春にして、君を離れ。

きょうじゅ

本文

 春に生まれた。新暦の四月朔日ついたち、いわゆる早生まれ。誰よりも幼く、誰よりも子供。それが僕だった。いつも背伸びをして、大人に憧れていた。きっと、誰よりもそうだったろうと思う。


 はやく大人になりたかった。大人というのが具体的になんであるかというと、僕にとっては酒を飲み、煙草をくゆらせるということが大人であった。といって、未成年のうちから非行に走り、大人がするように酒を飲んだり煙草を吸ったりすることには興味がなかった。僕は酒を飲むという行為、煙草を吸うという行為それ自体に憧れたわけではなかったのだ。

 酒を飲む行為が許される存在になること。煙草を吸う行為が許される存在になること。それが、僕にとっては大人になるということだったのだろうと思う。ちなみに僕が未成年であるあいだに成人年齢は18歳からであるということになり、僕は酒も煙草も許されないまま――成人年齢が引き上げられても、酒と煙草の解禁年齢は変わらなかった――成人になってしまったが、大人になるということへの憧れは、依然変わることがなかった。はやく二十歳になりたい。それが僕の念願だったのである。


 この年明けに成人式というものがあって、同学年の友人たちの多くは既に二十歳を超えているから小学校の幼馴染数人と一緒に酒席を囲むことになったのだが、早生まれの僕はその中でただ一人まだ十九歳のままであったから、ひとり侘しくウーロン茶を飲んだ。


「で、今日もそんな恨めしそうな目で酒を飲んでるこっちを見るわけか」


 と、恋人が言う。僕の恋人は大学の入学式で知り合った、僕と同学年の相手である。春生まれだが、早生まれではないので普通に既に成人しており、酒も煙草も許される。大人だ。


「そんなに違わないと思うけどな。これくらいのことで。だいたい、なってみればわかるけど、二十歳なんてまだ全然子供だよ」


 むぅ。いつもそんな風に言われるが、僕にとってそれは重要なことなのである。


「それで、あしたが四月の一日、君の誕生日なわけだけど。何度も言うようだけど、外食とか、パーティーとか、そういうのしなくていいの? 念願の成人でしょ?」

「いい。ずっと前から決めていたことだから」

「で、本当に誕生日プレゼント、これでいいの? いや、これはいいけど、これだけでいいの?」

「いい。ずっと前から欲しかったものだから」

「じゃあこれ、はい。流石にこれをプレゼント用に包んでもらう気にならなかったから、このままだけど。じゃ、また明後日ね」


 僕が恋人に、二十歳になった祝いとして求めたものは、煙草であった。いや、ただのそこらへんの自販機で売っているような紙巻きの煙草なら当日に簡単に手に入れることもできただろうが、これはそうではないので。


「ずっとこれを吸ってみるのが念願だったのだ。ふふふ」

「はいはい」


 そして、四月一日がやってきた。世間はエイプリルフールで浮かれているが、そんなものは僕の知ったことではない。僕はきょう、初めて煙草を吸う。それも、ただ自宅で灰皿の前で吸う、などというありきたりなことはしたくはなかった。二十年間、待ちに待ったのだ。これみよがしにやってやる。そりゃあもう、これみよがしに、新宿の駅前の露天喫煙所で、をふかしてやるのだ。


 とは何か。説明すれば簡単だ。煙管きせる。今の日本では非常に珍しくなった喫煙具である。


 僕は喫煙所で、もったいをつけながら懐からそれを取り出した。どうだ、今日から僕も大人の仲間入りなんだぞ。


 というわけで、煙管の先端に刻み煙草を詰め(能書きは事前に勉強しているから十分に知っている)、僕はマッチでもってそれに火を付けた。吸う。


「ぷかぁ」


 漫画や小説などでよく、初めて煙草を吸った人間が煙にむせる描写をするものがあるが、そのようなことにはならなかった。しかし、それとは無関係のところで、劇的な効果があった。


「……」

「……」

「……」


 周囲の人々が、煙草を吸っていた「大人たち」が、気まずげな顔をして、次々に煙草の火を消して去っていく。「蜘蛛の子を散らすよう」と言うのがまさに適切な情景だった。あっという間に、新宿のでかい喫煙所は僕専用の場所となった。


「なんで?」


 公的に堂々と煙草を吸ってよいというお墨付きを得て、大人の仲間入りをしたはずだったのに。なにか、大人の仲間になったというより、むしろそこから全力で排除されたような気がしてならない。


『ねぇ』


 恋人にLINEを送った。


『気が変わった。今日、やっぱりそっち行っていい?』

『いいよ』


 恋人はアパートで下宿しているので、転がり込めば二人きりである。それはさておき。


「かくかくしかじかなんだけど」


 と言ったら大爆笑された。


「わかんない。なんであんなことになったんだろう」

「背伸びして、変なものを吸うからだよ」


 と言う。むぅ。


「そういう自分だって、気取って葉巻きなんか吸ってるくせに」

「気取ってるんじゃない。これ、うまいんだよ。何度も言うようだけど」

「それ、僕にも吸わせて」


 銘柄は『ロミオとジュリエット』。キューバの葉巻。


「ほら、そっち咥えて。こうして火を付ける」


 恋人の口の、火のついた葉巻で自分の葉巻に火を付ける。俗にいうシガーキス。


「どう? いい味でしょ?」


 悔しいが、確かに上等な味だった。


「そうだね」


 僕はたばこの味のキスを楽しみながら、自分が大人になったということの本当の意味を考える。

 

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春にして、君を離れ。 きょうじゅ @Fake_Proffesor

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