安らかなモノローグを、貴女に。

位用

プロローグ第1話 song of spring

 私と彼女の接点は朝のバス停。

 私が時刻表の横で待っていると、いつも彼女は、前のバスが出てすぐ、一番にやってくる。そして、いつも彼女はスマホを耳にあてて、

 「おはよう」

 ……このささやきの向く先が、スマホではなく、私であることを知っているのは、私と彼女だけ。


 「なんだか最近暑くなってきちゃって困るね。まだ、ぎりぎり四月のはずなんだけどな~。こんな暑いから、さっき妹が『暑いから学校休みたい~』なんて言っちゃて。まったく、困ったちゃんな妹だぜ。でも、私は暑いけど、暑すぎない、ちょっとずつ夏に近づいてる感じがする、こんな天気が、好きだな」


 彼女は、私が聞き取りやすいように、まるで朗読のように抑揚をつけて、ゆっくりお話をする。今日は妹の話がメインになりそう。

 彼女の乗るバスが来るまでの約10分間、彼女の透き通るような優しい声を聞いている時間が、私が今、幸せを感じる時間。


 「そう、妹は本っっっ当に悪い奴なんだよ。今年でもう小学生だよ?なのに未だに顔に落書きとかしてきちゃって。でも、この前『お父さんのかおはかっこうがよろしくないから、いけめんなかおにします!』って、満足気に昼寝中のお父さんの顔を真っ黒ぐちゃぐちゃにしてたときは大笑いしちゃった。そうそう、今朝もさ、妹はつけすぎたジャムをね、こっそりお父さんの味噌汁に……あ、もうバス来ちゃった」


 いつまでも聞いていたい、そう思わなかったことは、彼女が私に話しかけてくれるようになって二週間、一度もない。ちなみに、終わらなかったことも、一度もない。当たり前だけどね。

 今日も、彼女が乗るバスがやってきて、この時間に終わりを告げる。……しかし今日の話はいつにも増して続きが気になるな。いつか、続きを聞けるかな。


 「またね」彼女はちらっとこっちを向いて、そう言って小さく微笑んで、バスに乗り込んでゆく。その時、彼女の耳にスマホはもうない。別に私と話すときもいらないんだけどな、と思ったけど周りの目とかあるし、仕方ない。彼女の後ろに何人か並んでいるし、この道を通る人もいる。私も彼女を、急に虚空に向かって朗読会をするヤバい人にはしたくない。


 そう、私は何故か彼女にだけ姿を見てもらえる。「運命」ってやつだ。……何を言っているのだろう。少し恥ずかしくなった。でも、彼女に「だけ」私を見てもらえるということ、それは、とても特別で、少しは意味のあることだと思う。


 「彼女と出会えてよかった」

 

 誰が聞くわけでもない、そもそも声が出ないけど、なんとなく、呟いてみた。

 彼女を乗せたバスはもう見えなくなっていた。

 「ねぇママ、そこにたくさんおかしとおはながおいてあるよ。あれ、あーちゃんがたべてもいい?」

 「ダメよ。あのお菓子はあそこのお姉さんのものよ」

 「?おねーさんなんていないよ?」

 「亡くなったのよ。二週間くらい前だったかしら。バスを待ってるところに、居眠りしてる車が突っ込んだらしくて…………、あーちゃんには少し難しいお話かもね。お菓子なら向こうのコンビニで買ってあげるから、そこのは食べちゃダメ、お約束ね」

「わーい!ママ、だいすき~」

 

 白雪楓宛の献花は、バス停の裏にひっそりと、手向けられている。

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