよね」

「はい」

 にこにことファーレンシアが応対する。彼女はすごく楽しそうだった。

遠出とおでをするためにも乗馬を覚えた方がいい、までは理解できる」

「はい」

「だが、ダンスを覚えろというのは?」

「宮廷作法の一環ですね」

「いやいや、それはいらないでしょ」

「実はそれが一番重要だ」と、少女の隣に立つセオディア・メレ・エトゥールが不吉なことを告げる。

「メレ・アイフェスが社交の場に出ないと非難轟々ひなんごうごうだ。エトゥール王がメレ・アイフェスの自由を奪い、監禁しているという噂があがるくらいだ。定期的に生存を周囲に知らしめる必要がある」

「定期的にって、一度ですまない、ってことでしょう」

「まあ、そうなる。外交として、晩餐会ばんさんかいがあり、そういう場がある以上、ダンスを含めた礼法を覚えていただきたい。大丈夫、書物を記憶できるカイル殿には難しいことではない」

 決定事項のようにセオディア・メレ・エトゥールは話をすすめる。

「礼法、乗馬は学ぶけど、ダンスはない。絶対にない」

「そうか、晩餐会ばんさんかいなら一度の挨拶ですむが、個々に面会したいというならこちらも無理は言わない。こちらがメレ・アイフェスが面会すべき貴族のリストだ。かなり絞ったものだ」

 カイルは蒼白になる。侍女が持つ書盆しょぼんに乗る羊皮紙ようひしは山積み状態だった。エトゥール王特有の冗談かと思えば、面会依頼の書は全て本物だった。

「さらに増えていくことは保証しよう。シルビア嬢と分担でかまわない」

「え?私ですか?」

 シルビアは飛び火した話題に慌てた。彼女は書盆しょぼんを目にしてから、きっぱりと言った。

「カイルがメレ・アイフェス代表として晩餐会に出席でよろしいと思います」

「シルビア! 僕を人身御供ひとみごくうにしないでっ!」

「私はそのような場に出る服もありませんので……女性にとっては重要な問題ですから」

 シルビアは完全にうれえるふりをして、カイルの退路を断ち自分の安全をはかった。

「そこなんです!」

 ファーレンシアは両手を握りしめて、シルビアに同意した。

「もう、ドレスを作り始めなければいけない時期なのです。シルビア様、採寸をいたしましょう」

「え?」

「出る、出ないはともかく、男性の正装服より女性のドレスは作るのに時間がかかるのです。隣室に侍女が控えております」

「え?」

「布、デザイン、髪飾り、耳飾り、首飾り、靴――ああ、いろんなものを決めなくてはいけません!」

「あの……?」

「さあ、シルビア様っ!」

 混乱の中、目を輝かせたファーレンシアに、シルビアはすごい勢いで隣室に連れ去られた。

「……策士、策に溺れる、か」

 セオディアは笑いを噛み殺している。

「シルビア嬢のドレス姿は楽しみだ」

「シルビアを人身御供にするから、勘弁して」

 未来が予想できたカイルは、ぐったりと告げた。

「ファーレンシアをエスコートしてもらう男性のメレ・アイフェスが必要だ」

「サイラスがいいよ。彼は毒舌どくぜつさえなければ絵になる」

 ファーレンシアの横にサイラスが立つ。それはきっと映えることだろう。誰もが認める美男美女のモデルのようなカップルが成立する。

――なぜだろう?なにか面白くない。

「……やれやれ、ファーレンシアも苦労する」

 ぼそりとセオディアがなにごとかつぶやく。

「サイラス殿には廊下で出会った時に、打診しようとしたらすごい勢いで逃げ出された」

 怖い物知らずの先発隊員サイラスが逃げ出すほどの危機とは恐ろしい。

「とにかく僕にはダンスなんか無理だ。そんな運動神経はない」

「……実は、ファーレンシアは去年まで身体が弱く、こういうことは無理だった」

 意外な独白にカイルは意表を突かれた。

「え?」

「最近は発作も起きず、体力もついてきたようなので、彼女が望む形で初の社交会デビュタントを味合わせたかった。そのため信頼できるエスコート役をカイル殿にお願いしたかったのだ」

「……」

「カイル殿なら短期間で礼法も学び終えるだろうと、ついファーレンシアに言うと、あの子は予想外に喜んでしまったが……」

「……」

「信頼できるエスコート役が得られないなら、彼女には次回の晩餐会における初社交デビュタントは諦めてもらおう」

 セオディア・メレ・エトゥールは残念そうに吐息をついた。 

 騙されちゃだめだ。騙されちゃだめだ。

 すごい勢いで外堀が埋められているが、ほとんど脅迫に近い。これは間違いなく、メレ・エトゥールの陰謀だ。

 その時、妙な思念を感じた。

 ふりかえると部屋に残っている数名のファーレンシアの侍女達からすごく睨まれている。代表者はファーレンシアが信頼しているマリカだ。

――ファーレンシア様のエスコート役を断るだと?この不届ふとどものがっ!

 彼女達の目は間違いなくそう語っていた。

「……今回だけなら……」

「ん?」

「……今回だけならファーレンシアのエスコートをするよ」

「そうか、ありがたい」

 メレ・エトゥールは手をたたいた。

「彼の気が変わらないうちに採寸を」

 侍女達にカイルは拉致られた。



 サイラスは大爆笑をした。

「そうなる気がしたんだよね」

 彼はまだ笑っている。

 シルビアとカイルは城下の滞在先にサイラスを訪ねた。彼は、メレ・エトゥールから「打診」を受けたあとは、とんと城によりつかなくなった。素晴らしい危機回避能力だった。

 もちろん、メレ・エトゥールが三人目のメレ・アイフェスの出席をあっさり諦めるはずがない。この先、どうなるかカイルも予想がつかなかった。

 サイラスとリルは、なかなかいい場所に店を得ていた。中心街に近く、二階は居住スペースになっている。リルの家にあるという「在庫」とやらを王都に少しずつ運びいれているらしい。

 彼は晩餐会に出ることになった二人の話に、無情にも笑い転げている。

「打診があったときに、僕達に警告してくれればいいのに」

「戦略的見地から犠牲は必要だった」

 彼は涼しい顔でお茶を飲む。

 その犠牲者であるカイルはため息をついた。シルビアの表情も暗い。

「ダンスなんて難しくないだろうに」

「他人事だと思ってるな」

「ダンスは難しくないのですが……」

「何が問題?」

「常時、微笑みながら踊るというのが難易度が高すぎます」

 ああ、とサイラスとカイルは納得した。

 元々シルビアは表情が豊かではない。親しくなれば、それなりに表情の機微は見分けがつくが、いつも冷静な印象を周囲に与える。

「楽しいことを思い浮かべれば?」

「楽しいことですか……」

「アイリのお菓子とか」と、カイル。

 ふっと、シルビアの表情は緩んだ。

「その方法、いいですね」

 ステーションにいる頃より、はるかに表情は豊かだけどなぁ、とカイルは思うが、本人には自覚はないらしい。

「で、最近の南地方の様子は?」

直轄地ちょっかつちになったけど、まだまだだなあ」

 サイラスが感想を述べる。

「魔獣は多いし、隊商を襲う盗賊団もいて治安は悪い」

「魔獣については第一兵団を中心に討伐隊を組んでいます。団長はカイルが救ったクレイという方です」

 ああ、初めての夜に聖堂で見かけた人か。あのあとに、メレ・エトゥールが優先的に治療を望んだ人物だと記憶している。

「シルビア、詳しいね」

「……貴方が寝ている間にいろいろあったんですよ」

 シルビアはなぜか遠い目をした。

「そういや、サイラスが討伐隊を拒否したのはなんで?」

「あの領主が油断ならない相手だから」

「セオディアが?」

「じわじわと取り込んでくる。討伐隊にかかわれば、次は訓練や技を教えてくれになるに決まってる。下手したら兵団か近衛に取り込まれる。だから回避したんだよ」

「……」

「どっぷりハマっている二人が回避するには手遅れだ」

 嫌な予言をサイラスはする。

「サイラスから見たセオディア・メレ・エトゥールの印象は?」

「食えない、曲者くせもの、腹黒、イーレとディム・トゥーラを足して2で割った印象」

「それって最凶では……」

「だから逃げ出したんだ」

「よくそこまで見抜けますね」

「危機管理ができないと先発隊は務まらないって」

 サイラスはひらひらと手をふる。

「で、今日はどうしたの?ダンスの愚痴ぐちだけじゃないだろうに」

「サイラスは今、どこまで足を伸ばせる?」

「商業ギルドの保護効力があるところまでなら」

 カイルはふところから羊皮紙を取り出した。中身を見たサイラスが感心する。

「地図か」

「僕が描いた」

「なんだって?これだったら、一儲けできるぞ?」

「サイラス、視点が商人のものになってます」

「おっと失敗失敗」

 サイラスは舌をだす。

「流通したら戦争に利用されるからやめてね」

「まあ、そうなるよな。で?」

「街や村の位置を把握したい」

「その理由は?」

「ステーションの支援がなくなった時に備えたい。僕達は今、ディム達に依存している状態だ。中央セントラルが来たら、イーレは地上に降りて、ディム自身は拘束されると彼は予想している」

「まあ、そうなるな」

「衛星軌道上の『眼』を奪われる状態だ。今のうちに地上の正確な情報を取り込みたい」

「街と村だけでいいのか?」

「できれば、村や街に近く人目のつかない確定座標候補も」

「それはディムに投げれば、いいんだな?」

「そう」

「あとは?」

「世界の番人――精霊の伝承を集めたい。精霊と精霊獣のことならなんでも。王都エトゥールでは限界がある。田舎の方が口伝とかある可能性が大きい」

「なんで?」

「あの番人が大災厄について語れないのが、誓約の為なら誓約を解除した方が正確な情報が手に入る」

「その手がかりになると?」

「そういうこと」

「まあ、人と話すならリルの方が適任だな。やってみるけど期待しないでくれよな。それよりディム達が不在になったら通信機が役立たずになることはどうする?」

 カイルとシルビアが視線をかわす。

「なんか代案があるわけだ」

「ウールヴェを使おうと思います」

 その言葉にサイラスはすごく嫌そうな顔をした。

「ウールヴェは使役できるんだ。精神感応テレパスの増幅効果がある。連れていれば、僕と連絡取れると思う」

 サイラスはさらに嫌そうな顔をした。

「今、連れていないだろう?」

「いますよ」

 シルビアが自分のウールヴェを呼ぶと、彼女の手のひらにフェレットに似た白いウールヴェが現れる。

「……それ……どこから跳躍してくるんだ?」

「城の私の部屋から」

「……」

「その気持ちはよくわかる。僕にとって精霊鷹がそんな感じだった」

「精霊鷹に失礼です」

 シルビアがカイルを叱る。

「あんなに美しくて賢い生き物なのに」

 思い出したのかシルビアはうっとりと吐息をつく。

「……この通り、シルビアはメレ・エトゥールに洗脳されている」

「……ウールヴェを使うという案は保留でいいかなぁ」

 サイラスが珍しく苦悩の表情を浮かべる。

「かなり心の準備がいる。例えるなら、イーレと一騎打ちをしろと言われている気分だ」

「「そこまで⁉︎」」




「いつも手をわずらわせてごめん」

 サイラスの店の前で待機していたミナリオ達にカイルは詫びる。

「それが仕事ですのでお気遣いは無用です」

 ミナリオは微笑み、共に城に向かって歩き出す。いい機会なのでカイルは気になっていることをミナリオに尋ねた。

「ミナリオ、ファーレンシアは身体が弱かったの?」

「私よりアイリの方が詳しいでしょう」

 ミナリオは視線でアイリに回答を受け渡す。

「メレ・エトゥールのおっしゃったことは事実です。先見をなさる時によく発作のような症状を起こし、倒れられてました」

 元ファーレンシアの専属護衛であるアイリが答える。

「本来、初社交デビュタントは十二歳を目安としますが、ここまで遅れたのはそういう事情もございます。正直、メレ・アイフェスがいらっしゃってから、ご健康ですので、私達一同は感謝しています」

「いやいや、僕達は関係ないでしょう」

「そうでしょうか?精霊の加護が増えたからだと、我々は考えていますが」

 先見の予言は、世界の番人である精霊との対話――精霊のあの凄まじい力がファーレンシアの身体に負担を強いていたことはあり得ることだった。

「一度、ファーレンシア様を診察してみましょうか」

「シルビアが診てくれるなら安心だ」

 カイルはほっとした。この間の精霊との対話がファーレンシアの身体に負担をかけすぎてないか心配だったのだ。

「メレ・エトゥールが僕を晩餐会ばんさんかいに担ぎ出すための嘘かと疑ってしまったよ」

「まあ、その判断は間違っていませんよ。承諾を得るまで、あの手この手を用いて、追いこむのは、元直属として想像できます。すでにいろいろとメレ・アイフェスありき、で見直しを進めておりましたから」

 ものすごく不吉なことを言われたような気がする。何を見直しているというのだろう。

「侍女のマリカ達まで熱心に加担するのはなぜ?」

 アイリはカイルの質問に微笑む。

「晩餐会で主を着飾ることは、いわば侍女のほまれですから。それが初社交デビュタントになれば、彼女達の意気込みも理解できますわ」

「ファーレンシア様の初社交デビュタントのエスコートを辞退するとは何事か、という視線でしたね」

 ミナリオが思い出し笑いをする。

「ミナリオも気づいていたんだ」

「あれだけの殺気が出ていてれば、そりゃあ、もう」

「ははは」

 力なくカイルは笑う。

「あそこで断っていたら、どうなってたかな?」

「え?」

「え?」

 二人の回答に間があく。

「それは……メレ・アイフェスの勇気に感嘆していたかもしれません」

「究極の怖い物見たさってヤツですね?」

――アイリとミナリオの言葉の意味が怖い。

「城の侍女全員を敵にまわし、その時は、私もマリカに加担していたと思いますよ?」

 にこにこしながら、アイリは恐ろしいことを言う。目は笑ってなかった。

「焼き菓子でシルビア様を味方につけるとかしてますね、きっと」

「あら、それは買収されてしまいますね」

「買収されないでっ!」

「そもそもあの部屋に足を踏み入れた時点で勝敗は決していると思うのですが……」

 ミナリオが真顔で評する。

「確かに」

 採寸のための部屋まで用意されていたのだ。承諾するまであの部屋から出られなかったかもしれない。

「そういえば、シルビアの採寸は長かったね」

「採寸以外にも布や色やデザインまでも決める必要があって地獄でした。最終的にはファーレンシア様達におまかせしました。地上の服飾文化などわかりません」

 まだ男性の採寸はマシだったようだ。

「晩餐会はどのような流れですか?」

 シルビアが不安そうに問う。

「詳しい説明は直接あるとは思いますが、エスコート役の男性と入場して、軽い食事のあと、外交がはじまります。いろいろな方から挨拶を受けるでしょうが、そこはメレ・エトゥールが考えていますので、問題はありません。それから舞踏が始まります。三曲目が重要な意味をなすので、メレ・エトゥールの指示以外の方と絶対に踊らないでください」

「三曲目?伝統的なものなのかな?」

「はい、そう考えていただいて結構です」

 シルビアはため息をついた。

「間違いを起こしそうで怖いですね」

「サイラスは敵前逃亡して、うらやましいよ」

「セオディア様から逃れることは無理だと思いますが……」

 ミナリオがぼそりと言った。

「……」

「……」

「……私、一時的にステーションに帰還してよろしいですか?」

「……ダメに決まってるでしょ」

 策にはまったメレ・アイフェス達に、エトゥールの領主の高笑いが聞こえたような気がした。

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