亡国の王子と敵国の王女1

 階段をのぼって応援を呼ぶか、このまま単身で王女を護衛するか。カーヴァは選択を迫られていた。

 悩む暇もなかったから、カーヴァは己の直感を信じて後者の対応に決めた。我が国によって滅ぼされたコンコルディア王国の王子であるレナードと、我が国の王女のソレイア。どう考えたって万が一を警戒すべき状況で、誰にも告げずに黙って牢獄に来ているなら、守れる立場にいるのは自分だけ。応援を呼びにいった隙に何かが起こることだけはあってはならない。

 壁にかけていた剣を手にしたカーヴァに構わず、ソレイアは格子越しにいる男の前に立った。


「さっきの質問、貴方は答えを持っているの?」

「『平和とはどういった状態を指すか』だったかな。でも、僕とカーヴァの会話を毎夜聴いていたならわからないかい? 僕が彼に投げる質問に意味なんてありゃしない。ただの暇つぶしだよ。哲学ほど高尚な話ができれば僕を見張り続ける退屈な役目に嫌気の差したカーヴァを楽しめられるけど、何ヶ月も同じ場所にいるせいか、そんな豊かな発想は浮かんできてはくれなくてね」


 首を傾げたソレイアが、ちらりと後ろを向く。濁りのない瞳と目が合って、カーヴァの心臓が跳ねるような鼓動を刻む。


「貴方がカーヴァ? 名前で呼ばれているのね」

「申し訳ありませんソレイア様。初めの頃に名前を尋ねられ、軽率にも答えてしまいました。それと、名誉のために誤解をとかせてください。私は見張りの大役を任せられ、毎日光栄な想いを胸にこの牢獄で過ごしております。その男の言葉ではなく、どうか私を信じてください」

「見張りが光栄? 本気でそんなふうに思っているの?」

「え……? い、いや、その、私に任された大役でありますので……」

「だとしたら腑抜けているわね。兵士になったなら戦場で前線に立って、一人でも多くの敵をなぎ倒す役目こそが至高であり、あるべき姿でしょう? 前線どころか戦場にも立たず、投獄され抵抗のできない相手を見張るだけの役割のどこが大役なのか、私には理解できないわね。ねぇ、これって私の勉強不足?」

「え、いや、勉強不足だなんて、そんなわけがありません。ソレイア様の考えはもっともです。言葉足らずでした。私は個人的に大役と感じているのです。長い歴史で常に我がエストレーモ王国の敵であったコンコルディア王国の王子を監視を任されるなんて、特別な扱いではありませんか。万が一にでも脱獄されれば、国中が大騒ぎになります。私に与えられているのは、そんな万が一の際に火を鎮める役目であると理解しております」

「なら、私が彼を脱獄させるために来たと言ったら、貴方がその剣で私を斬るの?」


 心の底から驚いた時、人はどんな反応をするのかカーヴァは身をもって知った。町で暢気に買い物をしている最中に物陰から敵が武器をかざして襲ってきたら、きっと自分は動けない。手足が硬直して購入した品は地面に落ちて転がる。そうして、次に瞬きするより早く斬り伏せられるのだ。経験の違う腕利きの兵士なら咄嗟に対処できるかもしれないが、残念ながら自分は違う。

 手足が硬直して表情まで固まったカーヴァに、ソレイアはクスクスと笑った。


「そんなに真に受けるとは思わなかったわ。そもそも、私に彼を牢から開放する権利なんてないし、鍵は貴方が持っているでしょう?」


 カーヴァは剣を落とさなかった自分を讃えたい気分だった。並の兵士なら手が硬直した瞬間に脱力して転げ落ちているだろう。そう考えると自分は勇敢じゃないにしても臆病者の汚名を着せられるほどではない。少しだけ、自信が湧いてきた。


「たとえ冗談でも、おやめください。それよりこの牢獄に来るなんて、止められなかったのですか? ソレイア様おひとりで牢獄に向かえば、場内にいる兵士が素通りさせるとは思えないのですが」

「だから素通りさせるよう頼んでいるの。1ヶ月前からね」

「なるほど……他の兵士も私と似た状況というわけですか」

「お父様に謁見を申し込んで伝える?」

「ご多忙な王の時間を頂戴するほどの問題とは思えません。皆も同感でしょう」


 短く頷き、ソレイアは牢獄の内側で静観する男に向き直った。

 カーヴァの胸中は、彼女がレナードに声をかけた直後から名状しがたい不安の塊が圧迫している。嫌な感じだった。漠然としているが、初対面のソレイアとレナードが会話する場に居合わせているために、大きな事件に巻き込まれる予感があった。


「退屈させたわね、レナード王」

「愉快な劇を観覧している気分だったよ。ソレイア王女、貴女も楽しい人だ。僕を『王』と呼ぶ点も含めてね」

「先代のコンコルディア王は先の戦争で亡くなったんだから、今の貴方は王子じゃなくて王でしょう?」

「そうだね。父は貴女たちエストレーモに殺された。僕を『王』と呼んだのは貴女が初めてだけど、外にいるコンコルディアの民は僕をその肩書で呼んでいるだろうね」

「残念ながらね。貴方が捕まってから半年もの間、何十人どころか何百人はコンコルディアの生き残りが攻めてきて、自分たちの新しい王の名を断末魔に死んでいったわ」

「ソレイア様、その件は……」


 城の外で起きている出来事の一切は伝えるべきでないとカーヴァは上官から命じられている。ソレイアの躊躇いのない発言を咎めようと思っても、明確な意思で禁忌を犯す王女を一介の兵士に止める術はない。


「隠せばバレない話じゃないわ。貴方の見張っていた男は、ひとつの国を治める器なんだから」

「器かは置いといて、カーヴァには悪いけど察していたよ。だとしても、実際に何百人もの民が犠牲になっていると聞くと正気を失いそうになる。僕がここに囚われていなければ、民たちは命を落とすこともなかった。僕が貴女の父上を討ち取り、このエストレーモの地をコンコルディアの民で支配できていれば、今も生きていたはずの人々だ」

「エストレーモが負けていたら、格子の先にいるのは私だったかもしれないわね」

「完敗だよ。そんな仮定を敵の僕の前で平然と言えるなんてね。だけど、他に誰も聞いていないとしても王女の立場にある貴女が負ける想像なんてしないほうがいい」

「レナード王、私は負けず嫌いなの。だから滅多に負けたら、なんて考えない。貴方だから、私は心のままに伝えているの。初めの『平和とはどういった状態を指すか』に戻るけど、ここ最近、毎日貴方の話を盗み聞きしてたからわかる。質問に意味がないっていうのは嘘。貴方はこの質問に確かな答えを持っていて、その実現のために行動している。並の精神では耐えられない覚悟には、私でも負けを認めるしかない」


 口角をあげて耳を傾けていたレナードだったが、段々と口元を固くしていって、ソレイアが一方的に見解を伝え終わる頃には唇はきつく結ばれていた。

 ほんのわずかな時間、一切の音が無くなって、緊張にカーヴァが唾を飲む音さえも響きそうだった。直後、レナードの愉快そうな笑い声が周囲に反響した。


「僕が平和のために活動しているって? 僕が牢獄にいることで、外では僕の救出を試みる兵士と阻止しようとする兵士で殺し合いが発生しているんだろう? ソレイア王女、それが貴女の平和の定義かい?」

「私じゃない。これは貴方の選択した、貴方に選択できうるなかでの最良の答え」


 またもレナードの表情が強張ったのを、カーヴァは見逃さなかった。


「貴方は自国を滅ぼすため、無抵抗で牢獄に囚われ続けることにした。そうでしょう?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る