第12話 夜に飛ぶひとり
夜は更ける。
深々と。
闇が、降り積もる。
「さってと……」
メイにはちょうどいい大きさでも長身のルガには小さい布団をくっつけて寝ていたが、ふと目が覚めた。
抱え込んでいた細い体は『浴衣』というあの布ではなく、持ち込んだパジャマを着ている。
どうにもあの腹のところで結んでいた『帯』という布が苦しいと、メイもルガも部屋に戻るとさっさと脱いでしまった。
そしていつものようにボロ服を着て寝ようとしたルガはメイに「ダメだ」と強固に言われ、素っ裸に首輪をつけただけである。
ジャラッという音は光のない部屋の中でも鈍く光る銀色の鎖で、メイの手に軽く握られていた。
「取り戻させてもらう」
そう言いながらルガは屈みこみ、薄く開いたメイの唇へ自分の顔を寄せた。
れろ。
唇の内側の粘膜を舌で舐め、そっと体を起こしながら首輪に繋がった鎖をゆっくりと引っ張る。
長い鎖の最後の輪がメイの手のひらから離れた瞬間──サラリと光の粒に変わる。
『ちょっと、おれいってくるね』
倍以上に膨らんだルガの体は毛皮に覆われ、両手を細い体の上に置かないように気を付けながら獣化した顔をスウスウという微かな寝息を立てるメイに近付けた。
力が漲る。
闇の中に飛び出した体は、羽のように軽い。
ルガの巨躯が高く飛び上がり、壁に張り付き、登っていくのを追う視線を感じるが気にしなかった。
むしろいつこちらに来るのかと待ち構えているぐらいだ。
『はやくしてくんないかなぁ。おれ、おなかすいちゃったよ』
ベロリと大きな舌が口の周りを舐める。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
夜食には大きさもちょうどいい感じだし、何より前に喰ったのよりちゃんと肉がついてる気配がする。
狙いはメイだろうが自分だろうがそんなことはどうでもよく、ルガはうろうろと建物の壁を自在に動き回って自分の方に注意を集める──『俺を斃さなければ、獲物にありつけないぞ』と。
「ファイア」
「ジャベリン」
「スピード」
どうやら相手はちゃんと知性を保ったモノらしい。
『なんだぁ……じゃあ、たべちゃだめじゃん』
同じ『ニンゲン』でも魔素毒に犯され、魔物だか獣だか判然としないモノはルガが始末してもいいのだが、ちゃんと『生きている』ニンゲンは食べてはいけないと、ユルヴェストルに言われている。
それが『メイの弟子』という契約のひとつだった。
ちぇっ、ちぇっ、と獣化した口ではとうてい出せないはずの舌打ち音を打ちながら、ルガは炎を纏った槍をヒョイと躱す。
それは建物の壁を穿つことなく、ふわりと火を消されて朽ちて落ちていった。
「……あいつ、思ったより知性があるぞ」
「チッ……珍しく大物が出てきたのに……」
「てか、壁を登る化け猫なんて超レアじゃないか?あんな魔獣見たことないし」
「え?じゃあ新種?よっしゃぁ!ぜってぇ生け捕りにしないと!」
『……あいつら、ばかだろ』
獣化して知性が人化の時よりも幼くなってはいるが、少なくともルガは狼と猫を見間違えることはない。
『………あれ?』
よく気配を探ってみると
それはユルヴェストルが作る『正気に保つ薬』とかいうものによく似ている。
『……ちゃんとしたまほーつかいがいち、そうじゃないのさん』
『ちゃんとしたの』はたぶん駄目だろうし、きっと喰えば腹を壊す。
だけど『ちゃんとしてないの』は少しずつ落ち着きなくフラフラと上半身を揺らし始めているのが、闇の中でも良く見えるルガの目に映っていた。
「ヒッ…ヒヒッ…ヒヒヒッ……」
「フヒャ…ヒャヒャヒャ……」
「え?な何……?」
「チッ……」
ルガを見上げて新種だの、捕まえるだの言っていた男たちの様子が少しずつおかしくなり、二人より少し背の高い男がビクッと仲間を見る。
少しだけ離れていた男が舌打ちをしてユラユラしている二人に近付いて、それぞれの背中に手のひらを当てた。
『知性よ、戻れ』
「お、おまっ、なに」
「大丈夫だ。魔術の言葉で」
「うぉ⁈な、何だぁ……?」
「クゥッ……何かヤバいのキめたみたいな感じ……」
へぇ、とルガは感心する。
どうやら一人だけまともな男が本当の魔法使いのようで、ルガを捕まえようとしている三人に無理やり魔力を与えているらしい。
そうなれば話は別だ。
魔法使いと魔力に耐性がありそうな男はともかく、ちょっとおかしくなっているのは好きにしていい。
一時的にまともな状態に戻らされた男二人を獲物と見定め、ルガはまたベロリと大きな舌で自分の口の周りを舐めてから、頭を下に向けて地面に落ちるためにグッと体に力を込めて飛び掛かる姿勢を取った。
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