歩いて来た道

葱と落花生

歩いて来た道

 今日は少しばかり体調がよろしい。

 小春日和に誘われ海へ向かうのも悪くない。

 随分と前に歩いたきりで、道行伺える様子ががらりと変わっている。

 この前ゆっくりとした用水路の土手、あの頃咲いていた花はもう無い。

 休みゝでなければ足元が覚束無い。

 一先ずここに腰掛けるとするか。

 からっと茶になった芝の先が、手に突き刺さり痛い。 

 新緑の勢いに誘われ地の生き物が目覚めた頃、水の張られた田圃で頻りに鳴いていた蛙は百舌鳥か鷺の腹に納まってしまったか、陽だまりはやけに静かだ。

 肩まで伸びた無精の髪を、思いもかけず吹きあげる風は以前のそれよりずっと冷たい。

 田植えの頃は綺麗に造られた畦も、稲刈りが終わればいたる所で綻びが目立って物悲しい。

 道行く者は見渡す限り一人もいない。

 田の水は枯れ、色の消えた稲株から伸びた二番穂が、低い背丈で実をつけ真っ直ぐ並んでいる。

 株の合間に落ちた穀の実なのか小さくて見えない昆虫なのか、その腹を満足すにはほとほと足りなかろうに雀達が奪い合う。 

 雀の喧嘩を眺めているのも長閑だが、このままではいつになっても海を拝めない。


 のんびり体が熱るまで歩くと、釣り人が忘れていった竿が日向ぼっこをしている。

 いつから置かれたままになっていたのか、幾度も嵐に出くわしたそうな痛み方で、いかにも助けてくれと訴えかけてくる。

 とんと釣りなど心得の無い者だが、無機な竿に慈愛の感情を覚えた。

 何も語らず。

 愚痴らず。

 泥に塗れて悔しかったろう。

 見ればそこいら中かすり傷だらけだ。

 どれ程主に尽くしたものか。

 手に取り上げれば、川藻の絡んだ糸先に、骸ともいえぬまで朽果てた魚の頭蓋が釣れている。

 主を失った竿に釣られるとは、竿程更に無念であったろう。

 打ちひしがれた孤独の月日と思ってみたが、竿のその先には命を変化させながらもなお友がずっと寄り添っていた。

 なあに案ずる事はない、今からこの身を友とすればいい。

 川面を漂う木端を取り上げ、平地の隅に頭蓋の骸を葬った。

 拾った竿を持って海まで行くのは恰好が悪い。

 主は知らぬが、如何にも人様の物をくすねたままだ。

 どこぞで誰かに遭うかも知れん、知った者に見られるやもしれぬ。

 狭い村の事、つまらん噂になっては苛立つだけだ。

 丁寧に洗ってたたみ、目立たぬ祠に隠し置いた。  


 冷めた体をかばい腰に巻いた上着を羽織る。

 体調はいつになく軽やかなのに、中途半端な陽気に体が困っている。

 羽織れば寒くなり、着たまま歩けばすぐにも熱る。

 上着を腰へと巻き直し見上げれば、透き通るまでに晴れ上がった空に浮浪雲ひとつ。


 用水を引く川まで辿り付き、小高い堤防を這い上がる。

 歩き疲れ、寄りかかるに頼った桜の枯れ葉が散ってきた。

 春の盛りは大勢で賑わう花見も、こいつにすれば幻の如き一瞬だ。

 どれだけ人の悲哀を見て来た事か。


 堤をのたのた徘徊すれば、冬の雀に御裾分けと、天辺に採り残した柿の実が旨そうだ。

 この家は互いに慕い会った者が今でも住まう。

 手も触れも試ずそのままに、別れの言葉も無く勝手な男は旅に出た。

 今更会ったからと、話す理由が思い浮かばない。

 腹を空かせたガキの頃、柿を盗んだその度に釜を持って追い駆けて来たこの家のかあちゃんも、今は背中を丸めて万年火燵に座ったきりになっている。

 頬をべたりと火燵板に任せ、じっとこちらを眺めている。

 まんざら知らない仲でもない、手を振り柿を二つ三つ貰う。


 柿か婆さんかは判らないが、何かを狙って烏が家の真上でグルグル舞っている。

 きっと婆さんだと思い、親切心で石を投げつけてやる。

 見事につぶてがやつを掠め、不吉な鳥は慌てて逃げ惑う。

 落ちた石の行方はと見回せば、窓硝子にひびが一本。

 昔は鬼の婆さんも、にこっと笑って手の甲を向ける。

 娘が来る前に慌てて逃げろの合図だ。

 昔は愛しかった彼の君も、今では見る影も無い。

 いつかゝと引き伸ばし、婆様には顔だけ見せたが未だに会話が無い。

 娘にいたっては物影から微かに覗き見ただけで、それから先に進まない。


 硝子を傷つけた石の行方を探ってみると、時々見掛けるキジトラ猫を攻撃していた。

 庭先に倒れて伏したまま、足を痙攣させている。

 可哀想な気もしたが、家に来ては肴を盗み食いするキジトラ猫だ。

 長い事泥棒を見逃してきた。

 畜生らしい警戒心をどこかに置き忘れ、ボーと歩いていた御前が悪い。

 暫く気絶していろ。

 硝子にひび一本入れたのは、御前の犯行にしてもらえる。


 堤を鼻歌で海へ向かって数分行くと、人しか渡れぬ小さな橋の上で、頻りに竿を降る爺さんが汗だくになっている。

 糸の先には、如何なる大魚でも飲み込めぬであろう三俣針がついている。

 餌もウキも、おもりさえもない。

 針の根本がおもり代わりに鉛の塊で出来ている。

 これでは釣りの醍醐味も何もあったものではない。

 ただ振り回し、針を飛ばしては巻き上げるだけ。

 体力造りの運動にも似た動作を繰り返すのみだ。


 この爺さん、河口に集まる慣れた釣り師の動きには程遠く、ギクシャクとしてまとまりが悪い。

 遺憾ともしがたい振り方に失笑したのを見られたか、手招きされてしまった。

 釣り箱の上には、まな板と研ぎ澄まされた出刃包丁が置かれてある。

 既に何かを殺生したのは明らかに、生々しく血が滴っている。

 凶器を従えた爺さんには近寄りたくなかったが、背を向けたところをブスリでは洒落に成らない。

 怯えた心を気取られぬよう、ソロリソロリ近付く。

 何の事はない、手に持った柿の実が美味そうだなと愛想笑いをするではないか。

 一つ勧めて打ち解けた。


 河口の希水ならまだしも、こんなに上って来ては川幅も狭く雑魚しかいない。

 ギャング釣りでもないだろうし、働きに見合う魚は捕れない筈だ。

 何をそんなに振り回していたのか訊ねると、遠目にはまともに見えたがこの爺さん。

 頭に虫でも湧いているのか、鴨釣りだと言いやがる。

 そんな馬鹿なと高笑いしていたら、釣り箱を開け見せてくれた中には、処理済みの鳥が二羽収まっている。

 鴨は玩具でも鉄砲を見せればすぐに飛び立つが、それ以外は少々荒っぽい動きが近くにあっても、釣りと知ったらびくともしない。

 三俣の針を近くに飛ばし、一気に引けば鳥とて逃げようも無いから、日に数羽獲れる。

 と、極みに戯けた猟である。


 そんな釣りなら誰にでも出来ると竿を借りて振って試たが、何度やっても遠くに飛ばない。

 一心不乱の爺さんを見ていると、先ほど拾った竿はこんな主の方が幸せかと思えてきたから、後で取りに行くよう祠を教えてやった。

 話はしてみるもので、爺さんが柿と竿の礼に捌いた鴨を一羽くれた。

 貰ったはいいが、首を切られ羽毛を毟られたのを剥き出しで持ち歩くのは野蛮だ。

 いつもの雑貨屋で袋をと歩き出す。


 橋を渡って河口の近くに雑貨屋がある。

 昔は小さな駄菓子屋だったが、今では年中無休で商いをしている。

 散歩の時はいつもここで缶珈琲を買う。

 幼馴染の店長が、店の駐車場を広げるのに母屋を壊した。

 店より少し上流に新居を建て越して来たから、以前より我が家と近くなった。


 引っ越し祝いの日。

 酔った勢いでブロック塀を蹴っ飛ばしたら、猫が通れるほどの穴がポッコリ開いた。

 弁償を迫られたが、手抜き工事の補償を請け負うつもりはないと突っぱねてからというもの、缶珈琲を買う度に十円余計に払わされている。

 ブロック基金なる貯金箱が、会計カウンターに置かれている。

 勘違いして釣り銭をカンパしてくれる客には悪いが、その金はブロック塀の補修に使われる。

 修すに十分な金が貯まっていないと、穴はそのまま放置されている。


 店の前には、色艶のいい大黒猫がゴロッとしている。 

 皆から黒と呼ばれているそいつは、客からの施しで食いつないでいる。

 他にうろつく野良猫よりもデップリといい体格で、辺りの親分猫といった風格だ。

 実はこいつ、店の猫では無い。

 ここから少し歩いた交差点の角にある車屋で飼われている猫だ。

 車屋と言ってはいるが、車を展示した広場の裏には鉄屑となった車両が山と積み上げられている。

 誰が見ても、塵から拾い上げたのを売っている。

 スクラップ屋の副業で、サーキットを走る車を専門にしている。 

 車検は必要ないから、思う存分の改造車ばかりだ。

 原価が零だから見栄えの良いのを見繕っては並べ、暫く置いて買われなかったのはプレス機をくぐって鉄の塊になる運命だ。

 運良く買われてもサーキットでオシャカになれば、同じ路を歩まねばならない。


 むやみやたらと改造しているのではない。

 速く走る為だけに総ての無駄を削る。

 一度だけでも走ってくれればいい、たとえエンジンが焼き付いても客は怒らない。

 この業界では彼を知らない者がいないとまで謳われ、バブリーに膨れた知識と技術を駆使している。

 とんでもなく優しい客に囲まれ、ボロい悪徳商法であいつは貯蓄を増やしている。


 雑貨屋で缶珈琲と鴨袋を貰い、車屋の前まで歩いたが店長がいない。

 外を掃除している店員に店長はどこか尋ねてみると、サーキットでのレース中にスピンした車との接触事故に巻き込まれて大怪我をしていた。

 命程の怪我ではないが、何か所か骨折して近くの病院に入院したのに連絡もない。

 困った奴だ。

 ビールでも持って見舞いに行ってやるか。


 話し相手がいないので、近くの社で珈琲休憩にした。

 子供の頃から不思議だったが、この村にはやたらと神社が多い。 

 何神社だか判らんまでに荒廃した社まで含めると、優に百は超えている。

 鳥居の無い神社や三本柱の鳥居。

 狛犬の代わりに鶏が番をしている所もある。

 それに、誰が手入れしているのか、社はボロボロなのにどの杜も綺麗にされている。

 神の住まいである社はほったらかしで、杜だけは管理が行き届いているのも不自然だ。


 年に何度かは祭と称した吞んだくれ行事がある。

 順繰りに回って行けば、年がら年中呑んでいられるような組み合わせで祭が動く。

 呑みたくてしょうがない大人が寄ったっては、濁酒を煽っていた宴。

 今ではすたれてしまったか。

 大人になってこの村に帰って来てからは、派手な祭りは見掛けないが、田圃につっ通っている軽トラックにはしょっちゅう出くわす。

 飲兵衛の遺伝子が引き継がれ、祭の伝統だけは未だに脈々と息づいている地域らしい。


 焚き火だけの明かりの中、おかめやひょっとこ狐や狸の滑稽踊りが子供ながらに愉快で、見様見真似をして一緒に踊ったものだ。

 それがまた大人に喜んでもらえ、駄賃も随分とはずんでもらった。

 観客が酩酊した頃を見計らって踊れば、酔いの勢いに任せた客から小石を包んだ札まで飛んで来る。

 中の小石が当たって痛いのを我慢すれば、程良い稼ぎだ。

 慣れた子は巧に石の御ひねりをかわし、拾うのは末の兄弟か子分の役割と相場が決まっていた。 


 祠の隣にこんもりした盛り土があり、周囲に八体の石地蔵が並んでいる。

 婆さんに貰った柿を食い、種を一つ一つ地蔵に供える。

 色々な果実で種撒きを試してみたが、地蔵から芽が出た事はまだ無い。

 珈琲も少しだけ残し、一番偉そうなのに御供えする。

 九日目に散歩道を逆に回り、空き缶を集め雑貨屋のごみ箱に捨てると決めているが、九日目まで空き缶が地蔵に並んだ試しが無い。


 江戸の時代よりももっと以前から、この盛り土はあったと伝えられている。

 大しけの明け方に大きな地震があって、海岸に八人が打ち上げられた伝説だ。

 脈も無く息もしていないので死んだ者と思った村人が、八体をこの地へ丁重に葬った。

 しかし、翌朝になって墓が暴かれ遺体がそっくり消えていた。

 それからというもの、近隣に甚大な被害が出る天変地異があろうとも、この村だけは少しの被害もなかったそうだ。

 どざえもんだと思って弔ったのは八百万神のどなたかで、御弔いの礼に村を守ってくれているに違いないとの噂が広まった。

 盛り土はそのまま旅人の休息所になり、後に八人の代わりに地蔵が置かれ神社が建てられたというのが話の大体で、七福神信仰になったと書き人不明の歴史書に載っていた。 

 一人多いような気がするが、それはそれでいいのだと勝手に納得している。


 社に潮騒がはっきり聞こえて来る。

 磯の香も強い。

 風向きによっては、高く舞い上がった波が天気雨のように降ってくる。

 それでも、肝心の海は松林に隠れて見えないから悔しい。

 もう少し頑張って海岸散歩をしてやろう。


 この浜は海の家が一件きりの海水浴場だが、それでも真夏ともなれば村の祭より人が寄って来る。

 ジリジリと暑かった今年の夏、海水浴客で繁盛していたアイスクリーム屋も、今は松林の入口で焼き芋を売っている。

 車の轍も微かになってしまった林道。

 落ちた枯葉に隠れ、敷かれたジャリは所々見えているだけだ。

 蝉も鳥も鳴かない静寂に、砂利を踏む音が吸い込まれてゆく。

 我が生を確かめながら歩を進める。


 用心深く、鬱蒼と薄暗い林の奥に目を凝らせば、ちらりほらりと振る手が見える。

 私だと分かれば、ここに住み着いた自然をこよなく愛する人達があちこちから声をかけてくる。

 ブランチの支度をしているのだがと、目ざとく袋の鴨を強請られた。

 どうせ一人で一羽は食いきれない。

 適当に取分けてくれるよう丸ごと預けると、遠慮深くも総ての身を剥ぎ取り残った骨だけを貰ってくれた。

 鴨肉から出る脂は香りこそいいが、胃袋に重たくて好みではないそうだ。

 ガラで出汁を取り、うどんを茹でるから帰りに寄るよう誘われた。


 海岸に出てから波打ち際を歩く。

 程よく湿って締まった砂の方が、足を取られる柔らかな砂地より疲れた体に都合がいい。

 寄せる波を避けながら歩くものだから、振り返れば千鳥の足跡が、深く潜った杖の痕と一緒に続いている。


 沖から一艘の船が鏡の反射を当てて来る。

 トンツーで「今日は元気か」と聞いて来た。

 近くにある研究所の所長が、クルーザーで釣りをしている。

 カタクチイワシを追ってやって来る大物狙いの贅沢な釣りだ。

 以前はスナメリやイルカを見るのに、酔い止めを飲んで付き合っていた。

 元気の合図に、杖の先へ汗拭きタオルを縛り付け大きく振り返す。


 来る度にシーグラスを探しているが、この海岸は沖に強い海流があるからか、流木さえも滅多に流れ着かない。

 オレンジ色の宝石が欲しくて下を向いて歩いていたが、何年かかっても見つけられない。

 今はむきになって探してはいない。

 偶然にでも、綺麗な物が見つかればそれでいい。

 林の住人が流れ着いた物は何でも利用するから、自然にはありえないまで綺麗な海岸で、いささか趣向に欠ける。

 空き瓶が流れつき、割れてから砂と波にもまれ角が取れるまでには長い年月がかかる。

 シーグラスは元を辿れば危ない割れ瓶だが、月日と宥める自然が瓶の欠片を宝石に変えてくれる。


 この海岸にはコアジサシの営巣地があり、夏の散歩でうっかり巣の近くを歩こうものなら、上空から急降下の攻撃を受ける。

 本能とはいえ自分の数十倍もの巨体に立ち向かう様は勇ましく、いかなる生物でも親ともなれば思考の上等下等など関係なく働くものだと感心する。

 海亀も数年に一度は産卵の為にやって来るらしいが、未だに御目

にかかれていない。

 昼間の散歩で御目通り叶う相手ではなさそうだ。


 暖かい季節にハマヒルガオの咲いている砂山は、今になって風紋を浮かび上がらせ、人が踏み入るのを頑なに拒んでいる。

 日和の良いのに誘われてここまで歩いて来たが、浜の風は冷たく陽当たりよりも寒さが優る。

 長く風に当たっていては具合に良くない。

 そそくさ林へ逃げ込んだ。

 慣れた寝床が待っている我が家に帰ったような安堵感。 


 青い仮住まいの中から、いい香が松林を蹂躙している。

 許し難きこの香を退治てくれんとばかり、テントの中を覗き込むと、丁度いい具合にうどんが炊き上がっていた。

 帰ってから鴨鍋で一杯呑む予定がある。

 軽くと御願いしたが、彼等の軽くはどんぶり一杯だ。

 今を逃したら次に食える日の見当がつかない。

 御気楽な暮らしと羨んでみるが、今日死に明日ごみのように捨てられても構わぬ覚悟の人達ばかりだ。

 どれ程の恥辱に耐え続けたらば、ここまで人の尊厳を捨てて暮らせるのかと唱える者がいる。

 世の無情に耐え抜いて来たからこそ、尊厳があるからこそ誰の手も借りず煩わせずいられるのだ。

 他の地に住む者の如何なるかは知らないが、この林に住まう者達は決して世から捨てられた者では無い。

 人として、この世にある一個の命を自然に尽くしているだけなのだ。

 そんな彼等の生き様に、少しだけ関わりを持てた自分が誇らしい。

 誇らしいのではあるが、財布はどこにいった。

 松林に来る時は財布に金は入れていない。

 靴下の中に札を入れ、小銭はポケットに入れているからいいのだけれど、出来れば返してほしい。


 帰りすがら、夏から会っていなかった数件の友人宅を訪ねる事にした。

 夏のアルバイトで海の家に診療所を開いている。

 事故が無ければ暇だから、近所の者を診察していた。 

 これがけっこう好評で、海に観光が無い時も時折海岸で野外診療をしている。

 今の土地に診療所を開いた頃からの付き合いだが、ここ数カ月は寝たきりだったもので御無沙汰していた。


 寝込んでいた時、何人か見舞いに来てくれた。

 いつも海からあまり離れたくないと言っていた人達だから、きっと無理して通ってくれたのだろう。

 作ってくれた粥が味も素っ気も無く惨酷に不味かったが、それでも涙が出る程嬉しかった。

 ただ、嬉しいのは始めのうちだけで、何度もとなると不味さに飯が食えなくて痩せるばかり、自由に出歩けるようになったと報告したい。


 途中、雑貨屋で茶菓子を買って手土産にした。

 神主不在神社の近くに集落したのは、殆ど自分達の家だと聞いていたので、あちらこちらを見回したがそれらしき家も無く、困って神社の者を呼んだが誰も現れない。

 ここには巫女が一人住み込んでいると聞いたが、たったの一度も遭った事が無い。

 御神木の葉を超え差し込む木漏れ日が、苔の岩に上がって光の遊戯を披露してくれている。

 暫く見とれていると、不意に声を掛けられた。

 集落の人達が祭の支度に集まって来たのだ。

 まだ飲兵衛祭は続いていた。

 懐かしくて嬉しくて。

 夜店も来てくれるとかで、話しているうちに軽トラックが何台もやって来た。

 忙しそうなので手短に、土産を渡して見舞いの礼をする。 

 夜の祭に誘われたが、ようやくここまで辿り着いた体だ、帰りの消耗を考えると心配になる。

 それよりなにより、鴨鍋で好きな酒など呑んだら直ぐに寝てしまい、朝まで起きないだろう見当がつく。

 これから何日も夜通し続く祭だ。

 翌夜にと約束して、鍋の具材を仕入に向かう。


 家の近くには変わったねぎ畑が広がっている。

 ここら辺りのネギは海水をかけて育てる。

 枯れる程までかける馬鹿はない。

 ほどほどかけて、その味を甘くして出荷する。

 いつもネギに用事がある時は、この畑に来て拝借する。

 御親切にも、今では専用に一角区切られている。

 それ以外の畑から失敬すると過酷な刑が待っているが、許された一角からならいくら採っても咎められない。

 これほどまで優遇されたのは、ここが知人の畑だからだ。


 さてネギを引っこ抜いてと構えたら、丁度に地主様がやって来て、やっとネギ泥棒が出来るまで回復したかと喜んでくれた。

 知り合った時から、こいつは人の心配ばかりしている。

 優しく人に接してあげられるのはよろしいが、自身も大病して入院していたのだから、もう少し自分をいたわった方がよかろうと思う。

 お互い見舞いには行かぬと申し合わせたが、やはり気にはなっていた。

 ここで遇えてよかった。

 これから鍋でもどうかと誘ったが、昼間の酒は医者から止められていると言う。

 昼間と限らず、夜の酒も止められているのだろう。


 泥ねぎを作るところで、長いビニール袋がどっさり荷台に乗っている。

 それならばと、鴨を半分にして袋に入れてやった。

 すると良さそうなネギを、袋にギッシリ詰め込んでくれる。

 病み上がりだ、持って帰る身にもなれ。

 一人ではまったく食いきれぬと言ったが、いいから持っていけと押し付けられた。

 明日、松林に持っていってやろう。

 夜になれば祭の宴にも使えるだろうから、ここは有難くもらって帰るか。


 ほとほと疲れはしたが、暫くぶりに海が見られた。

 鴨にネギ、今日は美味い酒が呑める。


 診療所の南側に、ちょっとしたビニールハウスを建ててある。

 特に何を作ると決めているのでもなく、気まぐれに種をまき苗を植えている。

 時々友人達と寄り合ってバーベキューをするので、キャンプ用のテントが中に張りっぱなしだ。

 雑貨屋の主人と奥方が二人して、このハウスの中で荒れ放題の畑を手入れしてくれている。

 海からの帰りまでは店にいたのに、随分と動きが早い。

 二人とも畑仕事は好きだが、広い南側の土地を避けてわざわざ家の北側に畑を作る変わり者だ。

 それに、人様の畑まで手入れする程好きではない。

 そんな二人が手を入れているとは、魂胆があるのは見え見えだ。


「駐車場を広げて客が増え、少々小金が貯まったので店を改装する」

 そんな事なら、わざわざ野良仕事までしなくても話せる。

 それを言いたくて来たのではないだろう。

 気になるのは、先ほどから夫妻の足元にウロチョロしている毛むくじゃらの生物。


「普段は休みも無く働いているので、子供とろくに遊んでやれない。改装の間、暫く家族で旅に出る。普段はおとなしい猫だから、子供と旅行の間少し預かってくれないか」

 主人が足で引き寄せ見せたのが、キジトラ猫である。

 よく見ると、頭に小さな傷がある。

「近所の者が、庭先でピクピクしている所を捕えて連れて来てくれたんだ。子猫の頃に迷い込んできた奴で、飼っているつもりはないんだが、餌をくれていたらすっかり懐いてしまった。連れて来てくれた人の窓硝子に、ひびを入れて弁償させられたよ」

 ぼやく、ぼやく。

 この猫、どんな奴かは分かっているが、こう言う訳だからとは言い辛い。

 仕方なく、旅から帰ってくるまでならばと引き受けた。


 鍋をつつき酒を呑み、猫に鴨と酒の御裾分け。 

 泥棒猫のくせに、まるで我が家のような振る舞いだ。

 先に酔って、膝の上で眠りこけている。

 海まで一周、ぐるっと回って友に会う。

 これが私の歩いてきた道。


 空より遙かな高みから。

 今は懐かしく見下ろしている。

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歩いて来た道 葱と落花生 @azenokouji-dengaku

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