第19話 もう遅い

一夜明けた。昨日の夜の会話が忘れられない。


この沖縄旅行の間に、殺してほしい。


どこまで本気かわからないが、夫はそんな話をしていた。今日一日、何もなかったかのように、夫のそんな要望を聞いたことがないように、過ごせる自信が私にはなかった。とはいえ、レンタカーも借りて、沖縄本島をぐるりと回る予定を組んでいて、いまさらどこかに逃げるわけにもいかない。


旅先でレンタカーを借りるときには、必ず夫が運転することになっていた。今回も当たり前のように、運転席に座り、出発の準備をしている。


この人がいなくなったら、レンタカーだって自分で運転するんだな。


そんなことをぼんやり考えながら助手席に座ると、ラジオからゆったりとした音楽が流れてくる。流れる景色を見ながら、昨日の会話や夫の病気のこと、そしてミチコの存在すべてが嘘であってほしいと思っていた。そんなこと考えたって、どうにもならないのに。


今日、崖から突き落とすとか、言われませんように。


そんなことを考えていると、夫が突然話始めた。


考えてみたらさ、この10年、なんだったのかな。何度となく旅行して、何度となく食事して、いろんな事したけど、君は僕に唯一の願いだったことをかなえてくれなかった。結婚するとき、一緒に過ごす時間が欲しい、って言ったよね。君は仕事ばかりしていて結局僕には時間をくれなかったな。それだけが唯一の希望だったのに。


そう。言われて思い出した。夫は確かに、時間が欲しいと言ってたな。でもそんなことはすっかり忘れていた。私は家庭より、夫より、仕事、キャリアを選んだんだ。おかげで、ある程度の地位を築くことができたし、お給料だって上がった。でも、夫と気まずくなると、仕事に逃げていたのも確かだった。


そうだったね。これからはもう少し、一緒に過ごせるようにしようかな。ちょっと仕事休んでもいいし。


そこまで言って気づいた。そう、もう残る時間は少ないかもしれないのだ。それに、もう公然となったミチコと一緒に過ごす時間だって長くなるだろう。そんな日が来るなんて。これからいくらでもある、と思っていた時間が、実はいくらも残っていないと感じるのってこんなに怖いものなんだ。


そして恐れていたことをはっきりと言われた。


今はもう、君と過ごす時間よりも、他にやりたいことがあるんだ。だから、君がいくら時間を作っても、もう遅いんだよ。


もう、遅い、か。

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