亡国の王子と敵国の王女6

 いつものようにカーヴァは朝食を摂り、食器を片付けるついでに新しい食事を受け取る。食堂を出たばかりの廊下は賑わいを見せているが、目的地のほうへ進むにつれて喧噪は遠くなる。二人組の兵士が見張る牢獄の入口が見えるころには、靴音がうるさく思えるほどの静寂に包まれる。

 牢獄へ続く階下は、隙間から漏れる朝日に照らされている。天気が荒れた日には朝から燭台の火を頼りにおりることになり、それだけで憂鬱な気持ちになる。晴天なだけで気分が良くなるのだから人間の感性は曖昧なものだと、どうでもいいことを脳内で呟きながら段を踏み、階下について夜勤の兵士と交代した。やけに目が冴えていて、今日も居眠りしていたのだろうと察する。

 格子の先に食事を差し入れ、少し離れた位置にある椅子に腰をおろした。牢のなかで影が動き、レナードは軽く頭を下げて床に置かれた食事を机に移動した。

 ただ、すぐには手を付けなかった。


「昨日の夜も、ソレイア様は来なかったんですか?」

「うん。君がいない時間には来てくれないみたいだね」

「あれから5日経ちました。城内では見かけるんですが、俺から喋りかけるのはマズいですから……必死に視線を送っては見るんですけど、どうも気づいてくれないんですよ」

「嫌われてる?」

「嫌われるような真似してないですよ! ……いえ、もしかしてそうなんですかね? 身に覚えが全然ないんですけど、俺なんか嫌われそうな言動してました?」

「特別扱いされて図に乗ったのが良くなかったね。密会に同席を許可してもらって、自分は特別だって喜びが溢れて隠しきれていなかったから」

「図になんて乗ってないですから。俺はね、平穏に暮らしていたいんです。命を賭して国とか人のために戦いたいなんて思ってなくて、安全な場所で兵士の肩書を掲げられていれば、それが最高だったんです。迷惑なんですよ、他の誰にも話せない危険な秘密を共有されるのは!」

「そうやって強烈に拒絶してるのが見抜かれたんじゃないかな。頼むよカーヴァ、君がソレイア殿と仲良くして彼女の頭にある計画を訊いて教えてくれないと不安で夜しか眠れないよ」

「昨日も昼寝していたでしょう」


 牢獄で朝から晩まで過ごすのは暇の極みといえる。書物を読んだり身体を鍛えたり木剣で鍛錬したり、身になる行為で時間を潰すようにしているが、退屈で眠くなってしまう時もある。しかしカーヴァとて重大な役割を担っている自覚は充分にある。他事をしていたり眠気に襲われていても、監視対象の男に対する警戒は緩めないよう意識している。だから眠りにつくのを見逃したりはしない。

 レナードはよく眠る男だ。牢のなかでは暇を潰す手段が限られているというのもあるが、彼は睡眠を好んでいる。朝食をとって寝て、昼食をとった後も寝る。夕食前に起きてグルグルと牢内を歩き回りながら腕や肩もほぐしたら、カーヴァに話しかけて夕食を待つ。カーヴァと交代する夜勤の兵士いわく、交代してすぐにレナードは就寝の挨拶をする。宣言通りに彼はしばらくして寝息を立て始め、途中呼吸が乱れる日が稀にあれど、基本的には朝までぐっすり眠る。


「緊張とか考え事で眠れなかったりしないんですか? 俺は最近眠れないですよ。ソレイア様が何をしようとしているのか、まったく見当もつかないですから。近いうちにとんでもない事件に巻き込まれて、胃がどんどん傷んでいく予感しかないです」

「僕や君が悩んだって状況はどうにも変わらないよ。だったら考えるだけ時間の無駄だろう? まぁその無駄な時間を潰したいから妄想してるというなら止めはしない。誰かに語りたいなら喜んで聞き手になってあげよう。あんまり主張が激しいと、僕もカーヴァを嫌いになってしまうかもしれないけどね」

「『も』ってなんですか! 意見は胸に秘めてるだけで伝えてないですから、ソレイア様が俺を嫌いなんてありえません!」

「僕が嫌われるのもありえない。僕に恐ろしい未来を提示してくれたのは、大きな期待をされているからだろう。どちらも嫌われていないとなると、“僕らに会いに行きたいけど行けない”状況に陥ったんじゃないかな」

「それなら城内がざわつきそうだし、俺たち兵士の耳にも入るどころか、直接命令されそうなものですが」

「カーヴァ、君は兵士の仲間からも嫌われているのか……かわいそうに。僕だけは君の味方でいてあげよう」

「高貴な方に贔屓にしてもらえるなんて光栄ですよ。自国の人だと、なお良かったんですけどね」

「自国ねぇ。この前のソレイア殿の話を聞いていたかい?」


 ふざけた会話だったのに、レナードの指摘にカーヴァは息をのんだ。

 ソレイアの掲げた理想とは、2つの血を1つにして国家間の戦争を真の意味で根絶すること。実現すればどちらの国に属しているかなんて概念すら無くなる。理想を目指すならば、まずは当事者から国家の垣根を感じないようにしなければ駄目だ。

 自然と口から出た『自国』という表現に、カーヴァは自覚する。


「……言っておきますが、俺は別に同意しちゃいません。ソレイア様とレナード殿が為そうとしていることを邪魔するつもりはありませんが、協力するつもりもありません。貴方を敵国の人だと思わないようになるのは、おふたりの理想が実現してからです。卑怯だと思いますか?」


 自分は巻き込まれただけで無関係。リスクを冒さない行動を選択することに、後ろめたさを感じる必要はない。


「思わない。黙っていてくれるなら、それだけで充分に嬉しいよ」


 別に非難されなかったのに、カーヴァの心にかかった靄は晴れなかった。


   ◆


 朝食をとったあと、レナードは牢獄の安価な作りのベッドで仰向けになっていた。見飽きた天井の石を改めて観察していたのではない。今朝カーヴァも気にしていた件をぼんやりと考えていた。

 ソレイアは何をしているのか。婚姻を結ぶ準備を進めているのだろうか。敵国の王と婚姻を結ぶと率直に言っても彼女の父親であるエストレーモ王が受け入れるはずもない。父親の説得に手間取っているのだろうか。それとも、既に戯言と掃き捨てられたあとで、牢獄への接近を禁じられたのだろうか。

 最後のは無い。禁じるなら、カーヴァもソレイアを近づけるなと命じられるはず。

 呼んだわけでもないのに、牢獄の看守が椅子から立ち上がる気配があった。ジッとしているだけなのに、わずかに空腹を感じる。昼食の時間だ。昼になると、カーヴァが食堂まで二人分の食事を取りに行ってくれる。自分のせいで退屈な仕事をさせてしまっている罪悪感がほんの一握りだけ、レナードの胸中にあった。退屈な仕事で上等と本人は言ってくれるが、そんな向上心のない兵士がいるはずもない。


 階段の音が牢獄に反響する。食事の調達をカーヴァに任せ、レナードは引き続き思考に耽ろうとして、気づいた。

 階段の音が遠ざかっているのではなく、近づいている。ベッドから起き上がり、格子に近づいた。ギリギリ、銀色の甲冑をまとうカーヴァの背中だけ見えた。


「――ヴェ、ヴェルデ様?! どうしてこちらに?」

「王から呼んでくるように依頼されましてね。鍵を開けてもらえますかな?」

「えっ……いま、なんとおっしゃいましたか?」


 あまりに唐突で、レナードも己の聴覚を疑った。呼吸より耳を澄ませる感覚に集中したせいか、牢獄内の空気が薄くなったように感じる。

 それは、聞き間違えではなかった。


「エストレーモ王から、コンコルディア王を牢獄から連れてくるよう命令されたのですよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

囚われのコンコルディア のーが @norger

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ