善意の本

不労つぴ

善意の本

 何か怖い話はないかって?


 僕には霊感は無いし、君が望むような不思議な体験の提供が期待できないのは知ってるだろうに。


 うーん……そうだね。1つだけ僕が怖いなと思った体験があるからそれを紹介しようと思う。


 一応念押ししとくけど、幽霊なんか出てこないし、釈然としない後味の悪い話だと思うけど、我慢して聞いてね。


 あれは僕が中学生くらいだったときかな。父さんが仕事で精神を病んで入院してしまったんだ。それだけならまだ良かったんだけど、父さんは大きなをしていってね、身の危険を感じて元々住んでいた家を離れ、祖父母の家へ避難することになったんだ。


 当時の僕は、父さんはすぐに退院するし、住んでいた家にもすぐ帰れると思っていたんだけど、事態はそう簡単に改善するわけじゃなかった。むしろ、すこぶる悪化した。


 そんなこんなで住んでいたみんなは次第に余裕がなくなっていってね。その時の家の有り様は酷かったよ。厳しくも優しかった祖母が徐々に狂っていったり、優しかった祖父がどんどん険しい顔になっていくのを見たい孫なんているだろうか。そんなわけで、当時の僕も家にいたくなくて、学校で遅くまで友達と話して帰ったり、塾で時間を潰したりして家にいる時間を少しでも短くしようとしていた。


 ちょうどその頃だったかな。家に匿名で一冊の本が送られてきたんだ。その本は、あまり知られていないような宗教の教祖が書いた本だった。僕もちょっとだけ読んだんだけど、書いてある内容があまりにも胡散臭くて読むのをやめてしまったよ。


 だけど、運の悪いことに祖母がそれを読んでしまってどっぷりハマってしまったんだよね。なんでも、この本に書かれていることと今の家の状況は一緒だとか、祖先の罪が今私達に降り掛かっているだとか。


 馬鹿馬鹿しいと今でも思うよ。仮に祖先が罪を犯したのが今の原因だとして、なんで何したかもわからないような罪の報いを僕たちが受けなきゃいけないんだか。


 僕や母さんは必死に祖母を説得したんだけど、当の祖母は聞く耳持たずだった。やがて、祖母はその宗教に入れば皆救われる、というような馬鹿げたことを言い出すようになったんだ。流石に祖母の状況に危機感を感じた僕と母さんは、その本を祖母に内緒で処分することにした。


 どうやって処分したかは忘れたけど、その本は祖父母宅から無くなった。本が無くなったのに気付いた祖母は何か喚いていた様な気がするけど、しばらくすると、その本のことなんか完全に忘れてケロリとしていたよ。


 今思えば、そんな匿名で送られてきたような本なんて開封すべきじゃなかったし、さっさと処分すべきだったんだ。でも、そんなことをする余裕すら当時の僕たちには無かったんだよね。


 これはあくまで僕の勝手な考察なんだけど、当時の僕の家族の惨状を知っているのって、親戚とか父さんや母さんの友人といった、ごく身近な人たちだったんだよね。だからあの本を送ってきたのは、僕たちにかなり近しい人間だと思うんだ。悪意を持ってその本を送ってきたかどうかまでは分からないけど、僕は善意でアレを送ってきたんだと思うんだ。根拠はないけどね。


 その人は善意でやったのかもしれないけど、その善意のせいで危うく大変なことになりかけたなんて、その人は思わないだろうね。


 見ず知らずの人の善意がこんな傍迷惑だなんて思いもしなかったよ。と言っても、困っている人達に宗教の本を匿名で押し付けることを善意というのはとても気持ち悪いことだと僕は思うけど。


 

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