第12話

 荒れた大地を気だるげに歩いてくる人影。うねる木の陰から現れたその人影に、リリィは目を凝らした。


(村の誰かが戻ってきたの?)


 人影が近づくにつれて、それが長身の男だということに気が付いた。男は周囲を警戒しながらのそのそとこちらへやってくる。息を潜めて木の上にいるリリィの姿に気づく様子はない。


(あんなに長身の男、村にいたかしら)


 男は祭壇の前までやってくると、きょろきょろと周囲を見渡した。その時やっと男の顔がはっきり見えて、リリィは思わず叫びそうになった。口に手を当てて悲鳴をこらえながら、男の横顔をじっと見つめる。黒い髪を雑に切った男の目は、獣のように赤かった。さらに顔の頬には白い鱗のようなものがびっしり生えている。それは鱗病の症状にとてもよく似ていたが、鱗病の患者は肌に黒い鱗が生えるはずだった。


(あれ、何? 人間なの? どうしよう、本当に悪鬼がいたのかもしれない。もしかして私、食べられちゃう? 逃げなくちゃ……)


 枝の上で思わず後ずさると、彼女が乗っていた枝がぎしりと軋んだ。まずい、と思ったときには遅かった。一度入った亀裂はバリバリと広がり、枝は根元からばきりと折れた。


「きっ、きゃあーーっ!?」


 枝の折れる音と共に悲鳴が響く。リリィは手足をばたつかせながら落ちた。全身に傷みが走るだろうと思っていたが、いつまでたっても衝撃はやってこなかった。ぎゅっと瞑ったまぶたをそっと開く。すると、眼前に赤い双眸が光っていた。地面に落ちる寸でのところで、白い鱗が生えた男に抱きかかえられていた。悪鬼と呼ばれる男と間近で見合う形になる。


「ぎゃあああああっ!!?」


 もう一度絶叫すると、リリィは全力をふり絞って暴れた。とにかくめちゃくちゃに両手足を動かして、男の腕から逃れると脱兎のごとく駆け出した。後ろの方から何か言葉が聞こえた気がしたが、振り向いたら取り殺されると思って必死に走った。


 岩肌を転がるようにして駆けまわり、右も左もわからないままに走り回った。息が切れ切れになって体力を使い果たしたときにやっとリリィは我に返った。美しくしつらえられていた衣装には土が付き、両手足には擦り傷ができていた。さっきまでは傷にすら気がついていなかったのに、怪我をしていると自覚するとなぜか傷がヒリヒリと傷みだした。


 リリィはきょろきょろ回りを見回すと、しょんぼりと項垂れてその場にしゃがみ込んだ。


「ここ、どこだろう。家に帰りたい……」


 遠くの空から流れてきた黒雲がいつのまにか空を覆い、山は薄暗がりに包まれている。


「まさか本当に悪鬼がいるなんて。どうしよう……。村がどっちか分からなくなっちゃった」


 泣き出しそうなのを必死にこらえて鼻をすすった。

 次第にぽつりぽつりと雨が降り出し、あっという間にバケツをひっくり返したような大雨になった。リリィは大慌てで雨をしのげるところを探した。地面は雨水でぬかるみ、泥になっていた。泥に足を取られながら必死で歩き回り、やっと大きな木の洞を見つけた。


 大人が一人ギリギリ入れる木の洞にすっぽりとはまると、水が滴る髪の毛を両手で軽く絞った。衣装もすっかり水を含んで重くなっていたので、裾のほうだけでもと手で絞る。成すすべもなくぼうっと空を見上げていると、黒雲の間から稲妻が空を走った。パチパチと空が白く光り、続いて轟音が空に響いた。


「早く帰りたい……」


 そうつぶやいて両腕の中に顔をうずめた。体は雨ですっかり冷えてしまい、ぶるぶると震える。薄暗い木の洞の中にぽつりと体育座りをしていると、世界にたった一人しかいないような気持ちになった。


「明日、帰り道を探さなきゃ……。でもその前に、少しだけ、休もうかな……」


 こっくりこっくりと船を漕ぎ出す。寒さを忘れて心地よい睡魔に包まれる。このまま眠ってしまうのは危険だと頭の隅では分かっていた。だが走り回って疲れていたリリィは、その理性の声に耳を貸すことはできなかった。


「パネラ、大丈夫かな……」


 ついにリリィは眠りに落ちた。そのまま木の洞にもたれ掛かり、静かな寝息を立てていた。あまりに疲れていたので、目の前に人の影が現れても、自分がその男に持ち上げられても全く気付くことがなかった。

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あなたを倒しに来たんですけど @rintarok

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