イワシが落ちる

やすき

イワシが落ちる

 抜けるような青い空の下、フェアリーペンギンのツバサは草原を歩いている。ここは学校に向かう通学路。鳥が通う学校に向かって。

 風切り音が微かに聞こえる。顔を上げて振り返ると、空に黒い点が見える。みるみる大きくなり近づいてくる。鷹のフランクだ。

 フランクはぼくの頭上すれすれを高速で飛び抜けると、おなじみのセリフを叫ぶ。

「飛べないやつがいるぜー! 鳥ってのは飛ぶもんなんだぜー!」

 ぼくは無表情にフランクを見送る。そして、またペタペタと前傾姿勢で歩き始めた。

 ペンギンは飛べない、鳥なのに。そんなぼくに、両親はなんで「ツバサ」なんて名前を付けたのだろう。小さい頃は、友達にからかわれるのが嫌だった。ぼくにはツバサなんてない。あるのは短い腕だけだ。なんの役にも立たない。

 そんなぼくを励ましてくれたのがゴローだった。ケープペンギンのゴローは親友だ。

 ゴローは言った。俺達も飛んでやろうぜ、これに出るんだ。勢い良く差し出したビラには「Can You Fly コンテスト」と書いてあった。

 テレビ放映もされる有名な自作飛行機コンテストだ。自分たちで作った飛行機の飛行距離を競う。このコンテストには、飛べない鳥が多く参加し、今やそんな鳥たちの祭典と言ってもいい。皆んな空を飛びたい。これにぼく達も出ようと言うのだ。

 ゴローとぼくで飛行機を作る。その飛行機にぼくを乗せ、コンテスト会場である湖の発進台から飛び立つ。本当にそんなことができるのだろうか。

 ゴローは、ぼくをパイロットにする理由をこう言った。

「ツバサは、ペンギンの中で一番小さい。体重は1キロくらいだろ。俺なんて3キロ超えてるからさ。空を飛ぶには軽くなくちゃいけない。だからおまえが適任なんだ」

 こうして秀才ゴローの得意な物理講座が始まる。

「飛行機の揚力は翼で得る。翼の長さはパイロットと機体の重さで決まる。だが3倍の質量を浮かせるためには3倍の長さの翼にすればいいわけじゃないんだ。翼を長くすると飛行機自体の重さが大きくなるからな。だからパイロットはできるだけ軽いほうがいい」

 こうしてぼくたちが自作飛行機クラブを立ち上げたのは高校1年の春だった。部費の予算を獲得し、それではぜんぜん足りないので、お小遣いも出した。ゴローの家は町工場をやっているので、機体の大きな部品を作ってくれたし、ぼくにツバサと名付けた両親も材料費を買う資金を協力してくれた。

 学校の校庭の片隅で、毎日ぼくたちは飛行機を組み立てた。ゴローは設計の図面を描き、それに従ってぼくは学校の3Dプリンタで小さな部品を作る。ペンギンには繊細に動く指がない。細かい作業は苦手だ。だからぼくたちは、ハンドアームロボットを駆使して組み立てる。このロボットもゴロー製だ。ハンドアームには3本の指があり、ゲームコントローラで操作する。ゴローは4台の自走式ハンドアームを駆使して、大きな機体を組み立てた。ぼくは2台のハンドアームを操作するので精一杯だった。

 晴れの日も雨の日も、ぼくたちは飛行機を作り続けた。

 主翼の全長は計算の結果6メートル近くになった。主翼の中央にぶらさがる形でボディが付く。ボディは主に操作系機材とパイロットが入るスペースだ。主翼から後方に長さ3メートル、直径5センチほどのカーボンパイプで後部機構を接続する。後部機構には尾翼と垂直尾翼、そして推力を生み出すプロペラがある。

 主翼の最も厚い部分には、軽くて頑丈なカーボンパイプを通し翼の強度を保っている。主翼の断面が流線型の形状を保つために、バルサ材と発泡スチロールで形を作る。

 最も難しかったのがプロペラの形状だ。動力となるのは、パイロットであるツバサが蹴り出す脚力だ。それを回転運動に変えて機体が前進する推力を生み出す。回転が効率的に空気の粘性を掴み、前進する推力となる形状を試行錯誤し、コンピュータシミュレーションによりブレードの形を決定していった。

 コクピットにはパイロットは腹ばいで入る。ペンギンは腹ばいで進むのが得意だ。飛行機の姿勢制御を直感的に行えるというのが、この操作系の特徴だ。腹ばいになって両腕を広げパイロットは、それぞれの腕をアームベルトに固定する。腕を上下に動かすとワイヤーで接続された後部の垂直尾翼の方向舵と尾翼のエレベータが動く。

 足はフットペダルに固定され、足を交互に蹴り出す。この蹴り出す前後運動力がクランク機構に伝わり、プロペラ軸の回転運動となる。

 これがぼくたちの飛行機「ジェットイワシ号」だ。

 作っている最中、毎日フランクも上空からやってきた。フランクのやつが皮肉と共に機体の上にわざわざフンを落としていく。まったく迷惑なやつだった。そのことを除けば、飛行機は順調に作り続けることができた。

 そして今、高校二年の夏休み。一年以上かけて作り上げたぼくたちの飛行機が、いよいよ飛び立つ。

 Can You Fly コンテストが始まった。


 ● ● ●


 会場には実に多くの鳥たちが集まっていた。参加チームは、ダチョウ、ニワトリ、フナガモ、エミュー、ドードー、ヤンバルクイナなど、飛びたいけど飛べない鳥たちだ。それぞれの体型、体重を考慮したさまざまな工夫を凝らした機体を作ってきていた。

 イベントの運営本部となる大きな空き地。そこの片隅を陣取ったぼくたちは、運搬のために分割したジェットイワシ号をハンドアームロボットを使って念入りに組み立てる。ロボット操作はもはや慣れたものだった。

 運営本部のテントで飛行機のレギュレーションチェックを受ける。もちろん問題ない。

 そして選手の控えエリアに向かった。ここからは発進台がよく見える。

 事前にクジ引きで決めた飛行の順番は3番目。

 発進台の横に設置された大きなスコアボードには、ぼくたちのチーム名「カムラッド」が3つ目に書いてある。参加チームは16チーム。

 発進台の高さは湖の水面から10メートル。発進台を飛び出し、そのまま水面に落ちるまでに約1秒。その間に機体が揚力を持てるか、それが勝負だ。そのためには、発進台からの初速が必要だ。だが、ぼくたちのチームには二羽しかいない。ぼくがパイロットで乗ってしまうから、機体を後押しできるのはゴローだけだ。初速が足りるだろうか。

 時間になり場内アナウンスが始まった。

「さぁいよいよ始まりました。第46回、Can You Fly コンテスト。鳥のように大空を舞いたい! 誰もが描くその夢を、今日こそ実現しようではありませんか」

 エントリナンバー1番と2番のチームは、早々に墜落し、ぼくたちカムラッドの番になった。

 ジェットイワシ号が発進台に運び込まれる。ぼくたちは機体の最終点検をした。

 その後、ゴローは機体から発進台の先端までの距離を計っていた。何やってんだ?

 ふと発進台の先に目をやると、強い日差しを反射する湖面と水平線が見える。到達し得ない遥か彼方のように思える。その上には、抜けるような青空が広がっている。風はほとんど無い。コンディションはいい。

 ぼくはコクピットに腹ばいになり潜り込んだ。呼吸を整えていると、ゴローが手早く腕を固定し、足をペダルに固定してくれる。

「ツバサ、落ち着いていけよ」

 肩を叩く。

 飛べないペンギンは翼を持たない。でもぼくたちは自ら翼を作った。空を飛びたい。これは鷹のフランクへの悔しさではなく、空への憧れだ。そのために高校時代をこの機体に注いだ。ツバサの名にふさわしく飛翔してやる。ぼくはクチバシを食いしばった。

 ビーッ!

 発進の合図。力強く右足を蹴り出した。続けて左足。ペダルが重い。これが憧れに向かう重さだ。このために毎日ジョギングを欠かさず、足を鍛えてきた。持久力には自信がある。

 プロペラが回転を始め、ゴローが主翼を押し始める。なんとハンドアームロボットも主翼に取り付いた。6台の自走式ハンドアームロボットも均等間隔で主翼を押していく。ゴローの仕込みだな。

 機体がゆっくり滑走を始める。

 すぐに発進台の端っこまで来た。ぼくは一段と力強く蹴り出す。両腕に力を入れ、バランスを崩さないように備える。

 テイクオフ。

 発進台を離れたジェットイワシ号は高度が下がる。だが迎角は保てていた。機体は前後にも左右にも大きく傾いていない。

 もっと速度を出せればいける!

 懸命に足を蹴る。焦るな。リズムよく、クランクを高効率で動かすんだ。

 いち、に。いち、に。右足、左足。

 プロペラが回る。機体が加速する。

 主翼は折れることもなく、機体全体とぼくの重さを支えている。角度も安定している。

 揚力を得るに十分な速度に達したのか、高度は下がらなくなった。だが水面が近い。そうか、水面効果だ。それに助けられている。まだ速度が足りない。

 いち、に。いち、に。

 迎角をほんのわずか上げてみる。

 大丈夫だ。速度も乗ってきた。迎角が上がれば揚力も大きくなる主翼形状だ。高度が徐々に上がり始める。

 周りを見回す余裕が出てきた。青空が見える。全身に風が当たる。風切り音が聞こえる。プロペラの回転する振動を感じる。

 飛んでる!

 ツバサの名を持つペンギンが翼を得て、飛翔している。

 空を、だ!

 湖面の波が、後方に流れていく。

 なんて気持ちがいいんだろう。このままどこまでも飛んでいける気がする。

 その時、視界の右で何か動いた。

「たかだか飛ぶだけなのに、大変だな、おい」

 視線を向けると、フランクがジェットイワシ号に並んで飛んでいた。

「大げさな機械作って、醜い飛びざまだよな、ははは」

 ぼくは黙っていた。大声で言い返して、体力を使いたくなかった。言わせておけばいい。

 夏の日差しに輝く翼で滑空するジェットイワシ号は美しい。ぼくはそれを知っている。

「なんだよ、黙ってんのかよ。ペンギンのくせに飛ぶなんて生意気なんだよ」

 いち、に。いち、に。リズムを乱すな。バランスを保て。

 だんだん息があがってきている。足が重い。ペダルが重い。

 もうどれくらいの距離飛んだのだろう。このまま行ければ、いい成績が出そうだ。

 フランクを無視していると、突然パンッ! と破裂音が聞こえた。

「うっ」

 一緒に飛んでいたフランクがバランスを崩す。そのまま湖面に向かって落下していった。

 湖面を見下ろすと、ボートが走っているのが見えた。イベント運営スタッフや計測係が乗っているモーターボードだ。そのうちのひとりが猟銃を構えている。

 フランクが大会の妨害をしていると判断され、追い払おうとしたのではないか。

 だが実弾が当たってしまった。

 バランスを崩さないように後ろを振り向くと、フランクは湖面に墜落したようだ。

 いつも皮肉や喧嘩を売ってくるフランク。小学校の頃からずっとだ。これまで一緒に遊んだことはないが、幼馴染と言えるだろう。

 うるさいと思っていたし、嫌な奴とも思っていた。毎日毎日、飽きもせずにぼくをからかい続けていたフランク。いないと寂しいと思う。

 銃で撃って落とすなんて。溺れるに決まっている。

 ぼくたちのチーム名「カムラッド」は仲間という意味だ。フンを落としただけだけど、フランクも毎日見てくれていた仲間だ。


 ● ● ●


 右の翼に激痛が走った。迂闊だった。大会の運営ボートが併走していることは見えていたのに、俺のことを撃ってくるとは考えていなかった。すぐにバランスを崩し落下した。

 空を飛べない鳥がいるなんて、小さい頃は思いもしなかった。小学校に上がり、ペンギンのツバサと会った時は驚いた。飛べない鳥がいることにもだが、そのくせツバサなんて名前であることにもだ。恥ずかしげもなくよく生きてるなとさえ思ったものだ。それから、何かとからかうようになり、優劣感に浸っていた。でも、それだけだった。ツバサとゴローがいつも校庭の片隅で飛行機を作っているのは知っていた。夢中になって何かを作っている姿や、友達ができたことが、俺は羨ましかったんだ。

 水面にぶつかる衝撃を受けると、体が水に包まれた。翼の痛さ以上に、息のできない苦しさが先にたった。水中では体を動かすことができない。空を飛ぶために、徹底的に軽量化しているこの体は、水の粘性に逆らうことができない。もちろんエラ呼吸もできない。

 ただただ水の中を沈んでいった。明るかった水中もすぐに暗くなった。陽の光が急激に届かなくなる。青い景色は紺の景色になった。水圧が高くなり、体が圧迫される。

 俺、このまま死ぬのか。

 もうだめだな。観念して、瞑ろうとした目が、流星のように流れるものを捉えた。何かが視界を素早く横切っていく。泡も出ず、水を切るように滑空している。それは小さくUターンすると、こちらに向かい、急激に大きくなってくる。近づいてきている。

「フランクーッ!」

 水中での声が聞こえる。ツバサのやつ!?

 もうツバサの姿形、ペンギンの体型がはっきり捉えられた。

 ツバサは飛翔していた。

 ツバサは水の中でこそ飛ぶことのできる鳥だ。

 短い腕は翼だ。丸い体型は流線型であり、水の抵抗を効率よく逃す。鷹が粘性の低い空気中で飛ぶために、軽い骨格と筋肉と大きな翼を持ったように、ペンギンは高い粘性の水の中で、高速に飛ぶことができる最適な形を獲得している。浮力に負けないように密度の高い骨格で、抵抗の少ない小さな翼を持つ。その姿は頼もしさを感じる。

 あっという間にツバサは、俺の下側に回り込むと、頭で支えて俺の体を浮上させ始めた。水面に向かいぐんぐんと上昇していく。

 視界が深い青から、明るい青に変わっていく。空気はもうすぐそこだ。

 ツバサが叫ぶ。

「水面を出たら、すぐに飛べ!」

 ツバサは足の筋肉を振り絞り、力強く水を蹴った。ジャンプする。俺を頭上に乗せたまま放物線を描くイルカのようなジャンプ。その頂点で、首を使ってさらに俺を上に放ちた。

 俺は水面を出た瞬間から、羽をはためかせ水滴を払う。ツバサの首で押し出された後、大きく翼を広げた。まだ濡れている。傷は痛い。

 上昇できない。ツバサから離れて落下する。

 俺は死にものぐるいで思い切り翼を羽ばたかせた。水面に再び触る直前、羽ばたきで押された空気が水面で反射し上昇気流となる。ぐんっ、と揚力が生まれた。痛さをがまんし、くちばしを食いしばり、二度、三度。力強く羽ばたく。

 ツバサが水面に着水すると同時に、俺は空に舞い戻った。

 上空から湖面を見下ろすと、潜水したツバサの姿はもう見えず、半分沈んだジェットイワシ号が浮かんでいた。


 ● ● ●


 新学期の初日。ぼくはいつもの草原を歩いていた。時々、空を見上げると、フランクの姿がないかを探す。怪我は大丈夫だっただろうか。

 Can You Fly コンテストでは、パイロットが湖に飛び込むという異例の事態で飛行機は墜落した。飛行距離は55メートルだった。

 運営スタッフからは実弾を使ったことの謝罪が行われた。ジェットイワシ号の機体の完成度が評価され、罪ほろぼしの意味も込めて、チームカムラッドの来年の参加は無料となった。でもぼくたちは参加するのは難しい。一年で次の機体を完成させることも難しいし、大学受験もある。

 草原を歩きながらまたぼくは空を見上げる。そして耳をすませる。今日はもう何度もやっている。

 すると、微かな風切り音が聞こえた。

 黒い点がフランクの姿に膨らんでいく。そしてすぐにぼくの真上までやってきた。ぼくは自然に笑みがこぼれる。

 でもフランクの皮肉の声が聞こえない。と、フランクは足に掴んでいた何かを落とした。

「おまえも飛べる鳥なんだな!」

 フランクの大きな声が聞こえた。ぼくは答える。

「ぼくは、空も海も飛ぶ鳥さ。初めて飛んだ空は、とても気持ちよかったよ!」

 再び小さくなっていくフランクを見送り、落としたものを探す。

 草原の上に一匹のイワシが落ちていた。プレゼントのつもりか。ぼくはイワシを、ぱくん、とひと飲みする。新鮮で美味しい。

 鷹のフランクがどうやってイワシを獲ってきたのか、あとでじっくり聞いてやろう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イワシが落ちる やすき @yasuki3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画