第二十八話 華理での新生活

 華理に入国して三か月が経った。

 ほぼ配達しかないが、薄珂の仕事を手伝いながら穏やかな日々を送っている。

 威龍と雛は薄珂が用意してくれた家で生活を始めたが、幾つか意外な事があった。

 与えられた家は木造の小さな小屋だった。中は個室がない大きな一間だけで、あの薄珂が用意するにしては質素な印象だった。

 分不相応に豪勢な家を与えられたら断ろうと思っていたので安心したが、小屋の間取りには意味があった。

 有翼人は心の機微が体調に影響する。子供は家族の姿が見えないと不安になり、それだけで体調不良になることがあるそうだ。

 これは立珂がそうだったらしく、だから間仕切りのない家を用意してくれた。

 それでも申し訳ないような気にさせられた。何しろ薄珂と立珂の家が小屋を上回る質素さだったからだ。

 威龍は薄珂と立珂の元へ向かったが、着いたのは森の中にひっそりと佇む天幕だ。

 とても小さくて大人二人は入ったらもうめいっぱいという程度しかない。

 小さな天幕をそろっと開けると、中では立珂を抱っこしている薄珂がいた。


「薄珂。今日は宮廷に行くか? 勝峰様が時間あれば話がしたいって言ってたけど」

「止めとく。今日は立珂が随分眠いみたいだから何もしない」

「よく寝るよな、立珂は。やっぱり天幕じゃ落ち着かないんじゃないのか?」

「有翼人の成長期はみんなこうなんだよ。羽が大きいから体力尽きるのも早いし」

「ならいいんだけど。雛はなかなか寝付かないくらい元気だから心配で」


 薄珂と立珂の家は小屋ですらない、とても薄っぺらい生地の天幕だった。

 雨が降れば水漏れをするような簡素な造りで、とても高貴な身分とは思えない。

 加えて場所も辺鄙で都市部から離れた人気のない林の中にある。

 食べ物も自給自足で、二人が畑で育てた野菜で生活をしているという。それも茹でるだけで味付けはほぼ何もせず、街で買うのは立珂の好物だという腸詰くらいだ。


(不便じゃないのかな。隊商より地味だぞこの生活。ていうか天幕)


 隊商の馬車は移動するから不便に思われるが、移動生活が当然の威龍は不便に思った事はなかった。

 それだけに薄珂と立珂の小さな天幕の生活は不自由に思えた。

 だがこれが二人の生まれ育った環境に最も近いのだという。立珂が好む環境を選んだ結果こうなったとのことだ。


(生まれが高貴なわけじゃないんだよな。立珂を幸せにする努力をしてたら高貴になってただけで)


 薄珂が具体的にどんなことをしたのか具体的には知らないが、少なくとも華理国主という地位の勝峰は薄珂に会いたがり、薄珂は断れる立場にいる。

 地位のある人ほど薄珂に礼を尽くし敬うが、今目に映るのは弟を溺愛する度の過ぎた兄馬鹿だ。


(でも気持ちは分かるな。俺も地位なんていらない。雛といられればそれでいい)


 威龍は薄珂の手元にある書簡を拾った。

 威龍の仕事は主に薄珂のお使いだ。薄珂から受け取るのは書簡がほとんどだが、宮廷や商店、港から届くのは大きな荷物が多い。

 どれも天一の商品に関する物で、検品や改善をするらしい。これが蛍宮を中心に流通するそうだが、それも全てこの天幕から生まれている。


「じゃあこれ持ってくな。哉珂に呼ばれてるから帰り遅くなるかもしれない」

「じゃあこれ終わったら直帰でいいよ。雛も待ってるだろうし」

「いいのか? 有難う。じゃあ行ってくる」


 威龍は預かった書簡を袋にまとめて、服を脱いで鴉になると袋を掴んだ。

 そのまま向かうのは宮廷だが、薄珂が以前言っていた通り、宮廷は都市部からは若干離れた高台にある。それも相当長い階段があり、移動が不便で職員は宮廷に住み込みの者も多いという。

 そのため荷物の重さに関わらず移動が大変で、鳥獣人の威龍は即日で重宝された。

 重宝される理由は配達だが、特に喜ばれる配達は仕事に関する物ではない。


「書簡お持ちしました。あと莉玖堂の腸詰弁当二つです」

「お、来た来た。いやあ、助かるよ。上り下りしないで済むのは本当に楽だ」

「ニ足歩行だとそうですよね。必要な物があれば持って来るんで言って下さい」

「ああ。有難う」


 業務契約は薄珂、つまり天一に関する物だけで良いとなっている。

 だがそれも一日に一度しかなく、朝昼晩で三往復するだけで終わってしまう。

 鳥獣人である威龍にはあまりにも簡単すぎて、これで給料を貰うのは気が引けた。他にも仕事が無いか聞いた結果、街で弁当を買って配達することを受けている。

 その程度でいいのかと思ったが、これは蛍宮でも需要が高い提供だったらしい。

 何でも宮廷食堂の運営費が削減できて、かつ国民の収入も上がる一石二鳥らしい。

 弁当を届け終われば午前の仕事は終わりで、この後は威龍にとって至福の時間がやってくる。

 威龍は宮廷の中にある一室に駆け込んだ。


「雛! ただいま!」

「うぇいろーん!」


 美星に抱っこされながらぶんぶんと手足をばたつかせているのは雛だ。

 目をきらきら輝かせ、手を伸ばすと飛びつきたいと言わんばかりに身を乗り出してくる。威龍は慌てて雛を受け取り、よいしょと抱き直した。


「元気だな。今日も昼寝しなかったのか? 美星さん困らせちゃ駄目だぞ」

「んっ、んっ!」

「さっきまでお昼寝なさっていたんですよ。でも飛行なさっている姿が見えて興奮なさったようで」


 威龍の仕事中は美星を始め、宮廷侍女が雛を預かってくれている。

 立珂がいる時は立珂と一緒だが、立珂がいない時でも美星が見てくれている。

 抱っこ紐で雛を括りつけて飛ぶ事はできるが、やはり危ないので頼むことにした。

 ちょんちょんと雛の頬を突くときゃっきゃと楽しそうにはしゃいでいる。


「おさかな」

「ああ。食べよう。でもその前に哉珂のとこ寄るから待ってくれよ」

「んっ」

「それじゃあ、美星さん。有難う御座いました。いつも有難うございます」

「いいえ。明日もこちらでお待ちしております」


 ぺこりと美星に頭を下げると、威龍は街への出口とは逆方向へ歩いた。

 威龍が立ち入り許可されているのは配達先と雛の預け先である侍女の部屋までだ。

 そしてその途中に下官の執務室があり、威龍はその戸を軽く叩いた。


「失礼します。哉珂。いる? 書簡持って来たよ」

「お。お疲れ」


 哉珂はで下官執務室で仕事をしている。何をしているかは教えて貰えなかったが、薄珂とのやり取りが非常に多い。

 ということは天一絡みなのだろうが、薄珂に質問をしてもはぐらかされる。


(仕入れ先紹介するって言ってたから商人だと思ってたけど違うのかな、やっぱり)


 書簡配達になれてきて、威龍は気付き始めたことがあった。

 哉珂に届く書簡で頻度の高い相手がいる。それが今日も届いている。


「はいこれ。今日も麗亜様から」

「ああ、またか」


 麗亜というのは明恭皇だ。薄珂が縁のある人物だということだが、どういうわけか哉珂宛ての書簡が非常に多い。

 どういう繋がりか聞いてもやはりはぐらかされるが予想は付いていた。


(麗亜様は多分朱さんだ。この書簡が届くようになる少し前、急にいなくなった)


 瀘蘭の一件が終わり、一番不思議に感じたのが朱の存在だった。

 薄珂の経緯は分かったが朱が同行している理由が良く分からない。何しろ刑部の代表は朱ではなく仔空だったからだ。

 仔空はあの後刑部に戻り通常業務へ戻ったという。もし薄珂に同行すべきは『華理刑部』であれば朱ではなく仔空であったはずだ。

 その座を譲ったのなら当然仔空より上層部の人間ということになる。

 薄珂に同行する必要はあるが身分を隠さなければいけない事情があったのだ。

 しかも朱は国主である勝峰と同列に座り気安く話をしていた。薄珂の保護者代理になれるというのもそれなりの権力者であるように思う。

 だがそれがどうという事も無かった。明かしてもらえないのなら威龍が足を突っ込む事はできないし、雛との暮らしを思えば国政に関わりたいとも思わない。

 しかし気になるのは哉珂だ。もし朱が一国の主に相当する人物だった場合、その部下である哉珂が一体どういう人物なのか。


(哉珂は薄珂と身内みたいに言ってたよな。哉珂も結構特別な人なのかもしれない)


 威龍がここまでこれたのは哉珂が面倒を見てくれたからだ。

 それも薄珂の根回しがあったが、傍で助けてくれたことには代わりが無い。学んだことも多く、雛と共に暮らしていく選択ができたのは哉珂のおかげだ。

 だが気付いてしまったことがある。

 朱が明恭皇で、その部下なら哉珂は華理が母国ではないのかもしれない。

 何か業務的な指示があり残っているだけの可能性があるのだ。となれば当然――


「明恭に戻れとさ」


 帰る時がくる。

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