第8話 コーチ不在のヒノメ班

 サクハナリーグ協会本部を出たヒノメは、ムイとミズクとの待ち合わせ場所に向かった。


 次の対戦相手との戦い方についてカラスから助言をもらおうと、三人で会いに行こうと決めていたのだ。もっともムイとミズクは乗り気ではなく、ヒノメが強引に連れ出しているのだが。


 ヒノメは大通りを歩き始める。ヒノメ班の試合の賭けで儲けたカラスが宿泊しているのは高級旅館の『高天こうてんの木陰』で、高級商店や旅籠が集まる都市中央部に位置していた。


 協会本部に寄ったヒノメが中央地区に向かう途中の通りで落ち合うことになっている。もしかしたらその辺の喫茶店で時間を潰しているかもしれないと思い、ヒノメは路地に面するガラス張りの店内や通りの反対側まで忙しなく視線を巡らしながら歩いた。


 買い物をしている親子連れや男女は満ち足りた表情をしており、どこか見えない壁を隔てた存在のようにヒノメには感じられた。


 短刀で令名を誇る〈晴火流〉を極めた父を持ち、幼少時から剣を習ってきたヒノメ。父と同じ道を歩んでいたつもりが、長刀を使って父親の修練の相手をしている間に道を踏み外し、異端の長刀使いとして取り残されてしまった。


 サクハナリーグで自身に残った長刀を試したものの、その成績も振るわない。父親を失い、異端として孤立したヒノメにとって、縋りつくしかない長刀も通用しない現状は辛かった。


 自分の居場所が無く、覚束ない足元に立っているようで耐えず焦燥に駆られている。ヒノメが勝利を渇望するのは、唯一残された剣の技量を自分の心の支えにしたいのかもしれない。


「私には、父さんの残してくれた長刀しかないのに……」


 我知らず呟いたとき、目前に小さな人影があった。物思いのせいで視界が狭まっていたためか気付くのが遅れ、ヒノメは慌てて立ち止まる。


「どうしたのです。ミズじゃなければ衝突してぶつかっていました」


 ヒノメを見上げてくるジト目の少女、ミズクは紫の髪を揺らして怪訝に小首を傾げている。


「あ、ミズクちゃん。ここで待ってたんだ」


「まだムイぴょんが来ていないです」


「まーたムイちゃんだ。もう少し待ってようか」


「です」


 頷いたミズクを伴い、ヒノメは通行人の邪魔にならないよう道路の端に寄った。


「次の相手が決まったですか」


「うん。カレギっていう嫌な奴。でもさ、ムイちゃんが来たら話すけど弱点もあるよ」


「ミズたちよりも圧倒的に格上の相手に、明確な弱点があるとも思えないです」


「もー、いつもミズクちゃんは消極的だな」


 客観的というよりは、後ろ向きといったミズクの意見にヒノメは呆れる。だが、その言葉を聞いてもミズクに対して悲観的な印象を持たないのは、その無表情にあるだろう。


 内心の読めないミズクのジト目には理屈の無い頼もしさがある。その口唇から消極的な言葉が放たれても、ミズクの胸中では自身の言ったことを覆すための打算が働いているのだ。


 最年少ながら、ヒノメ班の頭脳でもあるミズクは頼りになる存在だ。年長者であるヒノメとしては、自分が情けない気もするが。


「あ、ムイぴょんが来ました」


「やっとかあ。って、どこよ」


 ミズクが道端に立つ背の高い影を指差している。


「あれは街路樹でしょが。ボケかまさないでよ。ったく」


 ヒノメは横に立つ街路樹に手を着いて寄りかかった。


「だいたいムイちゃん遅くない? 人を待たすのに慣れすぎなんだよね」


「ムイぴょんが時間に無頓着なのは同意です。でも、ミズはそんなムイぴょんも好きですよ」


 ミズクがヒノメの頭上を見上げながら擁護の声を放った。


「そうやって甘やかすからさあ、ダメなんだよねー。ムイちゃんにはもっと厳しく……」


「あのう、ごめんなさい」


 ヒノメは背後からかけられた声に身を硬直させる。手で寄りかかっているものを見やると、街路樹だと思っていたそれは人間の胴体だった。

 その胴体に沿って目線を上げていき、天を仰ぐほどに首を曲げる。その先では、ムイの困り顔が逆光になってヒノメを見下ろしていた。


「うわ! これムイちゃんだったの⁉ いるなら声かけてよ!」


「少し遅れたから話しづらくて。ごめんなさい」


「まったく。……コラー、人を待たすんじゃない!」


「ああ。ごめんなさい、ごめんなさい」


 ムイは何度も頭を下げて謝意を示した。それが上辺だけだと知っているヒノメは、それ以上は拘泥せずに踵を返す。


「はい。『もっと厳しく』は終わり! とっととコーチに会いに行こう」


「そうだねー……」


 ムイはカラスコーチに会うのは乗り気ではないが遅刻してきた手前、愚痴を言う度胸も無いらしい。ムイが促すように手を差し出すとミズクがそれを握り、二人がヒノメの横に並んだ。


「さっきね、偶然カレギ班の二人と会ったのよ」


 ヒノメは歩きながら先ほど出会ったカレギとオトノの印象を語る。ムイとミズクは興味なさげに、表面上はヒノメの言葉に耳を傾けていた。


 三人は桜の花弁で斑に染まった石畳を踏みつつ、高級な商店の多くなった都市中央部を進む。


 このアカルミは円形の外郭に覆われた内側に都市が築かれており、都市国家としては月並みな造りをしていた。

 サクハナリーグ開催地となり協会本部が設立されてからは住民や旅行者が増えたことで、住居や宿泊施設を増設するために何度も都市を拡張している。


 幾度も拡張を繰り返したことで現在の外郭は歪な形になっており、アカルミ本都市では居住域が足らず、新たに小規模な副都市を二つ建造していた。


 そのためアカルミは中心部にサクハナリーグ協会本部などの重要施設、古くからある商店などが位置し、外縁部には新興住宅が多い造りになっている。


 アカルミの特産である食用桜の栽培地も、中央部の丘に設けられていた。都市が運営する広大な栽培地には、品種改良されて冬以外は花開く桜が常に咲いている。


 丘から風に乗って都市全域に運ばれる桜の花弁も名物であり、いつもアカルミの空気には朱色の花弁が漂う。無機質な路面に敷き詰められた桜の絨毯を踏むのもアカルミの日常の一部だ。


「……つーわけで、あのお嬢様オトノにつけこめばカレギ班に勝てる可能性だってあるのよ」


「話だけ聞いていると、あくどい気がするけど」


「何を言ってんの。勝負では弱点を狙っても文句なんて言われないのよ。敵だってムイちゃんのことを遠慮なく狙ってくるでしょ」


「それではまるで、ムイぴょんがヒノメ班ウチの致命的であからさまな弱点のようです」


 三人が話しながら歩いていると、ほどなくして目的地に辿り着く。


 大通りに面している石造りの建造物が〈高天の木陰〉。三階建ての小ぢんまりした建物で、白い石製の壁面はアカルミでは珍しい外観だ。昼下がりの陽光を反射して眩しい白い建物こそ、ヒノメたちが目指していたカラスの宿泊施設だった。


「ここかあ。すっごく高そうだね」


「わたしたちじゃあ泊まれないね」


「別にあの人が稼いだのではなく、ミズたちの試合に賭けた儲けです」


 ミズクの言葉を聞いてヒノメが溜息を吐く。カラスが一試合でこの旅館に泊まれるほどの金銭を稼ぐとは、自分たちの倍率はどれほど高かったのか。


 その先を考えると悲しくなりそうなので、ヒノメは首を振って思考を追い払うと足を進めた。木製の玄関を開けて室内に入ると、そこは磨き抜かれた床と壁が光沢を放っている。広い歩廊ロビーを突き抜けて奥に位置するカウンターへ向かった。


 カウンターからは初老の男性が落ち着いた笑顔でヒノメを出迎える。


「いらっしゃいませ。ご用件を承ります」


「こんにちは。ここにコーチが……」


「コーチ?」


「いえ、カラスさんがここに泊まっていると聞きまして。会いたいんですけれどもー」


「かしこまりました」


 男性は帳面をめくり、その名前を見つけたのか視線を上げた。


「確かにカラス様は当旅館に長期滞在していらっしゃいます」


「それじゃあ!」


「ですが、本日はご不在です。ここ数日は留守にするとのご連絡をいただいております」


「えー、そんなあ!」


 仕方なくヒノメは受付の男性に悄然とした顔を向けた。


「分かりました。それじゃあカラスさんが戻ってきたら、ヒノメ班の次の試合は三日後だって伝えてもらえますか?」


「かしこまりました」


 恭しく頭を下げる男性に背を向けてヒノメたちは〈高天の木陰〉を後にした。


 通りに出た三人は顔を見合わせる。カラスから助言を聞けなかった落胆が重くのしかかってヒノメの肩を下げさせていた。


「どーしよー。コーチに会えなかったじゃん。今度の試合は大丈夫かな」


「仕方が無いよ、ヒノメさん」


「そうです。ヒノメも言っていたカレギ班の弱点に賭けるしかないです」


 ヒノメは自身を納得させるように頷く。


「そうだね。せっかく集まったんだし、その辺の喫茶店でも寄ってく?」


「いいねー。普段はこの辺りに来ないから楽しみ」


あの人カラスに会わない方が気分もいいです」


 笑い合った三人は行き交う人波に溶け込んでいった。

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