第二十七話 雛の母親

 反論を口にする前に、ぼろっと威龍の眼から涙がこぼれ落ちた。

 出会った瞬間から可愛くて、雛のためなら家族同然の人々から離れても構わなかった。この先の人生は雛のために生きて、雛を幸せにしてやるんだと誓った。

 威龍は薄珂にぐるりと背を向けて、雛を強く強く抱きしめた。


「嫌だ! 雛は俺の弟だ! もう弟だ! そんな、今更……!」


 威龍では金銭的に安定していて、何の危険も無い安全な生活をさせるという保障ができないのも事実だ。

 だがこの愛らしい新たな家族を手放すなんて、威龍にはもう考えられない。

 渡すものかと雛をぎゅうっと抱きしめると、ぽんっと薄珂が肩を叩いてきた。

 奪われる。飛行距離なら負けはしない。瞬間でそこまで考え走り出そうとしたが、哉珂が制止するように抱き留めてくれる。


「雛を手放したくないことは分かってる。だから薄珂は先に帰ったんだ。おい薄珂」

「うん。威龍に紹介したい人がいるんだ。こっち来て」


 威龍は薄珂に腕を引っ張られ無理矢理歩かされた。足元では立珂もてててっと付いて歩いている。

 そのままずるずると連れてこられたのは大きな広間だった。客間なのか、豪華な机と長椅子、有翼人が座る用と思われる座椅子が並んでいる。

 その中でも最も大きくゆったりとした椅子に美星と、美星の隣に四十代ほどの男性が並んで座っていた。

 美星を見つけた立珂は両手を広げてぴゅんっと走って駆け寄っていく。


「みほしさーん! ただいまー!」

「まあ、立珂様。走ったら転んでしまいますよ」


 美星は床に膝を突いて、端って向かってきた立珂を受け止めて抱きしめる。

 隣に座っていた男性もぐりぐりと立珂の頭を撫で、まるで家族のような光景だ。

 薄珂も立珂を追ってその中に入り、声をかけたのは美星ではなく男性の方だ。


「響玄先生、この子だよ。渡鴉獣人の威龍と弟の雛」

「ほお。これほど鮮やかな羽色は珍しい」


 響玄は急に眠っていた雛を覗き込み、威龍は思わず雛を隠すように体を捻る。

 威龍が露骨に警戒したからか、薄珂はとんっと軽く肩をぶつけてくる。


「響玄先生は美星さんのお父さんで天一の責任者だよ。俺に商売を教えてくれた人」

「えっ⁉ この人が⁉」

「君の話は薄珂から聞いているよ。雛を手元で育てたいそうだね」

「だって俺の弟です! 雛だって俺に懐いてくれてる! 俺が守ってやるんです!」

「落ち着きなさい。これでも有翼人の子を持つ親。雛に君が必要なことはこの寝顔を見れば分かる。それに薄珂の頼みだ。君と雛に最も良い環境を用意してやろう」

「へ……?」


 響玄は暖かい眼差しで微笑み、大きな手で威龍の頭を撫でてくれる。

 一体何をしてくれるのかと首を傾げていると、ぎいっと部屋の扉が開いた。

 扉からそろりと入って来たのは人間の姿をした女性だった。響玄よりは幾分か若いが美星よりは年が上だ。

 今この場に無関係な人物が入って来るわけがない。威龍と雛がやって来た途端に現れる親世代の女性となれば、彼女が誰なのかは想像がついた。


「あの人、あれ、まさか……」

「雛のお母さんだよ」


 予想が的中し、威龍はきつく雛を抱きしめた。その強さで目が覚めたのか、雛は腕を伸ばして威龍を求め始める。

 求めてくれるその手をそっと握ると雛もきゅうっと握り返してくれた。


(嫌だ。離れたくない。一緒にいたい。雛は俺が育てるんだ。俺の弟なんだ)


 女性が雛の視界に入らないよう、雛の腹を威龍の腹に付けるように抱きしめる。

 響玄は女性と何か話し込んでいるが、その内容は耳に届いて来ない。

 逃げ出したいのに薄珂に腕を捕まれていて動けない。女性がどこかへ行ってくれることばかりを祈ったが、その時、女性はぱあっと眩しい笑顔を見せた。

 雛を連れ帰ることができる喜びか――威龍は薄珂の腕を振り払おうとしたが、女性の口から飛び出た言葉は威龍の想像と違っていた。


「うちの子を名店天一で育てて頂けるなんて! こんな光栄なことはありません!」


 威龍の逃げ出そうとしていた足がぴたりと止まった。

 天一は響玄の店で、薄珂も店舗を任されている。

 雛の母親はそこで雛を育てるのだと叫んだ。響玄は力強く大きく頷いた。

 いつの間にか美星は立珂を抱っこしてその後ろに控えている。


「この立珂は蛍宮に有翼人のお洒落専門店を二店舗を作りました。雛には立珂が作った店の店長になってもらいたいと思っています。どちらも天一系列です」

「そんな大役を⁉ でもあの子の羽は鳥に近い。有翼人らしさには欠けるでしょう」

「そんなことはありません。何と言っても立珂を育てた者の推薦ですからね」


 響玄はこちらを振り向き手招きし、薄珂は威龍の背を押し一緒に響玄の元へ行く。


「これは私の後継者で薄珂といいます。立珂を育てたのがこの薄珂。薄珂が雛ならば立珂と同等の結果を成すことができると断言しました」

「まあ! そんな方が教育して下さるんですか⁉」

「ええ。それともう一人、彼に雛の世話を担当させます。威龍、挨拶を」

「は、はいっ! 渡鴉獣人の威龍です!」

「雛を誘拐犯から守ったのがこの威龍。薄珂の右腕として天一に入りますが、御覧の通り雛も懐いています。薄珂と立珂のように兄弟同然。立珂と同じ教育ができます。それともう一人」


 響玄は一歩下がり、代わりに美星が一歩前に出る。

 腕の中には立珂がいて、立珂は雛が威龍にしがみ付いている姿と同じように美星に抱き着いている。


「立珂様付き侍女、響玄の娘美星でございます。羽は小さく致しましたが私も有翼人ですので生態は理解しております。立珂様の日々も成長期もご一緒しておりますので雛様の日常的な教育にはお役に立てるかと思います」

「まあ! 宮廷にお仕えになられるほどの方がお世話して下さるなんて……!」


 雛の母親は感激のあまりか涙を流し、何度も響玄と美星に頭を下げる。


「有難うございます! こんな素晴らしい方々に育てて頂けるなんて光栄です!」


 くるりと雛の母親は威龍を振り向いた。

 なんの地位も権力も無く、光栄と言って貰えるほどの教育など受けていない威龍は一歩後ずさる。

 勝ち目のない血の繋がりを前に雛を抱く腕に力が入ってしまうが、雛の母親は威龍にも深々と頭を下げた。 


「威龍さん。良い名を有難う。この子を可愛がってやってね」


 母親は雛の頬をちょんっと突いたが、雛は誰なのか分かっていないようでその手を叩いて威龍にぎゅっと抱き着いた。

 息子の仕打ちに傷つくかと思ったが、雛の母親はやけに嬉しそうだ。


(雛を手放していいのか、この人。托卵が本能の鳥獣人てこういうものなのか?)


 威龍自身も托卵だが、預けられた方であって預けた親の気持ちなど知らない。

 良い教育を与えらえれることを喜ぶ程度には愛しているのに、他人が連れていくことを喜ぶ気持ちは全く分からない。

 そんな疑問が顔に出ていたのか、雛の母親は威龍に向き合い微笑んだ。


「托卵をしない種族には妙なことに思えるんですってね。私たちにとって托卵は自然の摂理で、その先の人生はこの子が自ら切り開くもの。でも親としては、できるだけ良い家に預けたいと思うわ」

「……雛はもう俺の弟です。他の誰にも渡したくない。たとえ本当の親でも……」


 口に出さずにはいられなかった。けん制するつもりは無かったが、雛が選んだのは自分なのだと言わずにはいられない。

 雛の母親はもう一度雛に触れようと手を伸ばしたが、雛は震えて涙を浮かべた。


「やああああ! んああっ!」

「雛! どうした。大丈夫だ。怖いことは何もないぞ。大丈夫。大丈夫だ」

「んっ、んっ」


 火が付いたように泣き出した雛の背をとんとんと叩き、頬ずりすると泣き止んだ。

 雛の母親はまた嬉しそうに微笑んで、雛からそっと手を引いた。


「良い環境に良いお兄ちゃんもいてくれる。私がいなくてもしっかり生きていけそうで安心したわ」

「あ、いえ、あの、俺」

「それじゃあ無事も確認したので私はこれで失礼します。響玄様。どうぞよろしくお願いいたします」

「承りました。お任せください」


 雛の母親は響玄と美星に深く頭を下げ、薄珂と立珂にも軽く頭を下げる。

 最後に威龍へ手を振ると、振り返りもせずあっさりと帰って行った。その後腐れが無さすぎる様子に、威龍は嬉しさと驚きで立ち尽くした。


「威龍起きてる?」

「起きてる。起きてるよ。ただちょっと……拍子抜けしただけ……」


 威龍は雛の顔を覗き込んだ。ぷっくりした頬を突くときゃっきゃとはしゃいでくれる。実の親よりも、血の繋がりが無い威龍を家族と認めてくれた。

 それは威龍も同じだ。親も血も関係無い。威龍はもう一度強く雛を抱きしめ、薄珂に頭を下げる。


「有難う。俺しっかり働くよ。飛ぶ仕事ならどれだけでもできるから」

「助かるよ。じゃあ早速明日からどんどん働いてもらうからね」


 薄珂はにこりと美しく微笑んだが、その裏には何か思惑があるのだろう。

 その上品な微笑みはやはり恐ろしかったが、それ以上に雛と離れなくて良いことに感謝した。


「では威龍と雛の住まいを用意しなくてはな。雛はやはり川の近くが好きか?」

「はい。魚が好きなんです。馬車の中では泣いてることが多かったから安定感の悪い狭い場所嫌いだと思います」

「それは立珂と逆だね。立珂はでこぼこした自然のままの土でごろごろするのが好きなんだ。狭い場所でぎゅーするのも好きだし」

「ぎゅー! 薄珂とぎゅーしたい!」

「ん。おいで」


 薄珂は美星の腕から立珂を受け取り、立珂は薄珂に飛びつくように抱き着いた。

 ぎゅうっと抱き合う姿はもはや懐かしく、羨ましくなり威龍も雛を抱きしめた。

 雛はきゃっきゃとはしゃいで、小さな手でしっかりと抱き返してくれる。

 一緒に生きられる喜びが全身に広がり、威龍はしばらく涙が止まらなかった。

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