組長はんの堪忍袋

葱と落花生

組長はんの堪忍袋

 旦那ん事故死


 祝言の日はえらいよろしい家に嫁げたものだと、縁談を持って来てくれた山城の親分はんには随分と感謝したものどす。

 産れ育ちが老舗旅館の三女どして、三条から嵐山へと行き当たったところに実家の宿があります。

 老舗と言うても代々百年ほど続いただけで、京ではまだまだ新参者どす。

 温泉宿へ嫁入るに、一般の方ほどの覚悟はいりませんどした。

 旅館の娘に育てば、嫌でも世間の風向きや人様の悲哀を見て育ちます。

 関西関東の違いはあっても、宿屋の若旦那に嫁いだならばそれなっての苦労があるもので、なんもかもが上手く行くとは思っておりませんどした。

 そうやったさかいが、思ったほどの苦労もなく一年が過ぎた頃、ねぎにいかい温泉施設が作られるという噂が流れました。

 建設予定地に鉄製のフェンスが張られ、いよいよ本格的に工事が始まる頃になると、あたし共の宿を買い取りたいという人がちょくちょく訪ねてくるようになってました。

 この宿の歴史は実家の宿より長いもので、気性の荒い女将は何があってもこの宿は手放さないと、いつも強い口調で御断りしていました。

 買いたいという方が手を引いた頃から、地元の者とは無縁の荒くれが宿に入り浸って堅気衆にやくたいをかけだしたさかい、時には警察沙汰にまでなったこともあります。 

 いつになっても宿への嫌がらせが納まる様子はありませんどした。

 警察も年中宿の張り番していられるものではなく、すきを見てはチンピラがやって来るといったイタチごっこの毎日どした。

 そないしとる時、旦那が交通事故の当て逃げされまして、屏風ヶ浦の崖下に落ちた車が見つかったのが夕暮れ時どす。

 昼から今日の宿借り切って宴会してくれとる御医者はんが、うちが病院に着くまで何とか旦那の命繋いでいてくれました。


 息子を亡くしてすっかり気落ちした女将が、うちには実家に帰って他の人と再婚しいと言い、えらく騒がしい宿は欲しい人にくれてやると言い出したのは初七日の晩どした。

 嫁に来た時からこの土地に骨埋める気でいる者にあんまりの仕打ちとただこねて、それからうちが宿のこと一切仕切らせてもろてます。

 こんな我儘を押し通せたのは、山城の親分はんと今日来てくれとる御医者はんやら地回りの組長はんの御蔭どす。

 そうなんどすが、ここのところ堅気の御客はんが怖がるもので、組関係の方の出入りをひかえて頂いていました。 

 こんな不義理をしでかしとるあたし共の宿を、ほんでも贔屓に使ってくださっとる親分はん達には、どれだけ感謝してもたりしまへん。


 うちの旦那はん、この宿の若旦那が亡くなって四十九日までに、随分と色々ありました。

 あの時はそりゃあもう一生分の苦労をした気になったものどす。

 大規模温泉施設が出来るのを機会に一帯の宿を安く買いたたいて、会員制リゾートにするといった詐欺紛いの不動産業者が来たり、都会から流れ込んだ暴力団が闇カジノにと宿を買いに走ったりと、宿の持ち主そっちのけで刃傷沙汰の毎日どした。

 うちの旦那を当て逃げした犯人のことも絡んでましたし、この宿での出入は凄まじいもので、御医者はんの住んでいる村の議員はんから山城の親分はんところの若い衆まで巻き込んでの大事件になってしまいました。


 今日はあの事件の時に亡くなった山城親分はん所の若い衆の祥月命日で、毎年この日ばかりは親分衆の貸切となってます。

 今回は御世話になった先生のお弟子はんが、ねぎの病院に赴任なさる御祝いも兼ねてとのことで、えらく盛大にやってもろてます。

 ねぎの病院というのが厄介な病院なんどすが、赴任なされる御医者はんは子供の頃からこの宿へ遊びに来とったえらく根性の座った御人どす。

 うちも何度か御会いしてるんどすが、あのヤンチャな御人が御医者はんになるとは努々思おりませんどした。


 うちはやっちゃん先生をヤンチャな先生やからと、勝手にヤンチャ先生と呼んでいたんどすけど、噂が広がっていくうちに山城親分はんがえらく見込んでおる人やとか、地回りの親分はんの肝入りやとか面白がった噂話に尾ひれ背びれが付いて、ヤクザ屋はんのお医者先生やから【やっちゃん先生】と、こん辺りでは落ち着きやしたようどす。


 まさかそん先生がねぎの病院で常勤になるとはどなたはんも思っておりませんどしたから、最初に今日の宴会話を聞かされた時はえらい驚きました。

 やっちゃん先生は御子ん頃からこん宿に出入していて、板長や仲居頭に可愛がられとったんどす。

 大女将が仕切っとった頃には、なん時も小っちゃいおなごん子と一緒に海岸で遊んでおいやしたそうどすが、うちが嫁に来た頃にはもう、おなごん子は越した後やったようです。

 先生は、なん時も一人で海岸を散歩したり漁船を盗んで勝手に海釣りしてみたり、駐在んバイク乗り回しいや捕まってみたり、やりたい放題やってましたん。

 そん度に迎えに来はるんが、おとうちゃんやったんかと思うんやけど、うちはお子やった先生とちびっとばっかりしゃべる機会があったやけで、おとうちゃんとはいくらも話したことがあらしまへん。


 おとうちゃんはこん宿で出入があった時に、亡くならはった勘吉はんちゅう山城親分はん所の若頭と一緒になって村役場に殴り込みをかけた御人で、こん宿にとっては大恩人どす。

 うちは若く嫁に来やったもんで、やっちゃん先生より十ばっかり年上やったんどす。

 うちとまだ御子やった先生を比べておとうちゃんが大女将に、こん宿はええ嫁をもろたとしきりに褒めちぎらはって、それはもええらく照れたもんどす。


 宴会ん途中でやっちゃん先生が仲居頭呼びましいや、心付けやと言うて大枚奮発したんどす。

 けんども今日の宴会は先生が主役どすし、親分はん達からすでにたんと心付け頂いてましたから受け取るわけにはいきまへん。

 こら受け取れまへんと丁寧に御返ししたんやらば、どないかて納得がいかないといった風な表情どした。

 本人に内緒にし御祝いしはるんもけったいなもんどすけど、かな病院への赴任となると素直に喜んでええもんやら、うちらやて考えてしまいます。


 先生がどないな考えかは分かりまへんが、回りん人達が先生をどないいんかは手に取るように分かります。

 うちん宿かてそん辺ん木賃宿とは格がちがいます。

 長逗留といってもそれほど宿代はまかりまへんのに、こん宿ん一室を先生の下宿にしてくれと、院長せんせから一年分ん宿代先払いしてもろてることやて、やっちゃん先生がなんぼ期待されとるか分かります。


 お医者はん先生ならば今やて優秀な方が病院にはぎょうさんいます。

 色々と話を聞いとる限り、特にやっちゃん先生が優秀とは思えまへん。

 それよりも卒業があむないやん、留年も浪人もなしでお医者はんになれたんは奇跡やと、笑いゆーことん方が正直表やと思うてます。

 きっと院長はんは、やっちゃん先生に医療以上ん何かを期待したはるとは思うんやけど。

 若い頃ん先生を知ったもんは皆口を揃えて、かな人に何かやらせるには機動隊やて連れて来なきゃあかんと言うてます。


 宴会が盛んな頃になって一人、お嬢さんがやっちゃん先生を訪ねて来はりました。

 うちも御世話になっとる弁護士先生ん所の新人はんで、何でかやっちゃん先生が赴任しはる問題病院の理事長を押し付けられて困っとる御人どす。

 お嬢さんは今日おこしいただいてる地回りの親分はんが孫娘に当たる方で、やっちゃん先生とは幼馴染やそうどす。

 昔は随分と親しくこん宿ん海岸で遊んでいらしたと言いますから、うちが嫁に来る前にやっちゃん先生と遊んでおいやしたちゅうおなごん子ちゅうんは、こんお嬢さんのようどす。

 お嬢さんとゆーってますけど、ここら辺りん場末の呑み屋やてきょうび見掛けなくならはった安っぽい化粧と露出んおーい身成は、お嬢さんとは言い難いんどすけどなー。


 やっちゃん先生に用事があって来やはったんどすけど、そん後に御爺ちゃんん宴会に参加しはるからと、生ビールをロビーで呑んでます。

 駆けつけ一杯かと思っておったんやが、すでに三杯目どす。

 厚い化粧を落とせばそれなってに見掛けがよろしかろう顔立ちに、ほっそりとした体付きなんやけど、あれよあれよと言うとる間に大ジョッキで三杯飲んやてシラーっとしていらっしゃる。

 なんぼ呑めるもんやら、こわい勢いで呑んではるお嬢さんを、やっちゃん先生がちらりと横目に過ぎて行きましたんや。

 お子ん頃に遊んだきりで、大人になってからは会ったことがあらへんと言うてはったさかい、お嬢さんにこん人がやっちゃん先生やとおせて差し上げようかと帳場から出ようとしたんどすけど、どないやらよお御存知のようどす。

 ビールジョッキを茶碗持つ方に、やっちゃん先生の後から駈寄って飛び蹴りをどしたかと思たら、そんまま馬乗りになって生ビールをゴクリッと呑んでます。

 随分と豪快なお嬢はんで、やっちゃん先生にしてこんおなごありどすわね。

 あいた箸もつ方んやり場に難儀なんか照れ隠しか、お風呂から出てきた組ん若い衆とハイタッチしてます。


 それから、お嬢さんとやっちゃん先生が二人して出かけて、三十分もせんで貫太郎はんが山城はんところの若衆を連れておこしやした。

 貫太郎はんがこん宴会に来はるんは毎年のことで、今はすっかり御馴染みになっとるんどすけど、今回は体調のすぐれへん山城親分はんの名代も兼任したはるとかで、いつもよりは幾分立派に見えます。

 貫太郎はんはこん宿の大恩人の勘吉はんが御子はんで、勘吉はんが亡くならはった事件の日はこん宿で預からせて頂いてました。




 かちこみ


 事件いうんは、前週にあったこん宿での出入騒ぎから始まってます。

 この片付けが済んでまへんどしたから、宿にお客はんはおりまへんどした。

 前週おきたこん宿での出入りは、元はと言うたらうちの旦那に当て逃げした犯人が、若いモン引き連れてこん宿に殴り込みをかけたもんどす。


 当時わたしらの宿に地下げをかけてきた組は、山城親分はんの島に入り込んだ新参もんで、事有る度に山城はんと対立してきた村議会議員はんの息掛かりが組長になってました。

 こん議員ちゅうのが性悪で、二十年前、財産目当てに一族を皆殺しにした揚句に放火して逃げた犯人を、裏で操っとった張本人やったそうどす。

 そん時の犯人は海岸線一帯の博徒ん元締めをしたはる玄武ちゅう親分はんに捕まって始末されたとの噂どすけど、犯人をそそのかした証拠が出へんさかい、議員はんはおとがめなしやったんどす。


 他かて色々と根深い因縁があっての上どすが、警察と議員はんと山城はん等が三巴六巴にならはった攻防戦が、そこら中で起っとったと聞きました。

 そない火種がある所へ持って、わたしらの宿で悪さしたはるんが議員はん手下の組と分かったんどす。

 これ以上わたしらの宿で悪ささせんと、勘吉はんが顔役はん出張ってくるまでの時間稼ぎに、相手ん事務所にカチコミ掛けたんどす。


 性悪の事務所にカチコミかけた時、勘吉はんはもう末期癌で、こん先なんぼもあらへん命やから自切りなんてのはあらへんのも一緒やと笑って自首しはる気でした。

 そやけど議員はんところは昔からの決りを守れへん御人ばかりで、勘吉はんの送別やと宿借り切って宴会してくれてた山城組ん方やら地回りん方やらを狙って、到底間違いとは言えへん切込みかけてきはったんどす。

 こん切込みで堪忍袋の緒が切れたんが山城親分はんで、レンコン持って自分から議員はんのタマ取りに行くと言い出したんどす。

 山城はんを必死に止めたんが、若頭やった勘吉はんとやっちゃん先生ん御父はんの車屋はんどした。


 皆して山城はんを止めて、御医者はんが勘吉はんにモルヒネ打ってあげて、車屋はんが議員はんの詰めとった村役場まで勘吉はんを車で送って行きました。

 勘吉はんは終いには議員はん道ずれにしはって、ダイナマイト使こうて村役場と一緒に吹き飛んだんどす。

 言うて見れば勘吉はんはこの宿を守る為、うちの旦那ん敵討ち、性悪議員に無理難題押し付けられて困っとった村ん人達の為、山城はんの堪忍袋繕うのに短い余命をなげうってくれたんどす。

 地獄の途中まで道中一緒した御医者はんと車屋はんに勘吉はんが云うたんは「貫太郎は馬鹿だけど、根性は腐ってない。迷惑かけるが、後のことは頼む」だけやったそうどす。

 あと少しの命、貫太郎はんと一緒にいてあげたかったろうにと、今もこん日が近づくと切なくなってきます。


 敵対しはる組から報復があるとあかんからと、預かった貫太郎はんどしたが、おとうはんの言い付けをよう守って、うちらが頼む御掃除やら修繕やらを嫌な顔一つせんで一生懸命やってくれはりました。

 この頃の貫太郎はんはまだ駆け出しちゅうか堅気んおにいはんで、何かにつけて回りん方からボケや馬鹿やとやられてはったんが、今は山城組の若頭にならはってるようで大出世どす。


 山城親分はんが、父はんが亡くならはったからと貫太郎はんを迎えにきた時、貫太郎はんは事情がよお飲み込めんようで「とおちゃん、とおちゃんはどこへ行ったですか」なんべんも言うてはりました。

 先に事情を聞いてたうちは、そない貫太郎はんの後姿が不憫でなりまへんどした。

 感謝すべき勘吉はんが亡くならはった今、貫太郎はんに少しでもええ思いをと、彼の世ん勘吉はんへと御礼のふりさせてもろてます。


 やっちゃん先生はえらい昔、御兄はんが御父はんからえらく贔屓にされて、親ん血を引いて極道な自分を嫌っていると言うてました。

 今日はやっちゃん先生と仲違いしたはる実の御兄はんの手前、こん宴会に御父はんはみえておりませんが、先生ん御父はんは本心どん子もかいらしいと言うてました。

 ヤクザな道歩いてほしくない一方で、山城はん所に世話になっとるんもうれしいらしうて、なん時になったら島一つ任せてもらえるんか、なん時になったら組を持たせてもらえるんかと、去年ん会合では山城はんに随分と絡んではりました。

 今度機会があったらやっちゃん先生には、いっぺん勘吉はんの話をじっくりせなならんと思てます。


 一通り毎年ん御礼挨拶を済ませて、貫太郎はん達を宴会場に案内しロビーに帰ったら、かの病院で地下室のグレムリンと呼ばれとる鬼太郎はんが、やっちゃん先生を訪ねて来ました。

 先生とお嬢さんが二人して病院に行っとるんは先刻御存知で、二人が帰ってくるまでロビーで待つと言うてソファーに座ってました。

 そしたら、お風呂へいかはったり来やはったりん組の方達が、鬼太郎はん見るなり固っ苦しい仁義きって挨拶します。

 こん景色が外を通る人からよお見えるもんで、まるで宿がそんままどこかん組の玄関になったようどす。

 これでは宿にしょーもない噂が広まってしまいそなので、仕方なしに鬼太郎はんをやっちゃん先生ん部屋へ御通ししました。

 部屋で御待ち頂けますようにお神酒も出させてもらいました。


 暫くしてお嬢さんと一緒に帰って来たやっちゃん先生は、鬼太郎はんと御話があるのでそんまま御自分部屋へ向かわれました。

 うちもこん宿任されて長くなってますから、鬼太郎はんがどないな人かくらいは知ってます。

 悪い人であらへんのは分かっとるんどすけど、どないかて不気味な雰囲気が滲み出ていてとっつきにくい人どす。

 こればかりはどうにもなりまへん。


 お嬢さんは御爺はんの宴会に出ると言うて会場に向かったんどすが、うちがお神酒をお届けした時は会場にいまへんどした。

 お子ん頃からこん宿に親しんでおいやした方どすから、うちよりも宿んことはよく御存知で、去年んこん日かて適当にあっちゃこっちゃフラリゝと遊んでました。

 毎年男衆ばっかりん宴会でつまらなそうにしていましたが、今年は先生ん診療所から綺麗な御ねーはんやらかいらしいお嬢さんもいらしたはるんに、宴会に出ないでなん処で暇潰したはるんかちびっと残念どす。


 毎年ん宴会ならば組ん若い衆はんが手伝ってくれはるさかい、宿んもんは一般ん方ん宴会ほどせわしない思いをせんのどすけど、今年は人数がおーい上に明日も大勢はんの宴会が控えていて、そらもう年末の忘年会で宴会がなん件も入っとるような忙しさに厨房は殺気立ってます。

 数年前ならば大女将がテキパキと采配していたんどすけど、うちは忙しくなるとどないかてあたふたするばっかりで、皆はんの邪魔ばっかりしてます。

 こないな時は仲居頭と板長にすっぺり任せて、うちは宿ん中を見回って気付いたことをしてます。


 ちょい一服とうちん部屋に向かったら、大女将ん部屋でお嬢さんが一人泣いてはりました。

 お子ん頃に随分と大女将に可愛がってもろたからと、何度か大女将を見舞ってくれたんどすが、大きくならはったお嬢さんことを、どなたはんやか分からなくなってしもていて、お嬢さんはこん宿屋で采配しはる大女将にはもう二度と会えへんと寂しそうどした。

 こないな日は、そん気持ちが尚更きつなるさかい、そうろとしておいてあげまひょ。


 お嬢はんと何年か前に御風呂を一緒したことがあったんどすが、湯船に浸かって温まったお嬢はん背中に綺麗な観音はんが浮き出てました。

 本気で好いて付いて行きたい人がいて、そん人以外とは一緒にならへん決心で入れた墨やと言うたはりました。

 白粉彫りなんやけど、うちはてっきり透かし彫りは都市伝説とおもてたさかい、ほんまに入れとる人を見てびっくりしたものどす。

 今は入れられる彫師はんが数人しかおへんそうで、実際に白粉彫りを入れてる人がいーひんさかい、都市伝説のように言われとるようどす。

 御爺はんに墨んことは内緒と言っとったんどすが、御風呂から上がった時に組長はんから「孫の白粉彫り、いーい出来だろ」と自慢されたんやから、とっくに知っとるんやね。

 逆にお嬢さんの御風呂覗たん内緒にしておくように釘刺されたん。

 難儀なジジイどすなぁー。


 いつものように宿ん中見回ってたら、先生ん診療所ん猫ちゃんがうろついてました。

 宴会に飽きたんか呑み過ぎたんか、ヨタヨタと千鳥足でけったいな眺めどす。

 ここんところ診療所は色々と災難続きで、やっちゃん先生ん下宿がこん宿に決まってから、こん猫ちゃんもここで面倒見てくれるよう頼まれたんどす。

 やっちゃん先生ん部屋は、うちん旦那がえらい昔書斎に使こうていた部屋で一階にあります。

 部屋から直ぐ下ん海岸かて出られますし、露天風呂かて行けますから、猫ちゃん用に小さな出入りを部屋に作らせてもらいました。

 いつもは宿に猫ちゃん出入り出来まへんけど、今日は貸切で皆はん可愛がってるようどすから、勝手に歩かせてます。


 やっちゃん先生がこん宿に来てから一年になり、今は先生ん帰りが不規則なんも手伝って、猫ちゃんはうちん部屋に入りびたりどす。

 部屋で猫ちゃんほならし遊んでたら、なんや眠うなって一時間ばかり寝てしもたようどす。

 猫ちゃんも横で一緒になって寝ていてくれはったようで、やっちゃん先生に任せるんがもったいなくなってしもたんえ。

 こん猫ちゃんが商い上手で、夜な夜なおなご衆ん露天風呂に行っては愛嬌を振りまいて、晴れた日には宿ん前に作った足湯んまーりで、御客はんにおこしやすやお見送りしています。

 小っちゃい記事どすけど、宿ん招き猫と新聞にも載ったんおかげで、随分と常連はんも戻って来て。

 関心するばっかりん猫さんどす。

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