天使の化石(第51回)

小椋夏己

天使の化石

 まさかこんなことがあるなんて思いもしなかった……


 十月十日とつきとおか自分の中で大事に大事に育ててきた小さくて大きな命。ほんの少し前に元気に大きな声で泣いてるその温かい体を、しっかりと抱きしめた宝物。


 たった数ヶ月で夢のように消えてしまった我が子。


 私は呆然と小さな箱を抱きしめて座り続けるだけ。


 夫も同じ悲しみを抱えてはいるけれど、その身を裂かれるほどの悲しみを感じることができるのは多分母親である私だけだ。


「いつまでもそうしていると体に悪いよ。それにあの子だってお母さんがそんな様子だと、安心して天国に行けないだろう」


 夫の声は耳には入っても心には入ってこない。


「天国になんて行ってもらわなくていい」

「え?」


 夫が小さくつぶやいた私の声を聞き返す。


「天国になんて行かなくていいって言ってるの。行かなくていい。帰ってきてほしい!」


 母にはこう言われた。


「悲しいけど、時々あることなのよ」


 母はご近所の誰々だれだれさん、有名人のなにがしさんと数名の名前を上げる。


「一年未満の子供が原因不明で亡くなることを乳幼児突然死症候群って言うんですって。誰のせいでもないの。あなたのせいでもあの子のせいでもないんだから」


 なぐさめてくれているのだとは分かるが分かるだけ、なぐさめられることはない。


 私だって知っている。そんなことがあるということは。テレビで見た悲しげなインタビューの様子を、その時は遠くの出来事として見ていた記憶がある。


 人というのは身勝手なものだ。遠くの出来事は人の物、自分の出来事は自分の物。同じことでも重みが違えば違うことのようにしか思えない。

 いくら同じ出来事でもその人達のことは私には関係ない。私に関係があるのは私と腕の中の小さな箱に入った我が子だけなのだ。


 その他にも色々な人が色々な言葉をかけてくるが、どれもこれも今の私には空き缶に落ちる雨音と同じにしか聞こえない。


 そんなある日、夫がある話を持ってきた。


「どうかな」


 その言葉がやっと少しだけ私の心に触れた。


「そんなことができるの?」

「うん、これなんだ」

 

 夫が私に見せたのは、天使の化石を手に入れる方法だった。

 私は夫の提案に静かに頷いた。


 半年後、宝物が帰ってきてくれた。


「おかえり」


 私は両手で愛する我が子を抱きしめる。


「どうする?」


 夫に聞かれて私はすぐにと答える。


「これからはずっと一緒、私が生きてる限り、いいえ私が命を終える時には一緒に天国に行くわ」


 夫は私の言葉を聞くと悲しげに笑い、そして望みを叶えてくれた。


 私の胸に小さな星。

 星になった我が子が現実の星になって戻ってきてくれた。


「遺骨のダイヤモンド」


 遺骨や遺髪をダイヤモンドにしてくれるサービス。夫は亡くした我が子の遺骨をダイヤにしてはどうかと提案してくれたのだ。


「そうすればずっと君はあの子といっしょにいられるんじゃないかな」


 本当にあの子が帰ってきたわけではない。私にもちゃんと分かっている。


 だけど、今、私の胸で光る我が子のぬくもりは、肌を通して心臓の奥まで届いている。


「おかえり、これからはずっと一緒だよ」


 私は胸を押さえてもう二度と離れないとつぶやいた。


 



 


 


 

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天使の化石(第51回) 小椋夏己 @oguranatuki

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